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三国志  作者: 大田牛二
序章 王朝はこうして衰退する

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諌める者たち

 桓帝かんていが詔を発し、再び陳蕃ちんはんを光禄勳に、楊秉ようじょうを河南尹に任命した。


 単超の兄の子・単匡ぜんきょうは済陰太守になり、権勢をかりて貪婪放縦に振る舞った。


 兗州刺史・第五種だいごしゅ(第五倫の曾孫)が従事・衛羽えいうに単匡を調査させ、貪汚によって得た財五六千万を回収した。


 第五種は単匡の罪をすぐに上奏し、併せて単超を弾劾した。


 窮迫した単匡は客の任方じんほうに賄賂を贈って衛羽を刺殺させようとした。しかし衛羽が姦計を悟って任方を逮捕し、雒陽の獄に繋げた。


 単匡は河南尹・楊秉がこの事件を追求することを心配し、秘かに任方らに命じて脱獄逃走させた。


 尚書が楊秉を招いて厳しく責任を問うと、楊秉はこう答えた。


「任方らの悪行は単匡の罪が元になっています。檻車を使って単匡を召し、この件を考覈(審査)することを乞います。そうすれば必ずやすぐに姦悪の形跡を得られます」


 しかし楊秉は逆に罪に坐して左校で労役する刑に処された。


 罪ある者は罰せられず、罪無き者が罰しられてしまうというのが今の王朝の状況であった。


 当時、泰山の賊・叔孫無忌しゅくそんむきが徐・兗州を寇暴(侵略)しており、州郡では討伐できなかった。


 単超はこれを理由に兗州刺史・第五種を陥れた。第五種は罪に坐して朔方に送られた。


 単超の外孫(娘の子。単超は宦官。子ができてから宦官になったのか、養子がいたのかは不明)・董援とうえんが朔方太守を勤めていた。朔方に送られた第五種を怨怒を抱いて待ちかまえていた。


 第五種の故吏(旧部下)・孫斌そんひんは第五種が朔方に入れば、必ず死ぬことになると思い、客と結んで第五種を追った。太原で第五種に追いつき、身柄を奪って帰った。


 第五種は数年間亡命した後、大赦に遇ってやっと赦免され、その後は家で死ぬことができた。良い部下を持ったものである。


 当時は封賞が制度を越えており、内寵(宦官や姫妾等、帝王が寵愛する者)の数も増えていた。それを憂いた陳蕃が上書した。


「諸侯とは上は二十八宿に則り、上国(京師)の藩屏になるものです(二十八宿は天体の各位置を分担したもので、同じように諸侯も各地に分かれて封国を管理するということ)。高祖の約においては、功臣でなければ封侯しないことになっていました。しかし聞くところによれば、河南尹・鄧万世(鄧皇后の叔父です)の父・鄧遵の微功を追録し、尚書令・黄雋の先人の絶封を更爵し、近臣が非義によって邑を授かり、左右が無功によって賞を与えられ、一門の中で侯になった者が数人に及ぶこともありますので、緯象(天象)が度を失って陰陽が序(秩序)に違えています。私は封事(封爵の事)が既に行われたにも関わらず、これを語っても及ばないと知っています。誠に陛下がこれから止めることを欲すのです」


 先に止めるべきであったが、ここまで度を越した以上は止めなければならないため口を開いたということである。


「また、采女(東漢の後宮には皇后の下に貴人、美人、宮人、采女がいる)が数千人に上り、必要とする食肉・衣綺、脂油粉黛(化粧品)は計り知れません。鄙諺(民間の諺)にこうあります。『娘が五人いる家は盗賊も近寄らない』(女というのは出費が多く娘が多い家は財産がないため盗賊もそのような家は狙わないという意味)。これは女が家を貧しくするからです。今、後宮の女がどうして国を貧しくさせないと言えましょうか」


 桓帝はこの進言を大いに採用し、宮女五百余人を外に出した。


 また、黄雋に関内侯の爵位を、鄧万世に南郷侯の爵位を下賜するだけで、他の封爵は行わなかった。


 その後、桓帝が従容(落ち着いた様子。普段と変わらない平然とした様子)として侍中・爰延えんえんに問うた。


「私はどのような主か?」


 爰延はこう答えた。


「陛下は漢の中主です」


「中主」というのは「中材(中才)の主」で、補佐する者によって上になることも下になることもできるというものである。


 桓帝が問うた。


「何をもってそう言うのか?」


「尚書令・陳蕃に事を任せれば、治まり、中常侍や黄門が政治に関与したら乱れます。よって陛下は共に善になることもできれば、共に非になることもできるのです」


 桓帝は彼の言葉を聞いて、


「昔、朱雲が朝廷で欄干を折り、今、侍中が面前で私の過ちを語った。慎んで欠点を聞こう」


 桓帝は爰延を五官中郎将に任命した。爰延は後に昇格して大鴻臚の位に上ることになる。


 客星(新星)が帝坐を通ったことがあった。


 桓帝が秘かに爰延に意見を求めたため、爰延が封事(密封した上書)を提出した。


「陛下は河南尹・鄧万世との間に龍潜の旧(即位前からの旧交)があったため、通侯(列侯)に封じました。陛下の恩が公卿より重く、恵が宗室より豊かになっていると言えます。しかも最近は彼を引見して対博(博塞。基盤の上で行う遊戯)し、上下が媟黷(慣れ合うこと。互いに礼を失った関係になること)して尊厳を損なっています。私が聞くに、帝の左右の者とは政徳について諮る(相談する)ためにいるのです。善人と同じ場所にいれば日々嘉訓(有益な教訓)を聞けますが、悪人と交遊すれば、日々邪情(姦悪な心情)が生まれます。陛下が讒諛(讒言・阿諛)の人を遠ざけ、謇謇(忠貞)の士を受け入れることを願います。そうすれば災変を除くこともできましょう」


 桓帝はこの進言を採用しなかった。


 爰延はこれを受けて病と称し、免官されて家に帰った。その後、爰延は霊帝時代になって再び特別に招かれたが、京師には行かず、病死した。


 


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