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三国志  作者: 大田牛二
第二章 群雄割拠

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孫堅

 孫堅そんけんは梁東に移って駐軍していたところに董卓軍の将・徐栄じょえい李蒙りもうが激しく攻め込んでいた。


 徐栄は見事に騎兵を用いて孫堅軍を圧倒し、包囲した。


 長くは持たないと思った孫堅は数十騎と共に包囲をくずして脱出した。


 孫堅は常に赤い罽幘(毛織物の頭巾)を被っており、敗走する孫堅は幘を脱いで親近の将・祖茂そもに被らせた。


「頼む」


「承知」


 孫堅と祖茂が別れると董卓軍の騎兵は争って祖茂を追ったため、孫堅は間道から走って難を逃れた。


 祖茂は途中で馬から下り、幘を冢(墳墓)の間の焼けた柱に被せ、草の中に伏せた。


 董卓の騎兵が遠くから幘を望み見て、数重に包囲したが、落ち着いて近づいてから柱だと知り、立ち去っていき、潁川太守・李旻りびんを生け捕りにし、煮殺した。


「負けた、負けた」


 祖茂と合流しながら孫堅は明るく振舞い、再び兵を集めて梁県の陽人に到った。そこに袁術えんじゅつが支援を行ったため、軍の立て直しを行うことに成功した。


 孫堅を警戒している董卓は完全に立て直す前に今度こそ潰すと思い、東郡太守・胡軫こしんを派遣し、歩騎五千を指揮して孫堅を撃たせることにし、呂布りょふを騎督としてこれに添えた。


 胡軫は字を文才という。彼は性急な人物で、あらかじめこう宣言した。


「この行軍は、一人の青綬(太守。孫堅)を斬れば治まる」


 呂布を始め諸将はこれを聞いて嫌った。そう簡単にいくわけがないという認識をもったためである。


 胡軫の軍が広成に到った。


 日が暮れた時、士馬の疲労が極まっており、董卓の指示を受けて、広成で宿営して馬に餌を与えたり飲食してから、夜に乗じて兵を進め、夜明けに臨んで城を攻めるはずであった。


 ところが諸将は胡軫を悪憚(憎み懼れること)しており、呂布はそんな胡軫の出征を失敗してもらいたいと思っていた。


(そもそも私が大将を務めるつもりなのだ)


 呂布は彼の下で命令を聞かなければならないことに不満を覚えていた。そこで呂布は、


「陽人城中の賊は既に走った。追撃して探すべきである。そうしなければ失ってしまうだろう」


 と大声で告げて夜の間に軍を進めた。


 しかし城中には甚だ守備が設けられていたため、急襲できず、吏士が饑渴して人馬とも疲弊した。しかも夜間に城下に到ったため、塹塁(塹壕、塁壁)もなかった。


「おいおい敵の兵、疲弊しきっているじゃないか」


 孫堅は董卓の兵たちを見て、そう呟いた。


 董卓の兵達が疲弊のあまり甲冑を脱いで休息すると、呂布がまた兵達を驚かせて、


「城中の賊が出て来た」


 と宣言した。


 軍衆は混乱して逃走し、皆、甲冑を棄て、鞍馬(馬や馬具)を失った。


「何やっているんだ?」


 孫堅と弟の孫静そんせいは互いに首を傾げる。


 兵達は十余里走ってから賊がいないことを確認し、ちょうど空が明るくなったため城下に引き還し、兵器を拾い集めて城を攻めようとした。


 しかし城の守りが既に固められており、塹壕も深く掘られていたため、胡軫らは攻めることができず帰還し始めた。


「なんかよくわからんが撤退しようとしている。追撃をかけるぞ」


 孫堅はそう言って出撃して、董卓軍に襲いかかった。


 都督・華雄かゆうを一刀の元で切り殺し、勢いに乗って董卓軍を追いかける中、矛をもって迫る大男を見た。


「ふん」


 矛を振るわれ、孫堅はそれを剣で受け止めようとするが、


(とてつもない力だ)


 矛による衝撃によって、孫堅は馬から落ちる。


「くう、あれが呂布か」


 受身をとってすぐに体制を整えたところに再び矛を振るい襲いかかってくるのを避ける。


「もう一度だ」


 呂布は矛を再び、振り下ろす。今度は孫堅は剣で受け止める。


「くっ」


 凄まじい力だと思っているところに呂布に向かって矢が放たれる。


「ちっ」


 舌打ちしながら矢を弾き、呂布は逃走した。


「やれやれ、項羽ほどってわけではなくて助かったぜ」


 潰走していく董卓軍を眺めながら孫堅は呟いた。






 董卓軍相手に勝利したことは広く伝わり、孫堅の名声は高まった。するとそこにある人が袁術に言った。


「孫堅がもしも洛陽を得てしまえば、今後、制御できなくなります。これは狼を除いて虎を得るというものでしょう」


 袁術は孫堅を疑って軍糧の輸送を止めた。


「兄上」


 孫静から袁術からこちらへの支援を止めていることを知った孫堅は昼夜を駆けて袁術に会いに行った。


 袁術に対して孫堅は地面に図を描きながら形勢を説明してこう言った。


「この身をなげうって顧みないのは、上は国家のために賊を討ち、下は袁家の仇に報いるためです。私と董卓には骨肉の怨があるわけではありません。それなのに将軍は浸潤の言(讒言を指す)を受けて逆に嫌疑しています。何故ですか?」


 これは自分があなたから去っても良いのですよという脅しでもある。


 袁術は慚愧して不安になり、すぐに軍糧を徴発することに同意した。孫堅の強さを失うわけにもいかない。袁術が同意したことに安堵した孫堅は屯営に戻った。


 董卓は関東諸侯の中で孫堅の猛壮だけを恐れたため、将軍・李傕りかくらを派遣して和親を欲していることを伝えた。また、孫堅の子弟で刺史や郡守に任命したい者がいたらそれぞれ報告させ、孫堅が上表して任用することを許可した。


 彼がどれだけ孫堅を評価したのかわかる。


 しかし孫堅はこう言った。


「董卓は天に逆らい、無道で、王室を蕩覆(動揺。顛覆)させている。今、汝の三族を滅ぼして四海に示さなければ、私は死んでも瞑目できない。どうして汝と和親することがあるか」


 孫堅は更に大谷まで軍を進めた。洛陽から九十里の距離である。


 董卓は自ら出陣して孫堅と諸陵の間で戦ったが、今の孫堅には勢いがある。そのため董卓軍は敗走した。董卓は澠池まで退いて駐屯し、陝で兵を集め、呂布を出撃させた。

 

 孫堅が洛陽に進むと呂布と激突した。孫堅は呂布を挑発して、自分を囮に呂布を釣りだした隙に呂布軍の後方を程普ていふらに突撃させて、呂布を敗走させた。


「所詮は匹夫の勇よ」


 当時の洛陽は空虚になり、数百里にわたって煙火があった。


「これが都だったところか」


 孫堅は前進して城に入り、惆悵(憂愁、失意の様子)として涙を流した。


 入洛した孫堅は漢の宗廟を掃除し、太牢で祭祀を行った。


 その後、城南の甄官井に駐軍した。


 早朝、五色の気が現れたため、軍を挙げて驚き怪しみ、水を汲もうとする者がいなかった。


 五色の気が井戸から登っているという報告を受けて孫堅は人に命じて井戸に入らせた。するとそこに漢の伝国の璽があった。


「受命于天。既寿永昌(天から命を受け、既に長寿となり永く昌盛する)」と刻まれており、周囲は四寸で、上の紐(綬を結ぶ部分)には五龍が交わっており、上の一角(印の一角。または龍の角の一つ)が欠けていた。


 以前、黄門・張讓らが乱を為し、天子を脅して出奔した時、左右の者が分散し、璽を管理する者が井戸の中に投じていたのである。


 その後、孫堅は兵を分けて新安と澠池の間に進み、董卓に対抗した。


 董卓は長史・劉艾りゅうがいに言った。


「関東の軍はしばしば敗れており、皆、私を畏れて何もできない。ただ孫堅だけはわずかに剛直で、頗る人を用いることができるため、諸将に語って警戒するように知らせるべきだ。昔、周慎と共に西征したことがあり、周慎が金城で辺・韓(辺章・韓遂)を包囲した。私は張温と話をして、指揮する兵を率いて周慎のために後駐(後援)となることを求めたが、張温は同意しなかった。私はその形勢を上書したが、周慎が勝つはずはないと知っていたのだ。台(尚書台。あるいは朝廷の意味かもしれない)には今でも本末(一部始終の記録)がある。上書に対する回答が来る前に、張温はまた私に先零の叛羌を討たせた。西方を一時に平定できると思ったのだ。私は勝てないと知っていたが、止められなかったので出発した。但し別部司馬・劉靖を留め、歩騎四千を率いて安定に駐屯させ、声勢(支援、呼応する部隊)にした。叛羌は引き返して我が軍の帰路を断とうと欲したが、私が軽く撃つだけで道が開かれたものだ。これは安定に兵がいることを畏れたからだ。敵は安定に数万人がいるはずだと言い、劉靖だけだとは知らなかったのである。その時にも上書して状況を述べた」


「孫堅は周慎に従って行軍した時、周慎と話をして、孫堅が一万の兵を率いて金城に向かい、周慎が二万の兵で後駐になるように求めた。辺・韓は城中に宿穀(食糧の蓄え)がないため、外運に頼らなければならないが、周慎の大軍を畏れて軽率に孫堅と戦うことができず、一方、孫堅の兵は運道(輸送路)を断つのに足りていたのだ。児曹(若僧達。張温と周慎を指す)がこの言を用いていれば、必ずや羌を谷中に還らせ、あるいは涼州を平定することもできたかもしれない。しかし張温は私の言を用いることができず、周慎も孫堅の言を用いることができなかった」


「周慎は自ら金城を攻めてその外壁を破壊し、使者を駆けさせて張温に報告した。自分では朝夕にも勝てると思い、張温も計が成功したと思ったのだ。ところが渡遼児(辺章と韓遂を指す)が果たして蔡園(葵園)を断つと、周慎は輜重を棄てて走り、やはり私の策の通りになった。台(朝廷、あるいは尚書台)はこれによって私を都郷侯に封じ、孫堅を佐軍司馬にした。孫堅の見識は私とほぼ同じなので、その才は用いることができる。しかし孫堅が理由なく諸袁児(袁氏の若僧達)に従っていれば、最後は孫堅も死ぬことになるだろうがな」


 劉艾が言った。


「孫堅は時々計を見せていますが、もともと李傕、郭汜かくしにも及びません。聞くところによると、美陽亭北で千人の騎歩を率いて虜と合戦し、死にそうになって印綬を失ったそうです。これは有能とは言えないのではないでしょうか?」


 董卓はこう述べた。


「その時の孫堅は義従(朝廷に帰順した少数民族)を烏合しており、兵は虜の精(精強、精鋭)に及ばなかった。そもそも、戦には利鈍(順調と困難。勝敗)があるものだ。ただ山東の大局を論じるに当たって、最後は孫堅に及ぶ者はいない」


 素直に董卓は孫堅を評価していることがわかる。


「山東児は百姓を駆略(駆逐・略奪)することで寇逆を為していますが、その鋭鋒は董卓様に及ばず、堅甲・利兵・強弩の用(費用。供給)も及びません。どうして久しくいられるでしょうか?」


「その通りだ。ただ二袁(袁紹と袁術)、劉表りゅうひょう、孫堅を殺せば、天下が自ずから私に服従することになるだろう」


 董卓は東中郎将・董越とうえつを澠池に、中郎将・段煨だんわいを華陰に、中郎将・牛輔ぎゅうほを安邑に駐屯させた。


 他の諸将も諸県に配置して山東の進攻を防がせた。


 董卓自身は長安に向かった。


 孫堅は董卓に掘り起こされた漢帝の諸陵を埋めて修復してから、軍を率いて魯陽に還った。


 


 

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