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三国志  作者: 大田牛二
第一章 数多の戦旗

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張角

 皇甫嵩こうほすうの軍が黄巾賊を滅ぼすため迫る中、張角ちょうかくは病にかかり臥せっていた。


 先の盧植ろしょくとの戦いで敗戦したことで自信を無くしたのか。無理をしすぎたのか。彼は病となってもはやその命は尽きつつあった。


「神か?」


 病に伏せる張角はふと闇に向かってそう呟いた。


「長生きはするものだ。この前まで化物と言われていた私がついには神と呼ばれるようになったぞ」


 闇の中、黄色い服の男がけらけらと笑いながらそう言った。それを仮面の男が横目で見ている。


「残念ながら私は神ではないよ」


 黄色い服の男は張角にそう告げた。


「そうか、ならば良い」


 その言葉に黄色い服の男は目を細める。


「最後に話す相手が神であっては屈辱であったからな。悪魔の類の方が遥かに良い」


「神の次は悪魔か。果てさせ次はどのようなのが出ることやら」


 黄色い服の男の軽口は止まらないが、


(これほどしっかりと人を見据えることはあまり無い)


 仮面の男は彼が張角をしっかりと見据えていることに気づいていた。


「神は彼らを助けようとはしなかった。問う。なぜ人は神を信仰する?」


 張角の言葉を受けて黄色い服の男は面白そうに仮面の男にどう思うというような目線を送る。


(お前が聞かれているんだぞ)


 そう思いながら仮面の男は言った。


「人ならざる力があるからではないか?」


 一種の恐怖によるものである。


「違う」


 しかしながら張角は断言するように言った。


「神が救うからこそ人は信仰するのだ」


(まあどちらが先かという類の話しだな。これは……)


 神が人を救うという利を示すからこそ人は神を信仰するのか。人が神に縋るという名の信仰をするから神は人を救うのか。どちらが先かという話しである。


(こういうのはくだらないと昔、師匠が言っていたなあ)


 こんな面白い人の世界からさっさと去ってしまったかつての師のことを思い出しながら黄色い服の男は目を細めた。くだらないと言いながらもどこか楽しそうではあった師の姿が印象的であったのも思い出した。


「なぜそう思うようになった?」


 黄色い服の男はそう訪ねた。


「あなたは母親が既に息を引き取った我が子を助けて欲しいと頭を打ち付けても願う姿を見たことはあるか?」


 張角はそのようなことを言い出した。


「冷たくなった弟を引きずりながら助けて欲しいと願う兄の姿を見たことはあるか?」


 その言葉に仮面の男は僅かに目をそらす。


「死者を蘇らすなど、私にはできぬ。私にできるのはちょっとした怪我の治療や病にかかった者は励ますぐらいのことしかできん」


 張角は苦しそうにそう言う。


「故に私は神に願った。哀れなる大地の子らを救って欲しいと、だが、神は何一つ答えなかった」


 彼は忌々しそうに言う。


「そんなある日、私は祈るのを止めた。そして後ろを振り向いた。そこには信者たちがいた。彼らは神ではなく、己に縋り祈っていることに気づいた」


 その時、張角は思った。


(私が神に変わって彼らに答えるのだと……)


「私が彼らを救うのだと、誰かが彼らを救わればならないというのであれば、私がやるのだと」


 力強い言葉と裏腹に彼は喋るほどに苦しそうにする。


「神の救いは全ての者に平等に与えられるわけではない。神から天下の支配権を渡されている天子も然り。ならば、私がそれらに変わり、救わねば……」


 彼は言葉を震わせる。


「なんとしてでも今の王朝を滅ぼし、大地の子と同じ苦しみを与えねば……」


 張角は手を伸ばす。


「例え、私でなくとも誰かが成し遂げなければ……報いを与えねばならんのだ」


 そこで彼は口から血を噴き出し、手はゆっくりと降りていった。


 そこには既に二人の姿は無かった。










 十月、皇甫嵩は張角の弟・張梁ちょうりょう率いる黄巾賊と広宗で激突した。黄巾賊は強く皇甫嵩は勝利を得ることはできなかった。


「黄巾賊は強い……」


 曹操そうそうはそう呟いた。彼はここまで皇甫嵩の下では苦戦を知ることなく戦ってきただけにこの苦戦は意外であった。


「まあ恐らくは連中の本軍だろうしな。それは強いだろう」


 夏侯惇かこうとんはそのように言った。


「皇甫嵩将軍はどのように戦うであろうか……」


 曹操がそう呟いた翌日、皇甫嵩は営門を閉じて士卒を休ませ、状況の変化を観察することに終始した。


「よろしいのですか?」


 戦っていないと万が一中央に讒言を受ければひとたまりもない。


「良い」


 皇甫嵩は静かにそう言うだけであった。


 やがて、黄巾の兵達に緩みが生まれていると報告があった。それを聞いた皇甫嵩は夜に紛れて兵を整えるように指示を出した。


 早朝、鶏が鳴くと、皇甫嵩は軍に出撃させた。戦いは晡時(夕方。午後三時から五時)に及び、黄巾を大破した。


 張梁は戦死し、三万級の首を獲た。河に逃げて死んだ黄巾も約五万人いた。大勝である。


 このまま黄巾の本拠を占拠した。


「張角は既に死んでいたか」


 皇甫嵩はそれを知ると棺を破壊して死体を曝し、首を斬って京師に送った。


「あとはもう一人の弟だな」


 十一月、更に皇甫嵩は下曲陽で張角の弟・張宝ちょうほうを攻め、これを斬った。黄巾の十余万人を斬獲した。


 朝廷はこの功績をもって皇甫嵩を左車騎将軍・領冀州牧(「領」は兼任の意味)に任命し、槐里侯に封じた。


「皇甫嵩将軍は名将であった」


 曹操は今回の戦での勝利は皇甫嵩の才覚のおかげであり、色々と学ぶところが多かった。

 

 皇甫嵩は士卒に対して温卹(慈しみがあること。愛情があること)で、行軍中に頓止(停留、休憩)する時は必ず営幔を造り終えてから舍に入って休むようにしており、軍士が食事を終えてから、やっと自分の食事をした。


「かといって厳しさも無いというわけでは無い。王朝にこれほどの名将がいるとはな……」


 曹操はそう呟いた。


「一方では黄巾の兵は強かった。彼らの勢いにこちらは及び腰で、皇甫嵩の冷静な兵略が無ければ確実に負けていたことだろう」


 しかしながら彼らを率いる者に兵術に長けた者がいなかった。


(もし兵術に長けた者が彼らを使いこなしていれば果たして我々は勝てただろうか……もし私が率いていればどうだろうか……)


 曹操はそんなことを思いながら自らの戦の反省などを行っていった。











「張角は死んだ。しかしながらまだ、あの者の残した意思は残っている」


 黄色い服の男はそう呟いた。


「乱世はもっと深まっていくことだろう。張角よ。お前の王朝を倒すという執念はお前の手では成し遂げることはなかったが、決して無駄ではなかったと私は思うぞ」


 晒されている張角の首にそう言うと何処かへと消えていった。

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