実行
「わあっ、なにこれ!」
朝早くとは思えない大声を出すと、侍女が肩を揺らして動きを止める。
彼女――たしか、名前ロースラと言ったか――は明らかに動揺した様子で視線を彷徨わせた。
声と彼女の動揺っぷりを見る限り、昨日の侍女はおそらく彼女なのだろう。
もちろん、計画した者と実行した者が別である可能性も大いにあるが、保身に走る傾向が強い我が家の侍従なら、軽率に変なことには加担しないだろう。
そう考えると、自分を軽んじることなく接してくれている料理長とリーヴルはこの家にとって代えがたい人材なのではないだろうか。
彼女は今までも度々軽率な行動が見られた。
自分の専属ではあるものの、仕事は午後から行い、日頃からの身辺のサポートは怠る。
極めつけは昨日の、廊下のど真ん中での会話。
洗顔のためのお湯の準備、洋服の準備と着替えなど、基本的な仕事もこなさない彼女が、今日は異様にこちらお世話を焼こうとするのだから、五歳といえど、不審がらないわけがない。
もちろん、純粋な五歳ではないのだが……。
彼女が頻繁に触っていた襟の部分を見れば、たしかに昨日話していた通り、鋭く細い針が一本仕込まれていた。
先程このシャツを熱心に勧めていたところを見ると、おそらく針はこの一本しかないのだろう。
わざとらしく出して見せつつ、ねえ、これなあに? と知らないフリで詰め寄る。
「それは……こんな所に針があるなんて! 危ないので、私が持っておきますね」
一瞬表情を歪めた彼女は、咄嗟に笑顔を取り繕い、寄越せと言わんばかりに手を差し出してくる。
さながら般若の気迫だ、と表現できるかもしれない。
もちろん素直に渡すわけがない。
給料泥棒を一人追い出す良い機会な上、うまく行けば執務室へ入れるかもしれない。
いいタイミングで計画を実行してくれたとほくそ笑むしかないだろう、こんなもの。
「ううん、これでケガしちゃったらかなしいもん。ぼくがちちうえにもっていくね」
昨日、寝る前に扉の近くへ移動させておいた椅子によじ登り、扉を開ける。
彼女が扉の近くに椅子がおいてあっても気にしない人間で良かった。
いや、おそらく普段そんな所に椅子がないということ自体、気づいていなかったのだろう。
そうじゃなきゃ、棚の上や部屋の隅にホコリが溜まりっぱなしになっているはずがない。
子どもが椅子をここまで持ってこられるはずがないという先入観も、多少は混じっていたかもしれないが。
「リューゲ様!」
父上のもとへ行かせてはならないと気づいたのか、侍女が自分の名前を呼びながら手を伸ばしてくる。
咄嗟にその手を交わすと、伸びていたらしい彼女の爪が自分の頬をかすめた。
頬がじんわりと熱くなるが、これは彼女を解雇する口実が増えたと捉えるべきなんだろうか。
とはいえ、このままだと彼女にはすぐに追いつかれるだろう。
自分と彼女の間には身長差というものが存在する。
どこかで大きく差を開くか、誰かに助力を願わないと。
確か、父上がいるであろう執務室は二階に存在しているはず。
一階は広間や侍従の生活圏、それからパーティのための広間と食堂、厨房が存在している。
二階は父上の執務室や応接室と書庫、それから客間が配置されている。
三階は自分の部屋と今は使われていない兄上の部屋、それから夫婦の寝室がある。
もっとも、父上が本当に使っているのかは確認できない。
効率重視の父上のことだ、同じ階に存在している客間を日常使いしている可能性も十分ある。
どちらにせよ、ひとつ下に降りなければならないことに変わりはない。
階段を滑るしかないか。
「リューゲ様、おやめください! はしたないですよ!」
二階へと続く大きめの階段の手すりに座り、滑るようにして一気に階下へ降りる。
今までに感じたことのない高揚感と頬をかすめる風の爽快感は言うまでもないだろう。
もちろん、風が当たるごとに傷も痛むのだが、それには目を瞑ることにした。
にしても、咄嗟に出てくる言葉が『はしたない』だったのはちょっと傷つくかもしれない。
だって、その考えが先に出てきたということは自分の安全が礼儀よりも優先度が低いと無意識下で思っているからに他ならない。
「リーヴル! リーヴルいない!?」
書庫付近で大声を出しながらリーヴルの名前を呼ぶ。
緊急事態と判断したのか、彼は視たことのない勢いで書庫の扉を開け放った。
わざとらしく手を伸ばすと、こちらの意を汲み、軽々しく自分の体を持ち上げる。
確かに抱えてもらうようねだったのは自分だが、こうも軽々しく抱えられてしまうと、その年齢を疑ってしまう。
現筆頭執事が成人しているのだから、彼も相当なとしてあることは確定しているのだが。
「これは一体、どういうことですかな」
見たことのない表情でリーヴルは彼女のことを睨みつける。
さすが、元筆頭執事の迫力は伊達ではない。
現筆頭執事である彼の息子よりも書庫番のリーヴルのほうが迫力もあって優秀とは、驚くばかりである。
まあ、年若い息子が長年経験を積んできた彼を超えるには経験が浅いため仕方ないのだが。
まっさきに自分――ノルデン家の次男を疑うような真似をしない、というのも理想的な人材だ。
他の侍従もその姿勢を見習ってほしいものだ。
特に彼女。
「リューゲ様、何があったのかお聞かせ願いますかな?」
おそらくこの答えは、ほぼ毎日書庫へ通っているリューゲではなく、リューゲ・ノルデンとして捉えられる。
リーヴルがわざわざ言い方を変えているのがその証拠だ。
となれば、自分も彼女の罪を重くするような言い方は控え、事実のみを正確に伝えるよう努力しなければならない。
「ふくのえりのところにね、これがはいってたの」
わざとらしく、握っていた右手を広げる。
手中には逃げている間落とさないようにしていた針だ。
先端に厚く塗られていた液体は自分の手にも付着している。
手のひらを怪我していたら、おそらく右手は使い物になっていなかっただろう。
「だから『ちちうえにいうね』っていったら、おいかけられたの」
実際は問答がもう少しあったのだが、言ってもややこしくするだけだ。
そう簡単なやり取りではなかっただろう、と言う程度ならリーヴルも分かっているだろうし、深くは追求してこない。
あるいは、細かい問答のことは忘れたと思われているか。
どちらにせよ自分には関係のないことだ。
彼も本題はそんなことではないと理解しているらしく、自分を抱える手に力が籠もった。
たしかに、自分の言っていることが正しいことであると仮定した場合、眼の前にいる相手は紛うことなく〝貴族に害を与えようとした者〟に他ならない。
つまり、危険人物と認定できるわけだ。
「ロースラ。着いてくるように」
「…………はい」
たっぷりと間を取った彼女は観念した様子でリーヴルの後ろを歩く。
もしかしたら、父上の書斎で自分が嘘をついていて、彼女のほうが正しいのだと説得するつもりなのだろうか。
父上の気質からしてみれば、そんな程度のことで仕事の時間を奪われたくないと考えるのではないか。
あれ、もしかしたら自分が目的を果たす前に執務室を追い出されるのではないだろうか。
まあ、そうなったら別の方法を考えるまでだが。
「リューゲ坊、考え事ですかな?」
「えっと、リーヴルがまえちちうえにいうってゆってたこと、どうなったんだろーなって。わかる?」
「いえ。残念ながら分かりませぬ。しかし、なにかお考えあってのことでしょう」
眉尻を下げ、リーヴルは困った様子で言葉を返す。
なにかを隠している様子もないし、何も知らないのだろう。
そうなると、父上は何も対策を講じていないか、何かはしているがリーヴルには知らせていないかの二択になる。
もちろん、かつてのリーヴルにならまだしも、ただの書庫番である彼にそんなことを伝えるわけがないのも、考えてみればわかることなのだが。
「気になるのでしたら、お尋ねしておきますが」
「じゃあ、おねがいしてもいい?」
「はい、お任せください」
ふわりと微笑んでしっかりと頷くリーヴルに、多少の安堵感を感じる。
深く追求してこないところも本当に助かる。
アオフリヒ様と例の魔術陣を発見して以来、自分の中でリーヴルの株が爆上がりである。
本来はこんな面倒事に巻き込まず、我が家の書庫番として余生を過ごしてあげたいところだが、自分が信頼できる数少ない人間なのだから仕方がない。
ゲームのストーリーが終わるまで――いや、せめてストーリーが始まるまでに発生するであろう身の回りの出来事を片付けるまでは頑張ってもらうしかない。
不意に、背後から扉を叩く音が四回聞こえた。
しばらくリーヴルに抱えてもらっていて後ろばかり見ていたから気づくのが遅れたが、どうやら執務室に着いたらしい。
リーヴルと父上の簡単なやり取りが耳に届いた。
「失礼いたします。ご報告があってまいりました」
「用件を」
リーヴルは自分を床におろしてから、腰を曲げて一礼をする。
話の先を促した父上の前に、自分が握っていた針を無言で置いた。
これは何かと問いたげな視線をこちらに向ける。
そりゃあそうだ、いきなり正体不明の針を置かれたのだから。
「きょう、めずらしくロースラさんがきて、ふくをすすめたんだけど、そのえりにこれがはいってたの」
悪意たっぷりに言葉を強調して、今朝起きたことを事細かに説明する。
これを期に、今までの不真面目な面も報告しておこう。
それを察してもらえるかはまた別の話だが……まあ、話の本質はそこではないし、話のズレそうな要素は排除するに越したことはない。
じゃあそんな言い方をするなよ、という話ではあるのだが、これは自分の、ごく個人的な感情だ。
だって、何未遂になるかはわからないけれど、それでクビになったとして、仕事をしていなかったことが有耶無耶になるわけではないのだし。
個人的には助かってはいたが、それはそれ、これはこれだ。
権力を笠に着てこんなことはしないと思っていたが、どうせ彼女のクビは免れないのだから、いっそのこと解任して自分がより自由に動けるようにしておくに越したことはない。
こんなことさえされなければ黙っていても良かったんだけどな。
「だから、ちちうえにもっていくといったら、あわててとりかえそうとしたの。だからにげてきた」
舌っ足らずな子どもらしい言い方で、できる限り事細かに説明をする。
どうやって扉を開けたのかとか、どう逃げたのかというこちらの不利になりそうなことは発言しないが。
父上の方へ視線を動かすと、面倒事を前にしたと言いたげに頭を抱えていた。
浮かない表情とでも言うべきだろうか。
まあ、しばらく雇っていた一人がこんな体たらくなんだから、仕方ないといえば、仕方ない。
まさか、貴族に害を加えるような人間が屋敷にいたとなれば大問題だ。
体裁的な面から見ても、それは変わらないだろう。
危機意識がなっていない、侍従の教育はどうなっているのかと。
それに、こんなことをされるほど侍従に嫌われているのか、とね。
「それは事実か?」
「はい。かみにちかって」
険しい表情で問い詰める父上に、誠実さを見せる。
この国において、神に誓うということは相当な誠意を示すことになる。
もっとも、自分は無神論者だから適当な神サマに実態のない誓いを立てたのだが。
父上……あんまり家内のトラブルやら雪崩やらに積極的な意思を示すとは思えないんだよなぁ。
おそらくだが、兄上が学校を卒業したらこの領地を一任して、自分は半隠居状態になるつもりだろうし。
自分に都合の悪いところだけ口出しするスタイルの。
まあ、自分は兄上が戻ってきたら何かをする予定もないし、今回こうやって動くのは例外でしかないから、なんだって良いんだけど。
「リーヴル、彼女を連れて行け。彼女の部屋も調査させる」
「承知しました。さあ、来なさい」
指示を受け取ったリーヴルは、胸に手を当て、一礼をしてから彼女の腕を後ろで拘束して執務室を出ていった。
父上はそれを見送ると、深くため息を吐いて執務室を後にする。
すれ違いざまに面倒事を、とぼやいているのも聞き取ったが、聞かなかったことにした。
そんな言葉にいちいち悲しむ余裕も時間もないんだ、こっちには。
子どもに対する態度じゃないだろうと呆れるのもこれで何度目だろうか。
自分の中における父上の評価が下がっていくのを感じながら、机の上の書類に目を通していく。
ノルデン領内における収穫量の報告書や、徴収した税表なんかが積まれているが、例の魔術陣に関することはどんな些細なものすら見当たらない。
まさか、何も対策をしないつもりなのだろうか。
アオフリヒ様になんて報告しろって言うんだよ。
とにかく、これ以上長居しているといつ父上が戻ってきてもおかしくはない。
廊下に使用人がいないことを確認し、自室へと足を向ける。
何をしに執務室を出ていったのかはわからないが……ロースラの部屋の調査をすると言っていたし、そのたぐいなんだろう。
にしても、針を仕込まれるほど自分に人望がなかったという事実に嫌気が差す。
なんだよ、第二王子が来てから調子に乗ってるって。
そんなことを言われても、自分はアオフリヒ様と行動を共にしているだけだし、友人同士ならそんな事があってもおかしくないと思うんだが。
なにより、あの時アオフリヒ様のことを呪い児だなんだとふざけたことも言っていた。
魔術のある世界なのだから、そんな非科学的なことを信じていてもおかしくないとはいえ、ここにしばらく滞在していてなにもないのだから、気のせいだったと思ってもいいだろうに。
「はぁ……。理解できないな」
思わず口からそんな言葉が漏れ出る。
この世界の人達のそういった思考が理解できないのは、やはり自分が現代日本からの転生者だからなんだろうか。
たかが目と髪色程度で、荒唐無稽な噂を信じるというのが到底信じられない。
そんなことよりも持って気を配ることがあるだろう。
例えば、企みを誰かに聞かれていないか、とかな。
だが、これからどうするかな。
もとから専属の侍女がいなかったが、これを期に新たな人が来るようになるかもしれないし、来ないかもしれない。
父上の思考がいまいち判然としないのが難アリだな。
あとやらなきゃいけないことは……そうだ、リーヴルが父上が魔術陣に対して対策を進めているか訊いてくれる約束だった。
執務室の書類にそういったものが見当たらないから期待はできないが、頭の中でそういった事を考えているかもしれない。
早めにきいておきたいし、書庫で待っていればそのうち来るだろう。




