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彼は誰時の贋作姫  作者: 八千
<7>解放
27/29

 グロスクロイツの城は、円柱の形を成している。

 その城の全部屋の形状と大きさを考えれば、城の中心には自ずと空洞があることを察することができる。その空洞を、完全な円状である最上階の部屋――円卓の間の床が、蓋をするように覆っているのだ。

 城に住まう者なら、この構造を察した者もいるかもしれない。だが、それ以上の追求をすることはなかったはずだ。なぜなら、どこにも入り口がないからだ。ただの構造上の空洞と考えて、終わりだった。

 円柱の城のなかには、更に円柱で囲まれている場所がある。その二つの円柱の隙間に、階段がある。ここへの入り口は円卓の間にあるが、間取り図にも記載されていない、隠し扉からしか入ることができない。

 その階段に足音を響かせているのは、デリベラートだった。美貌を誇った彼の頬には、悪意をあぶり出したような形の影が張り付いている。女たちが憧れた彼の皮を被り、亡者が歩いているようであった。

 本来ならば王族しか知らない空洞の存在を、デリベラートが知ったのはもう何年も前のことであった。しかし、彼はすぐにはここに立ち入らなかった。

 彼の願いを叶えるためには、もうひとつ条件が必要だったのだ。



 デリベラートが最下層に着き、扉の前に立つ。彼の目的はここにあった。

 <極夜戦争>にて魔界を封じ込めた陣――封印陣。グロスクロイツの城は、この封印陣を守るようにして、<極夜戦争>の後、建築された。

 グロスクロイツ王国は、国を左右するような重要な役職にも、身分も生まれも問わず優秀な人間を取り立ててきた。しかし、王位だけは必ず自分の子に譲ってきた。グロスクロイツの血統や歴史を重んじているわけではない。

 この陣を保つには、<極夜戦争>で封印陣を作り上げたグロスクロイツの戦士たち――つまり初代の王族が必要であった。封印陣は、彼らをこの地に縛り付ける代償と引き換えに、魔界を封じるなどという壮大な奇跡を可能にした。

 そして陣を保つのと同様に、解除するにもまた、王族を必要とした。先代王だけでなく、次の子にも、次の世代にも続く呪いとして。封印陣の維持は、王族の奇跡であると同時に、呪縛であった。だからグロスクロイツは一代に子を一人しか成すことができず、皆短命であった。

 デリベラートは、封印陣のある部屋に通じる扉を開ける。

 円上の部屋の中心に、円形の台座がある。そこに、石灰石で描かれた陣があった。

 その陣の上に、ひとりの女が立っている。デリベラートは、驚きのあまり目を剥いた。

「ユビルス……姫……」

「ごきげんよう、デリベラート様」

 封印陣の上で、秋の稲穂のように豊かな金の髪を揺らす乙女――ユビルス。

「なぜ……いつの間に……私より先にここへ辿り着いたというのか」

「私は王族ですよ。この城の構造について心得ています」

 そう言って、彼女は持っていたナイフで自分の指先を軽く切った。にじみ出た血を、デリベラートは凝視する。

「これが欲しいのでしょう。デリベラート」

 デリベラートは、ごくりと息を呑んだ。

 彼は魔法に関する研究を続け、ひとつの答えに辿り着いていた。陣を解除するには、王族の血が必要であるということに。

 封印陣に関わる事実を、死の淵の先代王から受け取ったユビルスと違い、デリベラートは自らの手でその答えに辿り着いたのだ。

 デリベラートは、王位を狙ってユビルスの命を狙っていたのではない。この血で、封印陣を解除しようと目論んでいたのだ。

「こっちへいらっしゃい。あなたが望む力を与えましょう」

「血……王族の、血――」

 デリベラートは、光に誘われる蛾のようにユビルスに向かって歩き出す。

 ユビルスは子を迎える母のような、男を誘う女のような、掴み所のない微笑みを浮かべた。

 台座に向かう階段を上り、デリベラートがあと一歩で陣に足が触れるところまで近づく。

 だが、彼はそこで突然、隠し持っていた短刀をユビルスに向かって投げつけた。

 ユビルスはとっさに手をかざし、衝撃波によってそれを跳ね飛ばした。短刀は空を切り、デリベラートの向こう、扉の近くに落ちた。

「私を魔界へ引きずりこもうというのですか。そうはいきませんよ……贋作の姫よ」

 ユビルスの顔が苦しげに歪んだかと思うと、蝋が溶けるように消える。

 その中から現れたのは、悪魔の姿のベルだった。

 先程の魔法と、変身を見たデリベラートは、彼女の正体を難なく受け入れた。

「やはり、悪魔でしたか」

「……いつ私が偽物だと気づいたの?」

「愚かなことに、参冠式のあの時ですよ。私の目が曇っていたのは、私がマグワースの館で召喚したのが貴女だったからでしょう」

「私を召喚したのは、やっぱりあんただったのね……」

 デリベラートに感じていた、自分ではどうしようもないほどの焦燥感。あれは、自分を喚んだ者に対する本能的な欲求だった。ベルは贅沢をすることで魔力を得る特異体質ではあるが、悪魔であることに変わりは無い。元々の悪魔は自分を喚んだ者と契約し、その者の生命力を引換えに魔法を与える。その悪魔的な本能が、デリベラートに対する欲望として現れたのだろう。

 そして、聡明なデリベラートが、ずさんに演じられていたユビルスの正体に気づかなかったのも、彼女とのあいだに召喚関係が生まれていたからだ。悪魔が人間界で自分を守るため、契約者に対する防御本能のようなものだった。

「なぜ、悪魔が人間界を救うような真似をするのです」

「あいつらバカだから、人間界を全部壊しちゃうんだもん。生きててもらわないと……」ベルの脳裏に、ザクセンが浮かぶ。彼のことは関係ないと、自分に言い聞かせた。「困るのよ。私は人間が生み出したドレスや、お菓子や、宝石が好きだからね」

 ベルは再び、手を掲げた。彼女はここで、デリベラートを倒すつもりだった。

 しかし、デリベラートはくすくすと笑っている。

「私の研究は、全て正しかったのですね。だが、ひとつだけ間違っていたことがあるようです。召喚された悪魔は、私と契約し、願いを叶えてくれるはずだった」

「悪かったわね。私、ひとりの男に縛られたくないの」

 ベルの指先から、黒い光が放たれた。だが、デリベラートの目の前で光が曲がり、壁にぶつかった。壁には穴が開き、階段がむき出しになった。

「え!?」

 崩れ落ちる壁の前で、デリベラートは笑っている。頬を裂きそうなほど、唇の端が鋭く弧を描く。

「間違っていたのは、ひとつだと言いましたよ。貴女は、私が作った魔法陣を通ったのです。貴女の攻撃は、召喚主には当たらない……召喚した悪魔に殺されては、人間は都合よく使われるばかりですからね」

 はじめに魔法陣を考え、魔界と接触しようとした者の知恵だろう。その驕りが、<極夜戦争>を招いたとも言える。

「私がここへ来た理由を考えませんでしたか?私は貴女の存在を感じたのですよ。私たちは、あの魔法陣で身も心も通じ合ったのです」

「……それ、素敵な口説き文句だわ。やっぱり、魔界に連れて帰りたいわね」

 ベルは強がって笑ってみせた。

 二人の間で、大きな爆発が起きた。ベルが放ったエネルギーが、デリベラートを守る見えない力に当たった衝撃だ。

 本当に、デリベラートに攻撃が当たらない。このまま続ければ、ベルの魔力が枯渇するだけだ。

 それどころか、以前デリベラートの部屋で出会ったときのように、ベルの体の力が抜けていく。魔力を使いすぎたせいで、体が飢餓状態に陥ったのだ。そして、目の前にいるのは極上の魔力源。

 体が燃えるように熱い。デリベラートと目が合うだけで、鳥肌が立つほど興奮してしまう。

「さあ、私が喚び出した悪魔よ。私と契約をするのだ。その力を授けたまえ」

「っ、ん……!」

 デリベラートのものになるのだけは、嫌だった。けれど、悪魔の本能が彼を欲してしまう。彼に触れ、魔力を得たい。それは、どれほど気持ち良いことだろうか。

「いや……!ち、違う……!」

 ベルは、欲望を振り払うように頭を振った。

 どんなに体が彼を欲しがっても、ベルはもうこの男には触れたくなかった。

 ベルの心が触れたいと思っている男は、別にいた。それは、魔力を得るためではない。確かに彼と接したことで結果として魔力は補給されたけど、そうではない。

 ベルは、心を満たしたかった。悪魔という寂しい生き物に生まれ、人の世界に憧れ続け、ようやく人間界にやってきた。念願のお姫様にもなった。

 でも、ベルには本当に欲しいものが出来てしまった。

「……セン……ザクセーン!」

 ベルの声に答えるように、頭上から影が振ってくる。

 地に突き立てるように振ってきた剣を、デリベラートは間一髪で避けた。

 着地した影は立ち上がると、デリベラートにもう一度立ち向かう。振り上げた剣を、デリベラートは拾い上げた短刀で受け止めた。

「ザクセン!」

 剣をさばいたデリベラートが、乱入者の名を叫んだ。

「大臣サマとは思えねえほどの腕前だ。心を入れ替えて王国軍に降るのはどうだ?」

「ざ……ザクセン……どうして……」

 ベルの体のざわつきが止まった。代わりに、温かいなにかが、心に流れ込んでくる。

「ユビルスに聞いた。何もかも」

「ユビルス……ザクセンにだけは言わないでって言ったのに!」

 言いたいことは、山ほどあった。でも、言いたいのはこんなことじゃない。

「ザクセン……まだ私の邪魔をするのか!」

 ザクセンとデリベラートの間に、刃がぶつかる激しい音が響く。力でいえば、ザクセンが圧倒的なはずだった。

 だが、再びの乱入者があった。ベルが魔法で開けた壁より、更に上階で、壁が壊れる音がする。巨大な壁の塊が落ちてきて、ザクセンとデリベラートの間を割った。

「デリベラート様ああああ!」

 ハンマーを片手に降ってきたのはミネイだった。人が着地したとは思えないほどの轟音は、ハンマーが地面を割った音だ。

 粉々になった地面の石が、煙となって舞い上がる。その煙に目を細めているあいだに、ハンマーを振りかぶったミネイがザクセンに迫った。

「くそっ!」

「デリベラート様に何をする!殺してやる!殺してやる!」

 デリベラートならいざ知らず、ミネイ相手ではザクセンも全力で望まなければならない。ベルを守る余裕はなかった。

「ベル、逃げろ!こいつの手先になるな!」

「に、逃げて、どうしろっていうのよ!あんたを置いていけないよ!」

 ミネイの猛追は止まらず、ザクセンは反撃もできない。ミネイがハンマーを握る手の皮膚は既に破れ、持ち手に血が滴っていたが、彼女は意に介した様子もない。

「ミネイ!そいつを捕まえろ!」

 デリベラートの声に、ミネイは瞬時に反応した。直接デリベラートから命令を受けたためか、ミネイの反応はザクセンには到底追いつけるものではなかった。

「ぐっ!」

「ザクセン!」

 ミネイの体と、ハンマーの柄でザクセンの首は締め上げられる。

 デリベラートは、無防備なザクセンの首に、短刀を振り上げる。

 ベルは、デリベラートに魔法を放った。それは案の定外れたものの、上部の壁に衝突した。

 崩れてくる壁を避けるため、デリベラートは一旦ザクセンと距離を置く。その衝撃でミネイの腕が緩んだ。しかし、ザクセンはミネイから離れなかった。離れれば、再び彼女と戦うことになるからだ。接近している今しか、勝機がなかった。

 剣を短く持つため、柄から手を離し刃の部分を握る。

「ミネイ、許せ!」

 ザクセンは、ミネイの太ももに剣を深く突き立てた。ミネイの口から、耳をつんざくような悲鳴が上がる。よろめいたミネイに向け、剣を再び構えたザクセンは、反対側をなぎ払った。ミネイの足が、薪のように飛んでいく。

 ベルは、デリベラートに向かって次々に魔法を放ち続けた。すべてが外れて、壁を落とすばかりだ。

 だが、落下物を避け続けることに意識を取られていたデリベラートは、いつの間にか自分が台座に逃げ込んでいることに気づいた。

「しまっ……」

 ベルは、台座の上でデリベラートに抱きついた。

 それは、召喚による影響ではない。ベルの意志だった。

 先程契約を迫られたときと違い、デリベラートに触れても、もう心が揺れなかった。

「あんたは私と一緒に来るのよ!」

 ベルは頭上に向けて、手をかざした。ベルの手に、黒いもやが集まる。

 粉塵で視界を奪われていたザクセンが、ようやくベルとデリベラートの状況に気づいた。ベルの魔法か、肉体に反応しているのか、封印陣が輝き始める。

「やっぱり……!」

「ベル、何をする気だ!」

「陣を完全に塞ぐわ!たぶん、私ならできる!」

 冷静に考えれば、どんなに隠そうとも解除する方法がある陣が存在していること自体が、人間にとって驚異のはずなのだ。おそらくグロスクロイツの戦士たちも、それに気づき、陣の完全な破壊を試みたことだろう。だが、壊せなかった。

 だから、隠すしかなかった。こんな形の城を築いて――。この城は、陣を守っているのではなく隠していたのだ。

「ザクセン、ミネイを連れて逃げて!円卓の間の床を落とすわ!お願い、早く!」

 デリベラートを押さえつけるのと、床を落とすだけの魔力が、今のベルに残っている最後の力で、理性だった。

「できるかよ!テメェを見捨てて行けるか!」

「私は帰るだけだから!元の世界に!全部が元に戻るだけ!」

「元に戻るわけねえだろ!テメェをいなかったことになんかできるか!」

 ベルは、ザクセンに向かって微笑んだ。

 嬉しかった。何度も壁を感じた彼の心に、初めて触れることができた気がした。

「ありがとう、ザクセン……!」

「くそっ、離せ、離せえ!」

 陣が震え、ベルを依り代に魔界との扉をこじ開けようとする。早くしなければ、魔界の悪魔たちが封印陣にほころびができたことに気づいてしまう。ベルは最後の魔力を手に集中した。

 天井に向かって、魔法が放たれた。円卓の間の床が破壊され、浮き上がる。封印陣の部屋に、空の光が差した。一瞬の間のあと、床の破片が重力に従って封印陣に向かって落ちてくる。

「デリベラート様から手を離せええええ!」

 その悲鳴と同時に、ベルの体が、もの凄い勢いではじき飛ばされた。ほとんど真横に飛んだベルは、壁に背中を打ち付けて気を失う。

 ベルを突き飛ばしたのは、足を切られ動けないはずのミネイだった。動かせるのは上半身だけのはずなのに、ミネイはデリベラートへの執着心でベルを突き飛ばしたのだ。

 ミネイは恍惚の表情で、、デリベラートを抱きしめた。

「ああっ、デリベラート様!デリベラート様ぁ!申し訳ございません幸せでございます、こんな日がくるなんて」

「離せミネイ!私を離せ離せ離――」

 床の塊が、台座に降り注いだ。

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