Call 11―会いたい……
その後も忙しい日は続いた。
ミスを犯した事へのプレッシャーは変わらないし、嫌味を垂れてくる奴らも変わらずいる。未だに言い寄ってくる女からのメールも絶えず届いている。
めまぐるしく体力を消耗し、神経をすり減らす日々。
それでも以前よりはマシだった。
半ば当たり散らす形だったとは言え、千佳に心境を聞いてもらったことで、気持ちが軽くなっていた。
とにかく今はがむしゃらにやるしかない。そう思うと随分楽だ。
それまではかなりストレスが溜まって苛々して仕方がなかったのに、千佳のあんな雑な励ましでここまで気持ちが変わるとは、我ながら呆れるほどに単純だと思う。
だが、それほどに俺の中で千佳の存在は大きくなっているのだろう。
それを実感するごとに、俺は千佳と話したくなった。
『おおー大ちゃんから掛けてくるって珍しいやん。どうしたん? 声が聞きたくなった?』
「あーほう。そんなんちゃうわ、ちょっと暇やっただけ」
いや、本当は千佳の声が聞きたくなったからだ。
素直にそう言えたらいいのに、正直に気持ちを伝えるのはやっぱり怖い。
そういうもどかしさはあるものの、こうして千佳と話せているだけで今は気持ちが満たされた。
『大ちゃん、この前よりちょっと元気そうやね。ちょっと安心やわ』
「安心……なんや。いや、千佳に聞いてもらったお陰や。ありがとう」
『それなら良かったわ。たまに聞いた声が元気ないと嫌やもんな、しかもあの大ちゃんが』
「はは……っ何やそれ。俺やって元気ないことあるわ」
でもそれを素直に晒せる相手はほとんどいない。
お前しか、いないんだ――。
『でも今はこうやって聞いとられるけど、やっぱり大ちゃんも彼女作りや』
「……またそういうこと言う。お前はそればっかりやな」
『だって重要やん。大ちゃんに何かあっても、あたしがすぐに駆けつけられるわけちゃうしさ』
俺は千佳に何かあったらすぐに駆けつけるつもりではいるが。
『それに大ちゃんも前言うてたやん。色々事情を知ってる身近な人がおるかおらんかって、だいぶ変わってくるって。あたしはそれで今の彼氏を知れるようになったし』
「それは……」
確かにずっと前に言ったような言わなかったような。
だがそれで言うと、千佳は今の彼氏には自分の弱いところを全て晒せていると言うことなのだろうか。
考えてみればここんところ千佳から来る電話で、不満や悩み事の類の話題は以前より減っている気がする。それはつまり、千佳の相談聞き役が、徐々に俺から彼氏へと移行しつつあると言うことなのか。
そう思うと、再び焦りが湧いてくる。
「千佳。俺は……」
『んー?』
言わなければ。
手遅れになる前に。
まだ取り戻せるうちに。
「俺は――……」
どうしてもその先を紡げない。
気持ちが振り出しに戻る。
言ってしまえばこの関係がどうなるのか分からない恐怖が、絶えずずっと俺を脅かしていた。
「お前ほど気楽に話せるヤツ、なかなかおらんからな」
『そうなんやろけどさ』
「それに今まで散々酔っ払いの相手したっとったんやから、その分やと思ってさ」
『……なんか大ちゃんがそう言うのも珍しいなあ。もしかして飲んどるん?』
「……うん、まぁちょっとな……」
千佳が少し声を潜めるので、思わず俺はそう言うことにしてしまった。
確かに少し酒は入れているが、自我を失うほどではない。しらふと変わらない状態だ。
しかし、どうしても言ったことを誤魔化してしまう。
この空気をどうしても壊せない。
このままでは全く前に進めないと分かっているのに。
だが、お前も少しは察してくれよ。
違和感を覚えたなら、その理由に気付こうとしてくれよ。
こう思うのはあまりに傲慢なのだろうが――。
『まぁそんな大ちゃんも新鮮やしな。お姉さんがなんぼでも聞いたるで』
「なんやそれ。いきなり年上ぶりやがって」
『だってさっきの大ちゃんの発言ちゃうけど、あたしもたまには頼られたいやん』
「千佳の癖に生意気なこと言う」
『えええ、大ちゃんやってついさっきそう言うてたやん』
ああ言ったさ。
お前が知らないだけで、俺はかなり千佳を頼りにしている。
どれだけお前に救われているか、知らないだろう?
「千佳、会いたい……」
酒の力もあって、俺は思わず口からそう溢した。
千佳の困惑が聞こえてくる。
『…………え?』
「もう随分会っとらんやん。久々に顔が見たいなぁって」
『そやけど……そうやな。そうやけど……』
電話の向こう側であからさまに狼狽えているのが分かった。
本当ならここで押すべきなんだろう。
だが戸惑いと同時に伝わる沈黙が、耐えられない。
「久々に千佳のアホ面拝みたいやん」
『え……、え、あ、そ……そんなひどいわ、何それー。最近のあたしはきりりとしとるんやよ』
「おおー見てみたいもんやな」
電話越しに流れた微妙な雰囲気は、元の和やかなものへと戻っていった。
自分でも意気地無しだと思うが、だが同時にこの何気ないやりとりが心地良くて、このままここに溺れていたかった。
この時間を大切にしたい。
そんな想いが、もどかしさと同時に日々募っていった。