変転の騎馬隊
釜の火が消された深夜の浴場の中は、まだ暖かいものの人気は無く浴槽の湯は既にぬるま湯になっていた。
これでは疲れも取れない。
ドレイクは落胆したまま湯に浸かりながら考え事を始めた。
一晩で色々と起きた…。
起き過ぎた…。
タメトモの活躍に一時は皆、湧いていたのだ。
それなのに…。
なおも考え事を続けていると入り口の引き戸が開いて裸のグレンが入ってきた。
「よう。」
そう声を掛けて来たグレンは浴槽のそばに屈んで指先で湯加減を確かめた。
「ぬるっ!お前よく浸かってられんなぁ。こんなんじゃ疲れ取れねえだろ。ちょっと待ってろ。」
そう言ってグレンは何がしかの呪文を唱え始めた。
「どうする気だよ?」
やや不安気にドレイクが尋ねると詠唱の邪魔をされたためか、グレンは少々不機嫌に言葉を返してきた。
「爆炎系の術式で、浴槽の中を瞬間沸騰させるんだよ。」
「わー馬鹿馬鹿!!やめろ!!湯どころか風呂場まで吹っ飛ぶわ!!」
「ははは!冗談に決まってんだろ。ほらよ。」
グレンの手の平の上に現れた小ぶりの火球が湯の中に放り込まれる。
火は湯の中に沈んでも煌々と燃焼を続けていた。
「おお〜。」
「魔力で起こした火だからな。水かけても消えねえんだ。ほら。ボサッとしてねえで、火球に当たんないように上手くかき混ぜろ。」
言われるままに湯を撹拌すると、立ち登る湯気の勢いが増して、心地良い温感が全身を包んだ。
「おお〜。」
ドレイクが感嘆の声を漏らすとグレンも浴槽に入ってきながら言った。
「お前さっきからそればっかじゃねえか。」
「いや、お前のやる事で正直初めて感心したわ。」
「何だと?昨晩の俺様の活躍を見てねえのか?もっと称賛してくれてもいいんだぞ?」
グレンが鬱陶しいほどのドヤ顔を決めながら言う。
まあ、こいつはこいつなりに自分を慰めようとしてくれているのだろう。
そう思うと冷えた心も幾らか温まる。
と、いうより…。
「おいグレン。ちょっと熱くねえか?」
「え?おっといかんいかん。そろそろ火消すか。」
水面のゆらめきの中でグニャグニャと形を変えながら存在を主張していた火球が掻き消えた。
「ふう。危ねえ危ねえ。また茹でダコになっちまうとこだったぜ。」
「昔、風呂場で伸びて医務室に運ばれたのってそれか?」
「ああ。今より弱い火力でゆっくり温まってたら気持ちよくなって眠っちまったんだよな。」
そう言ってグレンは高笑いをした。
「馬鹿かお前は?死んじまうだろ。」
「だから反省して火力強めにしたんだよ。な?寝落ちする前に熱いって気づいただろ?」
「な?じゃねえよ。」
そうツッコむとグレンは誤魔化すようにまた笑った。
グレンは魔術科の中では浮いた存在だが、気性の荒い通常の戦闘部隊の連中とはむしろ波長が合うようで自分などとも良く話をした。
はっきり言えば魔術科の連中は難しい学問を修めたという自負からなのか通常の兵士を何処か見下しているようなところがあるとドレイクは感じていたが、コイツにはまるでそういうところが無い。
態度がデカいのは誰に対してもだし、こういう奴なんだと分かっていれば特に腹も立たない。
むしろ分かりやすいので付き合いに苦労を感じたことはない。
「ま、なんだかんだ言っても良いヤツだよな。お前って。」
「は?急にどうした?」
「なんでもねえよ。」
そんな風に言葉を交わしている内に気力が少し戻ってきた。
心の傷という奴が完全に瘉える事はないのだろう。
ただ、ドレイクには新たな目標ができた。
漫然と日々を過ごしていた今までとは明らかに違う心持ちになった。
「どうした?おっかねえ顔で考え込んじまって。」
グレンの掛けてきた言葉に考えていた事が思わず口から漏れた。
「旅…だな。」
「あん?何だって?」
怪訝な表情でグレンが聞き返してくる。
「俺さあ、今回の翼竜の件が片付いて、もし生き残れてたら軍を辞めるわ。」
「辞めてどうすんだよ?」
「行く先々で日銭を稼ぎながら、あちこち旅してみようと思ってる。ま、冒険者ってやつだな。」
「ああ、なるほどな。まあ、それも良いかもな。」
「ただの旅じゃない。」
「は?」
「アイツの仇を残らず狩ってやる。」
「狩る…って翼竜を、か?」
「そうだ。今、壮大な復讐の物語が幕を…。」
「開けんでよろしい!馬鹿かお前は?アレを一人でどうやって相手するんだよ?それに…まあ万に一つも有り得ねえが、仮に翼竜を絶滅させたからって根本は何も解決しねえぞ。」
「だろうな。」
「だろうなって…。あーなるほどな。お前ちゃっかり俺とオッサンの話を聞いてたってワケか。」
「察しが良くて助かる。」
「まあ、こっちも別に隠してたワケじゃねえから話すのは構わん。あの翼竜どもを操ってるのは群れのボスじゃねえ。間違いなく軍属のビーストテイマーが絡んでる。」
「その根拠は?」
「なんだよ、その会議口調は?まあいいや。まず射手の目眩ましに月を隠すように飛ぶって発想はトカゲのものじゃない。次にタメさんの邪魔を始めた時の飛び方が妙に統制が取れ過ぎてた。タメさんが一匹目の突撃を躱して狙いを付けようとするところに二匹目が突撃、それも躱すと一匹目が再び…ってな具合だ。当然トカゲの考える事じゃない。」
「うん。そしてその間に別のヤツらが建屋や巻上機を破壊。確かにトカゲの考える事じゃねえな。」
「ああ。相手は攻城戦の経験がある軍人だってオッサンも言ってた。つまり軍属のビーストテイマー、もしくはそういう部下を抱えた将官だろうと俺も思ってる。」
「そうなると問題が出てくる…。」
「なんだよ。オッサンみてえな事を言うな。何の問題だよ?」
「こんなボロ砦を狙う目的と背後関係だ。」
「ああ、それな?俺もそこはずっと引っ掛かってるんだ。」
「目的の方から整理するか。まず考えられるのは兵器としての翼竜の評価試験。」
「つまり、この砦そのものに戦略的な意味はないって事か?」
「ああ。あくまで翼竜がどこまで使えるか…とか、暴走しないか…とかの観察が主だろうな。そして…。」
「威力偵察…といったところか?」
「オッサン!いつから居たんだ?」
話の腰を折る声の主を見てグレンが素っ頓狂な声を上げた。
見るとカクワイがのんびりと掛け湯をしている。
「ついさっきだ。中々面白そうな話をしておったのでな。声を掛けられずにいた。」
「お疲れ様です。」
ドレイクは頭を下げた。
あの緊迫した状況の中で死に急ぐ自分を最後まで生の側に引き留めてくれたのだ。
会ってまだ数日なのに危険を顧みずに必死で生かそうとしてくれた。
自然に頭も下がろうというものだ。
「堅苦しいのは抜きだ番兵。ええと…。」
「ドレイクです。いい加減に覚えてくださいよ。」
「そうだったな。すまんすまん。で、話を戻すが、ここは王都の軍管区だそうだな。他の領邦から恨みを買ったとか防備にスキがあるとか目を付けられる要素はあるか?」
「そんなのは幾らでもあるぜ。ハッキリ言えばこの王国は国内がガタガタなんだよ。戦乱の兆しみたいな事はあちこちで頻発してる。」
グレンが口火を切って説明を始めた。
「父王が亡くなる。当然、太子が後を継いで新国王になる。どこの国でも普通ならそうだ。だが、この国の場合、その新国王も一年と経たねえ内に亡くなられた。察しがついたと思うが、まず暗殺だと見て間違いねえだろうな。後は良くあるお家騒動ってやつに明け暮れて、数年の間に4人も王が入れ替わった。で、今のところは太子の末弟だった人が王位を継承してやっと落ち着いた感じだが、果たしていつまで保つかってな状態だ。」
「なるほどな。内部は常に分裂状態ってワケか。」
「ああ。元凶は力を持ち過ぎた老臣たち…。ま、これも良くありそうな話だろうが、その老臣たちが、それぞれの権益を守ろうとして相争ってるもんだから、まとまりなんてものはありゃしねえ。だから王都の外で起こってる事に構ってるヒマもねえんだろうな。現にここがこんな状態なのに援軍も補給もねえ。ここの備蓄だけで何とかやりくりしてる。だからメシも不味いって事だ。地方の領主様なんざ、他の王家とか、それこそ盟主である帝国からの調略で、そろそろ独立して叛旗を翻す奴が出るんじゃねえか?」
「グレン。お前、思った以上にお喋りだな。良いのか?某のような外部の者にそんな事まで聞かせて。」
「俺だって相手を見て喋ってるつもりだぜ。まあ、こんな状況だからアンタの言う威力偵察って推測にも真実味が増す。」
「そんな状況でトカゲの撃退に成功したら悪目立ちしちまうか。」
「でも、それをやらねえと俺達は一人残らず翼竜の腹の中だぜ。むしろ悪目立ちしておいて、こんな下らねえちょっかいをやめさせる方が遥かに良い。」
「それもそうだな。今は我らが生き残る事だけを考えるべきか。」
ドレイクは黙って聞いていたが頷ける事ばかりだった。
「なら俺の旅の目的も決まったな。」
「急にどうした?」
「真の仇は翼竜じゃなく、それを操ってた奴らでもない。この状況を生み出した元凶…この世の歪み全てだ。」
「また大袈裟な事を言い出しやがったな。それって、どこか一国を相手に戦争をおっ始めるって事だぞ?」
「そうだ。今、壮大な復讐の物語が幕を…。」
「だから開けんでよろしい!馬鹿かお前は?このやり取り、もう二回目だぞ?」
浴場が爆笑に包まれた。
ドレイクも笑っていた。
ただ、わざと大袈裟な目標設定をして皆を笑わせたが、内心は半分本気だった。
まずはビーストテイマーを見つけ出して狩る。
そいつを狩った後、その背後の存在とも戦わざるを得ないなら当然戦う。
どこまでやれるかは分からない。
いつまで続けられるかも分からない。
だが、命ある限り自分はそれをやる。
ロドルフの首に、そう誓った。
元々剣の扱いには自信があった。
少しばかり腕を上げて謎の自信に取り憑かれた新兵のそれとはワケが違う。
代々、剣で仕えてきた家柄に生まれた。
当然、自分も厳しい修行を経て軍に入った。
自分の叔父はかつて大陸一の猛将と謳われたギョーム・レナードだ。
敢えて誰にも明かさずに勤め上げてきたが、自分には、そうした血が入っている。
これは血を受け継いだ者の宿命だ。
見ていてくれロドルフ。
ドレイクは誓いを胸の深奥に秘すように笑い続けた…。
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時期的には雨季だが、今日は珍しく太陽を遮る物が何もなかった。
大陸の南端のこの街…ヴァルクールでは雨季の空は常に雲に覆われている。
もっともこの近辺は雨自体は降るものの災害級の大雨に見舞われる事は殆どなかった。
伯爵という爵位を与えられ、この田舎街を領地として引き篭もるようになってから何年が過ぎただろうか。
馬上でそんな事を考えながらレナードは日課である領内の見廻りを続ける。
見廻りというより殆ど散歩だ。
最近、散見される異世界人の流入という事態も見回りに出る良い口実になった。
この街にも二人ほど来ている。
よほどの酒好きらしく深夜まで飲んでいるようで朝に会うことは滅多にない。
しかしギルドの前を通りかかると、その二人が薬草籠を担いで立っているところに出くわした。
ここ数日降り続いた雨のせいで薬草採取に出られないとボヤいていたそうだから今日は久々に出るのだろう。
「おう、田舎伯。ご苦労さんだな。」
向こうも気づいて声を掛けてきた。
元の世界では侯爵だったらしい。
自分より上の爵位だ。
だからなのか態度はデカいが、不思議と不快なものを感じない。
「おう、お客人方。久々の受注か?精が出るな。」
「ああ、ホント久々だよ。おかげで酒代が底を突きそうだったぜ。」
「しかしDランクに昇格したと聞いていたが討伐系の依頼は受けぬのか?」
「いや、受けようと思っても他が先に受注しちまって、こっちには回ってこねえんだわ。」
「それは毎晩遅くまで飲んでいるからではないか?」
「…まあ、そういう見方もできるな。」
「いやいや、絶対にそれが原因ですって。」
隣りに居たもう一人の若い男が、すかさずツッコんだ。
「何事も早寝早起き。これが一番です。」
「ジジイみてえなこと言ってんじゃねえよ。じゃあお前が早起きして仕事取ってくりゃいいじゃねえか。」
「それは無理という物です。」
「なんでだよ?」
「なんで…って、いつも無理に飲ませて酒に弱い某を酔い潰すのは、どこのどなたでしたかねぇ?」
「何?それは許せんな。一体、誰の仕業だ?」
「とぼけないでください!あなたですよ!あ!な!た!」
「うっ…。つ、土屋くん、今朝はいつになく切り口上だな。何か悪い物でも口にしたのかね?」
「ええ。馬岱殿が毎晩飲ませる強いお酒という、それはもう非常に悪い物を口にしましたよ。」
「うっ…。ぷわあーっはっはっは!!!土屋くん!!今日はいい日和だな!!」
「笑って誤魔化さない。それと朝っぱらから大声出したら近所迷惑ですよ。」
「うむ!!元気が一番!!」
「だから大声を出さない。ご領主様、申し訳ございませぬ。このような御仁ですので何かあれば遠慮なく捕縛してください。」
「馬鹿野郎!お前なんてこと言うんだよ!パーティーリーダーの俺がとっ捕まったら、その後どうすんだよ!?」
「某が儲けを独り占めできますな。」
「てめえ、そんな事考えてやがったのか?」
レナードは苦笑しながら聞いているしかなかった。
見ての通りこの二人の異世界人は、いつもこんな調子で底抜けに明るい。
付き合わされる方はハッキリ言って疲れるが…。
そんな事を考えているとギルドの扉が開いて中からギルドマスターであるエリスフィールが鬼の形相で顔を覗かせたが自分に気が付くと表情を崩した。
「あらギョームくん、おはよう~。今から見廻り?」
「おはよう。まあそんなところだ。貴女も早いな。」
「そうなのよ。手の掛かるのが二人も居るから大変なのよ。」
ギルドマスターはそう言った途端、鬼の形相に戻って異世界人二人を叱りつけた。
「もう!朝っぱらから騒いで何なの!?恥ずかしいから中入って!」
「何だよ。外で待ってろっつったのママさんだろ。」
「いいから入りなさい!!」
「はい…。スンマセン…。」
二人はすっかりしょげ返って大人しく従った。
女は強し。
レナードは手を振ってギルド前を後にした。
自分もあの二人のように何もかも割り切って自由に生きていけたなら…。
自分は割り切る事も諦めることもできなかった人間だ。
しかし現実的な打開策を何も見出せないままでいた人間でもある。
その結果がこの田舎暮らしだ。
心は諦めきれていないのに行動としては何もできていない。
そうやって日々を暮らしながら、しぼむように人生の幕を閉じるのだろう。
自身の輝かしい過去も名声も…今となっては、もはや何の意味も持たない。
そう…。
自分は戦わずして逃げたのだ…。
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「そうか。みんな粗食でずっと耐えていたのか。」
運ばれてきた朝食を見てタメトモが言った。
こんな食事とも言えない物を運んできたら怒りださないかと少し心配していたが、杞憂だった。
腕の手術や夜間戦闘などで後回しになっていたので、これが、タメトモがここで口にする初めての食事だ。
申し訳ない思いでそれを運んできたドレイクは、この男の意外な優しさに心を打たれた。
この男は断じて只の暴れ者などではない。
「タメさん済まない。この戦の最大の功労者にこんな事しかできない。」
「いいってことよ。みんなが我慢して捻出してくれた備蓄だ。こいつは美味しく頂かねえとバチが当たるってモンだぜ。」
そう言ってタメトモは硬いパンを塩だけのスープに浸してあっという間に平らげた。
もう一つのパンも同様に平らげ、残った塩スープを飲み干して手を合わせた。
「ご馳走さん!空きっ腹に染みるぜ。ありがとよ。」
彼が元居た世界の食後の挨拶なのだろう。
言い終わるとタメトモは少し考え込むような素振りを見せた。
「どうした?」
「いや。オッサンとグレンの話じゃ人間の仕業だって事だよな。」
「ああ。他所から目を付けられて、ちょっかいを受けてるようだっていうのが彼らの見解だ。」
「早目にそいつを見つけ出して討ち取らんとマズいかも知れん。」
「今日は戦闘要員は全員非番だから捜索隊は出さないようだが…。何か気掛かりでもあるのか?」
「ああ。内通者の存在を疑う奴が出てくるかも知れん。こんな状態だ。疑心を煽るような言動は即、落城に繋がる。」
「そうか。可能性は否定できんな。」
「俺だってもちろん内通者なんか居ねえと思ってる。ただ誰かがそんな疑念を口にすれば、あっという間に蔓延しかねん。杞憂に終われば良いが…。」
「確かにな…。だが俺は大丈夫だと思う。これだけ一緒に死線をくぐり抜けてきたんだ。みんなの結束は固い。カクワイさんにしたってタメさんにしたって、かけがえのない仲間だ。みんなもそう思ってるはずだ。」
「そう…だよな。いや、変な事を言って悪かった。忘れてくれ。」
「なあに。こんな状況だ。当然の心配だと思うよ。」
「ありがとよ。なんか救われた気分だぜ。」
「そう思ってくれるんなら今夜で決めちまおうぜ。カクワイさんの言う眼って奴を始末できれば、後は楽勝だろ?タメさんの腕があれば。あの人も大概すげえよな。一番高いところに居る眼を墜とす方法だって多分もう思いついてる。以前は名のある参謀か何かだったんだろうな。」
「ああ。確かに只モンじゃねえよな、あのオッサン。」
盆を差し出して食器を受け取りながらドレイクはわざと声を潜めて言った。
「かなりの変人だけどな。」
「ははは。違いねえ。」
タメトモも笑いながら相槌を打つ。
「じゃあな。ゆっくり休んでくれ。今夜で地獄を終わらせよう。」
「ああ。拾った命と治してもらったこの腕にかけて、散った全員の無念を晴らしてやる。」
言ってお互い頷き合う。
そうだ。
戦友だ。
失った者達と入れ違いに自分達はカクワイ、そしてタメトモという戦友を得た。
負ける道理はない。
タメトモの居室を辞して廊下を歩いていると難しい顔をしたアンリとすれ違った。
ドレイクにとって、アンリは典型的な魔術科の要員だった。
はっきり言ってあまり良い印象を持っていない。
おかしな事を言い出さなければ良いが…。
ふと思い浮かんだ考えをドレイクは必死に頭から振り払った。
いかん。
これこそがタメトモの言う落城の原因だ。
自分がそうなってはならない。
新たな目標に向かって歩き始めようとしている自分は、まず生き残らなければならない。
少しでも負の感情に囚われてはならない。
信じる。
今の自分にできる事はそれだけだ。
ドレイクは下膳のため再び厨房に向けて歩きだした…。
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今日は珍しく快晴だった。
ギルドから貸し出された薬草図鑑を片手に、目的の薬草を摘む。
根から掘り出さなければ薬効が失われる物、根に毒がある物、逆に根に薬効があって葉に毒がある物。
見れば見るほど薬草というのは、それぞれに性質が違っていて面白い。
雨で薬草採取を中止にした日々に何となく手に取って読んでみたが牛金はすっかり植物の世界の虜になっていた。
薬効は無くても食用に適した野草なども飲食店や八百屋に卸せるのでギルドは買い取ってくれる。
一口にギルドと言っても、商工系や物流系など様々な部門があり、魔獣などの討伐以外でも冒険者の稼ぎになる仕事は多い。
依頼に含まれていない物もアンソニーと手分けして採取した。
「うわー。この草、なんだか気色悪いですね。」
アンソニーが地を這うようにして赤い茎を伸ばしている草を見て言った。
「図鑑では肉葉草だな。某が居た世界では馬齒莧と呼ばれていた草だ。」
言って、牛金はその草を丁寧に根から掘り出した。
「湯がいてアクを抜いた後、醤と胡麻油を基本にしたタレに和えて食うと美味い。ほどよく酸味があるから肉料理の付け合わせとしても結構イケるかも知れん。飢えが日常の戦場に於いて、兵にとってはこの上ない御馳走だ。」
「薬効あるんですか?」
「あるぞ。大雑把に言えば解熱にも消毒や止血にも使えるし、腹下しにも効くから軍では重宝した。案外、そこら中で見つかるので、兵糧の一部として兵を総動員して摘ませたりしたものだ。」
「へえー。雑草だと思ってたら意外に使える草なんですね。」
「うむ。他にもそうした草は多い。というより雑草などという物は存在しないと某は思っている。毒になるか薬になるか、食って美味いか不味いか、草にはそれしかない。全て大地の恵みだ。」
「毒草もですか?」
「ああ。鏃や槍の穂先などに塗って使える。敵を倒すのに必要な恵みだ。」
「スベリヒユ…か。この世界では肉葉草、そして貴殿の居られた中原では馬齒莧…。興味深い…。」
「何者か!?」
突然掛かった声に牛金は身構えた。
視線の先に具足姿の武者が一人。
ゆったりとした歩調で近付いてくるその姿に兜は乗っていない。
というより、頭その物が無い。
諸葛亮が言っていた首無し武者か。
「良き敵に出会えたようだ。一手、御指南頂ければ幸甚…。」
「もう一度訊く。何者か。」
牛金は腰の長剣を抜いて正眼に構えた。
「首の無い某に名など無意味…。死合うに言葉は不要…。」
相手も太刀を抜いた。
そして牛金と同様に正眼に構える。
「なるほど。サムライソードという奴か。」
牛金のその言葉が合図かのように、首無し武者は、くるりと刃を上に返した。
死合うと言いながら、相手に命を奪うつもりが無いという諸葛亮の言葉は本当のようだ。
そのまま対峙が続く。
アンソニーが冷や汗を幾筋も垂らしながら呪文の詠唱を始めるのが横目に見えた。
牛金は、その肩にそっと手を置いた。
震えている肩が少しだけ振動を和らげた。
首無し武者は動かない。
「落ち着け。恐らく攻撃魔法は効くまい。回復魔法は使えるか?」
「き、基本的な物なら。」
「それで良い。某が傷を負うような事があれば即座に治癒できるように備えていてくれ。」
「た、戦うつもりですか?」
「某との太刀合が相手の望みならば受けるしかあるまい。」
「…了解です。ご武運を。」
首無し武者が微笑んだように感じた。
「感謝致す…。術師は苦手ゆえ、純粋に得物のみで語り合いたい…。」
「そう言いながら何組も、術師の居るパーティーを戦闘不能にしていたようだな。苦手にしているとは到底思えんが?」
「そこを補う術は持っている…。が、気持ちとしてはやはり苦手だ…。」
「聞いていた話ではもっと南の方に現れていたようだが?」
「某の噂が広まったのか誰も来ぬようになったのでな…。良き敵を探すために動いた…。」
「その目的は?」
「首を取り戻す…。戦い、成長する事で取り戻せると教えてくれた者が居る…。その者の言が信用に足るかどうかは実際に戦わねば確かめられぬ…。」
「死んでも死にきれぬ…そんな思いを残したのか?」
「否…。死は受け入れた…。それよりも首が無いままに再生した事の方が受け入れられぬ…。」
「…良く分かった。貴殿の言う良き敵であるかは知らぬが、お相手仕ろう。」
そう言って牛金は愛用の長剣を少し強めに握り直した。
双方、動かぬままの対峙が続いている。
頭の中では既に何合も斬り結んでいた。
何度打ち合っても全て相手に受けられ、こちらも全て受ける。
互角…か。
牛金は一切の思考をやめた。
考えるだけ無駄だ。
そのまま機が満ちていく。
相手が少しだけ足を右へずらした。
そして上段へ振り被る。
来るか!
牛金の長剣が頭上で旋回し、振り下ろされた相手の太刀を大きく左へ弾く。
一周した長剣をそのまま真正面に振り下ろす。
相手の太刀は、すんでのところでそれを下から受け止めた。
弾けた火花に追い払われるように、互いに後ろへ飛び退って構え直す。
強い…。
そして…速い。
独特の太刀筋が異国の武人であることを再認識させる。
相手の実力について、諸葛亮の話から、ある程度の見当は付けていた。
だが、実際にはそれ以上だった。
これほどの武人が首を失う戦とは一体どれほど激しいものであったのか…。
今度は牛金から仕掛けた。
突く。
それを受けた籠手を狙う。
相手に弾かれる。
連続で左右に薙ぎ、弾かれた隙を隠す。
退がった相手の間合いに踏み込みながら斜めに斬り上げる。
相手は上体を逸らし、さらに退がって躱す。
すかさず長剣を振り降ろす。
今度は相手も真向から受け止めた。
金属同士の衝突音が鳴り響き、ギリギリと火花を散らしながら刀身が擦れ合う。
鍔迫り合いの状態で相手と睨み合う。
首が無く、当然、目も無い相手の刺すような視線を感じ、牛金も、その視線の奥を睨み返していた。
その圧を跳ね返すかのように相手が刀身を強く押し返した。
互いに大きく一歩退がる格好になり再び間合いが広がる。
が、共に一足一刀の距離を外さない。
そこからさらに打ち合う。
右へ…左へ…。
交錯する刀身と刀身。
飛び散る火花が頬を叩き、飛び散る汗の飛沫が陽光に照らされて煌めく。
何度も立ち位置を入れ替えながら、互いの意地を刀身に乗せてぶつけ合う。
もう何合、打ち合ったかも分からない。
いつしか牛金は肩で息をしていた。
しかし相手にはその素振りもない。
屍霊に体力の限界などあろうはずもない。
これは…不利だな。
再び静かな対峙が始まる。
攻めあぐねているのは向こうも同様だろう。
呼吸の乱れを少しでも整えておきたい。
そう考えたその時だった。
―――なぜ討たぬ?―――
突如響いた声に天を見上げる。
相手は構えを崩さずに言った。
「討つ…?何故…?命を奪わずとも戦う事はできよう…。」
―――ずっと見ていた。こちらの世界の冒険者との戦いも…そして、今も…。命のやり取りこそを戦いと呼ぶのではないのか?それこそが汝の首を取り戻す最良の道と教えたはずだが。―――
「首を取り戻さんと願うは某の我儘…。故に相手の命を奪うは道理として許されぬ事…。そちらの理屈など知らぬ…。」
まるで瘧に掛かったかのように体が動かない。
牛金の本能が危険な存在だと告げている。
今の自分にはどうする事も出来ない。
どれほどの剣技を身に付けていようと、圧倒的な差を見せつけられて、ただただ蟻のように蹂躙されて終わる。
そんな存在だ、と。
こちらの世界に飛ばされて来た時と同じだ。
大天使メルケオン…!
司馬懿を操り自分の命を奪おうとした者…!
―――ならば我が此の者を消去する。エルフェリアも許可してくれた。―――
牛金の全身に緊張が走った。
来る!
強大な何かが!
未知の力が光球となって空から迫ってくる。
そのほんの僅かな時間が何刻にも感じられた。
しかし牛金は動かない。
いや、動けない…。
自分は、ここで終わりなのか!?
何も成さぬままに終わるのか!?
動け!我が身よ!動いてくれ!
無念に囚われ強烈な怒りが牛金の自我を崩壊させようとしたその時、目の前の首無し武者が、巨大な光球の方へ向き直った。
「無粋な…。」
言って首無し武者が太刀の上下を返し、斜めに斬り上げた。
その一閃が光球を裂く。
光球は周囲に雷電を撒き散らし、やがて弾けて霧散した。
―――馬鹿な…。ただの屍霊ではないと思ってはいたが、まさか、このような事ができようとはな…。―――
「この御仁は某が選んだ良き敵…。再生については礼を申す…。が、邪魔立ては許さぬ…。」
―――なるほど。支配が及ばぬか。我が再生した者は全て完全なる支配下に置かれるのだが…。汝も彼の特異点と同様の力を持つか。―――
「死して主を失った某に仕える相手など不要…。恩で人を縛り、力を以て思い通りに使役せんなどとは笑止千万…。某は某の道を行く…。魂とは、そのように浅いものではない…。」
―――まあ、汝の好きにすれば良かろう。但し斯様な振る舞いが、ただで済まされるとは思わぬ事だ。―――
「貴公も神が絶対であるなどとは思わぬ事だ…。使われる身であるが故に使う存在の威を真似たくなる…。貴公は借り物の力に酔い痴れておるに過ぎぬ…。」
―――ふむ。傲慢にもここまで我に楯突くとは…やはり失敗作であったようだ。滅してくれようぞ。いずれ…な。―――
「用はそれだけか…?ならばこれ以上はご遠慮頂こう…。」
首無し武者がそう言うと、急に体の自由が効くようになった。
捨て台詞すら残さずメルケオンは去ったようだ。
牛金は、ようやくの思いで長剣を鞘に収めた。
そこで力尽きたように片膝をついた。
「命を救われた。忝ない。」
首無し武者に向かって素直に頭を下げた。
「礼は無用にござる…。某とて我が身を守ったに過ぎぬ…。」
首無し武者も太刀を鞘に収めながら言った。
「しかし、やはり礼は申し上げるべきであろう。某は何もできなかった。恐怖で立ち尽くしていただけだった。」
首無し武者がこちらへ向き直った。
「あれは貴殿の怯懦ではない…。彼の者は人の精神に作用するある種の瘴気を用いる事ができる…。先程の出来事も恐らくそれに因るもの…。」
「貴殿には何故それが通じぬのだ?やはり死と関係があるのか?」
自分の言葉に首無し武者が一瞬、固まった…ように感じた。
自分も少々興奮していたのかも知れない。
要らぬ事を言ってしまった自分を恥じた。
「これは…無礼な言い様であった。申し訳御座らん。許されよ。」
「いや…。恐らくは関係があると思う…。これは修練や克服によって得た力ではない…。魔力に満ちたこの世界が某をそのように変質させたのだろう…。」
死については、やはり何かしらの心残りはあるのだろう。
言葉を続ける首無し武者の口調に寂しげな響きを感じた。
今度は気を取り直したように、こう続けた。
「貴殿にもある…。それを術に変換して使うのが魔術師だが、魔力自体は全ての者が持っている…。それがどのような形で現れるかは、その人次第なのだろう…。」
「そうか…。某もまだまだ、だな。いずれはメルケオンにも勝てるようにならねばならん。」
「貴殿ならば必ずや…。それまで充分に気を付けて過ごされよ…。牛金殿…。」
「某の名を知って…。」
「存じ上げており申す…。生まれた時代、仕えた国は違えども、我らは武という一文字を通じて確かに繋がっており申す…。」
そう言う首無し武者の姿が透け始め、徐々に景色に溶け込んでいく。
「楽しく、有意義な一時であった…。もし再びお会いする機会があれば、その時もまた、お手合わせ願えるか…?」
「無論。貴殿の事は何と呼べば良いのだ?」
首無し武者は少し考えるような仕種を見せた。
「申し訳無いが、やはり生前の名を名乗るのはご容赦願いたい…。首無し…とでも呼んで頂ければ、それで構わぬ…。」
「相分かった。再びお会いする時を楽しみに待たせて頂こう。」
首無しは満足したのか、そのまま姿を消した…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
自分は凄い物を見てしまった。
目の前で繰り広げられた諸刃と片刃が激しく打ち合う様は初めて覚える興奮を自分にもたらした。
互角…。
自分の語彙の貧相さを恨むほどに激しく美しかった。
高潔な真の武人同士の勝負を見世物にしてはいけない。
それは分かっているが、隠しようもない興奮が、恐怖とはまた違った震えを起こした。
ギュウキンと初めて会った時から分かっていた。
この人は真の武人だ。
だからリーダーの座を譲った。
その背を追いたいと願った。
いつか追いつき、追い越したい。
おこがましいと知りつつも、そう思った。
自分が相棒として相応しくないと分かっているからこそ、相応しい男になって見せる。
遥かに遠い道のりだが、そんな目標を持つことができた。
人として成長するきっかけとは、こういう物なのかも知れない。
剣ではなく魔術の道を選んだ自分だが、それでも見ているだけで何かを得られたような感覚があった。
「アンソニー、大事無いか?」
声をかけられて、はっ、と我に返った。
しかし興奮は冷めやらない。
「ギュウキンさん!僕は凄い物を見てしまいました!」
「いきなりどうした?」
苦笑しながら聞き返すギュウキンに思わず興奮をぶちまけた。
「さっきの太刀合ですよ!ホントに凄かった!分からない!分からないけど凄かった!互角とか、そんな単純な言葉じゃ…!」
「落ち着け。某は単に意地を張っただけだ。それに、その後は無様なところを見せてしまった。」
「そ、そんな事はありません!あんな得体の知れない力を持つ相手じゃどうにもなりませんよ!」
「得体…か。君にも教えておいた方が良いのかも知れんな。某と一緒に組んでいれば、いずれ嫌でも相手にする事になる。」
アンソニーは固唾を呑み込んだ。
「あれは大天使メルケオン。」
「!!」
アンソニーにとっては驚愕に値する名だった。
学生時分に神学の授業の中で教わっただけだが…。
「知っているのか?」
「名前だけは…。僕は別にそれほど信心深いってわけでもないけど一応は国教ですので…。」
「そうか。あの者が仕える神が太古の昔に、この世界、そして某が元居た世界を作ったという。」
「はい。そして生命を生み出し、それぞれが様々に枝分かれしながら進化の過程を辿って今の形になったと習いました。しかし、その事とギュウキンさんが命を狙われる事に何の関係が?」
「慌てるな。順を追って話す。生み出した生命達が、時に助け合い、時に憎しみ合いながら築き上げてきた歴史は神界の者達にとって最高の娯楽になった。」
「何か、話の展開の先に暗雲が立ち込めるのが見える気がするのですが…。」
「歴史は神界の者達にとっては只の物語に過ぎない。面白い部分はそのままに、気に入らなければ望み通りの展開になるように、筋書きを書き換える。しかし、それを繰り返すうちに…まあ、やり過ぎたのだろうな。歴史の中の所々に特異点という名の歪みが現れるようになったという。」
「ひ、歪み?特異点?」
「そうだ。特異点が関わる事象は一切の書き換えが効かない。故に特異点その物の消去が必要になる。その実行役がメルケオンという事らしい。」
「もしかしてギュウキンさんが、その特異点…?」
「いや、某ではない。某は特異点となった人物と関係があるというだけだ。メルケオンはその人物を、どんな方法を用いても消去できなかったようだ。それで今度は関係者を始末する方向へ舵を切った。消去不能な特異点にどのような影響が出るかを確かめるために。某が狙われる理由はそれだ。」
「それって…とばっちりじゃないですか!」
「言ってしまえば、そういう事だな。ただ、戦いを選択したのは某自身だ。その特異点殿を恨むつもりは毛頭ない。それに狙われていなかったとしても、やはり某は戦いの道を選んでいただろう。」
「なぜですか?」
「神界の者達にとっては只の娯楽でも我々にとっては多くの血を代償として得た結果…それが歴史だと思っている。肉体と魂を犠牲にして書き上げられた記録だ。好みに合わせて書き換えられる…そんな事は許されんし、それを許される存在などあってはならぬ。例え、この世界を生み出した存在であったとしても。先程の首無し殿も言っていたが、魂とはそのように浅いものではない。」
どこまでも静かな口調だった。
しかし、それを語るギュウキンは決然としていて近づき難い気を放っている。
長い沈黙を経て、アンソニーは言った。
「僕はなれるのでしょうか…。ギュウキンさんに相応しい相棒に…。」
「難しく考えるな。相棒になるかどうかは巡り合わせに拠るところが大きい。相応しいかどうかは今後の君自身次第だ。それに某の方が相応しくない場合も有り得る。結局のところ、人の集まりとは適性や資質よりも縁で成り立つのだろう。」
「縁…。」
「そう。縁だ。某が君に声を掛けた事も、使い古された言葉だが何かの縁だ。必ず意味がある。いや、その言い方は正確ではないな。我々次第で意味を持たせる事ができる。」
「でも、ゆくゆくは神を相手に戦うってことですよね?僕は正直怖い…。この世の根幹を支配している教義に弓を引くなんて…。下手をすれば、この世界の人々全員を敵に回しかねない。」
「無論、それを強制するつもりはない。どうしても納得ができなければ去ってもいい。某は君を恨まん。」
「いえ、この世界の人々すべてを見世物にしてるのが真実なら僕だって許せない。ギュウキンさんと共に戦いたい。ただ…その…相手があまりにも強大過ぎて…。」
「それで良いと思う。」
「え?」
「誰だって怖い。某だって怖い。これは何年でもかけてしっかりとした準備をしなければ不可能な事だ。だから君は今、焦って結論を出す必要は無い。」
「…はい。」
確かにその通りだ。
自分が焦ったところで何かが変わるわけでもない。
「でも、ギュウキンさんでも怖いと思う事があるんですね。」
「もちろんある。生き残るためには時に臆病であることも必要になる。おかしな言い回しだがな。」
言いながらギュウキンは傍らの薬草籠を担ぐ。
「今日はこのぐらいにしておこう。」
「そう…ですね。」
―――でしたら一杯やりませんか?―――
口から出かかるその言葉をアンソニーは飲み込んだ。
この人は自分なんかにも気軽に話しかけてくれる。
だが、決してこちらから気軽に誘って良い相手では無い。
今はあくまでもその背を追う相手。
アンソニーはそう思っていた。
自分は父を知らない。
両親共に幼い頃に他界していたからだ。
伯父夫婦に引き取られて、ずっとグランフォールの街で暮らしてきた。
子宝に恵まれなかった伯父夫婦には、時に優しく、時に厳しく、実の子のように愛されて育ってきた。
その伯父のものとも違う優しさと厳しさをギュウキンには感じていた。
もしかしたら実の父は、ギュウキンのような人だったのかも知れない。
相棒になる…というよりも、良く覚えていない実の父の姿をギュウキンに重ね合わせていたという方が近いのかも知れない。
アンソニーはギュウキンの後についてグランフォールの街へと歩き出した…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「何やってんのお前?」
うるさいから中に入れと怒られてギルドの中に入り、適当な椅子に掛けて暫く待っていると上質そうな革鎧に身を包みロングソードを携えたカティアが現れた。
「同行するのよ。オブザーバーとして。」
「汚部坐亜婆?何だそりゃ?」
「…じゃなくてオブザーバー。顧問ってこと。」
馬岱は思わず土屋に訊いた。
「必要か?」
「ただでさえ二人しかいないんですから普通に大助かりだと思いますが?」
「…にしてもなあ。」
普段の接客時の服装しか見たことがないカティアの具足姿には違和感しか覚えない。
もっともそれなりに…いや、それ以上に着こなしている感じではあるが…。
元々、ギルドというのは、この大陸を治めるヴァルドラン帝国が定めた商取引法に基づいて各都市に設置された互助組織だ。
見方を変えれば各王国の動向を探り、叛乱に当たる動きがあれば帝国軍が活動するための拠点になり得る前線幕府のような役割を持っているようにも見える。
つまりギルド職員は帝国の関係者…それこそマスターやサブマスターともなれば帝国配下の有力な将官が務めている可能性もある。
エルフという奴らは寿命が長い。
200歳を超えるカティアの年齢なら充分に将軍職を務められる可能性がある。
普段、乳を揺らして接客しているからといって、只の酒場のオネーチャンてあるとは限らないのだ。
「…にしても、だ。」
馬岱は徐ろに立ち上がった。
「その胸当て、ちょっとキツく締めすぎじゃねえか?どれ、直してやる。」
「触るなヘンタイ。」
手が触れる寸前に、鞘にしまったままのロングソードで頭をコツンとやられた。
「痛えな。そんな硬いモンで叩くことねえだろ。もっともこっちの硬いモンならオネーチャンをコツンとやっても許さ…。」
「…れるワケねえだろ。バカじゃないの?」
カティアが冷たく言い放ち、一部始終を見ていたママさんと土屋は無言のまま呆れているが、セレフィーナだけは大ウケしていた。
「まず、それはいいとして、だ。何で急についてくるとか言い出してんだよ?」
「まあ…名付け親だから。」
確かにパーティー名の発案者はカティアだったが、馬岱としては、どうしても理解に苦しむ。
「うーん…ギルド的にとか色々な意味で大丈夫か?」
ママさんの方に顔だけ向けて訊いてみたが、随分とあっさりした答えが返ってきた。
「あら〜全然問題ないわよ〜。他の娘と違って剣の腕も確かだから〜。」
ママさんの口ぶりから察するに、元帝国軍人である事は間違いないと踏んだが、口には出さない事にした。
これまでの経験上、他人の過去を深く知れば大抵はろくでもない事に巻き込まれるのは分かっていた。
まあ相手にもよるが…。
馬岱は置いていた薬草籠を担いだ。
「他に用がないなら行っても良いか?」
ママさんの返事は大丈夫との事だった。
「じゃ、行こうか。」
馬岱は土屋とカティアを連れてギルドの表通りに出た…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
定宿で体を休めていると諸葛亮の霊が姿を現した。
「首無し武者と刃を交えたのですね?しかもメルケオンとも…。お怪我はありませんでしたか?」
牛金も身を起こして居住まいを正した。
「これは諸葛公。ご心配をおかけしました。メルケオンに襲われましたが首無し殿のおかげで命を救われました。」
「え?あの首無し武者があなたを救ったのですか?ご無事で安堵いたしましたが、首無し武者はメルケオンの手によって、こちらへ転生させられた存在である事が分かっています。つまり彼の者に精神を支配されている可能性が高い。」
「それに関しては効かないと言っておりました。どころかメルケオンに対して堂々と従わない旨を表明しておりました。」
「なるほど。生前の彼はかなり剛直な武人だとの評判でもしやとは思っていましたが…。かつて我々が倭と呼んでいた島国の出身の武人です。名は…。」
牛金は慌てて遮った。
「あいや、お待ちくだされ。名を知ってしまえば彼との約定を違える事になり申す。」
「え?名乗りも交わしていないのですか?」
「はい。彼は某の名を知っておりましたが首の無い自らの姿を恥じている様子で、名乗りはご容赦願いたいと、はっきり言われました。」
「そう…ですか。実は彼の死の寸前を狙って無理矢理こちらの世界に連れ去ろうとした事が何度かありますが全て上手くいかなかったのです。メルケオンの妨害か、私自身が過去や未来に干渉できない存在であるためか、いずれにしても彼の死は避けられなかった…。しかし、これでこちらの世界の歴史が変わってしまいました。」
「では、これは想定外の事だったのですな?」
「ええ。メルケオンが彼を再生してこちらの世界に連れてきたのは今回が初めてです。おかげで前後の流れが幾らか変わってしまっています。道理で郭淮殿も中々見つからなかったワケです。」
「見つかったのですか!?」
「ええ。接触はまだですが、彼の居場所は確かに分かりました。大変な状況に置かれていますが、ひとまず無事です。」
「そうですか。某が事態に巻き込んでしまったので、ずっと気にしておりましたが…。しかし、まだまだ安心できないようですが大変な状況とは、どのような状況なのですか?」
「とある小砦の守備隊に救助されて、そこで世話になっているようですが、その小砦その物が魔物に目を付けられてしまっているようで毎晩のように襲撃に遭っているのです。」
「それは…難儀ですな。何とか助け出す方法は無いものでしょうか?」
「それが…こう言ってしまうと不謹慎なのですが、郭淮殿、そしてもう一人、私が別の時代から転移させた方が砦に入った事で中々面白い事になっているようです。」
諸葛亮の言葉にやや不安を覚えた。
あの気性だ。
揉め事など起こしていなければ良いが…。
「その点は大丈夫です。彼は他の人員とも上手くやっているようです。」
こちらの内心を読んだような答を諸葛亮は返した。
「では面白い事というのは一体?」
「それまで劣勢で落城は避けられそうになかったその小砦が、完全に息を吹き返したようです。」
「まさか彼が指揮権を強奪して好き勝手に戦い始めたとか?」
「いえいえ、そうではなく、協力して事に当たり魔物の半数を打ち取ったようです。」
諸葛亮は苦笑しながら説明してくれた。
「私が転移させたもう一人の人物が五人張りの強弓を使いこなす化け物じみた方で、全てその人の戦果なのですが郭淮殿は彼を見て何か策が閃いたようで、恐らく今夜も襲撃を受けるでしょうが、もしかしたら魔物は全て討ち取られるかも知れません。」
「…だとすると確かに面白い事ですな。」
「付近の魔力妨害が強過ぎて途切れ途切れにしか事を把握できていませんが要約するとそういった事態の渦中に郭淮殿は居ます。」
「そう…ですか。何にせよ良かった…と心から思えます。」
「ようやく安堵なされましたね。」
「はい。某が巻き込んでしまったという負い目もありますが、それ以上に数少ない友だとも思っています。」
「彼が聞いたら喜ぶと思いますよ。」
「いえいえ、あの男はそんなタマではありません。きっと、とんでもない罵声を返してくるでしょう。」
そう言って二人とも爆笑した。
どこか遠くから郭淮のくしゃみが聞こえてきたような気がした。
ひとしきりの笑いの後、諸葛亮が急に真顔に戻って言った。
「おっと。肝心な事をお話するのを忘れてしまうところでした。その魔物の事ですが…。」
「何か気掛かりな事でも?」
「はい。魔物を使役するビーストテイマーという職種の人物が絡んでいる可能性があるのです。恐らくは他国の威力偵察のような形で砦が襲われているものと私は見ています。」
「それは…。いよいよ戦乱の兆しがすぐ近くまで来ていると考えても良いのでしょうか?」
「はい。特にこの大陸の盟主であるヴァルドラン帝国は傘下の各王家を取り潰して全土を直轄領とする事を目論んでいるように思われます。ギルドというのは帝国の出先機関のような物。あまり深く関わり過ぎないようにした方が良いかも知れません。」
「承知いたしました。気を付けて接するようにしましょう。」
「私も今後はこの世界の情勢を探る方に重点を置いて動いてみます。何か分かりましたら、すぐにお伝えしますので、くれぐれもお気をつけて。」
そう言って諸葛亮は姿を消した。
牛金は諸葛亮の言葉を頭に入れて、少し眠る事にした。
しかし眠ろうと思うとそうそう眠れるものではない。
日々の生活の収入源、そしてアンソニーに経験を積ませる。
この二点を考えるとギルドとの関係を完全に断ち切るという事は不可能だ。
適度な距離を保ちつつ、しかし依頼は受ける。
こうした関わり方を上手く続けなければならないのだが…。
それには一つの障害があった。
ギルドマスターであるダリウス・ヴェインの存在だ。
最初に会った時は、さぞや名のある元軍人なのだろうぐらいに思っていた。
しかし実際には今でも現役の帝国軍人なのかも知れない。
そんな男が何故か自分に目を付けた。
自分の何が気に入ったのか分からないが、色々と試すような話をしてくる。
いずれ帝国側に取り込もうと考えているのかも知れない。
しかし帝国が国教と定める宗教が、絶対神一派を主軸にした教義を掲げている以上、牛金がその思想と相容れることは絶対に有りえない。
ダリウスは確かに尊敬できる人物だ。
将としても素晴らしい人物だったのだろう。
だが、いずれ敵対する事になるのは避けられないだろう。
やはり、この街に長居を続ける訳にはいかない。
次の落ち着き先を考えなければ…。
そう思いながら牛金はいつしか眠りに落ちていた…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここ数日がまるで嘘のように晴れ渡ったヴァルクールの城外で薬草採取場の下見をしている。
男二人の会話を聞きながらカティアは久しぶりに見る城外の景色を何となく見渡していた。
「今日は随分と城の近くですな。」
「ああ、いつもの薬草摘みとは別に薬師のオッサンが薬草園作る場所の下見も兼ねてるからな。」
「城内は駄目なのですか?」
「区画は余ってるが地代が高いそうだ。」
「あ、それで…。」
「城壁に近すぎると今度は戦の時に水浸しになっちまうし、丁度良いところってのが中々無くて困ってたんだそうだ。」
「それで、その薬師の方は?」
「集合場所は東門外って伝えてあるから、もうそろそろ来るんじゃねーかな?」
バタイがそう言うので城門の方に目を向けると通行人の中に薬師のティボーを見つけた。
「依頼人ってティボーさんで合ってる?今、受付の順番待ちしてるみたいだけど。」
「おー。居た居た。」
バタイがティボーの方に向かって手を振った。
向こうも気づいて、軽く手を上げた。
「よし。ちょっと待ってようか。」
バタイが水筒に口をつけ喉を鳴らしながらゴクゴクと飲み、すぐさま用水路の水で水筒の水を満タンにした。
音を立てないための用心なのは分かるが…。
「城門近くで誰も襲ってこないでしょ。それに水が汚いと思うんだけど。」
「何を言うか。コイツは道具屋で買った泥水でさえ瞬時に清水に変える魔法の水筒だぞ?」
「じゃ、飲んでみなよ。」
「どれ。」
バタイが再び水筒に口をつける。
そして…。
「うげ。なんか不味い。」
カティアは呆れながら聞いた。
「幾らで買ったの?」
「銅貨1枚。」
「安過ぎでしょ。絶対偽物だよそれ。」
「あの野郎…。」
「いやいや。普通、値段で分かるでしょ。」
マーくんはマーくんで笑いを堪えながら、素知らぬ顔を決め込んでいたが表情に出やすいので到底隠しきれるものではない。
「土屋、てめえ笑ってんじゃねえよ。」
バタイが咎めるとマーくんは遂に堪え切れずに爆笑し始めた。
「大体お前も買うとき横に居ただろ。なんで止めねえんだよ?」
「だって普通の水筒でさえ銅貨8枚ぐらいで売ってましたよ?気づかないなんてことあります?」
「うっ…。」
至極真っ当な答えを前に、さすがのバタイも言葉が無い様子だった。
「ま、まあアレだ。これもこの世界に於ける社会勉強ってヤツだ。」
そう言って高笑いするバタイに心底呆れながらカティアも自分の水筒に口をつけた。
とはいえ、この男二人も短時間でトラスト・エッジという冒険者パーティーの面々を全滅させたほどの者達だ。
実力者である事は疑いようもない。
「バタイさんって昔からこんな風だったの?」
暇に飽いてカティアは思わず聞いた。
「こんなってなんだよ。野戦部隊の親方ってのはみんなこんなもんだぞ。」
「そんな事ないでしょ。他の野戦部隊の皆様方に謝って。」
「えー私こと蜀漢の元平北将軍陳倉侯領都督雍涼二州諸軍事たる馬岱は、この度、不適切な発言を為したる事を心より陳謝し…。」
「都督なんちゃらの部分、盛ったでしょ。」
「ちっ、バレたか。」
【鋭意執筆中!!】




