第六話 御剣山脈
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……ガッ!
切り立つ岩肌に音を立てながらミスリルの棘が突き刺さる。
「よいっしょ!」
続けて気の抜けた掛け声と共に、細く美しい指が岩の窪みに掛けられ、その華奢な見た目とは反する力強さで体を持ち上げて行く。
ベテランの登山家でも踏破困難と言われる御剣山脈、その中腹に、凡そこんな場所に似つかわしくないゴシックロリータ調の服装に身を包んだ可憐な少女の姿があった。
「流石に、これは中々きついですねぇ、んっしょ」
ぶつくさ言いながらも一定の速度で切り立った崖を登るゴスロリ美少女。もし第三者がこの姿を見たら、何かの間違いかと三度見くらいはする事だろう。アイゼンも付いていない普通の靴を、魔力を纏わせ無理やり岩肌に突き刺し体を支え、手に持ったミスリル釘バットをピッケルの様に頭上に振り上げ岩に刺す。見た目に反し、その登山姿は中々に堂に入ったものだった。
この単純な作業を繰り返すこと4時間。オニキスは今、地上を遠く離れ、雲を下に見ていた。
「……仙人は霞を食べると言いますが、どうやら私は仙人の資質は無いようですね……お腹へりました、雲以外の物が食べたいです」
すでに森で拾った食料(毒草、毒キノコ含む)は食べ尽くし、いよいよ水しか口にするものが無くなってしまったオニキスは悲しげに背負った袋を擦る。もしかしたらどこかに食べ物が残っていないか、三度ほど袋を隅々探してみたが、最早葉っぱ一枚残っておらず、袋を漁る度にオニキスは悲しげにため息を吐いていた。それでも暫く経つとまた何か見落としはないかと袋を漁る辺り、食に関してオニキスの往生際は非常に悪いと言えた。
思えば毒キノコも解毒で治療できるからにはもっと大量に拾ってくるべきだったのではないか?その様な異常思考に至るほど、オニキスは今空腹に喘いでいた。
「あぅ~、先日少し残してしまったラーメンのスープ……飲んでおけば良かったです……(キュルルル~)」
強い日差しに照らされ岩肌を登りつつ、情けない腹の音を鳴らし弱音を吐いていると、突然その陽射に影がさし、大きな羽音を立てながら巨大な何かがオニキスへ飛来した。
「なぁッ!?」
……
…………――
彼は生まれたときから”強者”であった。
山の頂上に生を受け、彼が彼として意識を持った時、すでにこの山に於いて彼を脅かす者は同族以外には殆ど居なかった。その同族ですら、彼と同年代の兄弟たちに彼を超える大きさの個体は居らず、彼はいずれ成長し、成龍になった暁には、自分こそがこの山の主となるのだと確信していた。それ程に、彼とその兄弟たちでは体の大きさに隔たりが在った。
但し、残念ながら今はまだその時ではない。未だ幼い自分では、現、山の主である、あの歳経た個体には未だ届かないことは理解していた。この様なことを理解できるのも、自らが優れている証であると彼は思っていた。焦ることはない、いずれ成長が自らを王にする。別に焦る必要などまったくないのだ。今はゆっくりと成長することに専念すればいい。
彼はゆったりと山の頂上で眠り、強い日差しを浴びるのが好きだった。最も日の当たる平たい岩は、切り立った岩の多い御剣山脈には珍しく、彼のお気に入りの場所であった。この様な素晴らしい場所を占拠出来るのも、自分が選ばれた個体だからである。王の岩屋ほどではないが、これ程の素晴らしい場所は、この山では他に存在しない。成龍達ですら、この場所を自分から奪おうとはしないのだ。これほど”特別”である自分が、成龍になったときには一体どれほどの力を持つのだろうと、彼は常に夢想していた。
日向ぼっこが終わり体の温まった彼は、午後には空腹を満たすために、空へと飛びたつ。適当に目に付いた獲物に襲いかかり、その生命を貪る。彼が腕を振れば、その鋭い爪は獲物の腹を引き裂き、牙を剥き噛みつけば獲物の頭は破裂する。稀に歯向かってくる大型の動物や魔物も居たが、その様な有象無象の牙も爪も、彼の自慢のエメラルドグリーンに輝く鱗を傷つけることはできなかった。
彼は、この御剣山脈近辺において、間違いない強者であった。
そして彼は今日も飛ぶ。空腹と退屈を解消すべく大空を飛ぶ。
ふと、彼はいつもは見かけない珍しいものを目に留めた。それは少し離れた場所に”巣”を作り、大勢で群れを作って暮らしている、毛無しの猿のような生き物だった。確か”人間”とか言ったか……。滅多にこの山に近寄ってくることはないその獲物は、翼も無く体もひどく矮小だった。何故この様な場所に居るのかはわからないが、今日の獲物はわざわざ向こうから食べられるためにこの山を登って来てくれたらしい。
手間が省けた上、滅多に見かけない珍しい獲物を見つけた彼は、喉を「クルル」と愉悦に震わせる。
哀れな獲物に目標を定めた彼は、一度高度を上げると鋭く巨大な爪を構え、一直線に獲物に向けて降下を開始する。そのすさまじい加速に、彼が目をつけた獲物は、何も分からない内にただの肉塊となるのだ。いつものように引き裂かれる柔らかな獲物の肉の感触を想像しながら、彼は獲物に爪を立てるのだった。
……
…………――
――嘗て美しかったその姿を鮮血に染め、鋭利な棘によって柔らかな腹が引き裂かれる。生きたまま裂かれてしまった喉からは鼓動に合わせ、噴水のように新たな血が流れてしまっていた。美しく輝いていた黒く美しい瞳も、今は生気を無くし、光を失いつつあった。
口をパクパクと開くも、既に声をだすこともできない。一体何が起こったのか、一瞬の事で何も理解できなかった。ただ、霞む思考の中、自分がこの絶対の捕食者に今から食べられてしまうのだけは理解できた。
(……怖い、怖い)
もう自分は助からない。それは分かるが、出来れば生きたまま食べられるのだけは勘弁して欲しい。最早体の感覚も鈍くなり、痛みも殆ど感じない。死が、近づいてくるのを感じる。
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「良し、血抜き完了!いやぁ、こんな事もあろうかと常備しておいた岩塩が、遂に役立つ時が来ましたねー♪」
御剣山脈頂上付近、平らな岩場にて巨大な翼竜がみるみる捌かれていく。その鮮やかな手際は本職の肉屋かと見間違うほどのものであった。
「いや~、突然こんな大きなご飯が落ちてくるなんて天は私を見放しては居なかったわけですねー」
御剣山脈には翼竜が多数生息しており、これが唯でさえ過酷な国境超えを更に困難なものにしていた。しかし、今回ばかりは相手が悪かった。上空から飛来した翼竜は、即応したオニキスの釘バットの一撃で失神させられ、意識を取り戻したときには既に頸動脈を裂かれ、血抜きをされているという哀れな状況に陥ってしまっていた。
「それにしてもこれはまた随分と立派な翼竜ですね。まだ幼体なのに、下手な成龍よりも大きい。これは味にも期待が持てるというものです。まずはこのふっくらと大きなレバーから食べるとしましょうか」
クティノス国境付近の食物連鎖の頂点たる翼竜であったが、世の中上には上が居るものである。今日、この瞬間だけは、彼は頂点の捕食者ではなく被食者となっていたのだ。生まれたときから他の個体より大きく力の強かった”彼”は、他の翼竜と比べても危険察知能力に乏しく、それが今回の悲劇を生んでしまったと言える。
「ふぁ~、美味しいですね~。ふわっふわのトロットロです~甘ぁい」
火に炙られジュワジュワと音をたてる翼竜を貪る捕食者は、見るものが皆うっとりするような笑みをニコニコと浮かべながら、巨大な翼竜をモリモリ胃に修めていく。
まずは痛みやすい内臓から片付けていき、下ごしらえに手間のかかる腸などは断腸の思いで土に埋め、肉は焼き肉と燻製にしていく。ここで活躍するのがオニキスオリジナル、地属性と風属性と火属性、更には煙を閉じ込める結界の超高位合成魔法、燻製製造木縛結界。これはいつでも燻製肉を楽しみたいと思い立ったオニキスが、三週間かけて編み出した合成魔法で、かのていきゅう魔法すら上回る超高位合成魔法なのである。
流石にこれほど複雑な魔法はオニキスと言えど”角”を出している状態でなければ行使することはできない為、学園で披露することはできなかった禁断の術、オニキスの操る魔法の中でも最上級の魔法なのである。
「さて、お腹も膨れて元気になりましたし、そろそろ頂上目指して行きますか!」
満腹になり、伸びをするオニキス。
――しかしその時、その頭上を巨大な影が覆った。先程襲ってきた翼竜など話にもならない巨大な影。物理的な重さを感じるような殺気を以って佇む威容。
御剣山脈の真の王者が山の侵入者を睥睨していた。
こうなる事はある程度予想していたオニキスであったが、流石にその存在を前に表情が真剣な物へと変わる。
「……やっぱりそう簡単に縄張りを通してはくれませんよね。真竜、ゼルザール」
山脈ルートの国境超えが不可能と言われる所以。それが今、目の前に姿を表したのだ。
前回水曜日更新と書きましたが、木曜日の間違えでしたすいません。
水曜日に書いているもので勘違いしちゃいました。
毎週木曜日更新します。




