第十一話 拠点
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オニキスが死んだ魚のような目を反らしてから、暫くの沈黙が流れた。卍丸は固唾をのんで成り行きを見守っていたが、どうにもオニキスが口を開く気配はない。とうとう痺れを切らせた卍丸は勇気を振り絞り口を開く……。
「……あ、あの、オニファス陛「そんな事より、今はこの国で起こっている問題の話ですね!」下?えっ!?」
「あ、強引に話逸しましたね、ホンゲェッ!?」
要らぬ一言を言った中年は無残に焼け焦げ、卍丸は口をつぐんだ。事実、この国の現状を知ろうとするオニキスの言葉も尤もなので、態々この流れを遮ることはない。暫く無言で卍丸を眺めていたオニキスは、やがて満足そうな笑みを浮かべるとこう言った。
「ふふ、卍丸。貴方のその柔軟な所、私は好ましく思いますよ」
「は、はっ!!お褒めに預かり光栄で御座います!」
先ほどと同じ言葉であるはずなのに、卍丸の冷や汗は止まらない。どうやらこの女装については聞いてはならない事案であるらしい。それにしても、幼少時からのオニファスを知る卍丸だったが、昔から中性的……いや、寧ろ少女にしか見えないような美しい少年だと思っていたが、まさか青年期に入ってもこれほど違和感なく女性に化けるとは思いもしなかった。
「……あの、陛下は男性で間違いございませんよね?」
「はい、それが何か?」
「いえ、何でもございませぬ!!」
底冷えするような笑みを向けられ、慌てて卍丸は黙り込む。
(危うく眼の前で横たわる消し炭と同じ運命を辿るところだったわい……。)
「それで、卍丸。貴方がこんな場所にいるということは……?」
「はっ!おそらくは陛下の想像通りかと」
「夜藝殿下が謀反を起こしたと言う菊正宗と六甲の報告は真実だったのですね」
「成る程、菊正宗達は無事にオニファス陛下の元にたどり着けたのですな。それは重畳。あの二人から聞いておられるならば、大体の事情は既に聞き及んでおられるのでしょう……」
絞り出すような卍丸の声にオニキスも暗澹たる思いに駆られる。オニキス自身も、今回の夜藝の蛮行には胸を痛めていた。だが、先々代獣王から仕えている卍丸の心中は察するに余りある。
「兎に角、私はこれから夜藝殿下に直接談判に行こうと思っています。月詠も救って上げなくてはいけませんし、行方不明になっている馬鹿も探さないといけませんしね」
「陛下……若は、大和殿下の生存は……」
「アレがどれだけしぶといかは貴方が一番分かっている筈です。心配いりませんよ、どうせ『隻腕かぁ、クソッ!戦い方変えねぇとだななぁ?あー、面倒くせえけど、これはこれで何とかなるか?』とか言っている頃だと思いますよ」
「ふ、ふふっふっ、ふははっ、確かに、若ならばそうでありましょうな。どうにも歳を取ると思考が暗くなってしまっていけませんな。流石は陛下、若のことをよく分かっていらっしゃる!」
ようやく浮かんだ笑みに空気が軽くなるのを感じ、オニキスの心も多少軽くなった。正直オニキスも大和の生存を強く信じていられている訳ではない。状況を聞いただけなら確実に命を落としているとしか思えない状況。本当にあの夜藝が行った行為なのかと、耳を疑うほどの蛮行。正直、情報源があの二人でなければ怒り狂っていたかもしれない。しかし、傷だらけのあの二人の姿が、起こったことが真実であると言う何よりの証拠となってしまっていた。そうであるなら、オニキスに出来ることは、あの殺しても死なない様な親友のしぶとさを信じることだけだった。
「大丈夫ですよ卍丸。きっとだいじょうぶです。夜藝殿下も、必ず私が諌め、罪を償っていただきますよ」
「陛下……」
「あ、あとですね、この服装の時はオニファスとして扱わないでほしいのですが……」
「と、言いますと?」
「なんと言いますか、オニファスと呼ばれるたびに、今まで抑えていた羞恥心が蘇ると言いますか。自分が何者だったかを思い出しますと……今の姿は余りにも……」
「……では、何故そんな格好をなさっているのですか?」
「うぐぅっ……」
先程は地雷と思った質問であったが、オニキスの話をきいて混迷の極みに陥った卍丸は、再び先程の質問を繰り返してしまう。
「成る程、お嬢様はオカマだったのですな!!道理で背に当たる股間の感触が……ゲハァッ!?」
「お前はそこで気を失ってなさい!!」
ようやく目を覚ました真竜は、再び豪炎に焼かれその場に倒れた。先程のレアな焼き加減と違い、今回は完全なウェルダンの焼き加減である。それをみた卍丸は竦み上がったが、怒りの矛先は哀れな中年に向いていたのでホッと胸をなでおろし、今度こそ二度とこの話題には触れないと心に誓った。
「と、取り敢えず、私の小屋に向かいましょう。これからの予定はそこで決めましょう」
「そうですね、早速向かいましょうか。以後、私のことはオニキスと呼んで下さい。オニキス=マティです」
「は、承知いたしました……ところで、この竜はこのまま此処に置いて行かれるのですか?」
「はい、捨てていきます。どうせその内勝手について来るか、御剣山脈に帰るかするでしょうから、このまま放置していきましょう」
「は、はっ、承知いたしました……」
――――……
暗く明かりもない路地裏、そんな闇の中を迷いのない足取りで進む卍丸。オニキスは特に夜目が効くわけではないので、そんな卍丸の後ろをピタリと付いて歩く。
ヒタリヒタリ……。
後ろからついてくる裸足の足音。極力そちらには意識を向けず前だけを見て歩く。
「お嬢様ぁ、随分暗くて狭い道ですねえ?」
「……」
「それにしても、私の服とかぜんぶ焼けてしまったので何とかしてほしいのですが」
「……」
「せめておパンツだけでも欲しい所ですなあ、はっはっは」
「あー、鬱陶しいですね!!貴方どういう体してるんですか!?人化の術で出来た服が何で燃え落ちて復活しないんですか!」
返事をしなければそのうち黙ると思っていたが、オニキスが返事をしようがしまいが、お構いなしに話続けるゼルザールに、とうとうオニキスの心が負けた。
「あの服は私の鱗が変化したものですけど、お嬢様が焼き払ってしまったんじゃないですかぁ」
「だったら新しく作ればいいじゃないですか!?」
「いやぁ、今の私、生命力が真竜のただの中年親父ですんで、そんな魔法みたいなこと出来ませんよ?元の姿に戻って改めて人化すれば戻りますけどね?」
「微妙に不便な生き物ですね!何で貴方の人化はそんなに色々な所が不自由なんですか」
「えぇー……そんな事いわれましてもぉ……」
「もじもじしないで下さい、気持ち悪い!」
「酷ぅい~……」
二人のやり取りを聞いている卍丸は不思議と痛む頭を抑えながら改めて二人の姿を見る。これが伝説の真竜と、魔族の中でも随一と言われる魔王、オニファス=アプ=フェガリ……。
「なんか、ワシ。ものすごい光景を見ている様な気がしますぞい……」
消えるような卍丸の声は、ギャーギャー言い合う二人には届かず、夜の闇に消えていく。
「……さて、つきました。こちらで御座います」
「ほう、これは……」
「ボロイですな!豚小屋ですかな?」
再び火達磨になった真竜のおかげで小屋の全貌がくっきりと見えた。木造で立てられたそれは、お世辞にも立派な小屋とは言い難がったが、よく見れば朽ちた所も無く、見た目よりはしっかりとした作りに見えた。
「この様なむさ苦しい場所で心苦しいのですが、今夜だけのことで御座いますれば、しばし辛抱の程をお願いいたしまする」
「いえいえ、よく見れば中々の小屋ではないですか。ここ最近野宿をしていた私には勿体無いくらいの小屋ですよ。もちろんそこの野生動物の巣よりも快適そうです」
「伝説の真竜に、何の容赦もございませんな……」
横たわる真竜をよそに小屋の中に入る。オニキスが思った通り、見すぼらしい外見とは異なり、内装は中々に整った小屋であった。広くは無いながら、厨房や風呂までついている。今日一日と言わず、此処を拠点に数日過ごす事も出来そうな、しっかりとした作りの小屋であった。
「思った以上に素晴らしい小屋ですね、案内ありがとうございます。さて、卍丸、早速ですが貴方にはやっていただきたい事があります」
「はっ、何なりとお申し付けくだされ、この卍丸、粉骨砕身の覚悟で事に挑みまする」
「流石は卍丸、実に頼もしいですね。それでは早速……」
オニキスは自らの荷を解くと巨大な肉塊を取り出した。
「晩ご飯を作って下さい!」
「……オニファ、オニキス殿は、そう言う所、変わりませぬなあ」
ぎゅるるるる……




