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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する

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皇甫規

 162年


 三月、沈氐羌が張掖と酒泉を侵した。


 これを受けて皇甫規こうほきが前年帰順した先零諸種羌を動員して共に隴右を討ったが、東羌が一帯を占拠しているため道路が隔絶されており、軍中で大疫が流行して死者が十分の三四に上った。


 しかし皇甫規は自ら庵廬(軍中の営帳)に入って将士を巡視し、病にかかる者たち一人一人の手を取り、励まして回ったため、三軍が感悦した。


 東羌がこの皇甫規の名声を聞いて使者を派遣して投降を乞うた。涼州への道が再び開通した。


 以前、安定太守・孫雋そんしゅんは見境なく財を奪っており、属国都尉・李翕りおうと督軍御史・張稟りょうりんも多くの降羌を殺した。


 また、涼州刺史・郭閎かくせんと漢陽太守・趙熹ちょうきはどちらも老弱で職責を全うできないのに、権貴に頼って法度を守らなかった。。


 皇甫規が涼州に入ると、彼らの罪を全て條奏(箇条書きにして上奏すること)した。ある者は罷免され、ある者は誅殺された。


 それを聞いた羌人はそろって態度を改め、沈氐の大豪・滇昌、飢恬ら十余万口が皇甫規を訪ねて投降した。








 西方での乱が鎮圧されたが、次は南で乱が起きた。


 長沙・零陵の賊が起きて桂陽、蒼梧、南海、交趾(交阯)に進攻した。、長沙の賊は蒼梧を攻略して銅の虎符を奪った。太守・甘定かんていと刺史・侯輔こうほはそれぞれ逃走して城を出た。


 しかも豫章郡艾県から六百余人に募集をかけたが、賞直(褒賞・代価)を与えなかったため怨恚(怨恨)して反した。彼らは長沙の郡県を焼き、益陽を侵して県令を殺した。


 謁者・馬睦ばりょうが荊州刺史・劉度りゅうどを監督して艾県の賊を撃ったが、軍は敗れて馬睦と劉度は奔走した。


 零陵蛮もまた反して長沙を侵した。


 十月、武陵蛮も反して江陵を侵した。


 南郡太守・李粛りしゅくが奔走(逃走)しようとしたため、主簿・胡爽こそうが李粛の馬の首を牽いて諫めた。


「蛮夷は郡に儆備(警備)が無いのを見たため、隙に乗じて進攻しているのです。明府(太守)は国の大臣となり、城を千里に連ねているため、旗を挙げて鼓を鳴らせば十万が呼応するでしょう。なぜ符守の重(朝廷から符を与えられた太守の重任)を棄てて逃亡しようとなさっているのですか」


 李粛が刃を抜いて胡爽に怒鳴った。


「掾(属官。胡爽)は速やかに去れ、太守は今急いでいるのだ。どこにそれを考えている暇があろうか」


 しかし胡爽が馬を抱えたまま強く諫めたため、李粛は胡爽を殺して逃走した。


 これを聞いた桓帝かんていは李粛を召還して敗走の罪を問い、棄市に処した。


 劉度と馬睦は死一等を減らされた。


 胡爽は門閭(家門。家族)の賦役が免除され、家から一人が郎に任命された。


 乱の鎮圧のため尚書・朱穆しゅぼくが推挙によって、右校令・度尚どしょうが荊州刺史に任命された。


 朝廷が太常・馮緄ふうこんを車騎将軍に任命し、兵十余万を率いて武陵蛮を討伐させた


 これ以前は朝廷が将帥を派遣した時、多くの将帥が宦官から「折耗軍資(軍需物資の浪費、消耗)」を理由に陥れられ、往往にして罪を問われてきた。


 そこで馮緄は中常侍一人に軍の財費を監督させるように請うた。


 尚書・朱穆が上奏した。


「馮緄は財物に関する事で疑いを抱いており、大臣の節を失っています」


 しかし桓帝は詔を発して弾劾しないように命じた。


 馮緄は元武陵太守・応奉おうほうが参軍することを請うた。それを受けて朝廷は応奉を従事中郎に任命した。


 十一月、馮緄軍が長沙に至った。


 それを聞いた賊は全て馮緄の営を訪ねて投降を乞うた。


 馮緄は進軍して武陵で叛蛮(武陵蛮)を大破し、四千余級を斬首して十余万人の投降を受け入れた。こうして荊州が平定された。


 この結果に喜んだ桓帝が詔書を発して銭一億を下賜したが、馮緄は固辞して受け取らず、兵を整えて京師に還ってから、功績を応奉に帰した。応奉は馮緄の推挙によって司隸校尉になった。


 馮緄自身は上書して引退を乞いたが、朝廷は許さなかった。


 翌年の八月、馮緄が軍を還してから盗賊が再び蜂起したため、宦官ににくまれていた馮緄は罪を問われて罷免されることになる。そうなることは彼自身はよく理解していたために引退を求めたのであろう。








 皇甫規は符節を持って将になり、郷里に還って軍を監督したが、特に私恵(私恩。個人的に恩恵・恩徳がある関係。または賄賂)がなく、逆に官員を弾劾する上奏を多数行い、しかも宦官を嫌悪して交流しなかった。


 そのため朝廷内外が怨みを抱き、共に、


「皇甫規は群羌に貨賂(賄賂)を贈り、投降を偽る文を書かせました。そのため群羌は本心から投降しているのではありません」


 と、誣告した。


 桓帝が繰り返し璽書(詔書)を送って皇甫規を譴責するようになると皇甫規は上書して無実を訴えた。


「四年(昨年)の秋、戎醜(少数民族)が蠢戾(騒乱)しましたので、旧都(長安)が懼駭(恐慌)して朝廷が西方を注視しました。そこで私が国の威霊を振るって羌戎を稽首させ、省いた費は一億以上になりました。忠臣の義(道理)とは敢えて労を報告するものではないと考えましたので、片言によって自ら功労を報告する必要はないと考えてきましたが、敢えて報告するのならば、今までの敗将よりは自分の方が優れているはずです」


 この人は自尊心は結構強い人である。


「私は以前、州界に入ってまず孫雋、李翕、張稟の罪状を上奏し、軍を帰して南征してから、郭閎、趙熹の罪状を上書してその過悪を述べ、大辟(死刑)の根拠にしました。この五臣は半国(天下の半分)に党羽がいたため、彼ら以外にも墨綬以下、小吏に至るまで、牽連する者が百余もいました。そこで各郡の官吏は刑を受けた太守の怨みを晴らすために、子は父の恥を雪ぎたいと思い、それぞれ礼物を載せて車を駆けさせ、食糧を懐に入れて歩走し、豪門と交わって(交構豪門)競って謗讟(誹謗)を流し、私が個人的に投降した諸羌に報いて銭貨を報酬として与えていると申しました。しかしもしも私が私財を用いたと言うのならば、家には擔石(一擔一石。わずかな食料)もありません。もしも物(財貨)が官から出たのならば、文簿(文書・帳簿)によって容易に調べられます」


 何ら間違ったことを行っていないのだから罰せられる理由は無いのである。


「そもそも私を困惑させているのは、誠に彼らが言う通りだとしても、前世では宮姫をもって匈奴に贈り(前漢の王昭君らを指す)、公主をもって烏孫を鎮めたこともありました(烏孫王・昆莫に嫁いだ劉細君らのこと)。今、私がわずか千万を費やして叛羌を懐柔したのは、良臣の才略であり、兵家が貴ぶべきことです。何の罪があって義を裏切り理に違えたと言えるでしょうか」


 罪とする内容のことを行ったことが昔にもあるのにそれに対する評価が違うではないか。


「永初(安帝の年号)以来、将の出征は少なくありません。その中には覆軍(全滅)が五回あり(冀西で敗れた鄧騭、平襄で敗れた任尚、丁奚城で敗れた司馬鈞、射姑山で敗れた馬賢、鸇陰河で敗れた趙沖を指す)、動かした資(費用)は巨億に上りました。しかしある者は帰還する車に完全に封をして権門に運んだおかげで、名と功が成って厚く爵封を加えられました。今、私は本土(故郷)に還って諸郡を糾挙し、交わりを断って親族からも離れ、旧故(旧友・知人)に受刑させて辱しめているため、衆謗陰害(衆人が誹謗して陰で害を与えること)があるのは当然のことです」


 桓帝は皇甫規を呼び戻して議郎にした。


 本来、皇甫規の功績は封侯に値した。ところが中常侍・徐璜と左悺が財貨を求めるためにしばしば賓客を派遣して功状(功績の詳しい状況)を聞いても、皇甫規が最後まで答えなかったため、徐璜らは忿怒(憤懣怨怒)して前事(以前、誣告した内容)を理由に皇甫規を陥れ、官吏に下して調査させた。


 皇甫規の官属が財を集めて徐璜等に謝ろうとしたが、皇甫規は誓いを立てて同意しようとしなかった。


 その結果、皇甫規は、


「賊が完全に滅んでいない」


 という理由で廷尉に繋がれ、左校で労役する刑に処された。


 これに対して諸公や太学生・張鳳ら三百余人が宮闕を訪ねて冤罪を訴えた。


 ちょうど大赦に遇ったため、皇甫規は家に帰ることができた。


 


 




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