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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する

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李家の絆

 160年


 正月、天下に大赦が行われた。


 その際、桓帝かんていは詔を発して李固の後嗣を求めた。


 かつて李固が策書によって罷免された時、禍から逃れられないと知って三子を故郷に帰らせた。三子はそれぞれ李基りき李茲りじ李燮りしょうという。


 この時、李燮は十三歳で、姉の李文姫きぶんきが同郡の趙伯英ちょうはくえいに嫁いでいた。李文姫は二人の兄が帰って来たのを見て事の本末を全て知り、黙って一人で悲痛してこう言った。


「李氏は滅ぶことになってしまいました。太公(祖父・李郃。李固の父)以来、徳を積んで仁を重ねてきたというのに、なぜこのような事に遇うのでしょうか」


 李文姫は秘かに二人の兄と相談し、禍が起きる前に李燮を隠して、


「李燮は京師に還った」


 と偽った。人々はこれを信じた。


 暫くして禍難が起こり、州郡が李基と李茲を逮捕した。二人とも獄中で死ぬことになった。


 そこで李文姫は父(李固)の門生・王成おうせいにこう告げた。


「あなたは先公(李固)に対する義を守り、古人の節(節操。気風)がある方であると思っています。今、あなたに六尺の孤(孤児。当時、六尺は十五歳以下の未成年を指していた)を委ねます。李氏の存滅はあなたにかかっています」


 王成は李燮を連れて長江を東に下り、徐州界内に入った。李變は姓名を変えて酒家の傭(使用人)になり、王成は市で卜をして生活し、互いに他人のふりをして陰で往来を続けた。


 酒家の主は少しして李燮が常人ではないと思い、娘を嫁がせた。


 その後、十余年が経って梁冀が誅殺されたため、本年、李固の後嗣が赦されてから李燮が酒家に全てを語った。


 酒家が車と厚い礼物を準備して李燮に贈ろうとしたが、李燮は受け取らなかった。


 李燮は郷里に帰ってから遡って喪に服した。そこで姉と弟が再会し、周りの者が悲傷・感動した。


 李文姫は李燮を戒めて言った。


「我が家は血食(祭祀)が絶えようとしましたが、幸いにもあなただけが助かりました。天意でないはずがありません。衆人との関係を杜絶し、妄りに往来してはならず、慎重な態度をとって一言も梁氏を批難してはいけません。梁氏を批判すれば、陛下を批判することになるので、禍が重ねてしまうことになりましょう。自分を咎めるだけにするべきです」


 李燮は謹んで姉の教えに従った


 後に王成が死ぬと、李燮は礼を用いて埋葬し、四節(四季)ごとに上賓の位を設けて(王成の位牌を上賓の位に置いて)祭祀を行った。


 李燮は州郡や四府に招かれても全て応じなかったが、更に後に朝廷から召されて議郎になった。


 災いに見られながらも一族としては終わることはなかったのはまさに幸運であり、徳が成せたものと言えなくはないのかもしれない。








 車騎将軍・新豊侯・単超ぜんちょうが死んだ。


 桓帝が東園の祕器(皇族が使う棺材、葬具)や棺中の玉具(玉匣。玉衣)を下賜した。埋葬する時は五営の騎士を動員し、将作大匠が指揮して冢塋(墳墓)を築いた。


 この後、四侯がますます横柄になり、天下がこう言った。


「左悺は天を動かすほど、具瑗は並ぶ者がおらず、徐璜は臥虎(横になった虎)のように恐れられ、唐衡は雨が降る時のようだ」


 最後の唐衡の評した言葉は「雨が降った場所が全て濡れるように、害毒が流れて天下に行き渡っている」という説と、「突然降る雨のように喜怒が安定していない」という説がある。


 四人は競って第宅(邸宅)を建て、互いに華侈(豪華・奢侈)を求めた。僕従も皆、牛車に乗って列騎を従えた。彼らの兄弟姻戚は州郡を治めて百姓から財物を奪い、もはや盗賊と区別が無く、天下のいたる所で暴虐を行った。


 民は負担に耐えられなくなり、多くの者が盗賊に身を落とした。


 中常侍・侯覧こうらんと小黄門・段珪だんけいはどちらも済北界内に田業(田地)をもっており、彼らの僕従や賓客が旅人から財物を強奪していた。


 これに対し、済北相・滕延とうえんが全て逮捕して数十人を殺し、路衢(四方に通じる大通り)に死体を並べた。


 ところが侯覧と段珪がこの事を桓帝に訴えたため、滕延は罪に坐して京師に呼び戻された。桓帝は滕延を廷尉に送って罷免した。


 左悺の兄・左勝が河東太守になると、皮氏長(皮氏は県名)・趙岐ちょうきがこれを恥と思い、即日、官を棄てて西に帰った。


 この時、唐衡の兄・唐玹が京兆尹を勤めており、かねてから趙岐と対立していたため、趙岐の家属宗親を逮捕して重法に陥れ、全て殺してしまった。趙岐は難から逃れて四方各地を転々とし、姓名を隠して北海の市中で餅(小麦を練って作った食物)を売って生活した。


 安丘の人・孫嵩そんすうが趙岐を見て常人ではないと思い、共に車に乗って家に匿い、趙岐は複壁(二重に作られた壁)の中に隠された。


 後に諸唐(唐氏)が死に、大赦に遇ったため、趙岐はやっと外に出ることができた。


 趙岐は後に『孟子古註』を著し、その中の「題辞」で難から逃れた時の事を述べている。また、彼は生涯、孫嵩への恩義を忘れなかった。


 


 

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