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平穏最優先の財閥御曹司、未来知識で投資起業  作者: 伊達ジン


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第3話 私立桜花学園入学式

 1999年4月8日。

 雲ひとつない、抜けるような快晴の朝だった。


 桜の名所としても知られる私立桜花学園の正門前には、樹齢数十年は下らないであろう満開のソメイヨシノが、幾重にも重なる薄紅色のアーチを作っていた。時折吹く春風が花びらを散らし、歴史を感じさせる石畳の坂道を鮮やかに彩っている。


 この日、俺は、人生で二度目となる高校の入学式を迎えていた。


「玲央様、到着いたしました。お忘れ物はございませんか」


 初老の運転手が静かに告げ、音もなく後部座席のドアを開ける。

 俺は小さく頷いて礼を言い、深々と沈み込む革張りのシートから身を滑らせるようにして車外へと降り立った。


 磨き上げられた黒塗りの高級車。一般的な高校の入学式であれば間違いなく悪目立ちする登場だが、この桜花学園においてはそれほど珍しい光景ではない。政財界の重鎮の子息や、旧華族の流れを汲む令嬢が多く通うこの学園では、お抱え運転手による高級車での送迎は日常茶飯事の光景だ。周囲を見渡せば、欧州製の高級セダンが何台も列をなしている。


 だが、俺が地面に足をつけ、春の陽光の下に姿を現した瞬間、周囲の空気がピンと張り詰めるように変わったのを肌で感じた。


「……え、嘘。誰あれ?」

「凄く綺麗……映画の撮影でもしてるの?」

「あの車のエンブレム、西園寺家の車よ。ということは、もしかして……」


 ざわめきが波紋のように広がり、登校中の新入生や保護者たちの歩みが次々と止まる。

 俺は制服の襟元をさりげなく正し、背筋を伸ばして歩き出した。


 桜花学園の指定制服は、濃紺のブレザーに千鳥格子のスラックスという伝統的なスタイルだ。一見シンプルだが、仕立ての良さと生地の質感が際立っている。特別に採寸され、特注の高級ウールで仕立てられたそれは、俺の身体に寸分の狂いもなく完璧にフィットしていた。


 四方八方から、無数の視線が突き刺さるのを感じる。

 好奇心、羨望、そして純粋な驚嘆。


 かつての俺であれば、これほど多くの人間に一斉に見つめられれば、居心地の悪さに萎縮して俯いていただろう。

 しかし、今の俺には前世の泥臭い経験と、鏡を見るたびに我ながら呆れるほどの、この完璧な容姿という強固な鎧がある。


 俺は努めて自然に、口角をわずかに上げて穏やかな微笑みを浮かべた。

 それだけで、周囲の何人かから「はぁ……」とため息のような感嘆の息が漏れるのがはっきりと聞こえた。


 母親から受け継いだ目鼻立ちは、間違いなく強力な武器だ。この浮世離れした容姿が相手に与える圧倒的な第一印象は、今後の学園生活において、ひいては水面下で進めるビジネスの交渉事においても、計り知れないほどのアドバンテージになる。使えるものは、親の威光でも自分の顔でも、何でもしゃぶり尽くすのが俺の流儀だ。


「ごきげんよう」


 すれ違いざま、立ち止まって呆然とこちらを見つめていた女子生徒たちのグループに向けて、軽く会釈をする。

 彼女たちは一瞬息を呑み、次いで顔を林檎のように真っ赤にして、言葉にならない悲鳴を上げながら身を寄せ合った。


 少しサービスが過ぎただろうか。だが、気弱な金持ちのボンボンとして舐められるよりは百倍マシだ。

 俺は「西園寺玲央」という優雅で完璧な御曹司のキャラクターを、この学園という舞台で演じきる必要がある。誰からも好かれ、疑われず、そして干渉されない、絶対的な自由を手に入れるためのカモフラージュとして。


 レンガ造りの重厚な校舎へと入り、昇降口で真新しいクラス分けの掲示板を確認する。


『1年A組 西園寺 玲央』


 五十音順や成績順のどちらかは定かではないが、一番左上に俺の名前があった。

 他にも見知った名前がないか軽く目を通すが、前世の記憶を辿っても、財界のニュースで見かけたような特徴的な名字がいくつかある程度で、明確に顔と名前が一致する者はいない。


 これからの3年間、彼らと共に同じ教室で過ごすことになるのだ。

 もちろん、馴れ合うつもりはないが、無用な敵を作るつもりもない。波風を立てず、適度な距離感を保ちながら、裏では着々と己の帝国を築き上げる。もっとも、精神年齢が彼らの親世代に近い俺にとって、高校生との付き合いは保育園の先生のような心境になりそうだが。


 指定された上履きに履き替え、式場である大講堂へと向かう。


 巨大なパイプオルガンが正面に鎮座する、歴史と伝統を感じさせるドーム型の講堂。ステンドグラスからは色とりどりの光が差し込んでいる。

 既に多くの新入生と保護者が、パイプ椅子の並ぶフロアに席に着いていた。

 俺が足を踏み入れると、再びさざ波のような静寂と、それに続く囁き声の喧騒が交互に押し寄せた。


 俺は案内係の教師に軽く会釈をし、指定された最前列の中央の席に静かに腰を下ろした。


 新入生代表。


 それが、今日この場で俺に与えられた役割だった。

 入試の首席合格者としての務めらしい。

 本来なら目立つ役回りは丁重に辞退したいところだったが、西園寺家の嫡男として、また将来の財界を担う存在としての顔を売る絶好の機会と捉えれば、悪くない手札だ。父も昨夜の夕食時に「堂々とやってこい」と背中を押してくれた。


「新入生、起立」


 定刻となり、司会の教師の厳かなアナウンスと共に、入学式が幕を開けた。

 国歌斉唱、校長式辞、PTA会長や来賓による祝辞。

 ひたすらに定型通りで、欠伸が出るほど退屈な進行が続く。


 壇上で延々と続く校長の訓話を聞き流しながら、俺は密かに思考を巡らせていた。

 今日の新入生代表スピーチの内容についてだ。

 事前に学校側から渡された模範原稿は、ブレザーの内ポケットに収まっている。「桜の花が咲き誇る今日~」で始まり、「勉学とスポーツに励み~」で終わる、誰の記憶にも残らない無難な文章だ。


 それを間違えずに読み上げるだけで、優等生としての合格点はもらえるだろう。

 だが、それではあまりにも面白くない。

 これから激動の時代を迎える1999年の同世代たちに向けて、そして何より、俺自身の新たな人生の門出の決意表明として、もう少し気の利いた言葉を残しておきたい。


「新入生代表、宣誓。新入生代表、西園寺 玲央」


 静まり返った講堂に、名前が響き渡った。

 思考を中断し、俺は姿勢を正して静かに立ち上がった。


「はい」


 講堂の空気を震わせるような、よく通る声で返事をする。

 一瞬の静寂の後、俺は壇上へと続くレッドカーペットの敷かれた階段を、一定のペースで上がった。


 一歩、また一歩。

 靴音が響くたびに、全校生徒、教職員、保護者、来賓席の視線が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように俺一人に集中していくのを感じる。


 数千の瞳。

 そのすべてを受け止め、俺はマイクのセッティングされた重厚な木製の演台の前に立った。

 マイクの高さを自分の口元に合わせてスムーズに調整する。

 視線を上げる。


 広い。

 だが、そこにいるのは俺を査定する株主でも、突き上げを図る取締役でもない。これから同じ時代を生きる、まだ何者でもない若者たちだ。

 俺はポケットから丁寧に折りたたまれた式辞の紙を取り出し、演台の上に広げた。

 そして、その紙面には一度も視線を落とすことなく、真っ直ぐに講堂の最後列を見据えた。


「柔らかい春の日差しに包まれ、今日の良き日に……」


 冒頭は、あえて原稿通りに定型で始めた。

 変声期を終えたばかりの美しいテノールが、マイクを通して講堂の隅々まで、まるで音楽のように染み渡っていく。

 ざわついていた後方の保護者席まで、水を打ったように完全に静まり返った。

 誰もが、俺の声の響きに、そして堂々とした立ち姿に引き込まれているのがわかる。


 挨拶の中盤。俺は一呼吸置き、トーンを変えた。


「……世紀末と呼ばれるこの1999年。世間では様々な終末の不安や、根拠のない予言が囁かれています。しかし、僕はそうは思いません」


 ここで初めて、俺は微笑んだ。

 計算し尽くされた王子様のスマイルではない。未来の覇者としての、確信に満ちた不敵な笑みを。


「新しい千年紀、ミレニアムを目前にした今、世界はかつてない変革の時を迎えようとしています。情報技術の爆発的な発展は、私たちの生活を、価値観を、そして社会の構造そのものを根底から覆すでしょう。国境という壁は意味を失い、個人の知恵と力が世界を動かす時代が、すぐそこまで来ています」


 教職員席から、わずかに戸惑いの空気が流れるのが見えた。当然だ、提出された原稿には一言も書かれていない言葉なのだから。

 だが、俺は止まらない。


「変化を恐れる必要はありません。変化の波に乗ることこそが、進化の源だからです。私たちは、その歴史的な変革の最前線に立っています。過去の成功体験が描かれた古い地図は、これからの時代には何の役にも立ちません。道なき道を進み、自分たちの手で新しい世界の地図を描くこと。それこそが、私たち桜花学園の生徒に課せられた使命だと信じています」


 俺は言葉を切り、会場全体をゆっくりと見渡した。

 生徒たちの顔がはっきりと見える。

 言葉の意味を図りかねて不安そうな顔、未知の未来への期待に目を輝かせている顔、ただポカンと口を開けている顔。


 その中に、ひときわ熱を帯びた、強い視線を感じた。

 前方、女子生徒の列の端。

 ショートカットの少女が、目を丸くして、瞬きすら忘れたように俺を凝視している。

 ただの憧れや好奇心ではない。まるで俺という人間の本質を、その言葉の裏側にある真意を値踏みして、探り当てようとするような鋭い視線。


(……なんだ、あの子は?)


 ただならぬ気配を放つ、吸い込まれそうな黒曜石のような瞳。

 彼女の視線が一瞬だけ気になったが、俺はすぐに全体へと意識を戻し、声を張った。


「伝統を重んじつつ、革新を恐れない。この学び舎で、友と語らい、競い合い、共に新しい時代を切り拓く知性と力を養うことを、ここに誓います。平成十一年四月八日、新入生代表、西園寺玲央」


 最後は力強く締めくくり、俺は演台の横に一歩ずれて、深く、完璧な角度で一礼した。


 一拍の、長い静寂。

 そして、誰かが弾かれたように拍手を始めたのを皮切りに、割れんばかりの大喝采が巻き起こった。

 最初はパラパラとした音だったが、やがてそれはうねるような波となり、講堂全体を揺るがす轟音となった。


 形式的な、儀式としての拍手ではない。

 明確な熱を帯びた、称賛の拍手だ。

 顔を上げると、困惑していたはずの教職員たちも拍手を送り、校長に至っては満足げに深く頷いているのが見えた。

 どうやら、無難な枠をはみ出したアドリブは、名門校の度量として許容されたらしい。


 俺は再びスマートに一礼し、優雅な所作で階段を降りた。

 自席に戻るまでの間も、四方八方から熱い視線が突き刺さる。


 男子生徒の席からは「すげぇなアイツ」「何言ってるか半分わかんなかったけど、なんかヤバいな」という素直な驚きの囁きが、女子生徒の席からは「かっこいい……」「本当に王子様みたい……」という溜息交じりの熱を帯びた声が聞こえてくる。


 そのすべてを、俺は涼しい顔と完璧な微笑みで受け流し、静かに自席に戻って座った。


 握りしめていた手には、微かに汗をかいていた。

 やはり、緊張していなかったと言えば嘘になる。

 だが、体を駆け巡っているのは極めて心地よい疲労感と高揚感だ。


 自分の言葉で、自分の意志を、数千人の前で叩きつけた。

 心地よい達成感を味わいながら、俺はふと、自室のPC画面に表示されていた証券口座の残高を思い出した。

 父から同意書を得て開設した口座。そこに預け入れた膨大な資金は、既に計画通り、米国と日本の市場へと投下されている。

 俺がこうして学生服を着て入学式に出席しているこの瞬間も、地球の裏側では見えない数字が激しく動き、俺の資産を形成し続けているのだ。

 学園生活という完璧な隠れ蓑と、その裏で進行する巨大な投資計画。その二重生活のギャップに、俺は一人、胸の内で密かに笑った。


 式が終わり、退場のアナウンスが流れる。

 クラスごとに列を作って順番に講堂を退場していく際、俺は再び多くの生徒とすれ違った。


 その中に、先ほどのショートカットの少女の姿があった。

 彼女は列から身を乗り出すようにして、俺の方を真っ直ぐに見ていた。


 至近距離で、視線が交差する。


 彼女は何かを言いたげに小さく口を開きかけたが、すぐに隣の教師に「列を乱さないように」と促され、不満げに列に戻っていった。


(……まあ、同じ新入生だ。縁があれば、また話す機会もあるだろう)


 俺は心の中で呟き、講堂を後にした。

 外に出ると、少し強くなった春風が、見事な桜吹雪を舞い上がらせていた。


「西園寺くん!」


 背後から、弾んだ声で呼び止められた。

 振り返ると、真新しい制服に身を包んだ数人の女子生徒が、頬を紅潮させて駆け寄ってくる。

 胸元のリボンの色からして、同じ1年生だろう。


「あ、あの、さっきの挨拶、すっごくかっこよかったです!」

「声も綺麗で、聞き入っちゃいました!」


 彼女たちの目は、憧れのアイドルを前にしたようにキラキラと輝いている。

 俺は立ち止まり、誰が見ても非の打ち所のない、優雅で自然な微笑みを向けた。


「ありがとう。少し緊張してしまったけれど、君たちにそう言ってもらえると、すごく嬉しいよ」


 俺の言葉に、「きゃあ!」と控えめな、しかし熱烈な黄色い悲鳴が上がる。


 打算まみれの大人の世界に嫌気がさしていた俺にとって、彼女たちの純粋で無邪気な反応は、どこか小動物を愛でるような新鮮な心地よさがあった。


「これからよろしくね。確か、同じクラスだよね?」


 俺が首を傾げて柔らかく問いかけると、彼女たちは顔を見合わせてパァッと表情を輝かせた。


「は、はい! 1年A組です! よろしくお願いします!」


 彼女たちは弾むような足取りで、はしゃぎながら先へと歩いていった。

 その後ろ姿を見送りながら、俺はふと表情を緩める。

 平和な学園風景だ。

 この平穏な日常を満喫しながら、俺は誰にも知られることなく、裏で着々と絶対的な富の城を築き上げるのだ。今日の放課後、自室のPCを立ち上げれば、仕込んだポジションがどう動いているか、最初の答え合わせができるはずだ。


 教室へと向かう、レンガ張りの渡り廊下。

 ふと、中庭の方に目をやると、大きなシンボルツリーの下にあるベンチで、一人の少女が静かに文庫本を読んでいるのが見えた。


 肩まで伸びた、艶やかな長い黒髪。白い肌と、伏し目がちな横顔。

 新入生が騒ぎ立てる周囲の喧騒から、彼女の周りだけが完全に切り離されているような、ひどく静謐で冷涼な空気を纏っていた。

 舞い散る桜の花びらが本の上に落ちても、彼女は気にする素振りもなくページをめくっている。


(……不思議な雰囲気の人だな)


 胸元のリボンは2年生のカラーだ。

 その凛とした姿は、一枚の絵画のように、この歴史ある学園の風景に美しく溶け込んでいた。


 俺は視線を戻し、再び歩みを進めた。

 教室に入れば、そこにはまた別の出会いが待っているだろう。

 先ほど目が合った、あの鋭い目つきのショートカットの少女も、同じクラスにいるかもしれない。


 俺はネクタイを緩めることなく、1年A組の教室の扉の前に立った。

 重厚な木の引き戸。

 その向こうには、俺が意図して作り上げる、完璧で輝かしい高校生活が待っている。


 大きく息を吸い込み、俺は最高の「王子様」の笑顔を作って、扉を開いた。


「おはよう」


 教室で談笑していた全員の視線が一斉に、吸い込まれるようにこちらを向く。

 その静寂の中へ、俺は堂々と足を踏み入れた。

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