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Another Sky  作者: 須藤鵜鷺
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2.回収

「都城〈ツヅキ〉のやつ、遅くねーか」

 足を組み、パイプ椅子にどっかと座った男が呟く。

「まぁでも待つしかないでしょ」

 その隣でパソコンに向き合い、キーボードを叩きながら別の男が応える。

 部屋の壁や天井には幾本ものパイプやらコードやらが張り巡らされている。壁やパソコンには英語や中国語などの多種多様な言葉で書かれたメモが何枚も貼られている。パソコンの置かれた机の隣にはダンボールがうずたかく積まれ、まるで倉庫のような室内は蛍光灯一本の明かりしかなく薄暗い。

 パイプ椅子に座っている男は長めの栗色の髪を所在なげにかき上げる。切れ長の目もどこかうつろ気だ。一方のパソコンの前に座っている男は細縁のメガネをかけ、画面を見ながらキーボードを叩いている。時折、手元の腕時計に目を落とす。この対照的な二人の男―深山 直紀〈フカヤマ ナオキ〉と戸塚 健司〈トヅカ ケンジ〉はそれぞれどことなく上の空に、もう一人の男の帰りを待っていた。

「あー、やっぱあいつ一人に行かせたのまずかったかなぁ」

 急にパイプ椅子の男、深山は大声で言う。パソコン前に陣取る戸塚はそれをなだめる。

「人数が増えると目立つからね。都城が任せろって言うんだから、待つしかないよ」

 戸塚はパソコンから目を離さないまま言う。深山は大きくため息をつき、さらに深く椅子にもたれかかる。

「できたっ。ほら、見てみて」

 なにやら楽しそうに、戸塚が深山にパソコンの画面を示す。深山が面倒そうに体の向きを変えてその画面を覗きこむと、アニメの少女が画面の中で楽しそうにくるくると踊っている。背中には羽根があり、時折羽ばたくような動作をする。一定の時間がたつと同じ動作を繰り返す。割と単純なフラッシュアニメだ。

「ふざけてんの?」

「え?」

 一人はしゃぐ戸塚に、深山は冷ややかな視線を送る。すると戸塚はすねたように口を膨らます。

「別にふざけてないよ。風人から聞いてた、その子のイメージで作ってみたんだ。かわいくない?」

 最後は少し自信なさ気に同意を求める。深山は渋い顔をしてもう一度その画面を見る。

「笑わねーって言ってなかったか?それにこの動きも・・・」

「そこはあれだよ。これからの願望をこめてって言うか。テーマは自由に踊るバレリーナ、みたいな」

「自由に、ねぇ」

 その時、部屋入り口のドアがバタンッと大きな音を立てて開いた。気が抜けきっていた二人に緊張が走る。ドアのほうを見ると、黒いつなぎ姿の男が肩になにやら白い大きなものを担いで立っている。

「都城ー、遅せぇよ。どんだけ待たせんだよ」

 深山が不満そうな声で言う。都城と呼ばれた強面の男―都城 大輔〈ツヅキ ダイスケ〉はそれには答えず、無言で部屋の中に進み入る。

「って、ちょっと待て。ずぶ濡れじゃねーか」

 蛍光灯の光に照らされると、都城が着ているつなぎは重くどす黒く光り、雨のように雫が滴り落ちている。服だけではない。頭から足の先まで水浸しである。さらに、担ぎ上げている白いものからも水は滴っている。深山が近づくと、都城は何も言わずに肩のものをよこそうとする。それで深山は慌てて受け止める羽目になった。

「海に落ちていやがった。途中で力尽きたんだろ」

 かすれた声で都城は言う。戸塚も心配そうに二人の元へ来る。

「後は任せる」

「え?っておい、都城」

 深山の呼びかけには応えず、都城は入ってきたドアから再び出て行ってしまった。

 後に残された二人は、都城が渡したものを恐る恐る見る。それは小学生くらいの幼い女の子だった。髪はあごの辺りの長さに切りそろえられ、白いワンピースのようなものを着ている。一見、普通の女の子に見えなくもないが、決定的に違うところがある。それは、背中に大きな白い翼があることだ。翼はよく見るとひどく無機質なものだった。鳥の羽根のように羽毛が密集しているわけではなく、触るとごわごわしている。紙とプラスチックの中間といった感触で、今は扇状に折りたたまれている。翼は女の子が着ているワンピースのような服の背中に開いた大きな二本のスリットから外に出ている。それは女の子の体に直接付いているようだ。

「……生きてる、よね?」

 戸塚が青ざめた顔で深山に尋ねる。長い睫毛に縁取られた目は閉じられていて、意識はないようだ。異様に冷たく感じるのは水に濡れているせいか、それとも……。

「なんとも言えねぇな」

「えー?」

「冗談だ。脈はある」

「……脅かさないでよ」

 深山は机とは反対の壁際に置かれたベンチに女の子を寝かせる。

「タオル、取ってくるね」

「あぁ、頼む」

 戸塚は先程都城が出て行ったドアから部屋を出る。そこは、今までの部屋に輪をかけて暗い廊下になっている。非常口の緑色のライトだけが頼りだ。そんな暗い廊下を少し進んだところにシャワー室がある。戸塚はその脱衣所に入った。

 隣のシャワー室からはザーッという水音が聞こえている。都城が使っているようだ。脱衣所にはクローゼットが作り付けてあり、戸塚はそこからバスタオルと数枚のフェイスタオルを持って部屋へ戻った。

「今のところ命に別状なしだ」

 ドアを開けると、深山が女の子を見たまま言う。それを聞いて戸塚はほっとしたように肩を緩める。

「そっかぁ。良かった」

 近くで見ると、かすかにではあるが胸の浮き沈みが確認できる。少なくとも息はしている証拠だ。二人は女の子の体をバスタオルで包み、顔や手などを拭いてやる。

「とりあえず、回収作業は無事終了だね」

 戸塚は安心した表情で女の子を見つめる。

「まぁな。でもこのまま体温低下が続いたらやべぇよ」

「え、まぁ……そっか」

 その体は海水で濡れ、冷たい。都城が言うように海に落ちていたのであれば、しばらくは海に浸かったまま体が冷やされていたことになる。タオルで水を拭いながら体をさすってやっても、気が付く様子はない。このままでは、濡れた服にもどんどん熱を奪われていってしまう。

「お風呂とか入れてあげたほうがいいんじゃない?」

「え、嫌だよ。俺ムリ」

「え?」

「お前やれよ」

「えぇぇぇ」

 戸塚の情けない声が部屋の中に響いた。


 それから丸二日間、女の子は目を覚まさなかった。三人の中で唯一医学系の大学へ行っていた深山が付きっきりで様子を見ている。ベンチには布団が敷かれ、簡易ベッドのようにしてある。

 ガチャッと音がしてドアが開き、戸塚が入ってきた。手にはコーヒーを二杯持っている。

「様子はどう?」

 心配そうに戸塚が尋ねる。深山は寝かされた幼女のほうを見たまま動かない。ベンチを覗きこんでみると、少女は穏やかに眠っているように見える。

「うーん」

 深山は唸りながら目頭を押さえ、戸塚が持ってきたコーヒーを一杯受け取る。徹夜も二日続き、眠気や疲労が溜まっている。

「ちょっと休んだら?」

 その様子を見かねて戸塚が言う。コーヒーをすすりながら深山は手で「気にするな」という仕草をする。喋る気力はもう残っていない。戸塚はパソコン机の椅子を引っ張ってきて、深山の隣に座る。

「都城は一体何やってんだろうね」

 独り言のように戸塚が呟く。普段なら、三人とも今いる部屋と引き戸で仕切られた小部屋で寝泊りしている。しかし、この眠っている女の子を「回収」して以来、そこに都城の姿はない。都城は二人に何を告げることもなく出て行ったきり、いまだ帰らない。

 コーヒーを飲み干してコップを片付けようと立ち上がった時、戸塚は何かに引っ張られていることに気づいた。はじめそれはどこかに服が引っかかったのだと思ったが、それは目の前の女の子の手だった。戸塚の服の端をしっかりと掴んでいる。驚いた戸塚は慌てて深山の肩を叩く。うとうとしていた深山もびくっと体を震わせて戸塚のほうを見る。戸塚は状況を説明しようとするが、びっくりしすぎて声が出ない。口をパクパクさせて女の子を指差した戸塚を見て、深山は怪訝な顔で女の子のほうを見る。そしてやはりちょっとびっくりした様にのけぞる。ちょうど女の子が、ゆっくりとまぶたを開くところだった。二人は顔を見合わせ、次に女の子をまじまじと見た。二人の見知らぬ男に見つめられていることに気づいた女の子はその男たちよりもびっくりした様子で急に起き上がろうとする。しかし目覚めて間もないせいかふらりとよろける。それを戸塚が支えてまた寝かせてやる。女の子はそんな戸塚を怖々と見つめている。掴んでいた服も離してしまった。

「大丈夫だから。もうちょっと横になってて」

 縮こまって震えている女の子を安心させようと、できるだけ優しい声で戸塚は言う。

―ここはどこ?

 それは、言葉というには余りにもかすかなものだったが、確かにその女の子が発した声だった。それを聞いて深山が驚いたように顔を上げる。深山はカルテのようなものを抱えて何やら書き込んでいるところだった。

「なんだ、喋れるんだな」

「え?」

 深山の言葉を聞きとがめて戸塚は怪訝な顔を向ける。

「忘れたのか?言語障害があるって風人〈フウト〉が言ってたろ」

「あぁ・・・そうだったね」

 戸塚は記憶を辿るように視線を宙に彷徨わせる。

―風人?

 女の子が深山の発した「風人」の名前に反応する。

―風人、いるの?

 体を横たえたまま、女の子は首を動かして部屋を見回す。掛けられた布団をぎゅっと引き寄せている。

「風人はここにはいないよ」

 怖がらせないように、戸塚は女の子の目の高さに目線を合わせて笑顔を向ける。

「風人から聞いてない?僕たちが風人の仲間だよ」

―仲間?

「そう。僕たちは昔から風人の友達だったんだよ」

「友達っつってもあいつ一人年下だけどな」

 手元に視線を落としたまま深山が口を挟む。その言い方にトゲを感じて戸塚は苦笑する。

「まぁ、でも僕たち誰も風人に何一つ敵わなかったし、あの頃から歳は関係ない感じだったよね」

「喧嘩まで強かったからな、あいつは。小憎らしい奴だよ」

「ほら、あんまりそんな事言うとこの子を混乱させちゃうよ」

  苦笑いしながら戸塚が突っ込む。女の子は一人話に置いていかれてぽかんとしている。

「よし、問題なさそうだな」

 不意に深山がそう呟いた。深山は書いていたカルテのようなものを閉じたところだった。

「少し休むわ。あとよろしく」

 閉じたカルテで戸塚の肩をぽんと叩き、二人を残して深山は寝間にしている隣部屋へと消えた。戸塚はうろたえたが、この二日間寝ずに女の子の様子を見続けていたことを考えると、ここで深山を引き止めるわけにもいかない。結局戸塚は横たわる女の子の隣に座り直した。

「とりあえず、僕たちのこと分かってくれた?」

 弱々しく微笑みながら戸塚が問う。女の子は掛けられた布団をさらに引き寄せながらも小さくこくりとうなずく。

「それは良かった」

 戸塚はくしゃりと笑う。その様子をまじまじと見て、女の子はぱちくりと瞬きをした。長く黒々とした睫毛が今にも音を立てそうな勢いで上下する。それは、これくらいの歳の女の子のとても自然な反応のように思える。しかしその実、この少女は他の一般的な女の子とは、何もかも違っている。それは、ただ背中に大きな人工の翼を付けているというような、見た目の違いだけではない。

 この女の子は、軍の研究施設の中で生まれた。母の胎内からではない。血の通わない、母胎を模した機械の中から、少女は誕生した。

 この子に父や母はない。施設の中で人工的に生み出された「受精卵」を人工的に培養する。人体として正常に成長した個体は、一般的に分娩される程度まで育ったところで機械から取り出され、養育される。この子はそのようにして軍の内部で、極秘に育てられた。そしてその養育を、生後二年ほどの時期から任されていたのが、他ならぬ風人だった。

 目の前の幼子の生い立ちを思いやり、戸塚は表情を崩す。それは、非人道的な研究から生まれた命だ。

 その時、バタバタという足音が遠くから近寄ってきた。バンという音と共にドアが開く。入ってきたのは都城だった。都城はそのまま戸塚を押しのけて女の子の胸倉を掴む。

「ちょ、ちょっと!?」

 いきなりの奇行に戸塚は声を裏返す。都城はそのまま女の子を睨みつけている。女の子は怯えたまなざしで都城を見つめている。戸塚はおろおろするばかりでどうする事もできない。そこに、先程隣の部屋に引っ込んだ深山が出てきた。

「……何やってんだ、お前」

 寝起き顔で都城を睨む。都城は意に介さない様子でなお女の子に迫っている。呆気にとられて身動きが取れない戸塚に変わって深山が歩み寄って都城と女の子の間に割って入る。

「やめねぇか、何なんだよ」

 寝不足のかすれた声で深山は苛立たしげに問う。都城は女の子の胸倉から手を放す様子はない。そしてそのまま吐き捨てるように言った。

「風人が死刑になった。こいつを脱走させた罪で」

「……何だって?」

 深山は眉間にしわを寄せる。戸塚もいきなりの発言にその意味を取り損ねる。

「刑は、もう執行された。風人は死んだんだ」

「風人が……死んだ?」

―風人?

 その名前に反応して、女の子は声を発した。それを聞いた都城が再び少女を睨みながら低い声で言う。

「それがどういう事かわかってんのか?」

 肩をすくめて怯えきった少女に容赦なく責め立てる。

「風人はお前のせいで死んだんだぞ。お前が殺したようなもんだ」

「いい加減にしろ!」

 都城を押さえていた深山がその体を女の子から引き剥がして横の壁に押し付ける。都城は背中をしたたかに打ち、顔をゆがめる。

「たとえそれが事実だとしても、この娘に当たるのは筋が違ぇだろ。それはお前が一番よく分かってる筈じゃなかったのかよ」

 黙ったまま、都城は深山をねめ返す。

「この娘を脱走させたのは風人の意志だ。その意志を継ぐために俺たちがいるんじゃねーのか」

「……わかってる」

 不機嫌な表情のまま、都城は深山を押しのけて大股にドアのほうへ歩いていく。そのままその場の者を置き去りにして、バタンと大きな音を立ててドアを開け、出て行ってしまった。深山は追おうとはせず、一つ静かな長いため息をつく。

「深山……今の話」

 困惑をあらわにした声と表情で戸塚が口を開く。

「風人が、死んだって?」

「……あいつが言うんだから、間違いないんだろう」

 重い沈黙がその場を支配する。都城の言動は唐突だったが、思い込みで行動するタイプではない。それに都城が持ち込んだ情報が間違いだったことは、これまでに一度もない。戸塚も深山も、なんとなく実感の沸かないもやもやとした悲しみを持て余していた。

 ふと、戸塚が女の子のほうを見ると、呆然とした様子で座っている。

―私の、せいで……風人が?

「別に君のせいじゃないと思うよ」

 戸塚は思わず言った。小刻みに震えるほど身を硬くしているその子が不憫だった。しかしそんな戸塚に深山は冷たく言い放つ。

「何のフォローにもなってねーぞ」

「そうだね」

 冷たくあしらわれた割には、戸塚は落ち込んだような素振りは見せなかった。

「でも、風人はこうなることもある程度予想してたんじゃないかって思うんだ」

 戸塚の言葉を、深山はただ黙って聞いていた。

「だからこそ、これは風人の覚悟と強い意志の現われだと思うよ。その意思は、なんとしても僕たちが継いでやらなきゃいけないんだ」

 その言葉を聞いてはじめて、深山は知らず知らず自分も動揺し、我を失っていたことに気づいた。こんな風に戸塚が一番冷静な立場でものを言うことはそう多くない。

 そもそも今回の計画は風人が発案し、実行されたものだった。都城ははじめ強く反対していた。都城もまた、こうした事態を危惧していたからだ。しかし、風人の意志は固く、半ば強行するような形で計画は実行に移された。

 三人のごたごたをただ一人見つめていた渦中の人物である少女は、色を失ってどこか遠くを見つめている。ただでさえ白い肌がさらに透き通るように青白く見える。

「大丈夫?」

 戸塚は軽く笑んで見せる。しかし、さすがにその笑みはぎこちなかった。少女は目を伏せる。その大きな瞳がふいに輝きを増したように見えた。そしてそこから雫が落ちる。

―私なんていなければよかった。

 その様子に戸惑いを覚える暇もなく、少女は上に掛けられていた布団を乱暴に押しやり、男二人の間をすり抜けるように駆けて出て行ってしまった。後に残された二人の男は声をかけることもできないまま、その背中を見送ることになった。

 扉を乱暴に開けて外へ出ると、少女は廊下の暗さにたじろいだが、左右を交互に見て、すぐそこが曲がり角になっている左側へと進む。曲がり角の先は階段だ。その階段を駆け下り、踊り場を曲がるとその先に明かりが見える。近づくとそこには鉄の扉があった。扉の上部に明かり取りの強化ガラスが入っており、そこから外の光が差し込んでいる。少女は流れた涙を手で拭い、その扉の取っ手に手をかける。一見重そうな扉は幼い子供の力でも容易に開いた。とたんに目の前に光が満ちる。暗がりに慣れていたせいか、しばらく視界が白く染まる。それでも外を見ていると、だんだんと景色が見えてきた。そこに広がっていたのは、海だった。今いるところは湾の一部になっていて、右手側に続く海岸線はぐるりと回ってここの正面まで続いている。扉のすぐ外から道が出ており、それを辿ると背後の高台へと続いている。少女は扉を閉めた。扉の外側は錆びて赤茶色になっていて、その周りを青々とした草が覆っている。そこは建物というよりも、緑の丘に見えた。出てきた扉さえもその中に埋もれ、今までいた暗い部屋や階段も、本当にあったのかどうかわからなくなりそうだ。

 少女は少しためらった後、それでも道なりに歩き出した。その道はだんだん急な坂になっている。道の脇には杉林が広がり、木漏れ日が差してくる。

 坂を上りきると、その先に人影があった。その人影が誰か分かる距離まで近づいた時、少女は足を止めた。そこにいたのは、先程自分に嫌悪をむき出しにしていた男、都城だった。少女はさっきの出来事を思い出して身をすくめたが、やがてゆっくりと男のほうへ歩き出した。

 都城はベンチに腰かけ、杉林越しに海を眺めていた。少女を担ぎ上げて運んできた時のようなつなぎではなく、シャツの上からパーカーを羽織り、色褪せたグレーのジーンズといった格好だ。つなぎで隠れていた左の首元に、黒い梵字の刺青がある。

 都城は近寄ってくる気配を感じ、驚いたように振り返る。そして少女と目が合った。少女は驚いたのと怖さとで身をすくめる。

「なんだ、お前か」

 しかし、少女のほうを見やった都城は先程の様子とはうって変わって静かな声音で言った。少女は戸惑うように都城を見つめ、立ち尽くしている。

「さっきは……悪かった。ずいぶん怖い思いをさせたな」

 少女は目をしばたかせる。その声からも、態度からも先程のような怒りや拒絶は感じられない。そこから一歩も動けなくなってしまった少女の様子を見てとり、都城はできるだけ表情を緩めて小さく手招きする。少女はなおも戸惑いながらも、恐る恐る都城に近づく。そして都城が手で示した隣に座る。

「別にお前に怒っていたわけじゃないんだ。感情的になっていた。すまない」

 都城は小さく頭を下げる。それを横から見ていた少女も小さく首を横に振る。

「俺たちのこと、もう信用できないか?」

 ふと都城は真剣な表情で少女を見た。少女も都城を見返す。そしてやはり首を横に振った。

「……そうか。よかった」

 その様子に都城は少しだけ表情を緩ませた。今まで張り詰めていた緊張の糸が少しだけ緩んだ気分だった。しかし少女はそれとは反対に顔を曇らせる。

―私はここに来てはいけなかったんでしょう?

 かすかな声で、少女は言う。都城は驚いて少女を見る。

「何を言ってるんだ?」

 その声に少女はまた怯えたように首をすくめる。しかし都城が怒っているのではないとわかると、少女は顔をそらしてつぶやく。

―だって、私のせいで風人が死んだって。

 その一言に都城はなんだか振り出しに戻ったような気がした。

「だから、そうじゃない。さっきお前にそう言ってしまったのは、ただの八つ当たりだ。別にお前のせいで風人は死んだわけじゃない」

―私のせいだよ。

 少女はひざを抱えて顔をうずめた。都城が困惑のまなざしで少女を見ていると、かすれた声で続ける。

―だって、自由になりたいって、言ったんだよ。

「え?」

 少女の声はさらに聞き取りにくかったが、都城は耳をそばだてて何とか少女の声を聞いた。

―自由になりたいって言ったら、風人は「じゃあトーアに自由をあげる」って言ったの。だからここに来たんだよ。そのせいで風人が死んだんだったら、やっぱり私のせいだよ。

 都城は少女の様子を衝撃と共に見ていた。風人からは、笑うことも泣くこともない無感動な子供だと聞いていた。しかし目の前の姿は、そうした話とは違う印象に映る。

―風人が死ぬくらいなら、私が死ねばよかった。他の子と同じに、私が死ねばよかったのに。

 都城は今この時、目の前の子供のことを少し理解したような気がした。そして今初めて、その女の子に親しみを覚えた。風人を亡くした悲しみをこの子もまた抱えている。少なくともその思いは共有することができる。ふいに先程とってしまった態度への罪悪感が湧いてきた。都城はその小さな背中をさすってやる。

「そんなことを言わないでくれ。頼むから」

 少女は肩を震わせてしゃくりあげている。それはこれくらいの年頃の娘の自然な感情表現に思えた。しかし背中をさする都城の手にはごわごわとした感触が伝わる。熱を持たない、無機質な羽根。

「風人がどうして命を捨ててまでお前を逃がしたか、わかるか」

 不意に問われて、少女は丸めていた背中を伸ばし、顔を上げた。

―私に自由をくれるため?

「それもそうだが、それだけじゃない。風人はお前を救いたかったんだ」

 少女は都城の言葉が飲み込めないような顔で、曖昧にうなずく。しかし都城は続けた。

「お前だけじゃない。あの施設にいるお前と同じような子供たちのすべてを救いたかったんだ。それがあいつの願いだった。……風人から聞いてないのか」

 都城に問われて、少女はやはり首を傾げる。

「風人の最終目的は、施設の子供たちを解放することだ。そしてその目的を達成するために、俺たちがいる。俺たちは風人の意志を継ぐためにここにいる」

 少女は目をしばたかせる。都城は強いまなざしを向けて言う。

「お前が俺たちの元にいることは、とても心強いことだ。お前たちのことは国家の機密情報で、国民のほとんどはお前たちのような子供がいることを知らない。お前は俺たちがやろうとしていることに確かな意味を与える証人でもあるんだ。……だから、自分が死ねばよかったなんて、もう言わないでくれ」

 最後は静かに諭すような声で言った。それを聞いた少女は都城が言ったことの半分ほどしか理解できなかったが、それでも「ここにいてよい」と言われたことは分かって安心したようだった。笑わないはずのその子供は、口の端をゆがませて笑顔らしい表情を見せた。それはとてもぎこちないものだったが、少女の感情の動きを感じ取れるものだった。

 その後二人は連れ立って彼らのアジト―あの薄暗い倉庫のような一室に戻った。残された深山と戸塚が待つ部屋の扉を開けると、男二人のほうは顔を見合わせ、とりあえず安心したように息をつく。少女は依然おどおどした様子で、都城の後ろに隠れるように付いてきている。

「何だよ。仲直りしたのか」

 深山が都城をからかうように言う。口の端をあげ、心配して損したなどと言っている。その横で戸塚も苦笑している。しかし都城は憮然とした表情だ。

「ひとまず、回収のミッションは成功ってことで、いいんだよね?」

 苦笑いの表情のまま、戸塚が問う。

「……ああ」

 三人の男たちは、その一言でやっと緊張の糸が切れたようだった。深山はベンチに、戸塚はパソコンの前の椅子にどっかりと座る。

「長っげぇミッションだったぜ」

「半分くらいは都城のせいでね」

「俺のせいかよ」

 都城もようやく笑みを見せる。そして後ろにいる女の子を振り返り、その頭を軽くなでてやる。少女は目をしばたかせて驚いたように首をすくめたが、嫌がる様子ではない。

「だが大変なのはこれからだ」

 ふいに都城は現実に引き戻されたように表情を硬くした。あとの二人も同調するように笑みを消す。

「いよいよか」

「ああ……ここが割れるのは時間の問題だろう。……アジトを移動する」

「ま、そう言うと思ったよ」

 深山はその発言を予期していた様子で、大した驚きもない返答をする。

「そうと決まったら、さっさと片すぞ」

 言って深山は隣の寝部屋へと消える。残された戸塚は、都城をまじまじと見る。

「強くなったよね、都城は」

 都城はその一言を聞いて驚いたように目を見開いたが、すぐに口端をゆがめる。

「戸塚にそんなことを言われる時が来るとはな」

 戸塚もつられたように苦笑を返した。

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