第二十四話 魂の真理
―――ザアーッと打ち付ける水流の音が、ひんやりと冷えた洞内に木霊していた。
そこは、関係者しか立ち入ることの出来ない葦原崗神社の最奥、裏山にある洞穴で山から湧き出でる水が神気を纏いながら滝になっている。昔から霊力を高めるための修験の場となっていた。
かがり火でほのかに照らされただけの、自然が剥き出しの冷たい空間で、白装束を纏った玲は滝に打たれながら祝詞を唱えていた。気を高めるための修行だ。
瑞希を救えるかもしれない可能性を見出した今、自分に出来ることは少しでも霊力を高めエンの術に介入できるよう備えておくことだ。
最初は同情と興味本位で瑞希に協力をしていたのに、今では必死になっている自分に驚いていた。元来自分は事なかれ主義で、汗水たらして努力するようなタイプじゃない。なのに瑞希の事になると、どんな犠牲を払ってでも守ってあげたいと思うようになっていた。厳しい修行を乗り切るために、以前は筋肉がつくからと敬遠していた肉や魚などのたんぱく源も積極的に摂るようになった。その甲斐あって、背も肩幅も、少しずつ大きくなって来ている気がする。これ以上体が成長したら、女の子の格好をしたら似合わなくなるかもしれないのに、それでも構わないとさえ思える自分が不思議だった。
それほどに、玲の中で瑞希の存在が大切になっていた。
瑞希が女の子に戻っても、この想いは成就しないと分かっているのに。
今日の悠人の様子を見て、玲は確信していた。悠人は最初から瑞希を好きだった、異性として。それなのに、二人はボタンを掛け違えたまま、互いに背を向けてしまったのだ。
きっと瑞希が女の子に戻れれば、こじれた二人の仲を正しく修復することは可能なはずだ。杏奈には悪いが、他に本命がいるのに付き合われるのも不幸だろう。
そして自分は―――この気持ちは隠して、瑞希を応援するつもりだ。
彼女が幸せならそれで構わない。瑞希はありのままの自分を肯定してくれた、ただ一人の存在だ。友情か、恋愛かに拘って大切なものを見失いたくない。
雑念を払うように、一心不乱に玲は気を高める。
―――小一時間も経った頃だろうか、玲は洞内に入って来た別の人の気配を感じて瞑っていた瞳を薄く開いた。一族しか入れないこの場所に足を踏み入れるとしたら、たった一人しかいないだろう。
「……玲、修業熱心なのは感心だが、そろそろ切り上げなさい。お前の霊力が外部まで漏れ出て、いたずらにこの辺りの神霊を刺激している。何より、冷たい水に身を晒し続けるのもお前の体に良くない」
姿を見せる前から、誰かは分かっていたにも関わらず玲は内心驚きを隠せなかった。自分に無関心だった父親が、まるで一般の肉親のような言葉を投げかけている。
「……父さん……。すみません、でも、もう少しだけ。今日は集中が足りていないのです」
「十分だろう。この数日だけでも、お前の気は格段に高まっている。体を壊しては元も子もない」
「……心配してくれるのですか?」
「……当然だろう。お前はこの神社の大事な跡取りで……かけがえのない息子だ」
「……!」
玲の記憶の限り、父親が自分を認めるような言葉を発したことは、これまでになかったことだ。瑞希が父に食って掛かった日から父の態度が少しずつ軟化して来ていることには薄々気づいてはいたものの、長年の癖であまり期待し過ぎないようにしていた玲は、改めて父の変化を目の当たりにして動揺した。
一生、愛情を返してもらえることはないだろうと諦めていたのに。
ああ、やっぱり、瑞希はもう十分すぎるくらいの恩恵を自分にもたらしてくれている。
「あまり思い詰めないようにしなさい。何事も、動くべき機というものがある。焦っても仕方がないだろう」
「……分かりました」
これ以上問答をしていても仕方ない。何より父に余計な心配を掛けたくないと玲は今度は素直に滝から上がった。
すでに秋も深まったこの時期は、気を抜いた瞬間寒気が体中を蝕んだ。ぶるり、と震えながら玲は用意していたタオルで水気をとり、白装束を脱ぎ別の着物を身に着けた。
「……あの少年、いや、魂の色からするとお前の言う通り少女か。あの子のためか?」
「……えっ?」
ふいに父が切り出した話題に、玲はどきっとした。父は玲の反応に分かっている、とでも言うかのように頷いた。
「初めて見かけた時よりも、この前会った時、あの子の魂はより穢れを纏っていた。良からぬものがあの子の魂に『改変』を加えようとしているのだろう。それがお前が懸念しているように、あの子の性質を『陰』から『陽』に変えることやもしれぬ」
父の持つ能力で、玲が引き継がなかったものに、オーラを視る能力がある。玲は霊的なものを視ることも、感じることも出来るが生きている人がそれぞれ持つ魂の色は視えない。それは人により千差万別で、性格や感情、性別、様々な要素が合わさってその人間固有の『色』が存在するのだ。それは年齢やその時の体調、気分によっても多少変化するものではあるが……。
「人は本来誰でも女の性質である『陰』と男の性質である『陽』、どちらの要素も備わっている。だが多くは肉体の性に一致するようその割合は偏るものだ。そうでなければ、魂と肉体は不整合を起こし、生きづらさを感じることとなる。……お前が一番分かっているだろうが」
「……はい」
「だが、仮に魂と肉体の性が異なっていても、それが生まれながらの従来の形であるなら神羅万象に反している訳ではない。時と共に自然に変化する場合もある。おのずとそうなるのであれば問題はない。しかし、それが外的要因で強制的に本来の在り様と変えられた場合、しかもそれが『穢れ』によるものであれば、話は別だ。神々は自然に反するものを嫌う。ただの魂の器である肉体だけならばまだしも、あの少女が魂まで邪なるものに染められ『改変』されたとしたら、神々はあの少女の存在そのものを排除すべきものと認識するかもしれぬ」
「……!」
玲は父の言葉に息を呑んだ。玲自身その可能性を考えなかった訳ではない。だが自分よりもより長く神事に関わって来た父に改めて指摘されるとより現実味を帯びてその脅威が迫って来ていると感じた。
「瑞希は……瑞希は罠に嵌められたんです。たぶん、彼女を陥れたやつは人間の深層心理に直接働きかけ、抑制された欲望を刺激し裏で瑞希がそう願うように操ったんだ!」
「……それが古来よりの悪鬼どもの手管だろう。仮に操られたのだとしても、あの少女が自ら望んだのであれば彼女の落ち度だ。神々はそれを許さないだろう」
「……そうですが……!!」
玲は悔しそうに唇を噛みしめた。先程まで冷たい水に打たれていたこともあり、その唇は紫色に変わっていた。
「お父さんの言う通りなら、もうあまり時間がないかもしれない……僕は瑞希が完全に変えられてしまう前に助けてあげたいんです」
すでに瑞希がエンの呪いを掛けられてからひと月以上、変えられた体だけでなく精神面への負荷もどんどん酷くなって来ているのだろう。早く、決着をつけなければ。
「相手は魂の在り様にまで干渉することの出来るほどの存在だ。そこいらの怨霊の類とは格が違う。もし次に正面から対峙すれば、その報いでお前自身の魂へも跳ね返るやもしれぬぞ?」
「分かっています!」
神秘の力とは、元より代償を求めるものだ。それを繰り出すのが、神であろうと、人であろうと。
「あの少女のために、お前が命を削っても構わないと考えていることは分かる。だがお前が自らを犠牲にすることをあの少女自身が望むのか?」
「……それは!」
痛いところを突かれた、と思った。
もう、瑞希の性格は玲もすっかり承知している。乱暴な言動が目立つが、この上なく優しい性質を持っている。誰かを傷つけるなんて、ましてそれが自分が原因でなんて天地がひっくり返っても望まないだろう。
でも、玲はとっくに覚悟を決めているのだ。
「……お前も私に似たのか、頑固なところがあるな」
それでも玲が考えを変える気がないということは察したのか、父は深いため息を吐いた。そしておもむろに、一つの舟の形に折られた和紙を差し出して来た。
その紙には見覚えがあった。まるでさっきまで水に浸されていたかのように、全体が湿っている。
「父さん、それは……!」
以前、エンと対決し返り討ちにされた時に、玲が『天つ国の方々』と呼ぶ神々へお伺いを立てた書状だ。
玲はその紙を弾かれたように受け取るなり、すぐに展開し中身を検めた。それは、水に濡れているにも関わらず、まるで何かのコーティングをされているかのように強度を保っている。
『忘られし 童の涙よ 雪深き 夢を残して 埋もれ消えぬる』
玲の問いかけに上から重ねるように薄い墨で書かれた和歌。どうやらそれが神々からの回答のようだ。
にわかにはその真意は読み取れない。この和歌が指し示すことは一体何なのか……。
苛立ちが表に出ていたのか、親指を噛んで険しい顔をする息子に、父親は眉をひそめた。
「玲。よく考えなさい。お前の対峙するそれが神であれ妖であれ、大元はこの世に生を受けていた者の念の塊だ。その念が地上に残った理由が分からねば、その存在を調伏することは叶わぬ」
「父さん……」
父の言葉に、玲は思いを巡らした。そして、しっかりと頷いた。
そうだ、何より何故エンがこの世に生み出されたのか、それを知らなければならない。
複数の心霊、妖怪をも引き込み、一つの集合体にするほどの念の塊。一体エンはどんな無念があって、神の理すら無視して人に害をなす存在に堕ちたのだろう。
年内に完結させたかったのですが、もう少しかかりそうです。




