第二十五話 姉さん
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早朝、サントアリオ学園寄宿舎と校舎の間を、不自然な服装の人物がコソコソ移動している。黒いゴスロリ風の服を身にまとい、頭部には狐のお面に頬被り、頭部の唐草模様は隠密行動には向いていないと思われるが、本人的には一生懸命目立たないようにしているつもりらしい。中腰になりながらひょこひょこ歩く様は実に滑稽である。
「……何してるんですか、オニキスちゃん。」
「うひゃう!?」
突然声をかけられて慌てふためく狐仮面。フェガリの有角人を統べる魔王、オニファス=アプ=フェガリ改め、オニキス=マティは慌てふためく。
「シャシャシャ、シャマさん!?声が大きいですよ!」
「おはようございます、オニキスちゃん。シャシャシャシャマです。」
「うぐぅ!」
なんとも胡乱げな自らの主に、無表情で挨拶をするシャマ。主の奇行はままあることではあるが、今回の行動は理由が分からない。一体オニキスは何から隠れようとしているのか、そも、これは隠れているつもりなのだろうか?
「ダメですよシャマ、私がここにいることがバレたら……『姉さん!オニキス姉さん!!』ひぇっ!?」
突然掛けられた声に振り向けば、そこには燃えるような赤い髪の青年が満面の笑みで立っていた。
「おはようございます姉さん!!」
「およ、シーザーじゃないですか……ん?オニキス姉さん?」
「わわわ私は、オニキスではぁ~御座いませんでゴザルよ。」
面で顔を隠している為、なんとかごまかそうと無駄な抵抗を試みるオニキス。しかし、どっからどう見てもそれは、”オニキスではない誰か”ではなく”変な格好をしたオニキス”にしか見えず、これには流石のシャマもポンコツな主に憐憫の視線をむけざるを得ない。時折見せる主のポンコツさは、シャマにとって愛おしいものではあるのだが、今回のこれは流石に酷い……。
「オニキスちゃん……流石にそれはムリがあると思うですよ……。」
シーザーとオニキスの妙なやり取りを訝しむシャマだったが、そんなシャマの事など気にも止めずに、その顔に爽やかスマイルを浮かべたシーザーはグイグイとオニキスに迫って行った。オニキスはそんなシーザーから逃げるように後ずさるが、遂にその背中に壁を背負ってしまい、そのまま情けない悲鳴を上げて立ちすくんでしまった。
「さぁ、姉さん、一緒に校舎に向かいましょう、鞄持ちは僕に任せて下さい!なんでしたら姉さんの事をおぶって行きましょうか?他にもなにか要望があればなんでも言いつけて下さい!」
「あうあうあうあう……。」
「あー、そういうことですか。」
つまりオニキスの奇行の原因はまさにこれであったのだとシャマは得心する。圧倒的に叩きのめされた事によって、シーザーの中でのオニキスの評価が”嫁候補”から”尊敬するボス”に変化してしまったらしい。そしていきなり舎弟になったシーザーの押しに、オニキスはどう対処すればいいのかわからず、パニックになっているのだった。
「は、放して下さい、私は自分で鞄も持てますし、歩くことも出来ますから!!」
「そう言わず、なんでも言って下さいよ。あ、なんでしたら今すぐカレーパン買ってきますか?僕は素早さには自信があるんですよ!」
「むむぅっ……。おい、そこの赤頭、オニキスちゃんのお世話をするのはシャマの役目であって、お前の出番なんかねーですよ。何勝手にオニキスちゃんのカレーパン買いに行こうとしてるんですか?」
初めの内はあわあわするオニキスをうっとりと眺めていたが、二人のやり取りを見ている内に、徐々に剣呑な雰囲気となったシャマが、とうとうシーザーに噛み付いた。駄メイドなりにオニキスの身の回りの世話というものは自分の聖域と言う認識であったらしく、そこに踏み込んだシーザーは、シャマにとって初めて出会う、自分のテリトリーを犯す敵なのであった。
「む、白姫。何故邪魔をするんですか?僕はオニキス姉さんの強さに触れて、その強さに惚れこんでいるのです。邪魔をしないでいただきたい。」
「ポッと出のお坊ちゃんが何を言ってやがりますか、面の皮剥いでぶち殺しますよチンピラァ?」(ビキビキビキ)
「シャマさん、なんで貴女は表情無いくせに血管は浮き出てくるんですか……あとチンピラは貴女の方です。」
呆れ顔のオニキスをよそにチンピラとシーザーの熱は上がっていく。
「校舎裏きやがれですよチンピラァ!その空っぽの赤頭を血で更に赤く染めあげて、序列ってものを刻み込んでやるですよ!!」
「ふむふむ、姉さんの一の舎弟を賭けての勝負をしてくださるのですね!良いでしょう。姉さんすいませんが自分は用事が出来ましたのでここで失礼します。」
「コルルルァァァ クッチャベッテルンジャネエデスヨォォォォ!!」
「怖っ!!シャマ、最早何言ってるのか分かりませんよ!?」
意気揚々と何故か”校舎裏”に連れ立って歩いていく二人を見つめながら「やっぱりあの方は苦手です……。」と、疲れた顔で呟くオニキス。この日からシーザーの姉さんがもう一人増えることとなる。
「いやぁ~シャマネキはヤバイですね。オニキス姉さんと違って容赦ってものがないです。なんか一瞬川を渡る幻覚見てましたよ、僕。なんか妙にリアルな”夢”でしたね。死んだはずのお祖父様に会えたのは嬉しかったなあ。またあの川に行ってみたいものですよ、ハッハッハ。」
「え、それって……。」
「ふふん、何人たりと、オニキスちゃんのお世話の役目だけは譲るわけにはいかないのです。」
無表情で胸を張る駄メイド。
(まさかシーザーさんの目の前で”角”使ってないでしょうねこいつ……。)
オニキスの脳裏に一瞬恐ろしい考えが浮かんだが、シーザーの態度から流石にそれはないと思うことにした。そして当のシーザーは、嘗て見たこともないほど顔をボコボコにされていたが、何故か本人はとても嬉しそうな笑顔(?)を浮かべていた。
……――――
「ほら、言った通りだったろグレコ?やはりオニキス=マティに任せて正解だったじゃないか。」
学園長室から外を眺め、嬉しそうにマリアが笑う。そんな彼女をグレコは不思議そうに眺める。
「はぁ……確かにシーザーにはいい影響を与えたようですが、学園長は何故こうなる事が分かったのです?」
「魔王は、な。先代がそうだったように人たらしの気があると思ってな。こんな事を私が言って良いのかわからんが、フェガリの魔王という奴は魅力的で強くて底抜けに善良なのだよ。ふ、ふ。」
「強さや魅力はともかく、善良……ですか?」
「そうさ、そも、先の大戦に於けるサントアリオとフェガリの確執の元は何だったか、お前は知っているか?」
「有角人は邪悪で好戦的であり、サントアリオを狙って越境をしてきた為、対戦が勃発。当時の教会が率先して押し寄せるフェガリを迎え撃ち、最後には彼らをフェガリの奥地に押し込めたと認識してます。」
即座に淀みない返答を返すグレコの答えを聞くと、マリアは自嘲気味な笑みを浮かべ鼻を鳴らす。
「ふん、いかにも聖サントアリオ学園教師らしい模範解答だ。だがな、それはサントアリオ史であって、事実ではない。」
「……。」
マリアの、ともすれば祖国への批判とも取れる発言に、グレコは眉一つ動かさない。
「本当にお前は……反応のつまらなさではサントアリオ随一であろうよ。」
そんな朴念仁にリアクションを期待するのは無駄なのだが、マリアはなにかにつけてグレコの反応を見たがる傾向がある。しかし、巌のような彼の表情が崩れることは少ない。
「まあ、実際開戦当時その場に居た訳ではないので正確な所は分からないが、かつてフェガリ王と剣を交え、国のために戦った私が感じたのはな、あれはサントアリオからの言いがかりをつけた侵略戦争だったと思うのだよ。」
「……ほう。」
「あれらは、なんというか、他国に攻め入るとかそういう気風ではないのだよな。なんと言えば良いのかな……良くも悪くも呑気で、それでいて仲間の和というものを大事にするというのか……な。何というか、フェガリの価値観は我々には理解しがたい物がある。少ししか会話をしてはいないが、あれは生粋のフェガリの魔王だと感じた。出自を考えると可怪しな話なんだが、あれは呑気で善良だと感じたのだよ。もちろん強さも美しさも郡を抜いている。そんな所もいかにもフェガリの魔王らしい。」
「……なるほど。」
「まあ、シーザーはサントアリオ内では並ぶ実力者も居なかったからな。今回のことは実にいい経験になった事だろうよ。これでアイツは勇者に向けてまた一歩前進することが出来たわけだ。この調子で増長せずに邁進すれば、あれは何時か私を越える勇者となることだろうよ。」
「……シーザーを鍛え上げて再びフェガリと一戦交えるのですか?」
「まさか、さっきも言ったが、あれは放っておけば無害だ。態々突く必要もない。」
だが……、と小声で呟き黙り込むマリア。美しいその相貌からは何の感情も読み取れず、マリアの言葉の続きを察することは出来ない。グレコは何を言うでもなくそんなマリアを見つめていた。
「まあ、当分は何も起こらないであろうよ。おそらくは……な。」
そう言いうマリアの横顔は朝日に照らされているにも拘らず、どこか陰りを帯びているように見え、グレコを不安にさせるのだった……。
またコミケ原稿制作に入るので週一更新になります。
え、先週もそうだった?




