灯火と、小さな花
「ふっふっふ、どんなもんよ!」
瑠璃がランプに灯された火を誇らしげに掲げて、いばりん坊の姿勢を取っている。
その姿に、その灯に。眩しいほどの懐かしさを覚えながら、切り株はしばらく押し黙った。
黙り込んでしまった切り株に、どうしたのか問いかけようと思ったところで、
瑠璃はふと、切り株の呼び名が分からないことに気がついた。
「ねえ、あなたのこと、なんて呼んだらいい?」
「……ああ、好きにしたらいい。
みんな好きに呼んでいたよ。呼び名がたくさんあってね」
わたしは、なんと呼んでいたのだろう?
瑠璃はそう考えたが、ちっとも思い出せそうにない。
「そうなんだ。じゃあわたしは”キリ”って呼ぶね」
切り株だし。
その程度の軽い気持ちの、安直な何気ない一言であったが、切り株はひどく驚いたようだった。
「瑠璃、きみ……大きくなったねえ」
よく分からなかったが、何やらしきりに感心しているようでもある。
想定外、あるいは嬉しい誤算か。
それから、キリは話そうとしては言葉を詰まらせることを繰り返した。
まるで、何かを逡巡しているかのように。
「前にも言ったとおり、そのランプはきみのものだ、瑠璃。
きみはその暖かな灯を携えて、僕や仲間のたすけになるようにと、此処に連れられてきたんだ。
……昨日のことのように思い出せるよ。その灯を使ってかがり火を焚いて、それをみんなが囲んで幸せそうに笑っていた、あの日々のことを」
もう戻らないと思っていた。
キリは、その言葉は飲み込んだ。わざわざ言うことでもない。
目の前には、明々と燃える灯が、確かに在るのだから。
「瑠璃。きみは、強い子だ。
もう少し、がんばれるかい?」
その灯があれば、この暗い地でも動くことができる。
一縷の望み。言葉通り、風前の灯火といえるかもしれない。
それでも、生きている。
小さくとも、燃え続けている。
何もかも枯れた此の地であれど――
何もかもを諦めるには、いささか早すぎる。
「既に、条件は揃っている。
その灯りを手に、探してごらん。
この地に眠るものを。
何かは言わない。
見つければ、すぐにそれと分かるだろう」
キリが何を言いたいのか、瑠璃にはよく分からなったが。
その言葉に後を押されるように、瑠璃はランプを手にして、その足を踏み出した。
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る、る、る
る、る、る
る、る、る、る、る、る、る
ロウは、歌っていた。
ひとり寂しく、うずくまりながら。
時は、少し遡り。
様々な努力や挑戦を経て、ロウは、ついに坩堝の地に辿り着いた。
その枯れゆく土地を目の当たりにしながら、それでもロウは諦めずに、必死に捜し。
ついには、瑠璃を見つけたのだ。
ロウはよろこびの声を上げて近づいた。
やっと会えた! また、一緒に遊ぼう! と。
しかし、なんとも奇妙なことに。
瑠璃の目には――全くロウのことが見えておらず。
瑠璃の耳にも――ロウの声は届かなかった。
その上、全てを忘れてしまっているかのようであり。
こっちを見ない。
この声すら、碌に届かない。
一体、瑠璃に何があったというのだろう?
吠えてみても、舐めてみても、身体を擦り付けてみても、瑠璃は気づかない。
まるで、自分が幽霊になってしまったかのように思いながら、
それでもロウは、瑠璃のそばにいて、見つめていた。
這いずっているところも、泣きじゃくっているところも、力なく倒れている時ですら。
何もできずとも、ずっと、見つめていた。
坩堝の地。
その土地の木々や花々が、全て枯れたころ。
ロウの首にかけられた花飾りの花も、全て枯れ落ちた。
かつてはあたたかであったその飾りは、のしかかるように重く冷たいものに変わり。
ロウも、ついには動くことができなくなって、うずくまってしまった。
それでも、わずかな望みを捨てることはできずに。
る、る、る
る、る、る
る、る、る、る、る、る、る
ひとり、歌いつづけた。
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瑠璃は、暗い地を注意深く進んだ。
ひどく疲れていて、すぐにでも横になってしまいたかったが、ランプの灯を見ていると、不思議と歩き続けることができた。
やがて、大きく窪んだ場所に出た。
切り株から、さほど離れてはいないところ。
自然と、足がそこに向いていた。
何も思い出せないのに、どこか懐かしいような気がした。
窪みを覗いてみても、辺りが暗いためによく見えない。
下りてみようかと、おそるおそる身を乗り出したところで。
手をついていたところの土が崩れ、瑠璃は、そのまま体勢を崩して転がり落ちてしまった。
「あいたたた……」
まずいなあ、どうやって登ろう。
そう思いながら、とにかく起き上がろうと手を伸ばしたところ。
何かが、手に触れた。
自分の身体ではない。けれども、わずかにぬくもりのある、何かに。
「……これは、花?」
何かの花の蕾か、そう思い、触ってよく確かめようとしたところで。
それは、ほどけるかのように花開いた。
混じりけのない白色の、小さな花だった。
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ロウは、うずくまっていた。
首のあたりが冷たく、重く、ロウの身体を地に縛り付けるかのようだった。
それでも。
この花飾りを手放すくらいなら、動けなくなってしまう方がマシだった。
瑠璃が全てを忘れてしまった今。
それは、瑠璃とロウの間に確かに絆があったことの、唯一の証であるから。
たとえこのまま死んでしまったとしても。
おれはこれを、手放すことだけはしないのだ。
そんな悲痛な想いを抱えながら、ロウが瞼を下ろしかけた頃。
冷たく枯れ朽ちたはずの花飾りの樹の枝に、新しい蔦が一本、するりと伸びていき。
ぬくもりのある白い花が、いくつも咲いた。
ロウは驚き、その目を見開いて。
やがて、むっくりと起き上がった。