第十六話 決意
「―――……冗っ談じゃないわよ、瑞希、アタシは一抜けさせてもらうわよっ!!あんなん相手にしたら、命がいくつあっても足りないわ!!」
玲は、今しがた対峙した凄まじい邪な気を纏う『神』の姿を思い出し、ブルりと体を震わせた。あの凍り付くような空気に、未だに冷や汗が背筋を滝のように伝っている。
エンの凄まじい神通力により、そこかしこにひびの入った床や壁を改めて見やる。夏目にはこの部屋以外にも異常が生じていないか見に行ってもらっていた。
(あれは何……?たしかに神気は感じられたから、『神』には違いないわ……でも、それ以外にも何か『混ざって』いるような……たかだか200年くらいの『気』じゃないわよ……!)
エンと名乗った『異形のモノ』が言った通り、瑞希は正式な手順を踏んで『神』と契約を交わしたのだろう。それでなければ、自分の力でもう少しその呪いに干渉出来ていたはずだ。しかし、瑞希に纏わりつく術は完璧で一点の綻びもなく、寸分の付け入る隙も無かった。あれでは、より強固で絶対的に凌駕する『力』でなくては介入は不可能だろう。
(どっちにしても、アタシに手に負えるようなヤツじゃ……ううん、アタシに無理なら、この日本にいる大抵の術者には無理ね……瑞希には可哀そうだけど、諦めてもらうしか……)
「……あたし、本当に分かってなかったんだね……『神様』にお願いをすると言う事がどういう事か……後先考えずにあんな化け物に頼っちゃって、あいつのせいで家族とか、友達とか皆記憶を歪められちゃったんだ……あたしに関わることだけだからそんなに害はないのかもしれないけど、あんな奴の変な力があたしの大切な人達に影響してるかと思うと、本当に今さらだけど、あたし何してんだって、後悔しかない……」
「瑞希……」
玲は力なく震える声で呟く瑞希を見やり、ハッと息を呑んだ。顔色に全く血の気がなく、瞬きも出来ず唇を固く引き結んでいる。強く噛みしめ過ぎた唇は切れて、血が滲んでいる。
(恐怖でガチガチに強張っているわね……そりゃそうよね、普段から『視える』アタシでさえアレは畏怖の対象でしかなかったもの……まして、一般人の瑞希からしたらあれは化け物以外の何物でもないわ)
思わず考え込んでしまった玲の手に、瑞希の手が重ねられた。その手は驚くほど震えていた。
「……玲、大丈夫、これ以上頼ったりしないよ……自分で何とか戻れる方法を探してみる。それよりも、あたしを信じてくれて、相談にのってくれて、嬉しかった……玲は、あたしが男になって初めて出来た『友達』だ」
(友……達……)
未だ青白い顔で、無理やりに笑顔を作った瑞希に、玲は胸がつまされる思いだった。
「瑞希……」
(今回のことは瑞希の自業自得よ、命かけてまで助けてやる義理なんてないわ……。ああ、でも、アタシにとってもこの子はアタシの『本当の姿』を知っても受け入れてくれた、初めての『友達』なのよ……)
様々な感情が浮かび上がり、玲は目線を彷徨わせた。
瑞希はよろよろと立ち上がり、膝やシャツの袖を払った。まだ力が入らない足を奮い立たせて歩き出す。
「じゃあ、あたし、もう帰るよ。また学校で会おうね」
そう言って手を振って出口に歩いて行く瑞希の小さな後姿を見ながら、玲は何故かこのまま瑞希を一人で行かせてはいけないと思った。
「待って……!」
「……玲?」
玲は手に持つ破魔弓をギュッと握りしめた。
「そんな殊勝なこと言ってんじゃないわよ……!見捨てるアタシの方が悪い気がするでしょ!」
「そ、そんなつもりで言ったんじゃないよ!今回のことは、ホントにあたしが考えなしだったって、反省してる。もう誰にも迷惑かけたくないよ」
玲は強く木の床を踏みしめながら足音高く瑞希に近づき、その両肩に手を置いた。
「見損なわないでよ、アタシ、『友達』を一人ぼっちになんてしないわよ……何が出来るかは分からないけど、もう少しだけ協力してあげる!だってアタシ達『友達』なんでしょ!」
「……………れい………」
驚いた顔で玲を見つめていた瑞希の瞳にみるみるうちに大粒の涙が溢れ、その重さに耐えきれずに零れ落ちた。
どうしてだろう、玲の温もりは、安心する。
(……うっ……)
鼻を赤くして、子供のように泣き始めた瑞希の姿に、玲は胸がキュウッと掴まれる感覚がした。
「馬鹿……泣かないでよ~……」
オロオロと瑞希の顔を覗き込むと、いっそう泣き声が大きくなる。
(マズイわね~……今までアタシ、『男』にときめいたことなんてないのに……もしかして、これって母性本能ってやつ?)
床に座り込んで泣きじゃくる瑞希の背中を抱きしめるようにさすりながら、玲は湧き上がって来た感情に顔を歪めた。
―――その夕方、瑞希が帰った後玲は神社本殿の裏手にある泉を訪れていた。
その泉は参拝客からは、神の言葉が書かれていると言う紙を浮かべて、恋愛運を占う神秘スポットとして人気な場所だが、神気の集まる『あの世』と『この世』を橋渡す境界のような役割を持っており、神々から託宣を授かるための聖域でもあった。
玲は、特別に祈りが込められている和紙に神々への問いかけを筆で認め、それを舟の形に折ると、泉に浮かべた。
ふぅっと霊力を込めた息を吹きかけると、その舟はついーっと動き出し、中央まで来るとクルクルと風もないのに回転をし出した。その回転は次第に高速になって行き、回りながら泉に渦を作りながら沈んでいく。
(アレが『神』なんだとしても、『化け物』なんだとしても、神の不文律を侵す行為をしているのは間違いない……いくら瑞希が自ら『願った』と言っても、自然にあるものを歪める願いを叶えることは禁じられているハズよ……だからマトモな『神』なら『応える』訳が無いのよ……このことは、アタシの立場からも見過ごせない。『天つ国の方々』に報告するのも義務だわ。あとは、『方々』が出雲に在らせられるこの時期に、このことがどれくらい早く伝わるかよね……)
沈んで行った舟の後の水面を見ながら、玲はそんなことを頭に巡らせていた。
「……玲。『天つ国の方々』にお伺いを立てているのか」
「……!お、とう、さん」
突然後方から声を掛けられ、玲は心臓が飛び出そうなほど驚いた。振り返ると相変わらず厳しい顔をした父が立っていた。
普段会話どころか、同じ建物内でも生活を共にしていない父と言葉を交わすこと自体数か月ぶりだった。いつも夏目を通して必要なことは伝達していたからだ。
「……今日の午後に、凄まじい邪気をこの敷地内で感じた。……お前、道場を使っていたらしいな」
「……」
「今日お前が連れていた少年、『可笑しなモノ』が憑いていたな……あの少年に関わることではないのか。今お前が『方々』に助力を願っているのも……」
「お父さん、瑞希は僕の大事な友達です。お父さんには迷惑はかけません。この神社の跡取りとして、義務も果たします」
玲は父の言葉を遮り、一方的に早口で捲し立てると一歩下がり頭を下げた。
「……勝手にしなさい」
父は頭を下げる玲を数秒じっと見つめていたが、やがて瞠目し、無表情で背を向け立ち去った。
彼が見えなくなるまで頭を下げ続けた玲は、心の中で独り言ちた。
(そうよ……瑞希は大切な友達。アタシに初めて出来た『女友達』なんだから……絶対に、力になって見せる)
―――深く暗い闇の中で、瑞希は自分の体が浮かんでいるような感覚に包まれた。
その中では、自分は男でも女でもなく、ただ『新倉 瑞希』なのだと思った。
自分の周囲をいくつもの半透明に光る何かが浮遊しながら、近づいたり、離れたりを繰り返している。
『……エン?』
無意識に、瑞希は呼び掛けた。
すると、光の一つが僅かに震えた。
どの光が『そう』なのか、何故、自分が『そう』思ったのか、瑞希には分からなかった。
『ひどいよ……瑞希、君は怖い人達を連れて来た……それでまた僕に酷いことをするんだろう……あいつらみたいに……』
『怖い人……?酷いこと……?一体、どういうこと?』
光はまた震えた。
『ひどい、ひどいよ……僕は君の『お願い』を叶えて上げたのに、君は僕を裏切るんだね』
『……エン、あんたは何が目的なの?何がしたいの……?』
瑞希は方向感覚のない体でもがきながら、問いかけた。
『……でも僕は『いい子』だから、君の『お願い』をちゃんと最期までお世話してあげるからね』
光の球体なのに、何故かそれが無邪気に笑ったように見えた。




