蓮 Side 4
ソラは何度も振り返り入口辺りを気にして落ち着かない。
一刻も早く母親に会いたいのだろう。あんな目にあったのだから当然のことだ。
ソラのことを気にしつつも手持ち無沙汰もあってかテーブルに置かれた水の入ったコップに手を伸ばした。
「注文は結菜ちゃんが来た時でいいかしら?」
俺たちの座ったテーブルの前に立った女の人はそう言うと目じりに皺をよせて微笑む。
「そうしてもらえますか」
ソラもそれでいいかとこっちを向いていないソラに話しかけるが道路側の窓を見たまま反応がない。いつ来てもおかしくない母親を待ちきれないのだろうと思うともう一度問うことはしなかった。
「あの……あなたは確か結菜ちゃんと一緒にここに来てくれたことがあったわよね?」
「あ、はい」
もう何年も前のことなのに覚えられていたことに驚きながらも冷静に返事を返す。
「やっぱりそうだったのね」
女の人がそうだと思ったのよと嬉しそうに頷いているとドアが開く音が聞こえた。元気な声で「いらっしゃいませ」と言うと入ってきた客を案内するためにその場を離れた。
横に座っているソラを見ると、今入ってきたのが自分の母親ではないと分かり見るからに気落ちしている。
「大丈夫だ。もうすぐ来てくれるさ」
「……うん」
その言葉はソラに向けながら自分自身にも言っていた。俺だって一秒でも早く上条に会いたい。何年もこの時を待っていた。やっと会える。やっと……
店内に少しずつ客が増え始めた。扉が開く度にソラの顔が輝くが、それが母親でないと分かると表情があからさまに変化する。それを繰り返すソラを見ているのが可愛そうになってきた。
この店に来てからまだそんなに時間は経ってはいないというのに上条を待っている時間が途轍もなく長く感じる。もしかして何かあったんじゃないのかってイヤな想像をしてしまう。
散々進藤に脅かされているからそう思うのも当然かもしれない。
けど、そんなことあるわけがない。必ず上条はここへ来る。そのドアを開けた上条はソラを見つけると愛しそうに抱きしめる。泣き虫なあいつは安心してきっと泣くだろう。
親子の感動の再会を果たすとやっと俺がいることに気付くんだ。上条は俺の顔を見て涙で潤んだ大きな目を一段と大きくして驚くんだろうな。
そして言うんだ。
―――蓮くん……
そのたった一言で乾ききった心が満たされる。
止まってしまった時間が再び動き出す……
そんな空想の世界を壊すかのように店の外からブレーキ音が聞こえた。それは店内に居ても大きな音でこの近くだと窓に目を向けた時だった。
「ママ……?」
音と同時に立ち上がったソラは窓の側に駆け寄るとそう呟いた。
「事故かしら?」
客が何人か立ち上がり外の様子を見ている。
俺は嫌な予感を振り払いながらソラのいる窓際に近づいた。
――――くれぐれも用心なさってください
何故だか進藤の言葉を思い出す。
「やっぱり……ママだよね」
俺が傍に来たのが分かったのかソラは外を見たまま聞いてきた。
三車線ある道路の向こう側を見ると歩道に乗り上げるように不自然な位置で止まった白い車。その脇で人の動く影が見える。
上条……?
遠くに映る人影を確認しようと目を凝らした時、その中の二人が下り坂を走り出した。
「ソラ……ここにいろ。絶対に外に出るな」
まだ上条だと確認はできないけど。だけど……俺の中に途轍もない不安が襲ってきた。
一刻も早く確認しなければ。そう思うのに窓の外を見たまま身体が動かない。目は走り去っていく二人を追いながら自然と足は後ずさりするように窓から遠ざかる。
あれがもしも上条だったら?あいつだったら……
不安が身体を震わせ視界が揺らいでくる。そうではないと願っているのに自分の目で確かめることを拒むかのように身体はいうことをきかなかった。
そんな俺をあざ笑うかのように今度はパーンという音が鳴り響いた。
「何の音?」
「もしかして銃声?」
店内がざわめき出したと同時に俺の手は入口のドアを開けていた。
店の外に出るとすぐに通行人とぶつかるがぶつかった。相手は慌てたように走り去っていく。音に驚いて逃げている者。何だろうと立ち止まって見学している者。俺はその人達を縫うように走り出した。
「蓮くん待ってソラも行く!」
後ろを振り返ると店から出てきたソラがこっちに向かって走り寄っている。
「ダメだ。戻れ!!」
「イヤ!」
駆け寄ったソラの大きな瞳からは大粒の涙が零れていた。
「ソラ……」
足を止めた俺はソラと同じ目線になるとソラを抱きしめた。
「上条は絶対にソラの所に連れてくるから、だから……」
その時二度目のパーーンという音が鳴りその音が道沿いのビルに反響した。
ソラから離れすぐに立ち上がると音のした方向に振り返る。
間違いなく銃声だ。
あの倉庫で起こった無残な過去が蘇る。
ヒカルが命を懸けて守った上条が今危険に晒されている。それは紛れもなく俺の所為で……あの時も同じだった。俺が余計なことさえしなければヒカルはあんな目に合わなかったんじゃないのかってずっと後悔している。池沢に復讐という種を植え付けたのは俺……
「ママ……ママ――――っ!!」
ソラの叫びで我に返ると俺はソラを担ぎ上げまた店に向かって走り出した。
肩の上でソラが泣きながら暴れていても構わず走る。
ここにいたら危険だ。ヒカルが上条を想っていたように上条もまたソラを想っているに違いないから。
店に戻り女の人にソラを託すと俺は再び走り出した。
小さく見える上条の側には歩道に乗り上げた二台の車。
思わず上条の名を叫んだ。
車道と区切られた白い策を掴むと一気に乗り越え道路側から歩道沿いに二人のいる近くへと必死に走り続ける。
男たちと揉み合っている上条の姿をはっきりと確認できる距離まで来たとき、少し離れて立っていた男の一人が黒く先の長い物を上条の背中に向けた。
そして……
上条の両膝が固い道路の上に付くと今度は上半身が地面に叩きつけるように倒れた。
「……か……みじょう?」
頭の中が真っ白になる。
自分が今何を見たのか記憶の中から削除されそうになる……
「うそ……だよな」
俺の周りから景色が消え倒れた上条しか見えなくなった。
崩れ落ちそうな自分の身体を絡まる足でなんとか支え一直線に上条に近づく。
「触るんじゃ……ねぇ……上条に触んじゃねえよ!!」
大男たちが立ち去ったすぐ後には仰向けになった上条がはっきりと目に映った。
「かみじょ……」
空を虚ろな瞳で見ている上条の手を握ると上条の温もりが伝わる。
上条の背中から流れ出てくる真っ赤な血が足元を染めた。
「俺だよ。分かるか?上条……答えてくれ」
上条……お願いだ。嘘だと言ってくれ。
頼むから俺を見て、驚いた顔で「蓮くん」と言ってくれよ。
「上条――――っ!!」
上条は力を振り絞るように口を開けた。
「そ……ら……を」
「ソラはすぐそこにいる。お前を待ってるんだ。だから……上条?」
上条が微笑んだように見えた。
開いていた瞳がゆっくりと閉じられると包んでいた上条の手の力がすうっと抜けていくのが分かった。