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アイツがある日、突然嫁を連れて帰ってきた  作者: 川平直
母さんの墓参りにいく▢

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第27話

 真奈実が、大学に進学して最初の六月。その下旬、前記試験に向けての試験勉強を、自習室で行っている時のことだった。


「なにやってるの?」


 突然声を掛けられて視線を上げてみたら男が一人、真奈美目の前に立っていた。


 男は人の良さそうな表情を浮かべていたが、それとは対照的に真奈美の表情は訝しげなものになった。


 どうしてこの人は私の名前を知ってるんだろう? 少なくとも真奈実の記憶の中にこの男はいない。


 真奈美の表情で察したのか、男は空笑いを浮かべて。


「分かんないかぁ。一応俺、久野空さんと同じ講義、取ってるんだけど」


 そう言って男が上げた講師の名前は、確かに真奈実が受けている講義の先生だった。


 しかしそれでも、真奈美からはその男が誰なのか見当も付かない。そもそもその抗議を受けている生徒は二十人以上いたはずだ。


 自己紹介なんてものもしないし、同じ講義を受けていてもいちいち顔なんて覚えていられない。


「まぁ分からないのはしょうがないか。俺、宮原俊介、一応、久野空さんと同じ一回生、以後よろしくね」


 よろしくねといわれても。突然声を掛けられた真奈美からしたら、なんて答えたものやら分からない。


「何かご用なんですか?」


 その声は、警戒心に満ち満ちたものになった。別に普段から愛想がないという訳でも無いが、いきなり声を掛けられたのと男の口ぶりが軽薄で、女慣れしているような印象を受けたからだ。


 そう言うタイプは個人的に、あまり得意ではない。


「いや、用があったわけじゃ無いんだけど。久野空さんって、この時間いつもここにいるからさ、一体なにしてるのかなって。試験勉強?」


「ええ、まあ」


 目の前に開かれているノートや教科書を手でさり気なく隠す。


 自分のものを覗かれて、なんとも思わないほど気を許していると思われたくなかった。


 その意図を察したのだろう俊介は「ごめん」と謝ってノートから視線を外した。


「それにしても、真面目だね。前記試験なんてまだまだ先の話なのに、今から自主勉強なんて」


「別に、次の講義までやることが無いんでやってるだけです」


「そっか。それじゃあ俺もう行くよ、勉強の邪魔してゴメン」


 そう話を切り上げて俊介は踵を返した。


 それを見て真奈美も手元のノートへ視線を戻すが。


「……ゴメン、一つだけ」


 俊介がもう一度、真奈美の方へと振り返る。


「余計なお世話なのは分かってるけど、気になっちゃったから言わせて貰う」


 言いながら真奈美のノートを指差す。


「計算、多分間違えてる」


「うそ!」


 慌ててノートに書いた内容を確認してみるが、自分ではその間違いを直ぐに見つけることが出来ない。


「ホラ。ここ、ここ」


 いつの間にか真奈美の隣に立っていた俊介が、横からノートの一角を指差す。そこに書かれた数式を、教科書と比べてよーく確認してみると確かにその問題は間違えていた。


 式のやり方事態はあっていたが、途中から数字を書き間違えていて、そのことに気づかず進めたせいで答えがおかしな事になっている。


 どうして言われるまで気がつかなかったのかと不思議に思える程の簡単なミスだった。


「えーと、ごめん。やっぱり気に障ったかな」


 おずおずとした様子で男が急に窺ってくる。一体どうしたのかと思っていると。


「いや、すごい顔で睨み付けてくるから」


 指摘をされてハッとし、慌てて俊介から顔を逸らす。


「えーっとゴメンね。やっぱり行きずりにこんなこと言われて感じ悪かったよね、怒らせるつもりは無かったんだけど」


「いえ、指摘してくれたことは別に。むしろ助かりました、多分あのままだったら気が付かなかったし。だから別に怒てっるっていうわけじゃ無くて、ただ――」


 真奈美の頬が一刷子赤くなる。


「悔しかったんです。あなたに、指摘されるまで自分で気が付け無かったことが。だからあれはただの八つ当たりです、気にしないで下さい」


 自分で言っていて、益々恥ずかしくなってきた。


 簡単なミスに気が付かず、人に指摘されてその上、悔しくてその相手を殆ど無意識に睨み付けてたなんてまるで子供じゃ無いか。


「……久野空さんって――」


 俊介が何か言いかけたその時、ムームーと真奈美の携帯が机の上で震えた。講義の時間が近くなったら、なるようにセットしていたタイマーだ。


「あっ、もうこんな時間」


 わざとらしい言い訳を口にしながら、開かれたノートや教科書を手早く片付けて席を立つ。


「それじゃあ失礼します!」


 気恥ずかしさに急かされるように、慌てて自習室の出入り口へと向かい、外へ出ようとしたその時。


「またね、久野空さん」


 背中から掛けられたその声に、軽い会釈を返して真奈美は自習室を後にした。


 その言葉の意味を、その時はあまり深く考えることはしなかった。




「なにやってるの?」


 いつものように自習室で、試験勉強していたら聞き覚えのある声にそう言われた。


 まさかと思いながら視線を上げてみるとそこには案の定、宮原俊介の姿があった。


「それ、前も聞かれたような気がするのは、私の気のせいですか?」


「おっ! 憶えててくれたんだ、嬉しいな」


 憶えてるもなにも、前に俊介と会ったのは僅か一週間前の話だ。その程度の時間で忘れるほど記憶力は悪くないつもりだ。


「今日も試験勉強?」


「そうですよ。そう言う宮原さんは、なにしに来たんです?」


「俺も久野空さんを見習って、少しは学生らしく勉強でもしようかと思ってさ」


 そう言って、俊介は真奈美から見て斜向かいになる席に腰を下ろすと、鞄から教科書と筆記用具を取り出した。どうやら本当に自習を始めるつもりらしい。


 最初の内は警戒をしていた真奈美だったが。俊介は一言も発すること無く、ただ静かに勉強をしているだけで、何か話しかけてきたりするような事は無い。


 黙々と勉強に励む俊介の姿は知的で大人びて見えた。


 先週は落ち着いて観察することも無かったので特になにも思わなかったっが、俊介の整った顔立ちは、さわやかな印象をうけ身長もスラリと高い。


 その日の服装は白のシャツに、ジーンズとシンプルだがセンスは悪くない。

 正直に言って見た目は割と真奈美にとって好みのタイプではあった。


 まぁだからといって何かを期待するわけでもないし、積極的に狩りにいこうと思うほど男に飢えてる訳でも無い。


 真奈美は俊介から視線を外し手元のノートと教科書に意識を集中する。結局、一言も話さないまま真奈美の携帯が次の講義の時間を告げる。


「もう時間?」


 不意に俊介からそう声を掛けられた。一瞬どうした物かと考えたが。無視をするのも感じが悪い。


「ええ、もうすぐ次の講義が始まるので」


「そっか。じゃあ、またね」


 俊介に見送られて、真奈美は自習室をあとにした。



 

 そうしてまた一週間が経って。


「やっ。頑張ってるね」


 またもや声を掛けられて、声のした方を見てみればそこにいたのはやっぱり俊介だ。


 この人また来たのか。


 そう思っていると俊介は何食わぬ顔で、前回と同じ真奈美と斜向かいになる席に座り勉強を始める。


 さり気なく辺りを見回す。


 席はチラホラ埋まってはいるが、座る場所に困るという程では無く、敢えてその席に座る理由は無いように思えた。


 それなのにどうしてまたあの席に座るのだろう?


「ん? どうかした?」


 訝しげな視線に気が付いたのか、俊介がそう言って来た。


 別にやましいことをしていたわけでもないが、ついとっさに「いえ、別になんでも」と視線を逸らすと俊介は「そっか」とだけ言って視線手元に戻す。


 偶々? それともその席に座ることに、何か意味があるのだろうか? だとしたらその意味は何か……。


 いやいやと頭に浮かんだ考えを自分で却下する。たかだか数回近くの席に座ってきたからってそう思うのは流石に自意識過剰だ。


 その日も特に何かするでも無く試験勉強を進め、そしていつものように真奈実が講義へ向かう時間がやってくる。


「お疲れ、またね」


 席を立った瞬間、そう声を掛けられ殆ど反射で「どうも」と軽い会釈をする。

 そうして自習室を出た所で「あれ?」と気が付く。


 今『またね』って言った?


 それはまた会うことが前提の挨拶なわけで、ということはやっぱり二回も真奈美の前に現れたのは何か意図があってやってる……という事なのだろうか?


 だとしたらそれは――。


 その先の結論を考えるのはやっぱり自意識過剰のような気がして、躊躇してしまう。


 でも、だけど、うーん。


 結局、その事が思考の中で浮かんだり沈んだりを繰り返して、その日の講義はあまり身が入らなかった。

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