二十九話 ピエロとスリングショット
一度吹っ切ってしまえば、案外けろっとできるものだ。
「ねえ、バルド。天幕があるわ」
広場の一角にはなだらかな芝生の丘がある。休日には家族連れがピクニックをするようなところだ。
その頂上に、昨日にはなかった赤と白の大きな天幕があった。
「サーカスでしょうか」
「サーカス?」
「人間や動物による曲芸を披露する集団のことです。建国祭のためにやってきたのでしょう」
「曲芸って、どんなことをするの?」
外出の機会が少なかったローレンには知らない娯楽だ。
「俺も実際にサーカスへ足を運んだことがないので、本で読んだ知識しかありません。ですから……ほら。あそこにピエロがいますから、直接聞いてみましょう」
バルドが指さす先では、顔を白く塗った大男が奇妙な動きをしていた。もじゃもじゃとした赤い髪、派手な赤と白の服、ローレンの目にはとにかく不気味に映った。
「ま、待ってちょうだい」
天幕に近づいていくバルドの服を咄嗟に掴む。
「どうされました?」
「あ、あの人に近づいたら、危ないんじゃないかしら?」
ローレンは踵を上げ、バルドに耳打ちをする。今だってピエロとやらに小さな子どもが泣かされているではないか。
――警備隊に突き出したほうがいいんじゃ……?
「もしかして姫さま、怖いのですか?」
「はい!?」
バルドはきょとんとしている。
「こ、怖くなんてないけれど……」
――あの珍妙な格好! わけのわからない動き! 恐ろしいに決まっているじゃない……っ。
心中とは裏腹に、ローレンの唇は虚勢を張る。
――バルドは恐ろしくないの!?
引き返そうという提案を願いながら、ローレンはバルドに視線を注ぐ。
「――」
そんな熱視線を受け止め、バルドはくすりと笑った。
「では、行きましょう。きっと楽しいことが待っていますよ」
「まっ」
無情にも向けられた白銀色の後頭部にあんぐりと口を開ける。
「ああ、でも」
歩き出そうとしていたバルドが振り返り、ローレンは慌てて口を閉じる。
「あの体格差ですから、万が一のことを考えると俺も身震いがします」
すっと手が差し出された。
「姫さまさえよろしければ」
――なっ。
なんて、ずるいのだろうか。
大事に、大切に心の奥底にしまったばかりなのに、それはローレンの本心を容赦なく引っ張り出そうとしてくる。
「手を握っていてくださいませんか?」
みるみるうちに顔が熱くなっていく。差し出された手を見るふりをして、ローレンは俯く。
「し」
ローレンは大きく息を吸い、バルドの手に自分の手を重ねた。ぎゅっとぬくもりが伝わり、胸が高鳴る。
「仕方がないから、握っていてあげる」
わざと強気になって、ローレンはちらりとバルドの顔を窺う。
体の奥から溢れるような嬉しそうな笑みに、ローレンは小さく息を呑んだ。
「ありがとうございます、姫さま」
「お礼はいらないわ。バルドだから、特別よ」
「光栄にございます」
バルドはぱっと前を向き、天幕に向けて歩き出した。ローレンは少し遅れて背中を追いかける。
「――」
揺れる白銀の隙間から目に映ったバルドの耳は、真っ赤になっていた。
――見間違い?
どれだけ凝視しても、もう髪の毛に阻まれて視認することはできない。
「こちらではどのような催しが行われているのですか?」
バルドは臆することなくピエロに話しかけた。恰幅のよいピエロはくるりと体を動かし、紅のはみ出た口をにんまりとさせる。
ローレンは密かに息を詰まらせた。
「やあやあ、お客人! ここではナイフ投げが体験できるよ」
どこから取り出したのか、ピエロは指の間にナイフを挟ませた左手を上げた。
「安心して、これはおもちゃのナイフだから」
ローレンの不安が滲んでいたのか、ピエロがぱちりと片目を瞑った。
「まあ、実際に投げるナイフは本物だけどね!」
あはは、とピエロ大きく笑う。わざとらしくて狂気的に感じ、ローレンはたじろぐ。
「条件を達成できたら、豪華な景品ももらえるよ! 遊んでいくかい?」
ピエロは手足をばたばたさせる。
「どうなさいますか?」
今しがた強気に出た手前、「やっぱりやめる」など情けなさすぎて口が裂けても言えない。
「やるに決まっているじゃない」
「よし来た! じゃあ案内するね!」
声が震えなくてよかった。
ピエロについて天幕をくぐると、これまた派手な内装だった。どこもかしこも赤と白を基調としているようで、少しだけ目が痛くなる。
「ほら、見てごらん!」
ぽんぽんとピエロに肩を叩かれ、指をさされたほうへ顔を向ける。先客がおり、まさに挑戦の真っ最中であった。
それぞれ左右と正面の三ヶ所に、白く塗られた壁が設置されていた。その上には赤い四角い的が点在し、挑戦者はそこに目がけてナイフを投げるようだ。
「あ、あっちの準備が整ったみたい!」
左側が空いたようで、三人はそちらへ行く。カウンターの上には十本のナイフが用意されていた。
カウンターの前に踏み台を置いてもらい、高さを合わせる。
量産型の簡素なナイフだが、手に持つとずしりと重みを感じた。
――これを投げるの?
赤い的までの距離は三メートルほどある。とても届くとは思えず、ましてや的に命中させるなど至難の業だ。
「お! お嬢ちゃん、積極的だねえ。命中させた数だけ、景品が豪華になったり多くもらえたりするよ!」
「どうやって投げればいいの?」
「それはお嬢ちゃん次第さ!」
「私にはこのナイフは重すぎて投げられないわ。バルドが代わりに投げてくれる?」
「ああっ、待って待って!」
バルドに渡そうとしたナイフをピエロが横取りする。
「そんなお嬢ちゃんにはこれ! ものは試しだ!」
「今度はなに?」
「スリングショットさ!」
Y字型の棹にゴム紐が張られている道具だ。
「言われてもわからないわ」
「はい、これも」
「このゴムの真ん中に受け皿があるだろう? そこに金属弾を乗せて、引っ張って……的を狙って!」
渡されるがまま、言われるがままにピエロの指示を受ける。
――指を離せば、弾が飛んでいくのね。
狙い定めるのは難しく、ゆらゆらしてしまう。
「離して!」
反射的に指を離した。金属弾は斜め上に飛んでいき、白い壁に着弾した。
「そうそう、そんな感じ! ナイフと同じで金属弾は全部で十つ、赤い的を狙ってね!」
これはこれできついが、ナイフよりかは可能性がありそうだ。
「金属弾がこちらへ跳ね返ってくる危険性はございませんか?」
「それは大丈夫さ! ほら、見てごらん。あの壁と的は柔らかいからね。ちゃーんと埋まってくれるよ!」
「挑戦してみるわ」
『突発クエスト【多くの的を撃ち抜いて、豪華な景品を獲得しよう!】が解放されます。受注しますか? はい・いいえ』
ぱっと目の前に枠が表示される。
――景品にはあまり興味がないけれど、やってやろうじゃない。
ローレンはスリングショットを構えながら、『はい』を選択した。




