二十八話 しまっておかなくちゃ
二人は屋台を離れ、適当に歩くことにした。
「オープン、セーブ」
目の前に表示された選択肢に、『はい』を選ぶ。
「なかなか使いこなしておられるようですね」
「特に建国祭の期間は注意しなくてはならないから。こまめにしておいたほうがいいと思ったのよ」
バルドの前でなら堂々とシステムを開けるから楽だ。
「ところで、姫さま」
「なに?」
「ジラール公子はよろしいのですか?」
「アレクシス? どうして?」
バルドはふいと視線を逸らす。
「以前、公子に建国祭へ誘われているとおっしゃっていたではありませんか」
「ああ。それなら大丈夫よ。アレクシスとは明日、見てまわることになっているから」
「そうなのですね。では、今日は……」
「ええ。一日中、一緒にいても問題ないわ」
「一日……っ!?」
言葉を詰まらせるバルドをよそに、ローレンははっとする。
「でもバルドは、午後は屋台にいなくちゃいけないのよね?」
「は、はい?」
「言っていたじゃない。午前は営業しないって。午後はするということでしょう?」
初日の反応がよくて二日目の朝も好調だったとなれば、オーレリアンは今頃、魔道具の在庫をかき集めていることだろう。
次に営業を再開させたら、長蛇の列ができるほどではないだろうか。
「みんなが魔道具に興味を持ってくれて嬉しいわ。この調子で、魔法使いとの間に引いている一線を越えてくれたらいいのだけれど」
「姫さま……その物言いは、あまり適切ではないかと……」
バルドは顔を手で覆い、口をもごもごとさせた。
「あ、あ! あの屋台、おいしそうだと思いませんか!?」
バルドの声が上ずるが、指をさす勢いに負けてローレンはそちらへと顔を向ける。
「朝食は召し上がりましたか?」
「え? ええ、いただいたわ」
「でしたら、あちらのほうがいいかもしれませんね」
次々に指先の向きが変わる。
「果実を一口サイズに切り、凍らせたもののようです」
「食後にもちょうどよさそうね? 少し寒くなってしまいそうな気もするけれど」
最終的に列の最後尾に着いたのは、大きくて豪華な屋台だった。ガラスケースの中には、果物が入ったカップが並んでいる。
ケースが開けられるたび、冷たい空気があたりに溶けた。
「次にお待ちのお客さま……って、その格好は! 昨日、壇上で……まさか、本物の王女さまですか!?」
明確には答えず、微笑むだけにする。格好からして一目瞭然なのだが、自分から名乗るのはなんだか憚られた。
「ど、どれをご所望ですか……?」
店員はなぜか声を潜めた。その様子は、ごくりと唾を飲む音が聞こえてきそうなほどだ。
「バルドはどれがいいと思う?」
「姫さまのお好きなものを」
一つのカップが目に留まる。
「桃ですか?」
「え?」
「今、視線を止められたでしょう?」
「桃ですか!? 桃ですね!? 少々お待ち――」
「いえ、待ってちょうだい」
バルドの言葉を受け、即座に行動を起こそうとする店員を止める。
「桃以外で、おすすめをお願いするわ。バルドもそれでいいかしら?」
「……はい、構いませんよ。では、おすすめを二つお願いいたします」
機敏な動きでカップを取り出す店員、けれどそれよりもバルドのことが気にかかった。
――ちょっと、機嫌が悪くなった?
「近くのベンチへ移動しましょう」
「ま、またのお越しをお待ちしております!」
いつもの微笑み、いつもの丁寧な口調。それが気取られたくない感情を隠すためのもののように感じられ、ローレンも取り繕った笑顔を浮かべることしかできなくなってしまった。
建国祭のために近隣の店舗からテーブルと椅子が貸し出され、通りには普段よりも食事や休憩できるスペースが増えている。
そのうちの一つに、ローレンとバルドも腰を下ろした。
「同じものをくれたようです。どうぞ」
「ありがとう。よく冷えているうちに食べてしまいましょう」
店員が選んでくれたのは、りんごだ。いつもはしゃくしゃくとしているが、凍らせたりんごはしゃりしゃりとしていて触感が楽しい。
シャーベットを食べている気分だ。
ローレンはちらりとバルドを見る。黙々とりんごを咀嚼していたバルドがふいにこちらを見やり、目が合った。
灰色の目が大きくなったかと思えば、ごほごほと勢いよく咳き込んだ。
「バ、バルド!?」
「もう、もうしっ……うっ」
よほどよくないところに入ったのか、謝罪もままならない。
ローレンは慌てて立ち上がり、バルドの後ろへと回る。しばらく背中をさすると、ゆっくりと落ち着いてきたようだ。
「……申し訳ありません」
バルドはとんとんと胸を叩き、しおれた声を出す。
「大丈夫? まだ苦しいなら神官を呼んできてもらうわ」
「いえ、その必要はございません。もう大丈夫です。ご心配をおかけいたしました」
アレクシスといいバルドといい、これでは果物がトラウマになってしまいそうだ。
「私、なにかしてしまったかしら?」
「なにか、とは?」
「バルドが、その……怒っているような気がして」
「俺が? ……ですか?」
バルドは目を丸くする。
「もしかして、先ほどの……?」
思い当たる節があったのか、バルドの表情はみるみる腑に落ちていく。
「ご気分を害されたのならお詫び申し上げます」
「やっぱり、怒っていたの?」
ローレンはしゅんと視線を下げる。
「姫さまに怒っていたわけではありません」
あのとき、早とちりではあったが店員の態度も悪くなかった。
「じゃあ、誰に怒っていたの?」
「自分に、です」
バルドはばつが悪そうに視線を彷徨わせた。
「姫さまが桃をお嫌いだとは知らず……」
「――」
「俺は姫さまのことをよく知らないのだと自覚し、不甲斐なく思ったのです。それが態度に出てしまったのかもしれません」
自分がなにかしてしまったのではないかと怖くなったが、そうでなかったことに心の底から安堵した。
「私、桃が嫌いなわけじゃないの。甘くておいしいから、好きなほうだと思う」
不安げな灰色の目がこちらへ向く。
「ただ、友人……アレクシスがアレルギーを持っているの。だから自然と私も、避けるようになってしまっただけよ」
桃を見ると、アレクシスが頭をよぎるようになった。アレクシスがいない今、避ける必要はないが、無意識のうちに脳が拒否しているのだろう。
――あの苦しそうなアレクシスは、忘れられない。
訓練場のことではなく、過去にローレンが処刑される原因となった出来事は、今もローレンの心に恐怖として植えつけられている。
「そうだったのですね」
「バルドはなにが好きなの? 食べ物でも場所でも、バルドの好きなものを教えて?」
ぱっと開いた口は、なにも紡がず静かに閉じられた。
「……太陽が、好きです」
「太陽?」
ローレンは空を見上げた。高い位置にある太陽は今もさんさんと輝いている。
「はい。いつだって眩く、誰であろうと照らそうとしてくれる、温かな黄金の太陽が――好きです」
大切なものがそこにあるかのように、バルドは慈愛に満ちた顔を上に傾け、ローレンに微笑みかける。
頬を染めるバルドは大人びていて、どうしようもなく胸が高鳴り、きゅうと苦しくなる。
――ああ、やっぱり。
その脳裏に描いているものが自分だったらいいと、ローレンは思ってしまった。
――これは、しまっておかなくちゃ。
アレクシスを攻略すると決めたのだから、ほかに想いを向けてはいけない。
――バルドは純粋に私を王にするために動いてくれているのだから、そんなのバルドにだって、失礼よ。
よき友人、頼れる協力者、秘密を分かち合うもの同士。せめて、不誠実ではいたくなかった。




