蓋勳
黄巾の乱での中原が混乱している中、北地の先零羌と枹罕、河関の群盗である宋建、王国が反乱を起こした。
彼らは共に湟中の義従胡・北宮伯玉と李文侯を将軍に立て、護羌校尉・泠徵を殺害した。
「一体どういうつもりだ」
酒を飲みながら男はそう言った。彼の周りには彼に向けて矛を構えている男たちが彼を囲んでいる。
「どうもこうもない。我らに従ってもらいたいのだ」
「ふん」
男は酒を一気に飲んだ。男の名は韓遂、字は文約という男である。その男の前にいる男は辺章という。彼らはかねてから西州で名が知られていた人物である。
韓遂は計吏として洛陽に出向いた際、何進に会った際、目をかけられたこともある。
「もはや王朝に力は無い。北宮伯玉らと共に立ち上がろうではないか」
辺章はそのように言った。韓遂は悩んだ。
(ここで断れば、私は死ぬだろう……しかしながら反乱を起こしてどうなるというのか……)
だが、目の前の男はそこまで質の良い男ではなく、その上の北宮伯玉らもたかが知れている。
(ならば私が手綱を引いた方が良いのではないか)
「よし、わかった。協力しよう」
「うむ、そうでなくてはな」
二人は軍帥として北宮伯玉らの軍政を専任することにした。
「事は素早く進めていこう」
韓遂はそう言って、すぐさま金城太守・陳懿を殺し、州郡を攻めて焼いた。
その後、彼らは冀にいる涼州刺史・左昌を包囲した。左昌は民衆に嫌われているため、彼を助ける者はいないと思われていたが、援軍がやってきた。
「厄介なのが来た」
辺章は韓遂に言った。来たのは蓋勳という男である。
かつて武威太守が権貴にたよって貪暴を恣にしていた。
涼州従事・蘇正和がその罪を調査して検挙しようとしたが、涼州刺史・梁鵠が権貴を懼れ、逆に蘇正和を殺して負(負担、責任)から免れようとした。
梁鵠はまず漢陽長史・蓋勳を訪ねて意見を求めた。
蓋勳は以前から蘇正和と仇があったため、ある人が蓋勳に対してこの機に報復するように勧めた。
しかし蓋勳はこう言った。
「刺史が事を謀った機会に良人を殺すのは忠ではない。人の危険に乗じるのは仁ではない」
蓋勳は梁鵠を諫めた。
「鷹隼を繋いで飼うのは獲物を取ることを欲するためです。鷹隼が獲物を取ったのに煮殺してしまっては、今後、何を用いるのでしょうか?」
梁鵠は考えを改めた。
蘇正和が蓋勳を訪ねて謝辞を述べようとした。
しかし蓋勳は蘇正和に会わず、
「私は梁使君(刺史)のために謀ったのだ。蘇正和のためではない」
と言い、以前のように怨みを抱いて対立した。
後任の涼州刺史・左昌が軍穀数万を盗んだ時、蓋勳は諫言した。
左昌は逆に怒って蓋勳と従事・辛曾、孔常を派遣し、賊(辺境の少数民族や叛乱した民衆)を防ぐために別れて阿陽に駐屯させた。軍事を利用して罪に陥れるつもりである。しかしながら蓋勳には戦の才能があり、しばしば戦功を立てた。
北宮伯玉が金城を攻めた時、蓋勳が左昌に進言して金城を救援するように勧めたが、左昌は従わなかった。
その結果、金城太守・陳懿が死に、辺章らが進軍して冀で左昌を包囲すると、左昌は蓋勳らを招いて自分を助けさせようとま。しかし辛曾らは躊躇して赴こうとしなかった。
「この事態を作ったのはやつだ」
そう言う思いがあったためである。しかしながら蓋勳が怒って言った。
「昔、荘賈が時間に遅れたので、司馬穰苴が剣を奮った。古の監軍でも期限に遅れれば、斬られたのだから、今の従事ならなおさらではないか」
辛曾らは懼れて蓋勳に従い、軍を動かした。
蓋勳は冀に着くと背叛の罪によって辺章らを譴責の書簡を出した。
「どうする?」
辺章は韓遂に問うた。
「戦うのは止めた方が良い。あの人ほどここらで信望のある人はいない。そんな人で戦えば、ここらの者は我らを見捨てるだろう」
韓遂はそう言って、蓋勳へこう伝えた。
「左使君がもし早く君の言に従い、兵を用いて我々に臨んでいれば、自ら改められたかもしれない。しかし今は罪が既に重くなったので、降ることはできない」
と言い、包囲を解いて去った。
叛羌が畜官(畜牧場)で校尉・夏育を包囲していた。
そのため蓋勳と州郡が兵を合わせて夏育を救い、狐槃に到ったが、羌に敗れた。
蓋勳の余衆は百人にも及ばず、その身にも三カ所の傷を負った。蓋勳は久しく坐ったまま動かず、木表(木の標札)を指さして、
「私の屍をここに収めよ」
と言った。
句就種羌(羌の句就種族)の滇吾が武器を持って衆兵を制止し、こう述べた。
「蓋長史は賢人である。汝らがこれを殺せば、天に背くことになる」
すると蓋勳は仰ぎ見て、
「汝に何が分かるか。速く私を殺しに来い」
と罵った。
羌人達は驚いて互いに顔を見合わせた。
滇吾が馬を下りて蓋勳に与えようとしたが、蓋勳は乗ろうとせず、最後は羌人に捕えられた。
しかし羌人はその義勇に心服したため、敢えて害を加えず、漢陽に送り還した。
後に涼州刺史・楊雍が上書して蓋勳を推薦し、漢陽太守を兼任させることにした。




