85 ノームが消えた朝
朝、目を覚ましたモステラ王国国王エフライン・バスクアルは窓の外に広がるドライウォールを眺める事が日課になっていた。
そして生まれてから今日まで何の変化もない白い靄を眺めようとしたが、今朝は何故か違和感があった。
エフラインは両目を擦ってから、もう一度窓の外を眺めた。
「のう、王妃よ。ちょっとこっちに来て窓の外を見てくれないか?」
エフラインはいまだベッドの中で微睡んでいる王妃に声をかけた。
「どうかしたのですか?」
「外の様子がいつもと違うんだ。頼むからちょっと見てくれないか?」
エフラインがそう言うと、眠い目を擦りながら起き上がった王妃がそっと隣にやってきた。
「どうしたのです?」
「あれ、あれを見てくれないか」
エフラインが指さす方向を見た王妃が口を開いた。
「今日は随分遠くまで見えるのですね」
「やはり王妃にもそう見えるか」
そして寝起きでぼんやりしていた2人が窓の外を眺めていると、次第に脳が覚醒してきた。
「え、ちょ、陛下、ノーム、ノームが消えていますよ」
「うん、ノーム? うおおおお、そうかノームか、違和感の正体はノームが消えている事か。こ、これは何かの凶兆が起こる前兆なのか? それとも吉兆なのか?」
「お、落ち着いてくださいませ。直ぐ人を出して調査するのです」
パニックに襲われたエフラインは、王妃の一言で何とか冷静になった。
「調査、おお、調査、そうだな。調査をせねばならぬな。おい、当番兵」
エフラインの怒鳴り声に、扉の前に控えていた兵士が顔を出した。
「陛下、如何なされましたか?」
「大至急、宰相にノームが消えた原因を調査させるのだ」
「え、は、畏まりました」
当番兵が敬礼して出て行くと、エフラインは再び窓の外に視線を向けた。
その目には厳しさがあったが、口元はすこし緩んでいた。
+++++
フォンシェが目を覚ましたのは、拠点の中だった。
ぼんやりした意識の中、最後の光景が次第に記憶の奥底から浮かび上がって来ると、慌ててベッドから起き上がった。
そうだ。
あの時、俺は緑髪の小娘を地面に押し倒し背中に乗って取り押さえたのだ。
だが、その後の記憶が曖昧で、なにか固い物がぶつかったようだったが、その後の記憶が無いのだ。
そしてサイドテーブルの上にあるベルを押して当番兵を呼んだ。
「御用でしょうか?」
「何故俺はここで寝ている? あの緑髪はどうした?」
部屋に入って来た当番兵はフォンシェの矢継ぎ早の質問に目を丸くしたが、直ぐに返事を返してきた。
「えっと、フォンシェ様はドライウォールの外で倒れているところを救助されました。緑髪の小娘を捕まえたと言う情報はありません」
何故だ。
あの時確かに緑髪の小娘を取り押さえたはずだ。
だが実際問題、緑髪の小娘は我々の捜索網に引っかかっていない。
「俺が倒れていた場所の周辺には何があった?」
当番兵が一度退出し、戻って来てから報告した内容を聞いていたフォンシェは、双子岩に通じる道だったと聞いて興味を持った。
「おい、その双子岩には何かあるのか?」
「いえ、2つの岩が突き出ているだけです」
「それだけなのか?」
「ええ、まあ、あのあたりは急に水深が深くなるので、漁師の間では危険地帯と言われていますね」
フォンシェはその意見を聞きながら、何かひっかかりを覚えた。
そしてそれが何かを思いついた。
そうだ。
水深があれば人語を話す魚が近くまで来れるじゃないか。
緑髪は連中と何か企んでいるに違いない。
そう思ったところで、他の当番兵が慌ててやって来た。
「た、大変です。ノームが、ノームが消えています」
フォンシェはその報告を聞いて、緑髪が何かしてノームが消えたのではという疑念が湧いた。
だが、それを認めてしまうと、アマハヴァーラ教のというか、強制懲罰部隊の方針が揺らいでしまうので絶対に認められなかった。
それよりもこれをアマハヴァーラ教の実績としてアピールしなければ拙い、という不安があった。
元々アマハヴァーラ教では、人語を話す魚を滅ぼしてモステラの環境を元に戻すと公表していたのだ。
人語を話す魚を滅ぼしていないのにノームが晴れたのでは、我々が言っていた事に齟齬が生じるからだ。
モステラの連中にこれがアマハヴァーラ教の実績だと信じ込ませた後で、人語を話す魚共を絶滅すれば辻褄が合うのだ。
フォンシェはその方針で、全員を動員するつもりだった。
+++++
カラス共の拠点に火矢を打ち込んだオラシオは、仲間達と一緒に怒って出て来た連中を牽制しながら捕まらないように必死ににげていた。
そして殆ど暗闇だった周囲が、ほんのりと明るくなってきているのに気が付いた。
「ぶははは、まさか一晩中追いかけっこをするとは思わなかったな」
「ああ、まったくだ」
「どうだ、連中を撒いたら、隠してある樽を開けて勝利の美酒を楽しもうぜ」
「おい、徹夜明けで酒盛りをする気か?」
「なんだ、いまさらいいこちゃんになって、かかあが待っているベッドに潜り込みたいのか?」
「よし、その先を曲がって、追いかけてきている連中を撒いてやろう」
「「「おう」」」
そして路地を右に左にと走り抜け、カラス共を撒いてから隠れ家の1つに飛び込んだ。
「おいイポリト、倉庫にある樽を持ってきてくれ」
「ああ、分かった」
テーブルに着いたオラシオ達の前にイポリトが樽を転がしてやって来ると、早速蓋を割って酒を注いでいった。
「よし、気に入らないカラス共を出し抜いてやった勝利に」
「「「勝利に」」」
そう言って木製ジョッキに入った酒を一気にあおった時、鎧戸から光が洩れているのに気が付いて窓に近づいた。
そして鎧戸を開けて外を見たオラシオは一瞬目を疑った。
「おい、オラシオ、どうしたんだ?」
「なあ、俺の眼がおかしくなったようだ。ちょっと外をみてくれないか?」
「なんだ、外に何かあるのか・・・あ」
仲間も外を見て固まっていると、他の者も何が見えるのか興味を持ったようでやって来ると全員が固まった。
「なあ、俺には大海原が見えるんだが、お前達はどうだ?」
オラシオが心配になってそう聞くと、仲間達も頷いた。
「ああ、俺にもそう見える」
「「「ああ、俺達もだ」」」
+++++
商業ギルドに泊まり込んだアロンドラ・ベルティは朝、出勤してきた職員にやや乱暴に起こされていた。
「ギルマス、起きて下さい。一大事なんです」
アロンドラはアリソンがカラスと呼ぶ連中の対応に追われてギルドに泊まり込んでいて、明け方にやっとベッドに横になったばかりなのでその声に反抗していた。
「もうちょっと」
「駄目です。本当に大変な事が起きたんです。お願いですから起きて下さい」
そう言って布団をはぎ取られ激しく体を揺すられると流石に寝ていられなかった。
「ちょ、ちょっと、そんなに揺らさないで」
顔を洗い何とか意識をはっきりさせると、ギルドの表に出て行った。
カウンターの中から人々が居る方を見ると、来訪者の雰囲気がいつもと違うのが分かった。
「ギルマス、やっとお出ましですか」
カウンターに居た受付が、ほっとした顔で声をかけて来た。
「ちょっと私は殆ど徹夜だったのだから、少しはいたわって欲しいわね」
「そんな事よりも外を見て下さい。ノームが消えています」
アロンドラはノームが消えたと聞いて、アリソンが聖なる島に潜んでいた原因を取り除いてくれたのだと理解した。
「そう、それはとても喜ばしい事ね」
そしてこの事を、この町の都市長エクトル・サラビアに報告しなければならない事に思い至った。
できればアリソンから詳細を聞いてから、報告に行きたいわね。
「誰か、アリソンさんを見かけた者は居ないの?」
「いえ、今日は着ていないと思います」
アロンドラは都市長から「今すぐ報告に来い」と言って来る使者が来る前に、時間稼ぎのためアポイントを取る使者を送る事にした。
「誰か、都市長の所まで、私が訪問したいので都合の良い時間を教えてほしいと言ってきてくれる?」
「え、先触れではなくですか?」
「ええ、出来るだけ時間を稼いできてほしいのよ」
「ああ、そう言う事ですか。分かりました。私が行ってきます」
そう言って受付嬢の1人がお使いに出てくれた。
時間稼ぎの使者は、予想よりも早く戻って来た。
「ギルマス、申し訳ありません。都市長は可及的速やかに報告に来るようにとの仰せです」
「え、時間の指定も無いの?」
「はい、どうやら王都へ大急ぎで報告する必要があるとのことで、先方もかなり焦っていました」
まあ、朝起きたらノームが消えていたら、騒ぎになるのは当然か。
こうなったら知っている事だけ報告するしかないと思っていると、待ち人が現れた。
アロンドラはその姿を見てほっとしていた。
「シリルさんにカーリーさん、事情を聞きたいので奥まで来てもらえますか?」
「ああ、分かった」
アロンドラの執務室に迎え入れた2人も昨晩は徹夜だったのか、疲れた顔をしていた。
2人がソファに座り飲み物で一心地ついたところで、我慢していた質問をした。
「ノームが消えたのは貴方達がやったのですね?」
「俺達というよりもアリソンだと思うぞ」
「ええ、アリソンちゃんがマーメイド族と合流して聖なる島に行ったようですから、その結果だと思われます」
成程、やっぱりそうか。
「そうですか。アリソンさんからも事情を聞きたいのですが、会う事は可能ですか?」
「ああ、それなら大丈夫だ」
「ええ、商業ギルドを待ち合わせ場所にしていますので、いずれやって来ると思います」
それなら都市長への面会は少し保留しておいた方がよさそうだと判断した。




