side:賢者ライエルの(ちょっぴり残念な?)休日 ~星詠みの庭は大騒ぎ~
エルフの森が、柔らかな陽光と生命の輝きに満ちていた、遠い昔のある日のこと。
賢者ライエルは、その日、久方ぶりの完全な休日を満喫しようと計画していた。普段は、森の調和を維持するための研究や、複雑な星々の運行の記録、そして竪琴による精霊たちとの交信などで、なかなか自分の時間を取れずにいたのだ。
(よし、今日は一日、書斎に籠って新しい詩の構想を練ろう。あるいは、湖畔で静かに瞑想するのも良いかもしれんな……)
ライエルが、そんな穏やかで知的な休日プランを立てていると、庭の方から愛しい妻、フィリアンネの声が聞こえてきた。
「ライエルー! 少し、よろしいですかー?」
その声には、いつもの凛とした響きとは少し違う、困惑のような、助けを求めるような色が混じっている気がする。ライエルは、少しだけ不本意な予感を覚えつつも、書斎を出て星詠みの庭園へと向かった。
庭園では、フィリアンネが、腰に手を当てて、何やら巨大な植物と格闘しているところだった。それは、「踊り蔓草」と呼ばれる、成長が早く、放っておくと他の植物に絡みついてしまう、少し厄介な蔓植物だ。
「あら、ライエル。ちょうどよかったわ。この蔓草が、また月涙花の周りにまで伸びてきてしまって……。少し剪定を手伝っていただけませんか? 私一人では、どうにも手に負えなくて」
フィリアンネは、額にうっすらと汗を浮かべながら、ライエルに助けを求めた。
(……まあ、愛する妻の頼みとあれば、仕方あるまい)
ライエルの穏やかな休日プランは、開始早々、変更を余儀なくされた。彼は、書斎から園芸用の(あまり使い慣れていない)大きな鋏を持ち出し、フィリアンネの隣に立った。
「よし、フィリアンネ。私が根本から大胆に切り落とそう。君は、月涙花に絡みついた蔓を丁寧に外してくれ」
ライエルは、自信満々に(そして、少しだけいいところを見せようと)鋏を蔓草の太い幹に当てた。
しかし、踊り蔓草は、ライエルの意図を察したかのように、突然、予測不能な動きでその蔓をしならせた!
「うわっ!?」
ライエルは、避けようとしてバランスを崩し、あろうことか、伸びてきた蔓に足を取られ、そのまま蔓の中に引きずり込まれるようにして転んでしまった。気がつけば、体中に蔓が絡みつき、身動きが取れない状態になっている。
「ら、ライエル!? 大丈夫ですの!?」
フィリアンネが驚いて駆け寄る。
「だ、大丈夫だ、フィリアンネ……! こ、この程度の蔓、すぐに……うぐぐ、思ったより力が強いな、こいつ……!」
ライエルは、賢者としての威厳を保とうと虚勢を張るが、蔓はますますきつく絡みつき、彼はまるで蓑虫のような格好になってしまった。
「ふふ……ふふふ……あははは!」
最初は心配していたフィリアンネも、ライエルのあまりに情けない姿に、ついに堪えきれなくなり、声を上げて笑い出してしまった。その楽しそうな笑い声は、庭園中に響き渡る。
「ら、ライエル、その姿……まるで、森の珍獣のようですわ!」
「フィリアンネ! 笑っていないで、早く助けてくれ!」
ライエルの悲痛な叫びが、庭にこだまする。
近くで様子を見ていた森の精霊たち(光の粒子のような姿をしている)も、ライエルの周りを飛び回り、「あらあら、賢者様も形無しね」「もっと頑張ってー」とでも言うように、キラキラと光を点滅させて囃し立てている。
結局、フィリアンネに蔓を一本一本丁寧に解いてもらい、ようやくライエルは解放された。服は少し破れ、髪には葉っぱがつき、賢者の威厳は見る影もない。
「……もう、庭仕事は君に任せる……」
ライエルは、ぐったりとしながら呟いた。
***
気を取り直して、ライエルは別の手伝いを申し出た。庭園の隅には、「機嫌茸」と呼ばれる、感情を持つ不思議なキノコが生えている。このキノコは、気分が良いと美しい七色の光を放ち、庭園の調和を高める力があるのだが、一度機嫌を損ねると、光を消して固く閉じてしまうのだ。今日はどうやら、朝からご機嫌斜めらしい。
「私が、竪琴の音色で機嫌茸を宥めてみせよう」
ライエルは、愛用の白銀の竪琴を取り出し、自信ありげに言った。音楽で心を通わせるのは、彼の得意分野だ。
彼は、機嫌茸の前に座り、竪琴を奏で始めた。それは、星々の運行のように荘厳で、精霊の囁きのように繊細な、美しい旋律だった。……少なくとも、ライエル自身はそう思っていた。
しかし、機嫌茸は、その音色を聞くと、ますます頑なに傘を閉じてしまったではないか! どうやら、今日の気分は、荘厳なクラシックではなく、もっと軽快でアップテンポな曲(森の小川のせせらぎのような音色?)を求めていたらしい。
「む……解せぬ……。これほど完璧な調和の旋律を……」
ライエルは、竪琴を抱えたまま、首を傾げている。音楽の趣味(?)は、キノコにもそれぞれあるらしい。
「あらあら、ライエル。もしかしたら、今日のキノコさんは、もっと楽しい気分になりたいのかもしれませんわよ?」
フィリアンネが、クスクス笑いながらアドバイスする。結局、フィリアンネが明るい鼻歌を歌いながらキノコの周りをくるくると踊ってみせると、機嫌茸はゆっくりと傘を開き、再び美しい七色の光を放ち始めたのだった。ライエルは、なんだか腑に落ちない、という顔でその様子を見ている。
***
さらに、ライエルは、庭に迷い込んできたイタズラ好きのリス(木の実を盗もうとしていた)を追い払おうとして、逆にリスに翻弄され、庭中を追いかけっこする羽目になったり、フィリアンネが読めずに困っていた古い石碑の古代エルフ文字を、持ち前の知識でスラスラと解読して見せ、「さすがはライエルですわ」と褒められて少し得意になったり(しかし、解読した詩の内容が「庭仕事は愛する人と協力すべし。一人でカッコつけようとすると、蔓に絡まれるであろう」といった、今の彼に皮肉な内容だったり)……。
結局、ライエルの休日は、当初の知的で穏やかな計画とは程遠い、ドタバタとした大騒ぎのうちに過ぎていったのだった。
***
夕暮れ時。
すっかり疲れ果て、(蔓のせいで少し泥だらけになった)ライエルは、フィリアンネと共に、二人の住まいである樹上の家のリビングで、暖炉の前に座っていた。フィリアンネが、労わるように彼の隣に座り、淹れたての温かいハーブティーを差し出す。
「ふふ、今日のライエルは、いつもの書斎に籠もる賢者様とは違って、とても…生き生きとしていましたわよ。まるで、やんちゃな若葉の精霊のようでした」
フィリアンネは、楽しそうに今日の出来事を振り返る。
「……君は、ずっと楽しんでいただろう」
ライエルは、少し拗ねたように(しかし、その声には愛情が滲んでいる)言った。
「ええ、とても。だって、愛しいあなたが、私のために一生懸命になってくれる姿を見られるのですもの。どんな詩よりも、どんな竪琴の音色よりも、私の心を温かくしてくれますわ」
フィリアンネは、ライエルの頬にそっと手を触れ、優しい瞳で見つめた。
ライエルは、照れたように視線を逸らしたが、すぐにフィリアンネの手を優しく握り返した。
「……まあ、たまには、こういう休日も悪くないかもしれんな。……君の、そんな笑顔が見られるのなら」
二人は顔を見合わせ、穏やかに笑い合った。どんなドタバタがあっても、互いを深く愛し、尊重し合っている。その揺るぎない絆が、二人の間に流れる温かい空気を作り出している。
星詠みの庭園には、静かな夕暮れの光と、愛に満ちた二人のエルフの温もりが、満ちていた。この幸せな時間が、永遠に続くかのように思われた、遠い日の、美しい記憶の一片だった。




