連合解散
「負けた……」
曹操は悔しさを滲ませながら呟く。惨敗であった。全く相手にならなかった。
「敗因はわかっている。兵の質の違いを把握せずに自分勝手に兵を動かしたからだ」
今の兵は急遽集めた兵たちであり、訓練も行き届いていない中で高度なことをやろうとしすぎた。それにも関わらず、彼らはしっかりと答えていた。
「全ては私が弱かったからだ」
あまりにも相手との経験の差が大きかった。
被害は甚大であり、多くの兵を失った。夏侯惇、夏侯淵は殿を行ったが、生き残ってくれた。しかし大怪我を負ってしまっている。
「無事だったようだな」
鮑信が合流してきた。彼も多くの兵を失ってしまった。それに大怪我も負ってしまった。
「すまない。弟君や君の兵を巻き込んでしまった」
「気にするな。それなら汝も衛茲殿を失っている」
「ああ……」
衛茲は挙兵時に真っ先に力を貸してくれた人であり、恩人であった。その人を自分の弱さによって死なせてしまった。
「人は死に場所は選べないものだ。気にするな、弟も衛茲殿も戦に出る以上は覚悟を決めて来ている。彼らは汝を責めることは無いさ」
「だが……」
「曹操殿、負けはしたが、まだ我々は生きている。生きていれば、まだ戦うことはできる。今度は勝とうではないか」
鮑信の励ましは曹操は救われる思いであった。
「ありがとう」
「汝は大将だ。弱気なままでは駄目だからな」
曹操と鮑信が酸棗に戻った時、諸軍十余万は日々酒を準備して宴を開いており、進取を図っていなかった。
「この者らは……」
こっちは命懸けに戦っているというのに、宴とは呆れる以上に悲しかった。何のために自分は戦ったのか。何のために兵は、将は死んだのか。
曹操は宴に勤しむ諸将の陣幕に入った。戦から帰ってきたばかりで鎧にはまだ血が着いたまま入ってきた曹操に諸将は驚く。そんな彼らに曹操を譴責し、謀を立ててこう言った。
「諸君が我が計を聴くことができるのならば、勃海の袁紹に河内の衆を率いて孟津に臨ませ、酸棗諸将は成皋を守り、敖倉に拠り、轘轅・太谷を塞いでその険を全て制し、袁術に南陽の軍を率いて丹・析に駐軍させ、武関に入って三輔を震わせるべきである。皆、塁を高くして壁を深くし、敵と戦うことなく、疑兵を増やし、天下が董卓に反対しているという形勢を示して、正道によって逆賊を誅せば、すぐに平定できるであろう。今、兵が義によって動かされたのに、躊躇して進まなければ、天下の望を失うことになる。心中で諸君のためにこれを恥じと思う」
しかし張邈らは曹操の意見を用いようとはしなかった。
「敗軍の将は兵を語らずか……」
所詮は自分は敗戦の将であるという思いが彼らにあるのだろう。
曹操は黙って陣幕を出て、自分の陣地に戻った。
「彼らが動かない以上は私が戦うしかないな」
曹操は鮑信にそう言って、兵を集めると言った。
「私も同じようにやりたいが……」
「君は怪我を負っているし、あまり私に関わり過ぎて諸将に目をつけられては困るだろう。残るべきだ」
こういう配慮ができるのが曹操の良いところだと思いながら鮑信は頷いた。
曹操は鮑信と別れ、夏侯惇らと共に揚州を訪ねて兵を募ることにした。刺史・陳温丹陽太守・周昕が曹操に兵四千余人を与えてくれた。
「よしこれで戦えるはずだ」
しかし曹操が龍亢に至った時、兵が謀叛して夜の間に曹操の帳を焼いた。
曹操は手に剣を持って数十人を殺すと、残った者は皆、潰散した、それにより曹操は営から出ることができたが多くの兵が謀反を起こし、謀反しなかった者は五百余ぐらいであった。
「悔しいものだ」
曹操は夏侯惇にそう言った。
「彼らは私が敗戦の将であるために逆らったのだ。私が敗戦の将であることは事実だ。言い訳をするつもりは一切ない。宦官の孫と言われても気にしたことがないようにな……」
それでも曹操は悔しさをにじませる。
「だが、そのことが私にとってこうまで障害となっている」
曹操は溜息をつく。
「そう思うと諸将はなぜ、戦おうとしないのか。彼らは誰もが天下のその名を知られ、慕われている。私よりも遥かに障害がなく、私よりもやりたいことができるだろうに……私には多くのやりたいことがある。この世を良くするためにやりたいことが本当に多い。彼らはそうは思わないのか」
彼はそこまで言って、目を伏せる。
「やりたいことをやり通すにはそれ相応の力が必要ということだろう」
夏侯惇はそう言った。
「力か……権力、兵、人。まだまだ足りない。そうだな……自分のやりたいことをやり通すには力がいる。誰がなんと言おうとも貫き通す力が」
「少なくともお前は董卓に最初に挑んだという名声がある。その名声はお前の力になってくれるはずだ」
「そうだな。負けたことも己の糧としなければな」
曹操は決めた。強くなると、強くなって、多くのことをやり遂げようと。いつまでもくよくよとはしていられない。
曹操は銍、建平に至り、再び兵を集めて千余人を得てから、河内に進んで駐屯した。そこで河内の袁紹に従うことにした。
「今は我慢の時だ」
彼はそう呟いた。
暫くして酸棗諸軍の食糧が尽きたため、諸将は解散した。
兗州刺史・劉岱と東郡太守・橋瑁は憎み合っていたため、劉岱が橋瑁を殺し、王肱に東郡太守を担わすことにした。
青州刺史・焦和も董卓討伐の兵を挙げ、酸棗の諸将と合流するために尽力して西に向かっていた。
しかし民のために彼らを守る守備兵を残していないという大失態を犯していた。よくもまあ部下も止めなかったものである。兵が河を渡ったばかりの時、黄巾が青州境界に入った。
青州はかねてから富裕で、士兵も強盛であったが、焦和はいつも寇賊に望むと敗走し、風塵に接して旗鼓を交えたことがないという有様であった。そのため慌てて戻り、黄巾の残党と戦っても破れた。
焦和という人は卜筮を好み、鬼神を信じていた。部屋に入ってその人を見ると、清談して高尚であったが、外に出てその政治を観ると、賞罰が混乱させていた。そのため州は蕭條(凄寂。寂しい様子)とし、ことごとく廃墟と化しているという状況であった。
そのため多くの民が黄巾の残党に助けを乞うて彼らに合流した。そのため残党は強化されていき、やがて彼らは残党というにはとてつもない強さを有するようになった。後に彼らは青洲兵と呼ばれる兵となることになる。
暫くして焦和が病死したため、袁紹は臧洪に青州刺史を担当させ、青州の民衆を慰撫させることにした。




