宦官の終わりと暴君の到来
何進が長楽宮に入り、何太后と話しをして諸常侍を全て誅殺することを請うた。
中常侍・張譲と段珪は、
「大将軍は病と称して霊帝の喪にも臨まず、送葬もしなかったのに、今、突然入宮した。これは何を意図しているのか。まさか竇氏の事がまた起きるのではないか」
と何進たちを疑っており、何進の元に人を送っていた。その者らから張譲らは会話を盗み聴きさせ、何進の言葉を全て知った。
「やはり、我らを皆殺しにする気だ。やるならば今だ」
宦官たちの危機を感じた時の行動力の速さは相変わらず早い。彼らは自分の党羽の者数十人を指揮し、武器を持って秘かに側闥(側門)から入り、省戸(禁門)の下に伏せた。
何進が出てくると、張譲らの手の者が何太后の詔と偽って何進を招いた。
「またか……」
また、考えを変えたのかと思い、何進は再び入って省閤(宮門の建物)に坐った。するとそこに張譲らが現れ、何進を詰問した。
「天下が憒憒(混乱の様子)としているのは、我々だけの罪ではない。先帝がかつて太后に対して不快になり、危うく成敗(失敗。皇后廃位)を招くところであったのが、我々が涕泣して援助し、それぞれ家財千万を出して礼品とし、陛下の意を和悦させた。これはただ卿の門戸に託したいと欲したからである。今、我々の種族を滅ぼそうと欲しているが、あまりにも甚だしいことではないか」
尚方監・渠穆が剣を抜いて嘉徳殿前で何進を斬った。
何進という人は歴代の大将軍の中では特に身分こそ低かったが、決して質の悪い人ではなかった。ただただ決断が遅かったために命を落とすことになった。
張譲、段珪等は詔を作って旧太尉・樊陵を司隸校尉に、少府・許相を河南尹に任命しようとした。しかし詔書を得た尚書は疑ってこう言った。
「大将軍が出て来て共に議すことを請う」
すると中黄門は何進の頭を投げて尚書に与え、
「何進は謀反したため、既にこうして誅に伏した」
と言った。
この時、既に何進の死を伝える者たちが至るところに走っていた。その一人が宮門の外にいる何進の部曲(部隊)の将・呉匡と張璋の元に向かい、何進の死を伝えた。
彼らは何進が害されたと聞くと兵を率いて入宮しようとしたが、宮門が閉ざされていた。自分たちの兵では突破は難しいと思い、
「袁術殿の力を借りて大将軍の仇を取ろう」
そこで二人は虎賁中郎将・袁術を頼った。この時の袁術の行動力は早かった。すぐさま兵を率いて呉匡らと共に攻撃した。
中黄門らが武器を持って門を守った。
ちょうど日が暮れたため、袁術は南宮の青瑣門を焼き、宮中を脅して張譲らを外に出させようとした。
張譲らは後宮に入って何太后に報告し、こう言った。
「大将軍の兵が反し、宮を焼き、尚書闥(尚書門)を攻めております」
張譲等はこの機に何太后、少帝・劉弁および陳留王・劉協を強制して連れ出し、省内の官属を脅して複道(二階建ての通路)から北宮に走った。
尚書・盧植が閤道(閣道。複道)の窗(窓)の下で戈を持っており、段珪を仰ぎ見るや否や、
「喝っ」
と、叱責した。
懼れた段珪は何太后を放った。何太后は閣道の上から跳び下りて逃れることができた。
その頃、袁紹と叔父の袁隗が詔を偽って樊陵と許相を招き、斬った。
「大将軍の仇討ちであるぞ」
更に袁紹は何苗と共に兵を率いて朱雀闕(門)下に駐屯し、趙忠らを得て斬った。
呉匡らは以前から何苗が何進と同心ではないことを怨んでおり、また、何苗が宦官と通謀しているのではないかと疑っていた。そのため軍中にこう命じた。
「大将軍を殺したのは車騎(車騎将軍・何苗)である。吏士は大将軍のために仇に報いられるか?」
軍士は皆、涙を流して、
「命をかけることを願います」
と答えた。
そこで呉匡が兵を率いて董卓の弟・奉車都尉・董旻と共に何苗を攻めて殺し、死体を苑中に棄てた。
袁紹は北宮の門を閉じ、兵を指揮して諸宦者を捕え、老若に関わらず全て殺した。その数は二千余人に上り、鬚がないために誤って殺された者もいた。宦官には髭が生えないためである。
「もはやこれは正義の戦いではなく、復讐戦だな……」
荀攸はそう呟き、やる気を失っていた。
彼は正義のために命を賭けることをやぶさかではないが、暴力のために命も知恵も使う気にはならない。
袁紹は勝ちに乗じて兵を進め、宮中を掃討した。端門の屋根に登って宮内を攻める者もいた。
困窮した張譲、段珪らは少帝と陳留王ら数十人を連れて、歩いて榖門を出た。
夜、張譲らが小平津に至った。
皇帝の六璽を身に着けておらず、公卿で従う者も得られず、ただ尚書・盧植と河南中部掾・閔貢だけが夜の間に河上に到着した。
閔貢が厳しい口調で張譲らを叱責し、更にこう言った。
「今、速やかに死ななければ、私が汝を殺すぞ」
閔貢は剣を手にして数人を斬った。
恐れた張譲らは叉手(両手を胸の前で重ねる礼)再拝し、少帝に向かって叩頭してから別れを告げて、
「我らは死にます。どうか陛下は自愛してください」
と言い、河に身を投げて死んだ。
閔貢は少帝と陳留王を抱えて、夜の間、螢の光を追って南に進み、皇宮に還ろうとした。数里進んだ所で民家の露車(屋根がない荷物を運ぶ車)を得た。
閔貢らは共にこの車に乗って雒舍まで進み、休憩した。
休憩を終えると少帝が一人で一馬に乗り、陳留王と閔貢が共に一馬に乗り、雒舍からまた南行した。そこに公卿らが少しずつ集まっていた。
これより以前、董卓は顕陽苑にまで進んでいた。そこで遠くで火が起きるのを見たのと、何進の死を告げる工作員が到着した。
「変事が起きたか。お前の言ったとおりであったな」
董卓は賈詡にそう言った。彼が顕陽苑にまで進軍するように進言していた。
「お急ぎを……」
賈詡の言葉に董卓は頷くと、兵を率いて急いで京師に進んだ。未明に城西に到着した。
「ほう、陛下が北にいるのか」
そこにまだ逃走途中であった公卿らからその話しを聞いた董卓は彼らと共に北に向かって北芒阪の下で出迎えた。
少帝は董卓が兵を率いて突然現れたのを見て、恐怖のため涙を流した。それを董卓は不快そうに見ている。
群公が董卓に言った。
「詔がある。兵を退け」
すると董卓は彼らに言い放った。
「汝のような諸人は国の大臣になりながら、王室を矯正できず、皇帝を流浪させるに至った。なぜ兵を退く必要があるのか」
彼の怒鳴り声に皆、驚き怯えた。そんな彼らを鼻で笑うと董卓は少帝に話しかけた。しかしながら少帝は恐怖のあまり、董卓とまともに会話ができなかった。
そこで改めて陳留王と話しをして禍乱の起因や経緯を問うと、陳留王の答えは始めから最後まで遺漏がなくすらすらと話した。
「ふむふむ、そう言えば陳留王は董太后に養われておりましたな」
董卓は自分が董太后の同族だと考えていたため、
(いっそのことこれを皇帝にするか)
と、廃立の意を抱くようになった。そして、自分がそれを裏で操る。そんな野心を持ったまま董卓は少帝と共に洛陽に帰還した。
「あれが董卓か」
荀攸は戻ってきた少帝の傍を悠々と共に馬に乗っている董卓を見て呟く。
「悪人の面だ」
よりによって皇帝が彼によって救われてしまった。恐らくこの王朝は董卓によって牛耳られることになるだろう。
「しかし、知恵者らしき者は見当たらない。董卓があのようなことをするとは思えないのだがな……」
荀攸の視界には見えないほどに賈詡は董卓の傍にいないどころか董卓の一般の兵と同じように歩いていた。まるで目立たない彼の姿に誰もが彼が知恵者だとも、策士だとも思わない。
そこにいることさえ、人々は認識しない。董卓は既に彼の存在は忘れているほどに彼はすっと存在感を消していた。
この日、少帝が皇宮に還り、天下に大赦して光熹元年を昭寧元年に改元した。




