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エピローグ:鳴り響く鈴と、新たな始まり

 チリン、チリリン……。


 工房『星見草』の扉が開くたびに、あの古びた真鍮の鈴が、澄んだ美しい音色を響かせるようになった。それは、まるで長い眠りから覚めた妖精が、軽やかに歌い出すかのような、心地よい響きだった。


 あの夜、ルカが鈴に宿る古い魂の悲しみを解き放ってから、工房の空気は、以前にも増して清らかで、穏やかなものになった気がする。訪れる人々も、扉を開けた瞬間に響く鈴の音に、「あら、綺麗な音」「なんだか心が洗われるようだね」と、自然と笑顔になることが増えた。


 ルカは、その鈴の音を聞くたびに、あの夜のことを思い出す。時を超えて残る人の想いの強さ、そして、自分の力が、たとえささやかでも、過去の魂をも癒やすことができるのかもしれないという、新たな可能性。それは、彼にとって大きな自信となり、同時に、癒やし手としての責任の重さを改めて自覚させる出来事となった。


 彼は、工房での日々の依頼に、以前にも増して真摯に向き合うようになった。訪れる人々の心の染みだけでなく、その背景にある時間や、言葉にならない想いにも、丁寧に耳を傾け、寄り添おうと努める。彼の癒やしは、確実に、より深く、温かいものへと進化していた。


 ミーナとの関係も、あの日、ルカの特別な仕事(儀式)を間近で目の当たりにし、彼の持つ力の尊さと、その負担を改めて理解したことで、さらに深まっていた。彼女は、ルカを心配し、支えたいという気持ちを、以前にも増して強く抱くようになり、工房を訪れるたびに、彼の好きなお菓子を焼いてきたり、疲れている様子の時には、何も言わずに温かいハーブティーを淹れてくれたりした。二人の間には、言葉にしなくても通じ合う、穏やかで揺るぎない愛情が流れていた。


 ゴードンにも、僅かながら変化が見られた。彼は相変わらず寡黙でぶっきらぼうだが、工房の前で鈴の音が鳴るたびに、ほんの一瞬だけ、その音に耳を澄ませているような仕草を見せることがあった。彼の心の奥底にある「鉄の染み」が、あの清らかな音色に触れて、何かを感じているのかもしれない。彼自身の心の氷が、完全に溶ける日はまだ遠いかもしれないが、その変化の兆しは、ルカにとって静かな希望だった。


 ***


 しかし、穏やかな日常が戻った一方で、ルカの心から、あのプロローグで感じた不安の影が完全に消え去ったわけではなかった。


 王都のある方角から時折感じる、ヴァルモン卿の禍々しい気配。

 街を見回る衛兵の中に感じる、冷たい監視の視線。

 そして、世界のどこかから響いてくるような、『影』の不吉な予兆。


 これらの脅威は、まだ存在している。自分が追放された過去は、決して消えることはない。いつかまた、この穏やかな日常が脅かされる日が来るかもしれない。


 そして、フィリアンネのこと。彼女はなぜ、あの鈴をここに置いていったのだろうか? あの鈴に宿る魂の物語を、彼女は知っていたのだろうか? 彼女自身の過去、「大いなる喪失」、「古い約束」、「星々の歌」……。師が遺した謎は、まだ何一つ解き明かされてはいない。


(僕が進むべき道は、まだ長い……)


 ルカは、工房の窓から見える、セレネフィアの空を見上げた。空は高く、青く澄み渡っている。


 今は、ここで、自分にできることを誠実に続けていこう。人々の心の染みに寄り添い、癒やし、この場所を、訪れる人々にとっての「心の陽だまり」のような場所にしていこう。そして、力を蓄え、知識を深め、いつか来るべき時に備えなければならない。


 チリン……。


 工房の扉が開き、新たな依頼人が訪れたようだ。鈴の音が、優しくそれを告げている。


「いらっしゃいませ、工房『星見草』へ」


 ルカは、穏やかな、しかし確かな決意をその翠色の瞳に宿らせて、訪れた人を迎え入れる。


 彼の傍らには、師が遺してくれた道具と知識、そして、かけがえのない仲間たちとの絆がある。

 セレネフィアの路地裏で始まった、追放された癒やし手の物語は、今、新たな始まりの音色と共に、次の章へと静かに続いていく。

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