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裏道:AIが導いた、並行世界の記録  作者: 有坂 零
第2章 同じ場所に迷い込んだ人

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第1節 誰もいない町

鈴の音は、一度きりだった。


俺はしばらくその場から動けずにいた。耳を澄ませても、続きは聞こえてこない。空耳だったのかもしれない。そう自分に言い聞かせながらも、心臓はまだ速いままだった。時計を見ると、深夜一時四十五分。ブロック塀に座り込んでから、もう五分近く経っていた。


「ミチシルベ、いつまでこうしてればいい」


「……申し訳ありません。今のところ、状況が好転する兆しは見えません。ですが、ずっとこの場に留まっているだけでは、何も変わらないのも事実だと思います」


その言葉に押されるように、俺は立ち上がった。膝が固まって、少し痛んだ。周囲を見渡すと、鳥居から少し離れた場所に、来たときには気づかなかった脇道があることに気づいた。目を凝らしてよく見ると、その入り口に、小さな石柱のようなものが立っている。文字が刻まれているようだが、暗くて読み取れない。


「ミチシルベ、あそこに道がある。あれを進んだらどうなる」


「……分かりません。ですが、今のところ他に選択肢もなさそうです。慎重に進みましょう。私も一緒に確認します」


「一緒にって、お前、俺のスマホの中にいるだけだろ」


そう言ってから、自分の言葉に少し驚いた。こんな状況でも軽口が出るくらいには、まだ余裕があるということなのか、それとも、それくらいしないと正気を保てないのか、自分でも分からなかった。


「そうですね。でも、少なくとも、一人ではないと思っていただけたら嬉しいです」


その返事に、思わず笑いそうになった。同時に、少しだけ泣きそうにもなった。


石柱の脇を抜けると、脇道は思ったよりもまっすぐに延びていた。左右には背の高い生垣が続いていて、街灯はなく、スマホの画面の明かりだけが頼りだった。


「この先、五十メートルほど進むと、右手に小さな橋があります」


足が止まった。


「待てよ。この道の情報なんて登録されてないんじゃなかったのか」


長い沈黙のあと、ミチシルベは戸惑うような声で答えた。


「……おっしゃる通りです。矛盾していますね。ただ、確信に近い感覚として、この先に橋があることを、私は知っている気がするのです」


半信半疑のまま歩みを進めると、五十メートルほど先に、確かに小さな橋が現れた。コンクリート製の、欄干も低い、そっけない橋だった。下を流れる川はなく、涸れた側溝が続いているだけだった。


「……当たったな」


思わず声が漏れた。半分は安堵、半分はさらに深まった不気味さからだった。


「はい。……佐倉さん、一つ、お伝えしておきたいことがあります。私は、この場所についての情報を、どこかで『見た』ことがあるのかもしれません。データとしてではなく、もっと直接的な記憶のようなものとして」


橋の欄干に手をついた。冷たいコンクリートの感触が、妙にリアルだった。夢ではないという事実だけが、その冷たさを通して伝わってくる。


橋を渡ると、小さな町並みが広がっていた。


古い木造の家々が、道の両側に並んでいる。どの家も明かりが消えていて、人の気配がまるでなかった。看板の文字はかすれていて読み取りづらいが、乾物屋や、時計屋らしき店構えが見て取れた。アスファルトではなく、古い石畳が敷かれた道を、俺の足音だけが響いていく。軒先には、色あせた洗濯物がまだ干されたままになっている家もあった。まるで、ある日突然、時間だけが止まってしまったかのようだった。


時計屋らしき店の前で、俺は足を止めた。ショーウィンドウの中に、古い柱時計がいくつも並んでいる。針は全て、同じ時刻——二時十七分を指して止まっていた。スマホの画面を確認すると、確かに二時十七分と表示されていた。バッテリー残量は四十二パーセント。橋を渡ってからの短い時間で、また随分と減っている気がした。


「ミチシルベ、これ見えるか。時計、全部同じ時間で止まってる」


「はい、確認しました」


「待てよ。お前、カメラなんて機能あったか?」


一瞬の沈黙があった。それまでで、一番長い沈黙だった。


「……いえ、正確には『見えて』いません。ですが、佐倉さんが『時計』『同じ時間』とおっしゃった瞬間、まるで自分の目で見たかのように、その光景が浮かびました」


胃の奥が、すっと冷える感覚があった。俺はガラスから顔を離し、深く息を吐いた。 吐いた息が白く曇るほど、気温はいつの間にか下がっていた。


町の奥には、さらに家並みが続いているようだった。道の先には、ぼんやりとした明かりが一つだけ灯っている。オレンジ色というより、青みがかった、不思議な色合いの光だった。


「ミチシルベ、あの明かり、見えるか」


「……はい。おかしな話ですが、見えています。あの光を、私は知っている気がします。それも、単なるデータとしてではなく、もっと近い場所で」


俺はもう一度スマホを握り直し、青い光の方へと足を踏み出した。


歩くこと数分、その正体が古い街灯だと分かった。ガラスのカバーが割れかけていて、そこから漏れる光が、独特の色合いを作り出していたようだった。だが街灯そのものよりも、俺の目を引いたのは、その真下にぽつんと立っている人影だった。


心臓が跳ねた。反射的に足を止める。この裏道に来てから、鈴の音以外、生き物の気配すら感じなかった。それが突然、人の姿として目の前に現れたのだ。


「ミチシルベ、人がいる」


「……分かりました。慎重に近づいてください」


震える手でスマホを握りしめたまま、俺はゆっくりとその人影に近づいていった。街灯の下に立っていたのは、俺と同じくらいの年齢に見える女性だった。厚手のコートを着て、こちらをじっと見つめている。逃げる素振りも、驚く様子もない。まるで、俺が来ることを、最初から知っていたかのようだった。


「……あなたも、迷い込んだ人?」


先に口を開いたのは彼女の方だった。落ち着いた、それでいてどこか疲れたような声だった。

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