表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/12

制約の想像力

 ここ最近、小説と言うものを書き始めて分かったことなのだが、私の経験が異常に乏しいことが分かった。


 私は別作品において学園ものの作品を書いているのだが、この学園ものと切っても切り離せないものが、異性との交流である。当たり前のごとく私は異性との交流など全くない。すると、異性との交流の描写を書く時、手が止まるのだ。あれ、異性との会話ってどんなのだっけ?となったり、異性のしぐさってどんなのだっけ?となる。


 しかし、これはデメリットではない。これを証明する言葉がある。


「小説の根源は、憧れの渇望である。」


 これは、この文章を読んでいる人は一度は聞いたことのある人物の言葉である。この言葉を言ったのは、恒河沙と言う底辺なろう作家である。


 「経験は買ってでもしろ。」とか、「経験は力なり。」とか浅い経験を広くした人間が良く言うが、そんなことをして成功できる人間とできない人間がいる。


 よく考えてみてほしい。例えば、シュレーディンガーの猫だ。これは、猫を箱の中に入れて、その箱の中にランダムに猫を殺す毒が出る装置を仕掛けると、箱の中には猫が死んでいる状態と生きている状態が重なっているという思考実験である。


 この時、もし、箱を開けるという経験をしなければ、猫が死ぬという悲惨な状況を避けることができる。しかし、なぜか普通の人は、猫の入った箱を開けてしまうが、開けないという選択肢がある。


 では、経験をしないということが、どのような利点があるのかということを考えてみよう。その利点は、たらればへの異常な執着である。


 シュレーディンガーの猫の例を続けて考えると、猫の入った箱を開けないで、家に帰ったとする。すると、果たして、猫はどうなったのかと考える。まだ生きているかもしれないし、死んでいるのかもしれない。生きていたならば、毒の出る装置の横でのんきに寝ているのだろうかとか、装置を使って爪とぎをしていないかとかを考える。また、死んでいたならば、安らかに死んだのか、苦しんで死んだのか、まさか、化けて私の夢枕に立たないだろうかと考えることができる。


 しかし、箱を開けた時、そのような可能性を考えることは限りなく難しくなる。なぜなら、可能性は生き死にのたった二つしかないのだから。


 つまり、経験しないという制約は、想像力を育てる礎となるのだ。


 さて、ここまで読んでくれた皆さんに一つ朗報だ。この話は著作権フリーである。


 なので、明日から恋愛経験の少なさをいじられたとしたら、この話を朗々と語った後こう付け加えるのだ。


 恋人ができないんじゃないの、作らないの。ってね。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ