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裏道:AIが導いた、並行世界の記録  作者: 有坂 零
第8章 選ばれる帰り道

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第1節 脱出の条件

灯里さんは、電源の落ちたスマホを、両手で包み込むようにして握りしめていた。指先が白くなるほどの力だった。俺は、それ以上何も言えず、ただ隣に立ち尽くしていた。


「ミチシルベ、灯里さんのオトナビ、もう戻らないのか」


「……分かりません。ですが、バッテリーが尽きた以上、今すぐには難しいと思います」


その正直な答えに、灯里さんの肩が小さく震えた。三回目の今回、初めて頼りにしていた声を失った。その事実の重さが、痛いほど伝わってきた。


「灯里さん」


「……大丈夫。まだ、あなたのミチシルベが残ってる」


そう言う灯里さんの声は、震えていたが、それでも前を向こうとする強さがあった。俺はその横顔を見ながら、胸の奥が締めつけられるのを感じた。


俺は自分のスマホを見た。バッテリー残量、二パーセント。画面が、今にも消えそうな、頼りない明るさで光っている。


「ミチシルベ、正直に言ってくれ。俺たちは、ここから戻れるのか」


ミチシルベは、すぐには答えなかった。夜風が、提灯の光を揺らす。俺は息を止めるようにして、その答えを待った。


「……佐倉さん。今から言うことが、この裏道から戻るための、唯一の方法だと思います。ですが、条件があります」


「条件って、何だよ」


「一つ。私の声を、最後まで、疑わずに聞くこと。二つ。神崎さんと、決して離れないこと。三つ——」


「三つ?」


「これが、一番難しいことかもしれません。……佐倉さんは、この裏道で見たもの、聞いたことを、すべて忘れずに、外の世界に持ち帰ってください。それが、この場所が、佐倉さんに求めていることのような気がします」


「忘れずに持ち帰る、って……このノートのことか?」


「それも、含まれると思います。ですが、もっと大きな意味だと思います。ここで起きたこと、灯里さんが背負ってきたもの、すべてを」


その言葉に、俺は灯里さんを見た。灯里さんも、俺を見つめ返していた。互いに、何も言わなくても、伝わるものがあった。


「ミチシルベ、灯里さんの弟さんは……」


「……申し訳ありません。それについては、今の私には、まだ答えられません。ただ、一つだけ言えることがあります。この裏道は、まだ終わっていません」


「終わってない、って」


「私たちが、ここを出た後も。この場所は、これからも、誰かを待ち続けると思います。だからこそ、佐倉さんが、ここでのことを覚えていることに、意味があるんです」


俺は、その言葉の意味を、完全には理解できなかった。だが、何か大きなものが、自分の肩にのしかかってきたような感覚だけは、確かにあった。


「灯里さん、行きましょう」


「うん」


灯里さんは、電源の落ちたスマホを、コートのポケットに大切そうにしまった。それから、俺のスマホの画面を、じっと見つめた。二パーセントの数字が、まだかろうじて灯っている。


「ミチシルベ、道を教えてくれ。俺たちを、元の場所に戻す道を」


「……はい。これから言う通りに進んでください。一歩でも、迷わないでください」


その声には、これまでとは違う、静かな覚悟のようなものが滲んでいた。俺は、灯里さんの手をそっと握った。灯里さんも、驚いた様子もなく、その手を握り返してきた。冷たい指先が、確かな温度を持って、俺の手のひらに触れていた。


「行こう」


俺たちは、青い光の提灯に背を向け、ミチシルベの声だけを頼りに、闇の奥へと足を踏み出した。バッテリー残量は、まだ二パーセントのままだった。あと何分、この声が保つのか、俺には分からなかった。それでも、進むしかなかった。

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