あとがき
『信長の福音 ―火を越えし者―』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
本能寺の変については、二十年ほど前から考え続けていました。光秀がすべてを仕組んだとは、どうしても思えなかったのです。
歴史の流れを追えば追うほど、不自然に感じる点が幾つもありました。
焼け落ちる本能寺。
見つからなかった遺体。
残された断片的な記録。
語られなかった者たち。
本能寺の変に関するドキュメンタリー、ドラマ、映画を観ていて、ずっと胸に引っかかっていた違和感がありました。
『光秀さんは、やってない……』
そんな気持ちが、私の中にありました。
光秀冤罪説そのものは、すでに研究や考察として存在します。けれど私は、それを単なる説としてではなく、「人がどう生き、何を背負ったのか」という物語として描いてみたかったのです。
歴史史料を読み、家康接待後の五月から、光秀が姿を消す六月十三日までの行動を日付ごとに追いかけてみると、意外なほど自然に繋がっていきました。その中には採用しなかったものもありますが、それらを含めて並べてみると、むしろ語られていない空白の方が雄弁に見えてくる瞬間がありました。
また、当時の天気や月齢も確認しながら、光秀が見上げた半月の明暗、愛宕山を叩く雨、湖上を覆う雨雲、そして安土炎上の夜空が、登場人物たちの心の揺れと重なるように描きました。
本当はこうだったのかもしれない。そう思える瞬間が、何度もありました。だから私は、この物語を書きました。
もちろん、本作は史実ではありません。あくまで、一つの『もしも』です。歴史を書き換えるつもりはありません。ただ、長年気になっていたことを、自分なりに形にしてみたかったのです。
ですが――私は、単なる奇抜な陰謀論を書きたかったわけではありません。
もし歴史の裏側に、誰にも語られなかった選択があったなら。
もし名を捨て、生き延びた者たちがいたなら。
もし「歴史」とは、勝者によって整えられた記録なのだとしたら。
そんな想像を積み重ねながら、この作品を書きました。
タイトルに「福音」という言葉を選んだのは、信長がどこへ旅立ったのか、その行き先を暗示したかったからです。キリスト教の言葉であり、記録・知らせという意味を持つ「福音」。この物語の信長にとって、それは『火を越えし者』としての新たな旅路であり、光秀にとっては『救い』でもありました。
この小説を書こうと思った時、最初に浮かんだのは、燃え落ちる安土城を見つめる、あの人の後ろ姿でした。誰にも名を告げず、誰にも生きているとは知られず、ただ遠くから自らの城が炎に包まれていくのを見つめている男。頬にかかる霧雨を指で拭い、ただ一言、『たわけが――』と呟く。その背中を思い浮かべた時、私の中でこの物語は始まりました。
そして、もう一つ、どうしても書きたかったのが、光秀が「不慮の儀」の書状を書く場面です。
やってもいないことを、認めなければならない。自分が背負うはずのなかった罪を、自らの言葉で記さなければならない。それを友に伝え、娘に伝え、娘を託した男に伝えなければならない。半月の明るい部分と、暗い部分――そのどちらが本当の光秀なのか。罪を背負う光秀なのか――主君を救おうとした光秀なのか――その狭間で筆を取る男の気持ちを考えた時、『不慮の儀』、思いがけないことだったという言葉を選んだ光秀のことを想うと、胸が締め付けられるような思いがしました。
この物語の光秀は、揺れています。けれど、奥底にある忠義だけは、最後まで揺るがなかった。私は、そんな光秀を書きたかったのです。
本作の多くの場面は、私が書いたというより、人物たちが勝手に語り始めたものです。本能寺で信長が「貴様ではないのだな」と呟いた瞬間も、左馬之助が「旗指物を抜け!」と叫んだ場面も、帰蝶と秀吉の対面も、安土天主会議も、そしてラストシーンも――彼らが頭の中で自然に動き、言葉を発してくれました。
私は、それを書き写しただけです。
本作では、人物紹介や出来事の背景について、あえて細かな解説を加えておりません。それは、歴史が本当に好きな方であれば、作中で気になった人物や出来事を、自ら調べてくださると思ったからです。
インターネットから。
書籍から。
あるいは実際に土地を訪れる歴史探訪の旅から。
そうして本作の時代背景や人物への理解を深めながら、それぞれの『本能寺の変』を感じていただければ、作者として嬉しく思います。
歴史には、今もなお多くの空白があります。そして、その空白を埋めようとする時間そのものもまた、歴史の楽しさなのだと思っています。
読了後、皆様の中で少しでも、「本当は、こうだったのかもしれない」、そう感じていただけたなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。
そして逆に、「いや、それは違うだろう」と思われた方がいても、それもまた本能寺の変という物語の魅力なのだと思っています。
もうあの出来事から、四百五十年近い時が流れました。それでもなお、人々は本能寺を語り続けています。
あのお方は、遥か遠くから、呆れたように笑っておられるのかもしれません。
「まだ真相が分からぬか――たわけが――」と。
最後に――
記録には残っていないお話に、最後まで付き合っていただき、本当にありがとうございました。
二〇二六年六月二日
蔵真聡史(旧 黒羽玄)




