相国
黄巾の郭泰らが西河白波谷で挙兵し、時の人はこれを「白波賊」と呼んだ。
その白波賊が河東を侵略した。
董卓は自分の将である牛輔を派遣してこれを撃つことにした。この軍にしれっと賈詡が従軍していた。以降、彼は董卓から離れ、牛輔の元にいることになる。この辺りはもはや魔術である。
前年、単于・羌渠が殺されて子の於扶羅が立った。これを持至尸逐侯単于というが、於扶羅と表記する。その父・羌渠を殺した国人が背叛し、共に須卜骨都侯を単于に立てた。
於扶羅は漢の宮闕を訪ねて自ら訴えたが、ちょうど霊帝が死に、天下が大乱に陥ったため、数千騎を率いて白波賊と兵を合わせ、郡県を侵した。
しかし当時は民が皆集まって守りを固めていたため、略奪しても利がなく、逆に兵に損害が出た。
於扶羅は帰国しようと欲したが、国人が受け入れないため、河東平陽で停留することになった。。
須卜骨都侯は単于になって一年で死んだ。
南庭(南匈奴の朝廷)は単于が空位になったため、老王が国事を行った。「老王」とは年配の匈奴諸王だと思われる。
その頃、董卓は諸公を率いて上書し、遡って故太傅・陳蕃、大将軍・竇武および諸党人について審理するように求めた。
全ての爵位を恢復し、使者を送って祠廟を弔い、子孫を抜擢して官職を与えた。
これは多くの人々に喜ばれた行為であろう。露骨な人気取りであっても今までの後漢王朝がしなかったことを強行して行えるのが董卓政権の良いところである。
十一月、董卓は相国となった。「賛拝不名(皇帝への謁見や入朝の際、姓名をよばれない)」「入朝不趨(入朝の際、小走りになる必要がない)」「剣履上殿(剣を帯びて靴を履いたまま上殿できる)」の特権が与えられた。
かつて蕭何と曹参が相国になって以来、相国に任命された者がいなかった中、董卓が相国となったのである。
多くの者はこれに驚いた。
しかしながら相国にここまで簡単になれたのは董卓の軍を背景にした独裁政権であることも大きいだろうが、実際のところは董卓を改革者と認識する者も少なくはなかったためであろう。
例えば、蔡邕はそう言う認識が強く、董卓の皇帝廃位もそこまで嫌悪感を感じることはなかっただろう。
また、今の董卓に対して何もする気は無いのもいる。王允は袁紹と何進の計画に関わっていただけに袁紹の視野の狭さがわかっているだけにどちらかと言えば、袁紹が逃げ出したことは彼としては都合が良かった。しかしながら彼は蔡邕とは違い、皇帝廃位という行為に嫌悪感を抱いている。
王允とは違い、皇帝廃位にそこまで嫌悪感を抱いていないのは荀攸である。彼は董卓がどんな政治をするのかを見る段階と思っており、沈黙を保っている。
そんな沈黙を保っている中、董卓の排除に向けて動き出している者もいる。尚書・周毖と城門校尉・伍瓊は董卓を説得し、桓帝と霊帝の政治を正して天下の名士を抜擢・採用することで衆望を収めるように勧めた。
董卓はこれに従った。この時の董卓の行動を見ると案外、真面目に政治を行おうという感覚があったのではないか?
そのため彼は人の言うことにはしっかりと耳を傾けている。
董卓は周毖、伍瓊に命じ、尚書・鄭泰、長史・何顒らと共に姦汚を淘汰して仕官の道を塞がれている人材を抜擢させた。
こうして処士・荀爽、陳紀、韓融、申屠蟠が招聘された。
荀爽は所在地で平原相に任命され、宛陵に至った時、光禄勳に遷され、三日間政務を行っただけで、司空を拝命した。
招聘の命を被ってから三公に登るまでの時間はわずか九十三日であった。
董卓の独裁政権という特殊な状況だからこそできた荒業である。
陳紀は五官中郎将に、韓融は大鴻臚になった。陳紀は陳寔の子、韓融は韓韶の子である。
当初、荀爽らは皆、董卓の暴虐を畏れたため、招聘に応じない者がいなかったが、申屠蟠だけは徵書を得て人から応じるように勧められても笑って答えず、董卓もついに屈服させることができなかった。七十余歳で天寿を全うできたのだから、ある意味では幸せであっただろう。
董卓はまた尚書・韓馥を冀州牧に、侍中・劉岱を兗州刺史に、陳留の人・孔伷(「孔冑」)を豫州刺史に、東平の人・張邈を陳留太守に、潁川の人・張咨を南陽太守に任命した。
この中の孔伷は字を公緒といい、後に鄭泰が孔伷を評価して董卓に、
「孔公緒は清談高論して嘘枯吹生する者です(「嘘枯吹生」は枯れたものに息を吹いて生き返らせ、生きているものに息をかけて枯れさせることで、生死を逆転させるほど弁舌が優れているという意味)」
と語ったと言われている。
一方、董卓が親愛する者は高位に就かず、将校になっただけであった。
この辺りの政治感覚は中々のものではないだろうか。精一杯の抵抗を受けてというのもあるかもしれないが、董卓は強引な政治を行いつつもこの時の董卓はまともな政治を行おうとする意図が見られなくは無い。
しかしながら彼の強引さと暴虐さを許容できない者たちも多くおり、董卓と彼らの戦いの音が近づきつつあった。




