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第十三話 秘密の共有

 

 ―――保健の授業での一件以降、瑞希は極力他人と関わらないようにしていた。


 両親に心配はかけたくなかったために、引きこもるとか学校をサボるという選択肢は瑞希には考えられなかったが、クラスメイトであれ教師であれ誰かと関わればその度に自分が男であることを自覚させられ、しんどかった。


 その代わりに、時間を見つけては学校内の図書室に足を運ぶようになっていた。


 本来アウトドア派の瑞希は、本なんて滅多に読まないし、学業の成績もお世辞にも良い方だとは言えない。しかし、自分の身に起こってしまったことを理解するため、そしてそれを解決する方法が何かないかと瑞希は必死で探していた。


 この体に変わってから、一度もエンの気配を感じたことはない。あの神社にも時間を見つけて今でも立ち寄ってみるが、結局何の反応も返って来ない。


 瑞希の焦燥感と、不安感は日に日に増していた。


 取り返しのつかないことを自分がしでかしてしまった。


 一度後悔の念が頭を過ぎると、次々に絶望感が瑞希を満たして身動きすらとれなくなってしまう。その恐怖を振り切るように、瑞希はこの怪現象に少しでも関連性のありそうな本を片っ端から読み漁った。


 「『西洋の魔女信仰と、童話の真実』……駄目だな、こんなんエンとは全然関係ないよね……」


 今日も昼食を屋上で一人で摂りながら、瑞希は借りて来た本を床に放り出した。


 じゅー、と紙パックの牛乳を飲みながら、空を仰いだ。抜けるような空はどこまでも高く、平和そのもので雲が流れている。

 

 「もうすぐ1週間か……こんなこと、今でも信じられないよ。あたし、もうずっとこのままなのかな……」


 思わず弱音が出て、また果てしない不安が胸に込み上げた。


 「何がこのままなの?」


 と、突然、涼し気な声が耳に飛び込んで来た。


 「げ……!」


 声を掛けて来た主は、斎 玲だった。


 後から知ったことなのだが、他と一線を画す美貌を持つ玲はその容姿の良さもさることながら、どこか儚げで神秘的な色気、あまり人と積極的に関わらない謎めいたキャラクターから女生徒に人気があり、密かに『妖精の国の王子』と呼ばれている。その上、地元で有名な『葦原崗あしはらおか神社』の跡取り息子であることも、彼の神秘性を増長させていた。


 だが、瑞希自身は彼のことが苦手だった。


 まず、出会い方からして後ろめたいものだったしその後の保健室での再会でも変な絡まれ方をした。その後廊下や階段ですれ違う度に彼に見られているような、油断をすれば声を掛けられそうな雰囲気に瑞希は辟易し、クラスを知られている玲に接触しないようにという意図もあって瑞希はクラスの教室内で過ごすことを避けていたのだ。


 「げ、とはご挨拶だよね。一人ぼっちで行動しているみたいだから、心配してあげてるのに」

 「た、頼んでねーだろ、そんなこと!だ、だいたいクラスも違うんだし、仲良くする必要も……!」


 瑞希があからさまに迷惑そうな態度を取っているにも関わらず、玲はお構いなしに隣まで来て床に座った。


 「『西洋の魔女信仰と、童話の真実』『日本の神々と民間信仰』『ハウツーおまじない』……なんか意外なものばかり読んでるね」

 「あっ!勝手に触るなよ!……ってか、カンケーねーだろ!!」


 玲が手に取った本類を瑞希は顔を赤くして奪い取った。そんな瑞希に、玲は肩に手を掛け顔を近付けた。


 「カンケーない?本当にそうかな?僕達は結構共通点があると思うんだけどなー……。まぁ、いいや、それより僕は最初から気になっていたことがあるんだけど……」

 

 耳元に息がかかるほどの距離まで顔を近付けられ、瑞希は反射的に体を強張らせた。親友の悠人ですら、ここまで瑞希に接近して来ることは無い。ぞぞーっと、全身に鳥肌が立った。


 (こいつ……!やっぱソッチの気があるのか……!!)


 「放せよっ……!あ、あたしはノーマルだぞ!!!」


 そう叫んで、瑞希は両手で思い切り玲を突き飛ばした。


 「いっ……いったぁーい!!痛いじゃないのよ!いきなり!!」


 瑞希に突き飛ばされ、派手にひっくり返った玲は、涙目で悲鳴を上げた。その口調に、瑞希はギョッとした。


 「お、お前、ホモなだけでなく、オカマなのかよ……!?」

 「オカマなんて言わないでよっ!!トランスジェンダーって言って!!」


 瑞希の問いに、不服そうに玲は目を吊り上げた。聞きなれない横文字に瑞希は目をチカチカさせる。


 「と、トラ……?」

 「それに!アンタだって人のこと言えないでしょーがっ!!自分のこと『あたし』って呼んでるんだから!」

 「なっ……そ、そんなこと、言ってない!」


 ギクッとしながら、瑞希は慌てて否定をした。しかし玲はじーっと瑞希は睨めつけ、ふふん、と笑った。

 

 「とぼけても駄目、アタシ、聞いちゃったんだからね、うちの分社の中でアンタが『女にして』って願掛けしてるの」

 「そ、それは……あれは……そんなんじゃ……!」


 弱々しく瑞希が反発するも、玲は高圧的に詰め寄って来る。結局瑞希はその勢いに飲まれ、口を噤んだ。


 「精神と体の違和感が年々増して行ってそれで苦しい気持ちはアタシも同じよ。でも、だからと言って神様に文句を言ってもしょうがないし、ましてや拝殿の中に勝手に入り込むなんて神様に対して失礼すぎ。アンタ、むしろ神様の怒りを買うわよ。そうそう、それでアタシ、アンタに纏わりついている空気が気になってわざわざ忠告してあげようと……って、な、何泣いてんのよ、アンタ!?」


 つらつらと自分の意見を一方的に並べていた玲だが、大人しく聞いていたと思っていた瑞希が俯き、肩を震わせるのを見て仰天した。慌てて右から左から、瑞希の顔色を窺う。


 「ちょ、ちょっと、泣かないでよ~!アタシのせい?そんなキツイ言い方したつもりじゃないんだけど……!」

 「……どんな悪いことをして、あたし神様の怒りを買っちゃったのかな……。こんなになっちゃったのは、あたしへの罰なのかな……?」

 「……え」


 ポロポロと大粒の涙を零す瑞希に、玲は目をパチパチとさせた。気遣わし気にその両肩に手を掛けた。


 「……深刻に悩む気持ちは、アタシも良く分かるわよ。でも、その悩みは今に始まったことじゃないでしょ?」

 「……がう、違うんだ……あたしの場合は。あたし、本当に……女なんだよ!」

 「……どういうこと?」


 瑞希は嗚咽をもらしながら、途切れ途切れに自分の身に起こったことを語り始めた―――。

 

 

 「―――それで、そのエンとかいう子供の姿をした神に性別を変えられちゃったって訳ね……にわかには信じがたい話だけど……」


 じぃっと真剣な様子で、瑞希の話に耳を傾けていた玲は、何か思いを巡らすように片手の人差し指を唇に当てた。


 「……それにしても……」


 話し終えて、ギュッと両膝を抱え項垂れる瑞希にちら、と視線をやった。


 「……言わせてもらうけど…………。……アンタっ……バッ……カじゃないの!?そんなの自業自得じゃない!!考えなしの単細胞馬鹿!!知らない人を信用しちゃいけないとか、美味しい話には裏がある、なんてイマドキ小学生でも知ってるわよ!!馬鹿も大馬鹿、信じられないほどオツムが足りてないわね!!」

 「……なっ……そ、そんなっ、馬鹿馬鹿連呼するなよ……!あたしが一番分かってるし、後悔してるんだから……!」


 そうぶっきらぼうに吐き捨てた瑞希の胸を、玲はトン、と人差し指で突いた。


 「分かってないわよ。アンタがどんなに愚かか。……アンタは、自分が女であることに疑問を感じたことは無かったんでしょ?自分のことを女じゃないかもなんて、違和感を持ったこと無かったんでしょう?……それなのに、一回失恋したくらいで、男になれば楽になれる、なんて呆れてものが言えないわ。しかもそれで本当に男になって、体と心が合わない、なんて当たり前でしょ。そもそもそんな自分本位な願い事を神様にすること自体アタシ許せない!そのエンとかいう神様の言う通りよ!今の結果はアンタが選んだことなのよ、それでアンタが苦しんでも自業自得、ご愁傷様、くらいにしか思わないわよ!」


 真剣な口調で、瑞希を糾弾する玲の言葉は一つ一つ、瑞希の胸に突き刺さった。


 「アンタの今の状態は、アタシにとっては生まれた時からなのよ……!アタシだって、今まで何度、どれだけ、自分が本当に女の子として生まれていれば、って願ったことか!でもそれを神様に言うのはお角違いで、アンタがやったことは自然の摂理に反することよ!はっきり言って、精神だけでも元のが残って良かったわね、って言うわよアタシなら!だって体だけじゃなく、精神まで丸ごと変わってしまってたら、もう何が『アンタ』だって証明してくれるの?そこまで行ってたら、『アンタ』は死んだのと同じだったわよ!!」

 「玲……」


 玲の辛辣な声に、瑞希はさらに強い罪の意識に苛まれていた。そうだ、自分のこの辛さは、玲のような体と心の性の不一致に苦しむ人々にとっては日常のことなのだ。


 瑞希自身、一般的な知識としてそういった人々の存在を知ってはいたが、実際に身近に触れることは初めてだった。


 「……本当に、あたし、救いようがない馬鹿だよな……こんなん、罰が当たっても、仕方ない……」


 再びはらはらと涙を流し始めた瑞希を見て、言いたいことを言い切った玲は留飲を下げたのか、怒らせていた肩を落とした。


 「……ねぇ、アンタが会ったそのエンとかいう奴、本当に自分を神様と名乗ったの?」

 「……え?」

 「……どうも解せないのよね。そもそも神様はそんなに簡単に人間の願いを叶えたりしないものよ。ましてやそんな自然の摂理に反することは特に、ね。それにたかだか神齢200年程度の神が、これほどの奇跡を起こせること自体、なんか妙だし……」

 「ど、どういうこと……」


 突然何らかの分析を始めた玲に、瑞希は目を白黒させた。


 「だから、アンタが会ったエンってヤツ、本当は怨霊とか物の怪の類じゃないの?最初から気になってて教えてあげようと思ってたんだけど、アンタにくっ付いている霊気は相当禍々しいものよ」

 「な、何それ……!!」


 玲の言葉に瑞希は背筋が凍り付くのを感じた。


 「元々そのこと警告してあげようと思って声かけたのよ。それなのにアンタは、アタシがアンタに気があるって勝手に勘違いして……ふざけないでよ、トランスジェンダーだからって男なら誰でもいいわけじゃないのよ!……っと、コホン、話が逸れたけど、前々からあの分社に変な『ヤツ』が棲みついてる気はしてたから、定期的に様子見には行ってた訳よ。そしたらある日棲みついてる『ヤツ』の気配は無くなって、その代わりそこにいたアンタが変な霊気を引っ付けてたって訳」

 「お、お前……そんなこと分かんのかよ」

 「あのね、アタシを誰だと思ってんの?」


 そう言われて、瑞希は玲があの分社の本部である『葦原崗神社』の跡取り息子である事実を思い出した。


 「じゃ、じゃあ、お前、あたしのこの状態をどうにか出来んの!?」

 「わ、分からないわよ、そこまでは……でも、その悪さをしてるヤツを懲らしめればその呪いを解かせることは出来るかもね。うちは一応、お祓いもしているし」

 

 その瞬間、瑞希は頭を床につけて、突っ伏していた。


 「お願い!!力を貸して!!!……全部自分が悪いのは分かってる、お前にそんな義理がないのも、あたしのしでかしたことでお前をムカつかせてることも。でも、このまま生きていくのは辛いんだ……、あたしを、助けて……!!」

 「瑞希……」

 

 瑞希の剣幕に、玲は気圧されて体を反らした。必死に自分を見つめる瑞希の瞳から、目を逸らせなかった。ごくり、と喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


 そして重苦しい沈黙が続いた。


 「……うちの敷地内で起こったことだもんね……一度くらいは、面倒見てあげるわよ」


 ややあって、諦めたように玲は口を開いた。


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