発覚
「それでは、行ってきます。昼頃には戻ります」
「ああ、気をつけていっておいで」
玄関先で兄上と軽く言葉を交わす。
兄上は午前中、父上から任された仕事を片付ける予定らしい。
自分についてこられなかったことを後悔している様子だった。
外に出ると、軽装備に身を包んだ侯爵が既に待っていた。
早すぎるだろ。
ちょっと早く出て侯爵を待とうかなとか考えていたのに、それより早く出てきているなんて。
どれだけ街に出るのを楽しみにしていたんだか。
今日の侯爵は、帯剣しているものの、昨日山中で見た重そうな鎧はない。
まあ、剣に鎧にと装備していたら、街の人も怯えるし、その格好で正解ではあるんだけども。
「む? 何か不備でも?」
「イエ……」
鍛え上げられた肉体が、鎧で隠れていないからか、余計に立派に見える。
正直剣なんてなくても盗賊の拠点一つくらいなら制圧できるんじゃないだろうか。
どこにあるか知らないけど。
だが、鎧に身を包んでいるときより威圧感は少ない。
やはり、鎧がないと、軍所属だと見て分からないからだろうか。
ぼーっと考えながら足を動かしていると、すぐに街へと到着した。
昨日の出来事がなかったかのように、今まで通りの空気が漂っている。
今のところ問題なさそうで良かった。
「あら、リューゲ様。昨日はありがとうございました」
「ああ、どういたしまして。旦那さんは無事?」
「はい、一日休んだら元気になったみたいで。そうだ、売れ残りで申し訳ないですが、ぜひ持っていってくださいな」
侯爵と何を話すべきか、なんて頭の片隅で考えつつ、大通りを歩いていると、ちょうど家を出た奥さんに話しかけられた。
気づけば売れ残りだという野菜をもらってしまって、思わず内心で頭を抱える。
他領や王都でもそれなりの人気を誇る野菜を、タダで貰ってしまって良いのだろうか。
まぁ……断るわけにも行かないし、家に持って帰るしかないかな。
もちろん、嫌というわけではない。
ここの家の作っている野菜は美味しいし、タダで手に入るならありがたい限りであることに変わりない。
「こんなにいいの? ありがとう。そうだ、何かいつもと違うこととかある?」
「そう言えば、三軒隣のところの旦那さんの方はまだ見かけてないわね。あそこは雪崩に巻き込まれたとかはないと思うんですけどねぇ」
「そっか、気にかけておくよ。ありがとう」
「いえいえ」
にぱっと笑顔を浮かべてお礼を言うと、向こうも嬉しそうにはにかんだ。
ついでにと二言三言言葉を交わして情報を集める。
三軒隣の家庭の旦那さん……確かに、雪崩被害者の中では見かけた覚えがない。
風邪でもひいたのだろうか。
彼女の口振りからして、奥さんの方は見かけたのだろう。
一応気にかけつつ、様子見かな。
まあ、そこまで大事ではないだろうけど、一応パン屋を覗いていこうかな。
「侯爵は、食べ歩きに抵抗はありますか?」
「問題ない。忌避感はないからな」
一応と思って確認を取ると、侯爵は無駄に胸を張って答える。
まあ、ないならないで良いんだけどさ。
わざわざそれについて確認を取ったのは、次の目的地に関係している。
自分が勝手に『屋台通り』と呼んでいる、比較的大きな通りだ。
そこでは道の両脇にずらりと屋台が並び、様々なものが売っている。
ちょっと大きめの祭りや、朝市なんかを想起させるのだが、そこでちょっと気になったものをつまんだり食べ歩きしているのだ。
だから、自分の昼食はちょっと少なめにしてもらっている。
まあ、今日はその通りに行く前にパン屋へ寄るんだけど。
「そう尋ねるということは、食べ歩きをする予定があるのだな?」
「先に話を聞いたパン屋を見に行きますが、その後はたくさん屋台が並んでいるところに行くつもりです」
「それは面白そうだ。屋台で何か買うときは遠慮なく頼ると良い」
「ありがとうございます! じゃあ、代わりにオススメの屋台教えますね」
笑顔を浮かべて胸を張る侯爵に、満面の笑みを返す。
頼ると良い、なんてわざわざ言うってことは、十中八九奢ってくれるのだろう。
断っても良いのだが、それより年相応に受け入れつつ、相手の利になりそうな事を言ったほうが良いか。
今後のためにも、侯爵とはいい関係を築いておきたいからな。
兄上との関係が良くても、自分の存在のせいで協力を渋られる――なんて事になってもらっては困るし。
それに、この領地自体は良いところだと思ってもらわないと。
父上の堕落した姿と、思ったよりも廃れていない領地のギャップで、兄上の手腕をより良く見せられるとなお良い。
まぁ、それは運が良ければ、かな。
「弟君のオススメか、それは楽しみだな」
「そんなこと言ったら、全部食べさせちゃいますよ」
全部オススメなんで、と言葉を付け足すと、侯爵は豪快に笑った。
何がそんなに面白いんだか分からないが、お気に召したようで。
こんなに領民と距離が近い貴族もそうそういないだろうから、侯爵にはそれだけで十分物珍しく映っているだろう。
だが、それらすべてを笑い飛ばせる胆力があるというのが凄い。
この世界は平民と貴族の間に大きな溝がある。
絶対的な階級差社会というわけではないけれど、やはりここまで親しくしている貴族はあまり見ないのだろう。
「先ほど話題に上がったパン屋さんです」
「ほう? 中々に良いところではないか」
到着したパン屋のなかに入りながら紹介すると、侯爵は目を輝かせて興味津々に見る。
パン屋といっても、前世のように種数がすごく多いわけではない。
この店には硬い生地のパンが売られている。
薄っすらと茶色い小麦を使ったパンと、特産の一つであるライ麦を使った黒パンしかない。
一応フランスパンや、プレッツェル、なんたらゼンメルみたいな名前のやつと似たものはあるが、自分がその案を出す前は丸く成形されたパンしか売っていなかった。
それに今も、砂糖は当然として、バターや卵をたくさん使った柔らかいパンも少ない。
「見たことのないものばかりだな」
「侯爵には、こういった黒パンや、茶色いパンに馴染みがないのでは?」
「確かに黒パンは食べたことがない。だが、これらのパンなら幾度となく食べる」
「普通の貴族は白くて綺麗な小麦粉を使っているとばかり思っていましたが」
店内を見回しながら呟いた侯爵に、軽口を叩く。
それに返ってきた予想外の返答に、思わず目を丸くした。
貴族は綺麗で質のいい小麦粉を使ったパンしか食べないと思っていたが、侯爵は違うらしい。彼が言うには、同じ軍の仲間は庶民が多く、なかには家へ仕送りをしている人もいるから、食事の質を庶民と揃える代わりに給金を増やすよう掛け合ったそうだ。
「お優しいですね」
「この街ほどではないと思うが。ここは温かな場所だ。存外活気もある」
「気に入ってくれましたか?」
「ああ、仕事がなければ子どもと家内を連れて来たい程にな」
こちらの質問に、物珍しそうに周囲を見渡していた侯爵が嬉しそうな表情を浮かべる。
欲しいものがあれば自分で取るよう説明しながら、侯爵の言葉に納得する。
王都以外の他領に行ったことのない自分でも、このあたりは豊かな方なのだろうと思うのだから、侯爵がそう思ってもおかしくない。
この土地は、前世では黒色土壌と呼ばれていた腐植層の厚い肥沃な土壌に恵まれているため、小麦やトウモロコシといった穀物類には事欠かない。
それに、それらは飼料に回して余りあるほどであり、そういった事情に支えられた畜産業も活発である。
そういった農産業に携わっていなくても林業だってあるし、これは雇い主が自分たち伯爵家になっている――いわゆる国営のような仕組みがあるため、余程のことがない限り食いっぱぐれることがない。
そういった前提があるとはいえ、中世ヨーロッパに似た文明であるこの国で、目につくようなところにスラム街が形成されていないのは、相当珍しいのではないだろうか。
と言っても、数年前まではそういったものも普通にあったのだが。
それに今も、目につかないと言うだけで、どこかにはあるのだろう。
「侯爵のご家族と言うと……」
「弟君はあまり王都に来ないのだったな。兄と妹の二人だ」
先程までパンを物色していた侯爵は、二人とも優秀でな、と嬉しそうな表情を浮かべて語る。
だが、どちらも紹介されるまでとなく知っている。
侯爵の息子であるターム・オルデンとメラン・オルデンはどちらもキャラクターの一人だ。
タームの方は第一王子の護衛役を務めることになる。
侯爵が言うには、タームは中等部がある日は家で鍛錬を欠かさずしており、そうでないときは侯爵とともに城へ出向いて大人に混じっているそうだ。
メランの方は体が弱く、兄のような強さはないが、頭がいいため、直に兄を支えられるようになるだろうと予測していた。
「兄妹仲は良いんですか?」
「そうだと良いのだが……」
「何か心配事が?」
「ワシは知っての通り近頃家に帰っていなくてな。知らぬ間に仲が悪くなっていても分からんのだ。できる限り家族との時間を作ろうとはしているのだが。ままならぬものだな」
ふう、と困ったように首を振る侯爵に、思わず同情の念を抱く。
まぁ、侯爵は立場上、替えの利かない存在であることに間違いはないし、仕方ない面もあるのだろう。
自分にしてみれば、父親がほとんど子どもに興味を持っていなくてもそれをおかしいとは思わないが、そう考えると侯爵は良い父親なのだろう。
確か、タームは病弱で甘やかされている妹を羨ましく思っていて、メランは制限なく自由に動くことができる兄を羨ましく思っていたはずだ。
「一度家に帰るのをお勧めします。家族の時間は、大切ですから」
「……そうだな、そうすることにしよう」
笑顔を浮かべて告げると、何か思い当たることでもあったのか、どこか困ったような表情になる。
我が家の家庭環境を見て説得力があるとでも思ったのか、あるいは何か思い当たる節でもあるのか。
どちらにせよ自分には関係のないことだ。
「お土産を、みたいなことは言われないのですか?」
「ああ。仕事だと話してあるからな。それに、分かっていて頼むような性格でもないしな」
「利口なんですね」
「自慢のわが子たちだ」
鼻高々と言わんばかりにニンマリ笑顔を浮かべる侯爵。
こうして話していると、二人の子どもが大切な良い父親に見えるし、実際そのとおりなのだろう。
それに、あのタームが尊敬の念を抱き、同じ道を目指すような人なのだから、人格者でもある。
昨日の演習では、こちらが頼むまでもなくすぐに救助活動にあたってくれていたようだし、疑うべくもないか。
「すみません、お会計を」
「リューゲ様ではありませんか。こちらは……?」
「こちらはオルデン大将閣下だよ。此度の救助活動に尽力して下さった方なんだ」
「ありがとうございます、閣下。おかげで死者が出なかったと聞いていますわ」
店の奥に声をかけると、出てきたのは奥さんの方。
手際よく会計する彼女のことを邪魔しないように、なんて考えていると、彼女の方から侯爵に関して尋ねられる。
軽く侯爵を紹介すれば、恭しく頭を下げた。
そういえば、この街の人は意外と貴族に耐性があるよな。
多分だが、兄上や自分が、頻繁に街を練り歩いているからなのだろう。
「構わぬ。無辜の民は護るべき者であるし、そうでなくとも見て見ぬふりなぞできるものか」
奥さんの言葉に侯爵は軽く首を振った。
その原動力は軍人として、あるいは貴族として、そういった責務があると自覚しているからなのだろう。
さすがだなぁ、なんて感心する。
父上にも侯爵の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
まぁ、侯爵の爪の垢は日々の鍛錬で黒いだろうから、煎じたところで黒く濁ったものしか出ないだろうけど。
「して、ここの主人が見えないと聞いたが」
「はい。実は、夜に飲みに出ると行って家を出たっきり帰ってこなくて……飲み屋も探したんですけど……」
心配そうな表情を浮かべながら、肯定する。
たしかに、仕事を欠かすことのない旦那さんが帰ってこないのは心配だろう。
仮に外で酔いつぶれていたとしても、早起きが身に沁みている彼がこの時間帯になっても酒場で寝ているわけはないだろうし。
風邪にかかったからとでも考えていたが、これは本格的に事件性をはらんできたな。
もし本当に事件があったのだとすれば、それの対処も貴族の責任か。
「わかった、気にしておくよ。どんな結果でも行方がわかり次第報告するね」
「ありがとうございます、リューゲ様」
少し考え込むような動作を見せてから安心させるように笑顔を浮かべると、それにつられたのか、彼女も安堵の表情を浮かべる。
侯爵のパンを代わりに受け取り、店をあとにした。




