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三国志  作者: 大田牛二
第二章 群雄割拠

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皇帝廃位

 ある日、董卓とうたく袁紹えんしょうを招いた。相談したことがあったためである。


 董卓は彼にこう言った。


「天下の主は賢明を得るべきである。いつも霊帝を思うたびに、人を憤懣させたものだ。董侯(劉協りゅうきょう)は良いとは思わないか。今これを立てようと考えているのだが、史侯(少帝)に勝ることができるだろうか。人には若い頃は賢くても大きくなれば、愚かになる者もいる。董侯はどうだろうか。そのようであるならな、劉氏の種は残すに足りないとは思わないか?」


 つまりは帝位にいる者を変えるということであり、そして、劉協が無能ならば、もう劉氏の者では無い者を皇帝にしても良いのではないかということである。


 これほどはっきりと劉氏の世を否定する言葉をよくもまあ吐けたものである。


 この恐ろしい言葉に震えながら袁紹はこう言った。


「漢家は天下の君となって約四百年に及び、恩沢が深厚で、万民がこれを奉戴しています。今、陛下はまだ若く、しかも不善を天下に示したことがありません。あなたは嫡を廃して庶と立てようと欲していますが、恐らく百官があなたの意見には従わないでしょう」


 董卓は小剣に手を置いて袁紹を叱責した。


「豎子が何を言うのか。天下の事で私に決定できないことがあるというのか。私がこれを為そうと欲せば、誰が従わずにいられようか。汝は董卓の刀が鋭利ではないと言うのか」


 この怒声に不快になった袁紹はこう言い返した。


「天下の英雄豪傑は董公(董卓)だけではない」


 そのまま彼は佩刀を持ち、横を向いて揖礼をしてそのまま出て行った。これは本来、目上にやる礼ではない。


「ふん」


 袁紹の不快な言葉を聞いても董卓は小剣に手をかけつつも何もしなかった。


(宦官を全滅させたと聞いて、名家の坊ちゃんにしては骨があるのではないかと思えば、この程度か)


 わざわざ共に皇帝を変えようと誘ったにも関わらずである。


「あのような男など、ほっとけば何処かへと行くだろう」


 実際に袁紹は司隸校尉の符節を上東門に掛けて冀州に逃走した。


「やはりな……まああのような小物などはほっとけば良い」


 九月、董卓が百僚を招集して会を開き、奮首(頭をあげること。気勢が激しい様子)して言った。


「皇帝は闇弱(暗愚劣弱)であるため、宗廟を奉じて天下の主になることができない。今、伊尹・霍光の前例に基き、改めて陳留王を立てようと欲するが如何か?」


 公卿以下、百官は恐れて誰も答えられない中、董卓はまた声を上げて言った。


「昔、霍光が策を定めた時、田延年が剣に手を置いた。敢えて大義を妨害しようとする者がいたら、皆、軍法によって処理する」


 その場に坐している者は皆、震撼した。


 しかし、ただ一人立ち上がった男がいる。尚書・盧植ろしょくである。


「昔、太甲は即位したものの不明で、昌邑は罪過が千余に上ったため、廃立の事があったのです。今、陛下は春秋に富んでおり、行いには徳を失うことがありません。前事と比べることはできません」


 董卓は激怒して退席した。そしてそのまま会は中止となった。


 後に董卓が盧植を殺そうとしたが、蔡邕さいようが盧植のために命乞いをし、議郎・彭伯ほうはくも董卓を諫めてこう言った。


「盧尚書は海内の大儒で人望があります。今、先にこれを害せば、天下が震怖することになります」


 この結果、董卓は盧植を殺さなかった。しかし、官を免じた。


 罷免された盧植は老病を理由に故郷に帰ることを求めた。但し、彼は禍から逃れられない可能性があるとして、道を偽って脇道から出た。


 果たして董卓が人を送って追跡させたが、懐に至っても追いつけなかった。盧植は上谷に隠れて人事(人の世)との交わりを絶った。


 後に冀州牧となった袁紹に請われて軍師になり、献帝初平三年(192年)に世を去った。


 盧植が去った後、董卓は廃立の議を太傅・袁隗えんかいに示した。袁隗は議に従うと報告した。彼がそう言って同意した裏には恐らく袁紹が董卓を怒らせた経緯もあったため、一族を守るために同意した部分もあるだろう。ある意味、袁紹は一族にだいぶ迷惑をかけることになる。


 董卓が再び群僚を崇徳前殿に集めて会を開いた。


 何太后(少帝の実母)を脅迫して策書によって少帝を廃した。策書はこう宣言した。


「皇帝は喪にありながら人の子としての心がなく、威儀が人君らしくない。よって、今、皇帝を廃して弘農王とし、陳留王・協を立てて帝とする」


 袁隗が少帝の璽綬を解き、陳留王に渡した。弘農王を抱えて殿下に降ろし、北面して臣と称させた。


 何太后は声を押し殺して無き、群臣も悲哀を抱いたが、敢えて発言する者はいなかった。


 こうして陳留王・劉協が即位した。この時、九歳で、献帝けんていと後世においては言われる。彼が後漢王朝最後の皇帝になることになる。


 董卓がまた意見を述べた。


「太后は永楽宮(董太后)を逼迫して憂死させるに至った。婦姑(妻と姑)の礼に逆らっている」


 何太后は永安宮に遷された。


 天下に大赦して昭寧元年を永漢元年に改めてすぐに董卓は毒で皇太后・何氏を殺した。


 公卿以下、布服(粗末な服。喪服)を着る者はなく、葬礼に参加しても素衣(白い服)を着ただけにした。


 董卓は更に何苗の棺を掘り起こし、その死体を出して支解節断(四肢をバラバラにすること)してから道端に棄てた。


 何苗の母・舞陽君も殺されて死体は苑(花苑)の枳落(棘がある垣根)の中に棄てられた。


 何氏は肉屋から外戚という栄華を得ることができたが、その栄華はあまりにも短かった。


 その後、董卓は自ら太尉になり、前将軍の職務を兼任した。符節、鈇鉞(斧鉞)、虎賁を加えた。また、改めて自らを郿侯に封じた。


 もはや後漢王朝は董卓の王朝を化しつつあった。



 

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