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三国志  作者: 大田牛二
第二章 群雄割拠

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公孫度

 四月、朝廷が幽州牧・劉虞りゅうぐを太傅に任命したが、道路が遮断されているため、任命書を送ることができなかった。


 幽州は荒外(荒服の外。辺遠)に接しており、費用が膨大だったので、毎年常に青州と冀州の賦から二億余銭を割いて調達し、不足を満たしていた。


 しかしながら当時は所々で道が断絶されており、輸送した物資が届かなくなっていた。


 そこで劉虞は古くなった服を着て草履を履き、食事は二つ以上の肉を並べず、務めて寛大な政治に留意し、農業を奨励し、上谷の胡市の利を開き、漁陽の塩鉄の饒(豊かな物資)を通じさせた。


 上谷にはかつて関市があり、胡人と貿易をしており、漁陽には塩官と鉄官が置かれていた。劉虞はこれらを恢復して利益をもたらしたのである。


 その結果、民が悦んで作物が豊作になり、一石当たりの穀物が三十銭になり、青州や徐州の士人や庶人で難を避けて劉虞に帰順した者が百余万口に上った。


 劉虞はこれらを全て収容・慰撫して安定した生業を立てさせた。


 流民は皆、移住して来たことを忘れるほどであったという。


 



 




 董卓とうたくは大鴻臚・韓融かんゆう、少府・陰脩いんしゅう、執金吾・胡母班こぼはん、将作大匠・呉脩ごしゅう、越騎校尉・王瓌おうかいを派遣し、関東を安定させて袁紹えんしょうらを諭して説得させようとした。


 しかし胡母班、呉脩、王瓌が河内に至ると、袁紹は河内太守・王匡おうきょうを使って全て逮捕して殺してしまった。


 因みに胡母班は王匡の妹の夫であった。


 陰脩も袁術えんじゅつに殺された。だが、韓融だけは名徳のおかげで禍を免れることができた。


 次に董卓は五銖銭を廃止し、改めて小銭を鋳造した。


 五銖銭は前漢から流通していた貨幣で、王莽が廃したが、光武の中興後にまた使われるようになったものである。


 五銖は重さのことで、十黍で一絫、十絫で一銖、二十四銖で一両になる。


 董卓は洛陽と長安から銅人、鐘虡、飛廉、銅馬の類をことごとく集めて小銭を鋳造した。


 その結果、貨幣の価値が下がって物価が上がり、穀物一石が数万銭にも上るほどであった。


 孫堅そんけんが軍を進めて董卓を討つに当たって、長史・公仇称こうきゅうしょうに兵を率いて任務に従事させ、州に還って軍糧を督促させた。魯陽城東門外に帳幔を施し、道の神を祀って公仇称を送り出し、官属がそろって会飲した。

 

 この時、董卓は歩騎数万人を派遣して孫堅を攻撃しようとした。軽騎数十が先に到着した。


 董卓の騎兵が突然現れたが、孫堅は酒を飲んで談笑しながら部曲を整頓して陣を構えさせ、妄りに動くことを禁じた。


 後に騎兵がしだいに多くなると、孫堅はゆっくり席を離れ、官属・部曲を導いて入城した。


 その後、孫堅が言った。


「先ほど、私がすぐに立たなかったのは、兵が互いに蹈藉(踏み合うこと。雑踏、混乱)して諸君が入れなくなることを恐れたためだ」


 董卓の兵は孫堅軍の士衆が非常に整っているのを見て、敢えて城を攻撃せずに還った。


 連合が解散したと言っても解散して勝手に撤退したのは酸棗諸軍であった。そのためまだ、盟主である袁紹は戦いを諦めていたわけではないようである。彼の指示により、王匡が泰山兵を率いて河陽津に駐屯し、董卓を討伐しようとした。


「生意気なやつだ」


 董卓は疑兵を送って平陰を渡るように見せ、秘かに鋭衆を送って小平から北に渡河させた。董卓の兵が回りこんで王匡が警戒していない後ろを撃ち、津北で大破した。王匡軍はほとんど全滅してしまった。


 董卓軍に敗れて泰山に逃げ帰った王匡は強勇の者を集めて数千人を得るとそこから張邈ちょうぱくと合流しようとした。


 しかし王匡はこれ以前に胡母班を殺したため、胡母班の親族が憤怒を抑えきれず、袁紹に訴えた。袁紹は彼らの声が大きいのと、王匡が張邈と合流しようとするのが気に食わなかったため、曹操そうそうに胡母班の親族と共に王匡を攻めさせ、殺した。


「不快なのは殺したか……」


 袁紹という人は必要以上に煩わしさを嫌う人で、どうにも董卓とまともに戦うのは難しいと思い始めた。だがらといって董卓と妥協して軍門に下るなどは誇りが許さない。


「ふむ、そうだ」


 あることを袁紹は思いつき、韓馥かんふくと書簡を交わし始めた。


 






 中郎将・徐栄じょえいが同郷の元冀州刺史・公孫度こうそんどを董卓に推薦した。


 董卓は公孫度を遼東太守に任命することにした。前回、袁紹側の者を太守に任命していただけに自分の息のかかった者を任命したいという思いも背景にあったのだろう。


 しかしながら公孫度は自分の国を作りたいという野心を持っており、着任して早々に自分に従わない郡中の名豪・大姓百余家を誅滅した。それにより、郡中を震慄(震撼戦慄)させた。


 その後、東は高句驪を討伐し、西は烏桓を撃った。


 公孫度が親しくしている官吏・柳毅りょうこく陽儀ようぎらに言った。


「漢の皇位はもうすぐ絶たれるだろう。諸卿と共に王になることを図るべきだ」


 独断で公孫度は遼東を分けて遼西郡と中遼郡を設け、それぞれに太守を置いた。また、海を越えて東莱の諸県を収め、営州刺史を置いた。


 公孫度自身は遼東侯・平州牧と自称した。


 その後、漢二祖(高帝と光武帝)の廟を建てて、承制(皇帝の代わりに命令を出すこと)し、天地を郊祀して藉田の儀式(春耕前に天子や諸侯が田を耕して農業を奨励する儀式)を行った。


 また、公孫度は鸞路(帝王の車)に乗り、旄頭、羽騎(「羽騎」は羽林の騎兵)を設けた。


 こうしてこの地で公孫氏によるある種の独立国家のようなものが生まれ、長きにわたって存在し続けることになるのである。



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