鄭泰
190年
正月、関東(山東)の州郡が董卓を打倒のためにそろって兵を挙げた。勃海太守・袁紹が盟主に推された。
名族であるということで彼の名声力を期待したためである。
袁紹は自ら車騎将軍を号し、諸将も皆、官号を板授された。「板授」とは、天子が詔によって官員を任命するのではなく、諸侯や大臣が天子の代わりに暫定の官号を与えることである。
袁紹と河内太守・王匡は河内に駐留し、冀州牧・韓馥は鄴に留まって軍糧を供給した。
豫州刺史・孔伷は潁川に、兗州刺史・劉岱、陳留太守・張邈、張邈の弟で広陵太守・張超、東郡太守・橋瑁、山陽太守・袁遺、済北相・鮑信と曹操は共に酸棗に、後将軍・袁術は魯陽に駐屯した。
それぞれ数万の衆を擁した。
この中の袁遺は、字を伯業といい、袁紹の従兄である。長安令を勤めたことがある。後に袁紹が袁遺を用いて揚州刺史に任命したが、袁遺は袁術に敗れ、部下に殺害されてしまった。
曹操は彼のことを、
「成長してからも学問に勤めることができたのは、ただ私と袁伯業だけである」
と評価していただけに彼の死を知ると悲しんだ。
張超はかつて袁遺を太尉・朱儁に推薦し、袁遺を称えてこう述べている。
「袁遺には冠世の懿(天下に冠する美徳)と幹時の量(治世の度量、または時代の要求に応じている能力)があります。その忠允亮直(忠誠実直)は、元々天が与えたものです。書籍を網羅して、諸子百家を総括し、高くに登って賦を善く作り、事物を判別することにおいては、今日において袁遺のような人物を他に求めてもはるかに遠く、匹敵する者はいないでしょう」
豪桀の多くが袁紹に帰心する中、鮑信は共に従軍することになった挨拶に出向いた。彼が来たのを知った曹操は自ら彼を出迎えた。
「鮑信殿、よくぞ参られた」
(この人が曹孟徳か)
背はあまり高くなく、威圧的な態度も無く、明るさを持った人だと鮑信は思った。
「あの鮑宣、鮑永の子孫であるあなたとお話できることは嬉しい限りです」
曹操はそう言った。鮑宣は前漢末の人で、儒者としても名臣としても称えられ、彼が処罰されるとなった際には多くの人々が除名懇願のために当時の宰相・孔光の馬車を止めるほどであったという。鮑永は後漢初期の人で、光武帝に仕えながらも光武帝が間違いを犯そうとすれば堂々と諫言する人として尊敬された人である。
「先祖の名がとても重く、二人の名をいつか汚さないかと戦々恐々としております」
鮑信は苦笑しながらそう答えた。
(思ったよりも親しみを与える人だ)
曹操は彼に好印象を持ち、二人は大いに語り合った。
(これほどに洞察力、視野を持った方だったのか)
鮑信は彼が宦官の孫ということを特に思うことなく、評価した。そして、こう言った。
「謀略が巧妙で滅多に世に現れることがなく、乱を平定して正道に戻すことができるのはあなたでしょう。このような人でなければ、たとえ強くても必ず倒れることでしょう。天があなたを送ったのでしょうな」
「勿体無いお言葉です」
初対面でこれほどの評価をくれたのは、橋玄だけであっただけに曹操は彼の言葉を素直に喜んだ。
以降、曹操は鮑信のことを信頼し、鮑信も曹操を信頼することになる。曹操にとって数少ない親友と呼べる人を得たのである。
その頃、董卓は大軍を徴発して山東を討つことについて議論した。
それに対して、尚書・鄭泰がこう述べた。
「政治の要は徳にあり、人数にあるのではありません」
董卓が不快になって言った。
「卿のその言の通りならば、兵とは無用なのか?」
「そのような意味ではありません。山東は大兵を加えるには足らないと考えただけです。あなた様は西州から出て、若くして将帥になり、軍事に習熟しています。袁本初は公卿の子弟で、京師で生まれ育ちました。張孟卓(孟卓は張邈の字)は東平の長者で、堂に坐して妄りに視線を動かさないような人物です。孔公緒(公緒は孔伷の字)は清談高論して嘘枯吹生する者です。彼らにはそろって軍旅の才がなく、兵鋒に臨んで敵と勝負を決しても、あなた様の相手ではありません。そもそも、彼らは王爵を加えられず、尊卑に秩序がないため、もしも衆と力に頼れば、それぞれが対峙して成敗を観るだけで、心膽を一つにして進退をそろえようとはしません。更に、山東は太平の日が久しく、民は戦に習熟していません。関西は最近、羌寇に遭い、婦女も皆、弓を持って闘うことができます。天下が畏れる者で、并・涼の人と羌・胡の義従(朝廷に帰順した少数民族)に勝る者はいません。あなた様はこれを擁して爪牙としているため、虎兕(「兕」は牛に似た一角の猛獣)を駆けて犬羊に向かわせ、烈風を起こして枯葉を掃くようなものです。誰が抵抗できるでしょうか。事がないのに徵兵して天下を驚かせれば、患役の民(兵役を患いる民)が集まって非を為すようにしてしまいます。徳を棄てて衆に頼るのは、自ら威重を損なうことです」
董卓は進言に喜び、兵をすぐには動かさなかった。
(これで時間稼ぎができるだろう)
鄭泰は密かに安堵した。これで後は袁紹たち連合軍が一斉にこちらに攻め込んだ時に洛陽で内応すれば、董卓を滅ぼすことができるだろう。
だが、董卓は兵を動かさないならば、防衛戦を行うことになる。相手が攻め込んでこないとは思うほど彼は幻想家では無い、しかしながら洛陽は防衛戦に向いている地では無いとも考えていた。
「よし、ならば遷都するとしよう」
董卓はとんでもないことを口に出した。




