転移の騎馬隊
この作品はフィクションです。
特に歴史上の人物、時代背景については、演出の都合上、改編を加えたり、筆者の想像で補っている部分が多々あるため、史実とは異なる描写がある事をご了承ください。
【登場人物】
牛金 魏の将。官位は後将軍。馬岱軍一千を討ち取り、先年奪い取った散関の救援に成功。牛という姓のせいで筋骨隆々で猛牛のような人物像を勝手に想像されがちだが実際には鍛え上げられてはいるものの、それほど武張った外見でもないため初対面の者から拍子抜けされてしまうという悩みを持つ。用兵に関しては手堅く、例え単騎になっても激する事も失望する事もなく得意の長剣を手に淡々と生き残る事を最優先に戦う。冷静沈着を絵に描いたような男。しかし、窮地に陥った者を見捨てることができずに自ら危地に飛び込むような義侠心に厚い一面も持つ。
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馬岱 蜀漢の将。官位は平北将軍。爵位は陳倉侯。長身で細面のイケオジ。ただし肉体は細身に見えて結構鍛えられており幼少時には刺客から武術を学んでいたため身体能力は非常に高い。性格はずぼらでテキトーで意地っ張りだが、一方でかなり策士な一面も持つ。本作の主人公。
王平 字は子均。蜀漢の将。官位は安漢将軍。役職は漢中郡の太守。冷静沈着にして大胆不敵な用兵で史実においても魏の南征を幾度も防いでいる。内向的かつ自虐的な面もあるが馬岱との長い付き合いで多少は明るくなった…かな?ただし冗談が通じない時もあり、特に費禕が唐突に放り込んでくる”ネタ”に対しては全く理解がない。
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張翼 字は伯恭。蜀漢の将。前漢の張良の子孫。役職は前領軍。有能で攻守のバランスが取れた名指揮官。気さくで話しやすい雰囲気があるが、一方で職務に関しては融通が利かないという面も持ち合わせており、地方行政官として南方に赴任していた折には法令を厳格にし過ぎて地元民の反発を招き更迭されてしまったという過去を馬岱にイジられてはじゃれ返すという少年の気持ちを忘れないオッサン。
費禕 字は文偉。蜀漢の尚書令。ハッキリ言ってかなりの高官だが単騎で戦場を駆けて勅使としての役目を果たすなどフットワークは軽めで上下分け隔てなく人づきあいをするなど、およそお偉いさんとは思えない行動で周囲をドン引きさせる。時折、炸裂する”ネタ”のせいで周囲は地獄のひと時を過ごすことになる。
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土屋昌恒 戦国~安土桃山期の日本の武将。甲斐国武田家の家臣。主君が無事に最期を遂げる時間を稼ぐため、天目山田野の狭隘な地でただ一人、織田軍を迎え撃つ。高くて危険な場所が好き…か、どうかは分からないがアスレチック且つアクロバティックな青年。
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呉懿 官位は車騎将軍。役職は漢中都督…であったが何の因果か史実より2年も早くお悔やみを申し上げられる事に…。蜀漢初代皇帝劉備の后である穆皇后の実兄。ハッキリ言って益州の裏番であり、超が付くほどのVIPだが馬岱からは爺さん呼ばわりされる始末。しかしクソ生意気なガキほど可愛く思えてしまうという謎の父性を発揮して死後も馬岱の世話を焼く。
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諸葛亮 字は孔明。蜀漢の前丞相…なんだけどハッキリ言って知らない人がいない三国時代のスーパーヒーローですよ、あーた。それを私ごときが、ここにくどくどと書きますかフツー?ま、本作ではスカウトマンとして色んな人が死に損なった瞬間を狙って異世界送りにしてしまうというはた迷惑なお方。
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郭淮 字は伯済。官位は揚武将軍。爵位は関内侯。役職は雍州刺史。南征軍の都督である司馬懿の実質的な参謀として色々と腹に抱えながらも真面目に働く5人の息子のパパ。史実においても脳筋姜維の北伐を何度も防いできた超有能なお方。真面目にやってるだけなのに何故かとんでもない事態に巻き込まれてしまうという現代社会の社畜と呼ばれる人々の悲哀を一身に背負ったような涙なしには語れない人生の迷い人。親族の罪の巻き添えで連行されていった妻を途中で奪い返すという(史実)溜まりに溜まったストレスが暴発すると何をしでかすか分からないヤバさを本作でも見せてくれるのか!?
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陳倉の本隊から出頭命令が届いたので散関南門前に展開させた軽騎隊を一旦、入関させた。
守備隊の世話になる形なので、不和や揉め事が起きないように充分に注意を言い伝えてから守備隊にも話を通して、牛金は散関を後にした。
特に詰問というわけでもなく状況が安定したので一度報告に戻れという事のようだったが、兵をそのままにして一人で、というのが気になるところではあった。
もっとも牛金にしてみれば自身は魏という国の一将でしかなく兵員は国家の所属なので、その時々の現場で上役として組む仕事相手という認識でしかなかった。
荊州にて曹仁の下で部将を務めていた時にも任されていた特定の部隊はあったが、その部隊の人員とも私的な交流は持たず、北方に転任となった今回も、それは変わらない。
今や後将軍という国家の上将と言っていい地位にあったが家臣郎党も抱えず私兵となり得る配下も持っていない。
普段からの護衛や従者すらも付けずに、これまで自分の仕事を自分一人でやってきたのだから少々引っ掛かりはしても特に不審だとは感じていない。
他の将軍から見れば変わり者だと思われていそうだが、それを気にするような性分でもなかったし牛金からすれば、本来は国の所属である人員を私的に抱え込む方がどうかしているという感覚だった。
それこそ何かが起きた時に叛意有りと見られても仕方のない事をしているように牛金には見えた。
そんな、とりとめのない思考が流れる風に飲まれて霧散していく。
牛金は手綱を軽く引いて速度を並足に落とさせた。
「そんなに急ぐこともあるまい。」
馬を労るようにそう声をかけた。
礼を言うように馬が鼻を鳴らす。
思えば自分が唯一抱えている家臣、いや、家族のような存在だった。
白い毛並みの中にまるで飛沫を浴びたかのように所々混ざる黒い斑点が嵐のような乱風を想起させる。
それがそのままこの馬の名前になった。
―――白嵐―――
伝説の赤兎馬…とまでは言わないが、その名に恥じない中々の駿馬だと思っている。
そんな愛馬に今は並足を強いている。
この調子だと途中の略陽に入るのは明後日になるだろう。
敵を追尾しているわけでもなければ火急の報を届けようとしているわけでもない。
のんびり…というわけにもいかないが馬を乗り潰すほどのことでもないのだ。
並足の馬の鞍上の心地よい振動が牛金を再び沈思の底へと誘った。
あれから六日か…。
牛金は先日の戦の事を思い出していた。
久しぶりに歯応えのある敵と巡り合った…と思ったのだが…。
中々、投入してこなかった両脇備えを敵将馬岱が遂に動かした時は、いよいよ総掛かりでの打ち合いが始まるのだと、どこか期待さえするような自分がそこにいた。
しかし案に相違して、波状攻撃を加えてきた馬岱は前衛を次々と入れ換えながら後退していき、そのまま撤退していった。
撤退の理由は、その後すぐに分かった。
勅使が派遣されて戦闘を中止させられたとの事だった。
さぞ不本意であったろうとは思うが、それは自分も同様だった。
散関というのは、はっきり言ってしまえば獲ったり獲られたりを繰り返している面倒な拠点だった。
こんな物さえ無ければ…とは向こうも思っているに違いない。
これまでこちらの方面の戦には関わりのなかった牛金でさえ、そう思うのだ。
それにしても…"牛"対"馬"とは…。
妙な符合に思わず笑ってしまった。
いつの間にか日が傾き始めていた。
鞍上で考え事を続ける牛金をよそにして馬は進み続ける。
地域名だけで言うなら、ここは既に略陽だ。
中心部ではないが小集落はちらほらと点在しているはずだ。
現に猟師小屋と思われる家屋は途上で幾つか目にした。
次に見かけたら、今日はそこで泊まることにしよう。
そう決めて牛金は手綱を握り直した。
過ぎ去る景色の中に小さな祠と不似合いなほどに大きな石碑が見えた。
祠の脇に控えるようにして立てられている石碑には「光烈祠」の文字が見て取れたが別段、気にも留めなかった。
ただ、そこだけが何故かぼうっと光っているように見えた事だけは頭の隅から離れなかった…。
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あの激闘から一夜明けた。
昨晩、見たものをなんと説明すれば良いのか分からない。
いわゆる幽霊というやつだが話しても馬鹿にされるだけだと思い馬岱は、そのことについては誰にも言わない事にした。
もっとも鄧聞には見られていたようだが…。
費禕は第三佰の兵達に護られて無事だったし、今朝は遅れて進発していた王平と張翼の軍勢も合流してくる。
敵将牛金は散関の南門前に軍勢を展開させたままだが特にこれといった動きを見せずにいる。
完全に危機は去ったが、だからといって中止命令が出た以上、態勢を立て直して再度北上するというわけにもいかない。
漢中の郡城まで撤退せずに野営を選んだのは無意味な意地の張り方だとは当の馬岱自身も思っているところではあったが、このまま野営を続けるつもりでいることには変わりない。
魏の脅威に晒されながらも、丞相派の排除などという下らない動きを見せている成都には、なおのこと戻りたくはない。
既に冷めた思いしかないが、それでも血を流して戦っているのは誰なのか、皇帝劉禅を含め成都に居る者達は今一度考えるべきだ。
思えば今の地位に封じられた時から始まっていた。
もともと先帝劉備に降伏した時点でも、涼州軍は三万を超えていたのだ。
あれだけ敗走、迷走を繰り返しながら流浪を続け、それでもこれだけの人数が残ったのは馬超の存在か大きかったからだ。
そこに関しては馬岱も認めていた。
馬騰の遺産や馬超自身の官位に応じた禄、それに爵位を与えられ領地からの税収を得られるようになった事もあり人員と騎馬の維持には問題が無かった。
しかし、その馬超が死に、陣代として馬岱が後を引き継いでからは徐々に懐事情が苦しくなっていった。
平北将軍という官位を得たものの、その禄だけでは人馬を養いきれない。
馬騰、馬超の遺産も底を突きかけていたし、馬岱自身の私財を足しても大した額にはならなかった。
それを見越したかのように人員の配置転換令が馬岱の元に届くようになった。
元々、戦死した呉蘭の軍勢から引き受た者達を除けば全てこちらの人員であり、成都から干渉される謂れはないのだが、維持費の不足という現実がある以上、応じざるを得なかった。
最初から、これが狙いだったのは、とっくの昔に気づいていたが、さすがの馬岱も意地を張っていられる状況ではなくなっていた。
現在は予備役や留守居にまわした者達を足してもかつての半数にも満たない。
平北将軍というのは自身に向けられた最大の皮肉であり実にふざけた官位だったが、爵位の方はもっとふざけていた。
陳倉侯…。
陳倉は言うまでもなく魏の領土であり、はっきり言えば空手形だ。
収入を得たければ自力で攻め取れ。
そう言っているようなものだ。
そのくせ戦の邪魔だけは、しっかりとしてくるのだ。
大体にして侵攻戦というのは国家にとって勝利の先に充分な見返りがあるかどうかを国家そのものが判断してから可否が決定される。
その実務を担当する将兵達の恩賞や俸給などの収入源を他国の領土に設定する時点で侵攻許可を出しているに等しいにも関わらず戦を許可しないという姿勢からも成都の馬岱自身に対する扱いのほどが知れる。
将兵が国から離反する最大の原因を国自らが作り出している。
それもあからさまに…。
それでも馬岱が離反せずに蜀漢の将であり続けているのは既に意地を通り越した何かの境地としか言いようがない。
いや、この際、自軍の収入はどうでもいい。
それよりも国そのものが危険な状態である事を理解しようともしない成都の対応には憤りを既に通り越して呆れる他なかった。
「馬岱殿。只今着陣しました。」
沈思の底に佇む馬岱に、そう声を掛けてきた主は王平だった。
「おう、思ったより早かったな。陣張りは…。」
「それは西隣にしました。既に陣幕の設営に着手しております。」
「そうか…。伯恭は?」
「少し遅れていますが到着次第、本陣の東隣に駐屯すると打ち合わせ済です。」
流石だ。
自分が敢えて口を出さずとも既に仕事を進めている。
名目上は敵の動向を観察するための野営だから王平らの行動は成都から特に問題にされることは無いだろう。
「悪いな、子均。お前さんの仕事を増やしちまった。」
呉懿も既に世を去り馬岱自身は少なくとも官爵の剥奪は免れない。
今後の漢中防衛の総指揮は王平に丸投げされるのだろう。
張翼は基本的に成都所属の援軍という扱いになるため、また違った立場になる。
「なんの。慣れましたよ。成都の馬鹿さ加減には。」
そう返して静かに笑う王平に馬岱は相変わらず図太い奴だな、と返した。
何も悪態をついたわけではない。
この図太さに馬岱自身も含め、蜀漢の軍人達は幾度となく救われてきたのだ。
今の蜀漢の中で名将と呼べる者は誰かと問われれば、まず間違いなく、この男が筆頭に挙げられるだろう。
それほどの器だと馬岱は思っている。
馬岱とは対照的に普段は寡黙なせいで何を考えているのか、いまいち掴めない所はあるが、やるべき事はきっちりとやり遂げる。
それが王平子均という男だった。
元々は魏の武官だったが漢中侵攻の際に降伏したそうだ。
こちらに将として迎えられ一軍を任されるようになってから、この男は変わった。
変わった…というより指揮官として覚醒した。
元々腕の方も確かで特に槍はかなり遣えた。
調錬や戦で一緒になる機会が多かったが、あまり心を開かないところがあるので、飯に酒に…と、無理矢理連れまわしている内に段々と打ち解けていった。
まだ劉備や諸葛亮が健在だった頃の話だ。
だから付き合いは結構長い。
費禕にしても少し遅れて到着する予定の張翼にしてもそうだ。
そうした仲間達を、あと僅かな期間で自分は失うことになるのだろう。
野営を引き延ばすにしても数日が限界だろう。
その後は成都に戻って審問を受けて罷免か死罪か…。
いずれにしても、もう彼等と会う機会は無くなるのだろう。
「まあ、野営はしばらく続ける予定だ。今日のところはゆっくりしていってくれ。」
「ええ。メシの方は期待してますよ。」
「なに?お前らの分までメシ作るのか?さすがに炊事方から怒られるぜ。」
「ま、それは"大陸一の炊事方"を育ててしまった宿命というやつですな。」
「勘弁してくれ。」
確かに何かの酒の席で酔ってそんな事を言った覚えが馬岱にはあった。
大体にして普段から″陣中食は人生で最後になるかも知れんメシだ。これがマズいのは許されん。″などと口やかましく言っていた。
滅多な事は口にするもんじゃねえな…。
そう思ったのは人生で何度目だったろうか。
「そっちからも人手を出してもらうぞ。」
「それはもちろん。せいぜい料理の技を盗んでこいと伝えておきますよ。」
「いずれにしても伯恭が輜重を運んできてからだな。兵には狩りでもさせて肉を確保しておく。」
「楽しみです。」
そう言って王平は付き添いの部下と共に自陣の方へ戻っていった。
軽く手を振って、それを見送る。
幽霊は今夜も現れるのだろうか。
これまでの思考とは何の脈絡もない事が急に気になった…。
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ここには将しかいない。
馬岱と張翼、そして自分だ。
馬岱が成都に戻る前の予備審問ということで費禕に集められたのだ。
それは陣幕を一つ空けて人払いをした状態で行われている。
外では昼食の煮炊きなど、人が忙しく動き回っている気配があり、その騒々しさが中にも伝わってくる。
しばらく話は続いていたが、その理不尽な内容に王平は怒りを禁じ得なかった。
ただ当の馬岱が何も言わないので口出しはしないようにしていた。
張翼は張翼で俯いたまま肩をブルブルと震わせている。
怒りを堪えているのだろう。
内容は、まず敵の攻勢への対応以外の軍事行動の禁止の旨から始まり、続いて散関へ出兵した馬岱の行動に対する非難だった。
それを独特なクセのある皮肉交じりの口調で費禕は話し続けている。
そろそろ我慢の限界か、という時に喋り続ける費禕を遮って無表情なまま馬岱が口を開いた。
「文偉。文偉よ。」
「で!あるからに…は、はい?」
「長えよ。そりゃ誰のモノマネだ?」
「ええっ!?この渾身のネタが分からぬのですか!?誰がどう聞いても郤正殿でしょ!」
―――モ、モノマネ…?ネタ!?―――
「似てねえよ!」
馬岱がそう言った途端、張翼の顔面が崩壊し、恐らく陣幕の外にまで届くであろう勢いで笑い声が響き渡った。
―――こ、こやつ…怒りではなく笑いを堪えておったのか!?―――
急にばつが悪くなった王平は、思わずあさっての方角へ視線を背けた。
当の張翼は、似てる~、とか、腹が痛い、などと繰り返しながら、文字通り腹を抱えて笑い続けていた。
「伯恭。お前、大丈夫か?」
ひとしきり笑い続けた張翼に馬岱が完全に呆れ切った顔で尋ねると、何を言う?似ておるではないか!と、急に真顔になって反論し始めたが、その後を続けようとした矢先に再び吹き出して笑い転げてしまった。
「おい。どうすんだよコレ?」
馬岱は呆れ顔のまま問いかけたが費禕はそれには答えず、さすが張翼殿!いやいや費禕殿こそ!などと、称え合っている。
「お前なぁ。そんな分かり辛いネタ、放り込んでくんなよ。そんなことばっか続けてると、いつか冗談の通じねえ奴にサクッと殺られちまうぞ。見ろ。子均なんかモノマネだった事すら分からねえもんだから、凄え顔で睨んでたぞ。」
「え?」
褒め合っていた二人が顔を見合わせる。
続いて、ぽかんとした表情でこちらを向いた。
「お前、分かんなかったの?」
張翼の言葉に王平は急に怒りを覚えた。
顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもよく分かり、つい、こう答えてしまった。
「ち、違う!そんな訳が無かろう!」
「ええ〜?」
意地の悪い笑みを浮かべながら二人は返した。
本当に意地の悪い視線だった。
「そ、そんな目で俺を見るな!」
しどろもどろになりながら辛うじて言葉を返すと馬岱は更に底意地の悪い笑みを浮かべて、こう言った。
「まあ、なんだ。俺はネタそのものより子均の反応の方が、よっぽど面白かったがな。」
そう言って高笑いをする馬岱。
これにはさすがの王平もぐうの音も出なかった。
「で?予備審問ってのは結局なんだったんだ?お前のネタ見せで終わりか?」
「まさか!この後に昼食会を予定しております。」
「結局、審問関係ねえじゃねえか。」
「まあまあ、そう仰らずに。」
そう言って一呼吸置いてから費禕は続けた。
「だって、もう…馬岱殿とゆっくり話せるのは、この滞陣が最後になるかもしれないじゃないですか。」
確かに費禕の言う通りだ。
成都の指示には従わず、呉懿の最期すら看取らずに馬岱は出陣したのだ。
少なくとも官爵の剥奪は免れない。
それは、ここに居る全員も分かっていた。
陳倉を陥とさなければ…という馬岱の個人的な事情以前に散関の存在は漢中の防衛とは切り離せないのだ。
だから馬岱の行動は戦略面では正しいのだが、都督の呉懿を総大将として、ある程度の規模で実施しなければ成功は難しかった。
その呉懿も成都の反対など、お構い無しに出陣する意向だったが、折悪く病に倒れてしまった。
流石に馬岱に都督を代行させるには成都の許可が必要だった。
それを抜きに都督印と漢中全軍の指揮を預ければ、それこそ馬岱の首が飛ぶだけでなく呉懿の立場も危うくなる。
馬岱は、呉懿や自分に迷惑をかけるのを嫌い、単独での出陣を強行したのだ。
ただ、王平自身は攻城兵器や輜重の運搬はどうするのか、と言って、強引に同行を認めさせ出陣した。
成都からこちらへ来ていた張翼も同調し、それらの物資を手分けして運搬、馬岱は軽騎で先行して野戦を挑んだ。
これが今回の出陣の経緯だった。
「まったく、泣かせてくれるぜ。おかげで忘れたいことを思い出しちまったが。」
馬岱が、やや皮肉っぽい口調で返す。
「なあに、死罪なんてことには絶対にさせませんよ。この身に代えてもね。」
先程までとは打って変わって費禕の目つきに尋常ではない気迫が籠った。
そこには、どのような理不尽を強いても太刀打ちできなさそうな強靭な光が宿っていた。
この人物には、そういう面もあるのか…と、王平が妙な感動を覚えていたところ陣幕の入り口から声が掛かった。
「そろそろ食事になされてはいかがですか?」
声の主は老齢だが、かなりの巨躯の持ち主だった。
確か、馬岱の配下の楊安という人物だったか…。
「ほら、配下の方々がせっかく運んで来てくださった事ですし、メシにしましょう!」
うきうきとしながら配膳の様子を眺める費禕は、再び子供のような表情に戻っていた。
なぜだか急に可笑しくなった王平は、ふっと笑みを浮かべた…。
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天目山。
追い詰められて、今ここに居る。
足を踏み外しても崖下に落ちないように、たまたま垂れていた太い蔦蔓を命綱の代わりにと片手で握りしめながら昌恒は太刀を振るっていた。
織田軍の兵は次から次へと湧いてくる。
はっきり言ってキリがない。
いくら腕を飛ばし、いくら首を飛ばしても、五体満足な敵兵が後から後から迫りくる。
それでも昌恒は太刀を振るう手を止めない。
主君信勝と陣代勝頼が無事に最期を遂げられるよう、今は只々、敵を防ぐのみ。
勝機など、いくら戦っても来ない。
武田家の滅亡を少しでも見苦しくないものにするため、そのためだけに時間を稼ぐ。
それのみが今の自分に出来る最大限の事だ。
そうやって他の事は無理に意識の外に追いやろうと昌恒は足掻くように戦い続けていた。
突き出される槍を躱し、その敵兵を崖下へ蹴落とす。
蔦蔓の付け根の方から嫌な音が聞こえてきた。
左手にも嫌な感触が伝わってくる。
―――まだ…切れないよな?―――
昌恒が無理にでも追いやりたかった事が再び意識を支配し始めた。
―――頼む!保ってくれ!―――
しかし敵は待ってはくれない。
人がすれ違う事ができない幅の狭隘な場所を塞ぐようにして戦うには命綱が必要だ。
それが今、悲鳴を上げながら耐えている。
右側の崖下をちらりと覗いた。
―――いやいやいやいやいや!これ、落ちたら絶対死ぬやつだろ!―――
敵と斬り結んで死ぬか、上手く時を稼いでから主君の後を追うか、この二つ以外に選択肢はない。
…つもりだった。
新たな選択肢など要らない。
しかし蔦蔓は嫌な感触を左手に伝えながら更に悲鳴の大きさを増してきている。
それが、不意に無くなった。
「あ…。」
まだ、敵を捌いている最中だ。
地面を踏みしめている感覚も無くなった。
それは同時に最初に決めていた二つの選択肢が無くなった事を意味していた。
―――終わった…。―――
背中を引っ張られるようにして落下しながら昌恒が思ったのはそれだった。
自分の周囲が眩い程の白い輝きに包まれ昌恒は反射的に目を閉じた…。
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予備審問の名目で始まった宴会は日が落ちても続いた。
将兵の別無しに、どいつもこいつも酔い潰れるか、まだ飲み足りずに酒で盃を満たすのをやめずにいる。
馬岱は酔いが回って寝てしまった費禕達を陣幕の中に残して外に出た。
夜風が心地良く全身に染みる。
何とは無しに陣の端の方に足が向いた。
そして、たまたまそこに生えていた木の前で足を止めた。
出陣直前のことが、なぜだか思い出された。
数日前に急に発症して寝具に横たえられた呉懿の周りを医師や配下の将士達が取り囲んでいる。
自分もその輪に入って出陣の挨拶をした。
「爺さん。悪いが俺は行くぜ。」
起き上がれる力は、もう残ってはいなさそうだったが呉懿の意識はまだまだしっかりしていた。
「ふん。じじいに片足を突っ込んだ貴様にじじい呼ばわりされようとはな。」
いつもと変わらないやり取りだった。
「それだけの元気が残ってんなら、戻ってからでも最期を看取ってやれそうだな。」
「ぬかしおるわ。貴様こそ、せいぜい首を失わんようにな。」
何となく互いに笑みがこぼれた。
「ふふ。早く行け。」
「ああ。じゃあな。」
それが最後に交わした言葉になってしまった。
目の前の木を呉懿に見立てて話しかけようとしている自分も相当酔っている。
そういう自覚がありながらも馬岱は話しかけずにはいられなかった。
「なあ、爺さん。」
木は何も答えない。
「俺は本当に間違ってなかったのか?」
酒宴の喧騒から離れ静寂に支配された夜の屋外で篝火の爆ぜる音だけが時折聞こえてきた。
「ま、そりゃそうだよな。」
木に背を向けて帰ろうと足を踏み出した時に声がかかった。
「呼んだか?」
懐かしい声だった。
懐かしい…が、もう聞くことはできないはずの声だった。
「爺さん…。」
なにか、ざわざわとした感覚に全身が支配された。
全身が金縛りにあったように硬直し、額からは冷や汗が幾筋も流れた。
いや、幽霊が相手なら実際に金縛りにあっているのか。
「なんだ?何をそんなに緊張しておる?貴様らしくもない。」
何か言い返してやろうと思ったが、言葉が続かない。
呻くことしかできない。
「まったく、世話が焼ける。ほれ、金縛りなど貴様の思い込みに過ぎん。気を楽に持て。」
幽霊…呉懿がそう言った途端、急に体が軽くなり、それまでが嘘のように冷や汗が止まった。
さすがに疲労感を覚えた馬岱は肩で大きく息をついた。
「いきなり現れて何をしやがる。」
「だから貴様の思い込みだと言ったであろう。こっちは何もしておらん。」
「あんたが現れた途端に…。」
「良いか?wikiによると金縛りというのは本来、睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態で…。」
「待て待て!一体、何を言っている?”有為記”ってなんだ?」
「金縛りの原理を学術的に説明してやっておったのだが…。聞きとうはないのか?」
「聞きたかねえよ。俺にゃさっぱりだ。」
馬岱はふぅっと溜息をついて続けた。
「なんだよ。幽霊ってのは随分と喋れるもんなんだな。」
「ふむ。今夜は魔素が安定しておる。おかげで実体化も意識も途切れずに済んでおる。昨晩は、そういった物が不安定でな。すぐに消えてしまった。」
「また、わけの分からん単語が出てきたな。まあ、いい。で?なんで俺のところに出てきた?何か、この世に心残りでもあるのか?」
まあ、無いって事はねえよな。
言いながら馬岱はそう思った。
「心残り…か。まあ言い始めたらキリが無いゆえ敢えて言うまい。それよりも軍を去るに当たって貴様にはやり残した事は無いのか?」
「ない…事もないな。もっとも今の俺にはどうにもできんが。」
「そうか…。互いに不便よの。」
そう言った呉懿の姿がぼやけ始めた。
「ふむ。さすがに時間切れが近いようだな。ま、わしはいつでも貴様のそばにおる。色々とおかしな事になっておるこの世についてもいずれ聞かせてやろうぞ。」
「待ってくれ。おかしな事に…ってなんだ?」
「わしが死ぬのは本来ならあと2年先のはずだった。この大陸の歴史に、さしたる影響はないが、まるで筋書きを書き換えるかのように歴史を操れる存在がおる。」
「なんだよ、どういう事だ?存在ってなんだ?」
「そう矢継ぎ早に聞くものではない。」
呉懿はそう言って、一呼吸置いてから続けた。
「人ではない。人を超越した存在…。言わば神のような存在が我らの”生きた証”を好きなように書き換えておる。今夜のところはそれだけを伝えておこう。」
「なんだと?爺さん…あんた一体何を言いたいんだ!?」
「時間切れ…と申したであろう。今夜はこれで終いだ。わしはいつでも貴様を見ておる。”そこ”からな。」
「”そこ”って、どこだよ?」
呉懿は無言で馬岱の曲刀を指差した。
「”そこ”は実に居心地が良い。貴様の刀には何体もの怨霊を吸い寄せて住まわせておく力があるようだ。言わば呪われた代物だという事だ。」
「は?」
馬岱は思わず自分の太刀を見た。
幾多の戦場を共に渡り歩いてきた相棒…。
そう言われて見てみれば確かに禍々しい気を内包しているような気もする。
だが、それは人の血を吸った武器なら、誰の物でも、そういう風に見えるのではないか?
「わしのような幽霊にとっては非常に居心地が良い。」
そう言って生前と変わらない笑みを残し、呉懿の姿は消えてしまった。
「待ってくれ爺さん!まだ聞きてえ事が山ほどあるんだ!」
消えた影をなおも追おうとしたが、追えるはずもないと悟り、呆然と立ち尽くした。
馬岱は愛用の曲刀を目の前に翳した。
ここに居る…のか?
神のような存在…。
それが本来なら2年先のはずの呉懿の死を意図的に早めた。
呉懿はそのような事を言っていた。
にわかには信じ難い話だったが、それに対して何をどうこう、というところまでは話せなかった。
しかし、死んだ人間がわざわざ目の前に現れて、そんな話を聞かせる以上、目的がないとは思えない。
ここに居るのなら明日も現れるつもりか?
だったら話を聞かないという訳にもいかない。
そこまで自問して馬岱は遂に不謹慎な結論に至った。
「どうせそばに居るなら若い姉ちゃんにしてほしいぜ…。」
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猟師小屋が見つかった時には既に辺りが暗くなり始めていた。
小屋の中には先客が居るようだ。
僅かに白く光っているように見えた祠と石碑からそれほど進んでいない。
小屋の脇に一頭分の厩があり、そこは空いている。
牛金はそこに白嵐を繋ぐと小屋の入り口の前に立った。
敵の間者が根城にしている可能性もあるので腰の長剣をいつでも抜けるように身構えながら扉をそっと開けた。
「お邪魔致す。済まぬが一晩の宿を請いたい。」
中に居たのは小柄な老人ただ一人だった。
「どうぞ、お上がりなせえ。」
しわがれた声で答えた老人の風体は猟師そのものだったので牛金は少し警戒を解いた。
「旅ですかな?」
剣を佩いたまま腰を下ろそうとする牛金に老人がそう問いかけた。
「まあ、そんなところだ。」
あまり多くを語るつもりはないという牛金の意思を言外に受け取ったのか、老人は軽く頷いてそれ以上は問いかけてこなかった。
鎧櫃を置いてその傍らに腰を下ろした。
中には陳倉に着いてから着替えるための官服を納めている。
夕飯は既に携行食で済ませていたので老人が捌いていた獣肉を勧めてくるのも断った。
毒を盛られる可能性はさすがに無さそうだが、だとしても軍人としては当然の用心だった。
後は寝る以外にすることがないので鎧櫃に背を預けて軽く目を閉じた。
とはいえ赤の他人の目の前で前後不覚に眠れるほど呑気でもないので、常に神経は研ぎ澄ませている。
これも長らくの戦陣生活で身についた習性のようなものだった。
眠っていても僅かな音、僅かの気配に反応してすぐに目を覚ましてしまうようになっていた。
老人が獣肉を捌く音と気配が伝わってくる以外は至って静かだった。
どのぐらい時が経っただろうか。
何か考え事をしているうちに眠ってしまったようだが微かに床が軋む音を聞き取って牛金は目を開けた。
見ると老人が小屋の扉を開けようとしていた。
「起こしちまっただか?申し訳ねえ。」
「構わんさ。それよりもこんな遅くから狩りか?危険ではないのか?」
「いや違うだ。」
老人は外を覗くと真剣な面持ちで、こちらへ振り返った。
「旅の旦那は光烈さまをご存じだか?」
「いや、知らん。」
「もし、南から来なすったのなら光る祠の前を通りかからなんだか?」
「そう言えば…。確かに光っている石碑と祠を見かけたが、それがどうかしたのか?」
「今夜は一段と強く光っていなさる。光烈さまというのは、この辺に伝わる戦神さまじゃ。お姿を現す前触れじゃ。数日中に、何か良くねえことが起きるかも知れねえだ。」
「まさか…。」
牛金は一笑に付したが老人は真剣な面持ちを崩さずにいた。
この辺りの者にとっては本当に恐るべき存在なのだろう。
「分かった。心に留めておこう。」
「わしゃぁ、家に帰るだで。好きなだけ寝てもらって構わねえから、出立なさる時はくれぐれもお気をつけなせえ。」
老人は捌き終わった獣肉の包みを抱えて外に出た。
「気遣い痛み入る。充分に用心しよう。」
扉の外まで出て老人の姿が遠ざかって見えなくなるまで牛金は見送った。
礼を示すというのもあったが、馬に危害を加えたり小屋に火をかけたりしないか監視するためでもあった。
習性というものは簡単には抜けない。
これを済ませないと安心できなくなってしまった自分に呆れながら牛金は小屋に戻って灯りを消し再び同じ姿勢で眠った。
―――…将軍。牛金将軍…。―――
定かならぬ時の経過の中で誰かに呼びかけられた。
うっすらと目を開けると、暗闇に覆われた屋内に、ぼうっと浮かび上がるようにして立つ一人の人物の姿が見えた。
どうやって入った?
牛金がまず思ったのはそれだった。
内側からは閂をしっかりと掛けたのだ。
耳から…ではなく、頭の中に直接響くような不思議な感覚を伴ったその声の主には、まるで見覚えが無かった。
長身で細面のその人物は白い鶴氅を身に纏い、どこまでも静かな表情で白い羽扇を携えていた。
「誰だ!?名乗られよ!」
牛金は剣の柄に手をかけた。
降ろした髪の上に綸巾を被り口元と顎に生やした髭は細く整えられている。
そうした特徴がありながらも、やはりまったく見覚えのない人物だ。
刺客ではない。
それは分かる。
害意が全く感じられない…が、考えようによっては、それよりも、もっと危険な存在だ。
「私が名乗ることに、あまり意味を感じませんが。それに私が剣で斬れる存在ではないという事には、将軍は既にお気づきでしょう。ですが、どうしても会話がしにくいということであれば、お教えしましょう。」
いやにもったいを付ける…。
そう思いながらも牛金は相手が名乗るのを待った。
「私は諸葛亮と申します。呼びにくければ孔明とお呼びください。」
諸葛亮…だと!?
牛金にとっては驚愕に値する名だったが表情には出さないように努めた。
柄からゆっくり手を離し自身の気持ちを少し落ち着かせる。
「ご無礼仕った。して、一国の宰相ともあろう御方が、何故、某などのところへ?」
敵国であったとはいえ相手は丞相という重職に就いていた人物だ。
卑屈になる必要はないが、ある程度の敬意は払って然るべきだ。
牛金は礼を失しない言葉遣いを心がけて会話を続けることにした。
「”元”です。今は只の亡霊に過ぎません。堅苦しい言葉は不要ですよ。それに…。」
「それに?」
「私は既に死んだ身ですので魏・呉・蜀のしがらみは関係なくなっています。それを念頭に置いて頂いた上で将軍とお話したいのですよ。」
「お話…とは?」
「単刀直入に言えば司馬懿は将軍の事を快く思っておりません。今回の単独での帰還命令も何か不穏な物を感じるのです。彼の腹づもりは分かりかねますが…。」
「某の命を狙っている…と、そう仰るのですか?」
「その可能性は否定できません。…というより、かなり確率が高いかと思われます。」
確かに単独で…というのは妙な話だとは思っていた。
だが、どう考えても自分を殺害する事に意味がないのだ。
まさか離間策を仕掛けるつもりか?
そんな牛金の思考を読み取ったかのように諸葛亮の霊は続ける。
「以前にとある易学者から司馬家の次に覇権を握るのは牛家だ…と、司馬懿は占の結果を告げらたそうです。たとえ低い可能性であっても自分を脅かしかねない存在、事象に対して、手当たり次第に、その芽を摘み取ろうとしている…。私には司馬懿の行動がそのように見えます。」
「馬鹿な…。某が司馬都督を脅かすなど…。」
「そうです。馬鹿な話です。しかし向こうはそうは思っていないのでしょう。そして、そうした事柄と深く関わっている存在が居ます。」
「伺いましょう。」
他者に殺意を抱いたきっかけが占いの結果だという話が牛金にとっては衝撃的に過ぎたが、取り敢えず居住まいを正して聞く姿勢をとった。
「大天使メルケオン。光烈…と呼んだ方が分かりやすいでしょうか。」
「なにっ!?」
思わず大きな声が出てしまった。
何故、この略陽の、それもごく一部の狭い地域にしか伝わっていなさそうな土地神の名が急に出てくるのか。
しかも、光烈とはこの辺りの土地の者がそう呼んでいるだけで、本当の名がメルケオン…という事のようだが…。
「いきなり、このような話をされたところで将軍は混乱してしまうでしょうが、私もこのメルケオンという名の者しか知らないのです。分かっていることは、我々が居るこの世界と、他にも生命が存在する世界を幾つか創造した”絶対神”に仕える天界の大将軍のような存在である…という事だけです。」
信じ難く受け入れ難いこの話を、どう呑み込むか苦慮している牛金をよそに諸葛亮は続ける。
「天界に居て、ただ私達を眺めるだけの存在が、なぜ度々この世に顕現していたのか。私はメルケオン出現の記録がある過去にも未来にも行きました。そして、このメルケオンが、ただ一つの目的のためだけに動いている事に気が付きました。」
「目的…。一体、如何なる目的があるのですか?」
「”特異点”の消去です。気まぐれなのか、趣味に合わないのか、理由は分かりませんが彼やその他の天界の存在は時折、歴史を作り変える事があります。まるで書きかけの”物語”を書き直すかのように。」
「…。」
「しかし、”特異点”と彼らが呼ぶ存在、それが在る事で”物語”の一部が書き換えられなくなってしまった。あらゆる自然法則を自在に操り、全ての生命体の生死をも司るはずの彼らにとって、これは非常に脅威と感じたのだと思います。」
「お、お待ちくだされ。どうにも理解が追いつかぬ。」
「これは申し訳ございません。少し話を止めますゆえ、呼吸を整えてください。」
何故かは分からないが震えが止まらなかった。
これが生きている人間の話した事なら与太話で片付けられる。
だが相手は既にこの世の者ではない存在なのだ。
生きている人間には到底窺い知る事ができない何かが起きていて、亡霊となった諸葛亮はそれを探っているという事なのか。
「幾つか、お聞きしたい。」
少し冷静さを取り戻した牛金は色々と思考を巡らせることができるようになった。
「どうぞ。」
「先ほどから仰られている”特異点”とは一体どのような存在なのですか?」
「歴史の中の、その時々で人為的に作られた建造物であったり、自然に形成された物であったりと様々ですが、今回の場合は人です。」
「まさか某が…。」
「いえ、将軍ではありません。ですが将軍もそれに近い存在であると言えます。含まれると言っても良い。」
「先ほど仰られていましたが、司馬都督の行動がそれらとどう関わってくるのですか?」
「これは本来、4年後に起こる事ですので話すべきではないのですが…。」
言葉を切って諸葛亮は牛金を見つめてきた。
聞いてしまえば歴史に何か影響が出るということなのだろうか。
牛金は先を促すように黙って頷いた。
「4年後に、場所は違いますが将軍はやはり今回のように司馬懿に呼び出されて、そして…毒殺されます。」
「!!」
「そう。これは史実です。しかし実際には先の未来に起こるはずの出来事が前倒しするようにして、ここ数日の間に起きている。将軍は呉懿将軍をご存知ですか?」
「貴国の重鎮ですな。ご高名は存じ上げております。数日前に亡くなられたとは聞き及んでおりますが…。」
「彼も本来の死は2年先のはずだったのです。しかし、実際には数日前にそれが起きてしまった。」
「そう…ですか。もしかして、その事がメルケオンなる者の行動と深く関わっているとお考えですか?」
「その通りです。メルケオンは、その”特異点”の消去を何度も試みたのですが全て失敗に終わっています。呪殺も効かず、直接手を下そうとしても”特異点”は必ず生き残ります。産まれる前に遡って親を殺そうとしても時空の壁に阻まれて行けず、現在は親族以外で”特異点”と関わりのあった人物を消去すると、どのような影響が出るのかを試しているようです。」
「それで病死や他者に毒殺させるという間接的な方法で人を消去しているという事ですか?何か、非常にまわりくどい事をしているように思えるのですが。」
「お気づきになられましたか。流石です。彼らが何故、わざわざそんな方法をとるのか。私なりに考えてみたのですが、彼らには”絶対神”が定める規範なり法度なりがあって、あまりに直接的な歴史介入を許されていないのではないか…。明確な根拠があるわけではありませんが、そのように思えてくるのです。」
「何故、そのような面倒な決まり事を…?」
「私にも分かりかねますが、眺めて楽しんでいる…そういったところはあるのかも知れません。」
「…。」
「先ほど私は、書きかけの”物語”を書き直す…という表現を使いました。彼らの目的はそれこそ本当に予測のつかない”物語”の展開を楽しむ事にあるのかも知れません。」
「そして”物語”の展開が意に染まぬ方向に進めば好きなように作り変えてしまう…という事ですか。」
「そうです。あくまで私の個人的な推論ですが。」
そう言って諸葛亮は言葉を止めた。
牛金は自身の内に激しい怒りの感情が湧き上がるのを感じた。
歴史というのは人の身にとってみれば、それぞれが”願い”を賭けて、血みどろになりながら戦った結果の積み重ねだ。
その過程で散っていった命達は味方も敵も関係なく、血を代償として、その結果を受け取った。
そうやって築き上げられた物が歴史なのだ。
叶えられた”願い”は浄化され、叶わなかった”願い”は怨念となって燻り続ける。
それでも人が時には命を捨てる事も辞さずに戦い続けるのは、やはり切なる”願い”があるからだ。
人の世の歴史はそうして続いてきたのだ。
”願い”と”願い”がぶつかり合った結果だ。
牛金は、そう思っている。
それが、この天地を創造した存在にとっては、ただの見世物でしかないと、諸葛亮は言う。
確かにそれはそうなのだろう。
だが、人の身に産まれた者としては、これが事実なら、この上ない理不尽であり、到底、受け入れられる事ではない。
ならば何故、この天地を創造した者は土くれから作り上げた”人形”でしかない我々に”自我”などという物を持たせたのだ?
そんな牛金の胸中を感じ取ったかのように諸葛亮は言った。
「やはり私が思った通りでした。牛金将軍は本当に熱いお方だ。それだけに、このまま命が失われるのは惜しい。本当に惜しい。将軍、どうか陳倉には行かないでください。」
そう口にする諸葛亮の表情には嘘も裏も感じられなかった。
「勿体ないお言葉を頂き感謝申し上げます。しかし、やはり某は行かねばなりますまい。」
「どうあっても?」
「ええ。”けじめ”はつけなければなりますまい。」
「実は今回、私が将軍に声をかけたのはメルケオンを始めとする”絶対神”の一派との戦いにご助力頂きたかったからです。無論、この世界でそのような存在と戦うには、私も将軍も余りに非力です。それに彼らは常時この世界に居るという訳では無い。しかし他の世界ならばどうか。」
「彼らの計画を某に漏らして狂わせるだけではなく直接戦うと仰るのですか?」
「その通りです。この世界よりも、もっと活発に彼らが行動している世界を一つだけ知っています。そして私はそこに将軍をお連れする事ができる。」
「もしかして…いわゆる”あの世”ではありますまいな?」
「ははは。まさか。これは生きている人が戦うからこそ意味がある戦いなのです。」
しばしの沈黙が猟師小屋の中を覆った。
何か諸葛亮と通じ合うものを感じた。
魏の内部とて闇が無い訳ではない。
牛金が魏に仕え続けたのは自分を見出してくれた曹仁に対する恩義を感じていたからだ。
恩師と言っていい存在だった。
その曹仁も今は亡く、国としては相変わらず強大でありながら、その闇も比例して大きくなってきたように感じていたところではあった。
曹爽を始めとする一族一派、古参の忠臣、そして司馬家の三つ巴の暗闘は、さながら後漢末期の宦官、外戚、清流派人士の暗闘と似たような様相を呈してきている。
自分は一介の軍人に過ぎない。
だから、そうした事とは無縁でいるように務めてきた。
しかし、それを許さない存在が自分を排除しようとしている。
占いに踊らされた司馬懿など、その手先に過ぎないのだ。
もし、今の魏に諸葛亮のような人物が居てくれたら…。
「不謹慎な言いようで甚だ申し訳ござらんが、諸葛公のご提案は面白そうだ、と感じました。陳倉で”けじめ”を付けて来たら、そのお話を是非お受けしたい。」
どうせ、こちらの心情を何もかも理解した上で諸葛亮は姿を現して、こんな話を自分に聞かせたのだろう。
ならば乗ってみるのも一興。
「かなり危険な道を選ばれるものです。本心は今すぐにでも、お連れしたいところですが、それでは将軍のご意思を踏みにじってしまう。亡霊の身では、助言以上の事はできず…。」
「なんの。某はかつて関公の包囲から単騎で脱出した男ですぞ。」
幽霊相手に冗談を言えるぐらいには落ち着いた自分に意外な物を感じたが、牛金の心は何故か晴れ晴れとしていた。
「そうでしたな。少しでも身の危険を感じたら、すぐに逃げてください。光烈祠で会いましょう。あの祠はメルケオンがこの世界に来るための転移門になっています。そこまで逃げ延びてくだされば後は私が責任を持って将軍をお連れします。」
「承知仕った。何から何まで感謝申し上げます…。」
…はっ、と目が覚めた。
気がつくと牛金は同じ姿勢のまま鎧櫃に背を預けて寝ていた。
「なんだったのだ今のは?」
思わず声に出して呟いた。
夢だったのか?
それにしては随分と質感が伴った体験だった。
夢の中の会話を整理してみたが、とんでもない話を自分はあまり疑いもせずに受け入れていた。
場の空気というのもあったのかもしれない。
普通に考えれば誰も信じるはずのない内容だった。
百歩譲って司馬懿が自分の暗殺を目論んでいるというところまでは信じたとしても、その後の”メルケオン”や”歴史の書き換え”というのは、いくらなんでもあり得ない。
だが、一つだけ、はっきりとした事がある。
自分は既に魏という国に愛想を尽かしている…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
3日目。
朝食後、全将兵を整列させた。
討たれた千名余りの者達への追悼のためだった。
重傷者は既に設備の整っている郡城へ移送したので、馬岱軍所属で、ここに残っているのは7千名に満たない。
戦死した者達の遺品の整理、梱包は既に済んでいる。
さすがに戦場では全員の遺体は回収しきれなかったが、それでも可能な限り回収に務めて埋葬した。
斥候や回収要員の話では遺体の回収時に敵襲は無かったとの事だった。
小部隊が接近してくることはあっても遺体の回収だと分かると黙って見過ごしてくれるそうだ。
あまりにも近い場所で戦死していた者はこちらで埋葬した、と声をかけてくれる事もあったようだし、こちらの兵の遺品をまとめて一箇所に置いておいてくれた事もあったという。
牛金というのは武人としての流儀をわきまえている男のようだ。
自分が勝った側だったら、どうだったろうか…と、馬岱は、ふと思った。
戦の局面にもよるが、やはり基本的には邪魔はさせなかっただろう。
ただ、そこまで細かく手配できたかどうかは分からない。
向こうも、もう済んだ戦だと認識しているようで関外での布陣は続けていたが物々しい態勢ではない。
「これより先日の戦で討たれた者達の追悼を行なう。」
今回の戦の主将として馬岱はまず、自身の用兵の反省点などを挙げて全員に謝罪し、戦闘後の探索の任にあたった者達と負傷者達への労いを述べた。
こうして言葉にしようと記憶をまとめていると反省すべき点が尽きない。
「言ってしまえば俺の我儘で始まった戦闘だ。付き合わせてしまった全員に改めて申し上げる。詫びても到底詫びきれるものではないが本当に申し訳なかった。」
馬岱は改めて全員を見渡した。
戦場じゃあ、命が安すぎる…。
いつもの口癖が言葉のままに馬岱を苛む。
それを振り払うために馬岱は言葉を継いだ。
「だがな、生き延びれば少しばかりは命の価値も上がろうかってもんだ。逝ってしまったあいつらは、そのために俺たちを守ってくれたんだと思え。全員杯を持て。」
全員が起立して盃を掲げる。
「黙祷!」
馬岱の号令と共に全員が盃を掲げたまま目を閉じた。
それぞれがそれぞれの想いのままに亡き戦友を偲んでいる。
「よし。黙祷やめ!後は飲もうが歌おうが自由だ!今を大いに楽しめ!それが逝った者達への最大の手向けだ!」
兵達の間から歓声が上がる。
結局は酒盛りになってしまうが、その方が自分達らしい。
敵の動向観測のための滞陣なのだから本当なら軍規を徹底すべきところだ。
だが、そうは言っても、もはや敵が動く事はないのは皆がとっくの昔に理解している。
皆が思いのままに飲み食いして今日もまた、そのまま夜を迎えた。
馬岱は意識して酒量を控え目にしていた。
その分、負傷者を見舞ったり兵達の輪の中に入って共に馬鹿話に興じるなどして日中を過ごした。
そして、陽が落ちて深夜になると、また陣の端の方にそびえる例の木のある場所に立っていた。
「爺さん。居るか?」
今夜は反応が早かった。
「聞くまでもないわ。わざわざここに来んでも貴様の太刀に居ると言うたであろう。」
「馬鹿言え。人に見られたら大騒ぎになるだろが。」
「そうか?既に一人見ておるようだが?」
「ああ…。」
張翼が少し離れて追けてきているのには気づいていたが、そういえば放っておいたままだった。
「そんなとこに突っ立ってねえで、こっち来いよ。」
声をかけられて張翼はおずおずと近寄ってきた。
「…馬岱殿、これは?」
張翼は驚愕を隠せずにいる。
「久しいな。伯恭。と、言っても数日ぶりだが。」
そう言って高笑いする呉懿の幽霊に張翼はびくっと身構えた。
「か…かか閣下!数日ぶりにございます!」
「うむ。息災で何よりだ。」
「か、閣下もご健勝で何よりにございます。」
「いやいや、幽霊相手に健勝もへったくれもねえだろ。」
さすがに頓珍漢なことを言う張翼に馬岱は思わずツッコんでしまった。
「というより馬岱殿!あんたは何でそんなに冷静なんだ!?」
「でけえ声出すなよ。さすがに三日目ともなりゃ驚きもしねえよ。」
「み、三日目って!」
「だから声がでかいって。」
そう言って馬岱は誰かに聞かれていないか周囲を見渡した。
満天の星空の下、月明かりに照らされているのは自分達だけだった。
「大陸一の刺客ともあろう者が、こうも容易く後を追けられようとはの。貴様も耄碌したのではないか?」
「ふん。害はねえから放っておいただけさ。で?話の続きってやつは聞かせてもらえるのか?」
「ちょ、ちょっと待て!大陸一の刺客って何だよ?」
話を遮ってくる張翼に、やや疎ましさを感じながら馬岱は答えた。
「俺の裏稼業だ。なんだお前、知ってたんじゃねえのか?」
「知るわけがなかろう!初耳だ!」
「だろうな。誰にも言ってねえしな。」
「あ、そうか。どうりで知らない訳だ…って、おい!」
「ま、馬鹿話は置いといて…だ。昨夜の話の続きだが、あんたが死ぬのは本来なら2年先のはずだったのが何で数日前にそうなっちまったんだ?」
「え!?」
「一々うるさいよ。黙って爺さんの話を聞け。」
「いや、しかしだな!」
「相変わらず仲が良いことだな。で、貴様が聞きたいであろう話の続きだが、歴史を操れる存在の話は聞かせたかの?」
「ああ。さわりだけ、な。」
「そうであったな。天界には、この世を創造した”絶対神”がおる。」
さすがの張翼も今度は口を挟んでこない。
突拍子もない話を聞かされて声も出せずにいる、と言う方が正しいのかも知れない。
「”絶対神”を名乗るほどの存在だ。その力は天地の法則を自在に操れる事は言うまでもあるまい。」
「ああ、そこまでは聞いた。それとあんたの死期を早める事に何の関係があるんだ?」
「相変わらず性急な男よの。順を追って話すゆえ、まず聞け。」
「そりゃ悪かった。」
本当に聞きたい事は、そこではなかったが馬岱はひとまず静かに聞くことにした。
「では続けるが、歴史を書き換える事など奴らにとっては造作もない事。儂の死期が早まったのも、奴らの仕業であろうな。問題は何故そのような事をする必要があったか…。それについては儂より詳しい方がおるゆえ、交代して頂こう。」
「交代?」
「そうだ。その人物の紹介も兼ねておる。」
呉懿がそう言った途端にぼんやりとした人の影が一つ現れた。
その影は、すぐに色彩を帯びて細かな輪郭が鮮明になり、かつて見慣れていた姿を馬岱達の目の前に現した。
綸巾…鶴氅…白羽扇…。
もう見ることはない…はずの姿だった。
「丞相!!」
そう叫んで、隣の張翼は跪いた。
その目から一筋、零れ落ちた涙が月明りを反射して輝いた。
馬岱の胸にも去来する想いが無い訳ではなかったが、その表情には冷たいものが貼り付いているのが自身でも分かるほどだった。
突っ立ったまま、ふうっと溜息をもらしただけだった。
「張翼将軍。顔を上げてください。馬岱将軍もお久しぶりです。」
馬岱は軽く頷いた。
「なるほどな。あんたまで出てくるとは、これが只事じゃないってのは良く分かった。ただ…。」
「ただ?」
聞き返す諸葛亮の霊に馬岱は目を向けて先を続けた。
「なんで俺なんだ?爺さんの死が2年早まったとか歴史を自在に書き換える存在とか、そんな話を聞かせて俺に何をさせたい?まず、それを教えてくれ。」
これこそが馬岱が本当に聞きたい事だった。
「分かりました。馬岱将軍、あなたにはこれからお話しする相手の討滅を依頼したい。」
予想はしていたものの、正直、またか…と、思ってしまった。
聞くまでもなく、そして聞くべきでもない事だった。
馬岱が蜀軍に加わって以来、諸葛亮とは度々こうしたやり取りをしてきた。
内容はどれも劉備の体制を固める上で邪魔になる存在の調査及び排除依頼だった。
存在とは旧領主である劉焉・劉璋派の中でも影響力の大きい者…。
要するに暗殺だった。
どこで聞きつけたのか武術の師が刺客であったという自分の身の上を知ったようだ。
蜀軍に加わる以前からも調略や暗殺…およそ諜報・工作の類に含まれることは何でもやってきた。
いい加減に解放して欲しいというのが本音だった。
ある種の失望を覚えた馬岱をよそに諸葛亮は続ける。
「この世で我々が知る”時”という概念は、この世の創造主である”絶対神”によって生み出された物です。そう、”絶対神”とは”時”を操る力を持つ存在です。」
「ああ、それは分かった。」
「ですが彼らはやり過ぎたのか、歴史上に時折、”特異点”が出現するようになりました。”特異点”は、その時々によって物であったり人であったりと様々な形で出現しています。」
「ほう?」
「この”特異点”の存在によって彼らでも手を加えることができない部分が歴史上に散見されるようになりました。」
「それが、今のこの時代にもあるって事か?」
「その通りです。”特異点”とは、謂わば彼らの”時”に対する過干渉が生み出した歪み。生死、自然法則、この世のありとあらゆる物を掌中に収めているはずの彼らにとっては相当な脅威であるはずです。当然、彼らは”特異点”の消去に動きます。」
「まあ、そうだろうな。」
「ですが、この時代に限って言えば、それは悉く失敗に終わっています。彼らがどのような手段を用いても消去できなかったのです。何をどうしても、それは必ず生き残りました。」
「生き残る…。つまり”人”なんだな?」
「ええ。直接の消去を諦めて過去に飛び、”特異点”が生まれる前に両親となる男女の消去を試みましたが、それも失敗…。時空の壁に阻まれて、過去に飛ぶ事はできても、両親はおろか、その先祖代々全ての人物にも指一本触れる事さえできなかった。」
考えていたよりも、はるかに大袈裟な話になってきたようだ。
張翼は、話が大き過ぎて呆気に取られているのか、ずっと静かなままだった。
「それで現在は血縁者以外で”特異点”と関わりのあった人物を消去すると、”特異点”にどのような影響が出るのかを彼らは試しているようです。」
「それで爺さんが史実より2年早く死んだって事なのか?」
「ええ、ですが完全な消去とは行かず呉懿将軍は霊魂として、この世に留まりました。」
「…その”特異点”ってのは誰なんだ?俺も知ってる奴なのか?」
「知ってるも何も…」
自分に向けられる諸葛亮の視線が更に鋭く刺さるのを感じた。
「あなたですよ。馬岱将軍。」
「…。」
平静を装ったままで馬岱は聞いていたが内心は激しく動揺していた。
俺が…だと?
自分は知らないところで、ずっと命を狙われ続けていたのか?
俺…どころか親も先祖も狙われていたのか?
そして、それらは悉く失敗…。
つまり呉懿は自分のとばっちりを食って”絶対神”とやらに殺されたという事になるのか。
そうした馬岱の胸中を読み取ったかのように諸葛亮は続ける。
「だからといって馬岱将軍が気にすることはありません。いずれにしても、2年先には呉懿将軍は亡くなるのです。彼らは時期を調整したのに過ぎない。」
「そうか…。色々と飲み込めん事柄もあるが、取り敢えずあんたは何もされなかったのか?」
「ええ。今のところは。」
「爺さん…あんたも言ってたよな。自分達の”生きた証”が好きなように作り変えられてしまうって。2人ともそれに納得がいかねえから抗うと決めた。そう受け取っていいんだな?」
「ええ。その通りです。漢王朝再興という先帝陛下の”願い”が草蘆で惰眠を貪っていた私を目覚めさせてくれました。今の私は過去にも未来にも行けます。干渉は不可能ですが、ただ見に行く。これだけは出来るのです。だから結果を知っています。あなたもお気づきの通り、その”願い”は叶わない。ですが、その”願い”と共に生きてきた私たちにとって結果がどうあれ、多くの血が流れて築き上げられたそれを好きなように触れられるのは、相手が例えこの天地を創造した存在であっても我慢がなりません。」
「…。」
「彼らが何故好きなように我々が歴史と呼ぶ”時”の積み重ねに手を加えるのか、ここから先は私の推論に過ぎませんが、劇を鑑賞したり書物に親しむようにして、彼らは我々人間の生死を眺め、そして楽しんでいるのではないか…と考えています。楽しみたいが故に基本的には敢えて放置して我々人間のやりたいがままにさせ、その結果が面白くなければ好みに合うように手を加える。しかし…。」
「”特異点”に関しては例外で、好みは関係無しに、どうあっても消去が必要だってことか?」
「はい。彼らの行動を見る限り、そうとしか考えられません。」
全員が沈黙する中、風が吹き渡り、そして過ぎ去った。
黙っていた呉懿の霊が口を開いた。
「馬岱よ。残念ながら、この国に貴様の居場所はもう無い。だが我らならば”別の場所”に連れて行く事ができる。そこで奴らに抗い、新たな居場所を作ろうとは思わぬか?」
諸葛亮も大きく頷いて付け加えた。
「呉懿将軍の言葉に私も賛同します。馬岱将軍、このままではあなたの”生きた証”…いや、あなた自身さえ無かったことにされてしまう。この時代そのものでさえ、彼らがその気になれば消してしまうことができる。それをしないのは、あなたという”特異点”の存在のせいでもあるのでしょうが、それ以上にこの時代が彼らにとって、それなりに面白い見世物でもあるからでしょう。しかし彼らの気が変わればどうなることか…。なんなら、この時代だけと言わず、この世の始まりから終わりまでの全てを消去する…。それが可能な力を有している存在なのです。」
「俺の嫌いな言葉だが、存在そのものが人の”運命”…だってことか?」
「そうです。うまく言葉にできずにいましたが一言で言えば確かにそういう事になります。」
再び風が吹き去り、沈黙が辺りを支配する。
いきなり、こんな話に付き合わされて、下を向いたままの張翼はどう思ったのだろうか。
他の連中が聞いていたら、どう思うだろうか。
諸葛亮の言う彼らに抗うということは、それはそれで歴史に手を加えるということではないのか。
元々、そうしたことに結論を出せるほど自分は偉い存在なのか。
まとまらない思考が馬岱の胸の内を行き来する。
話の途中で思い至ったことを馬岱は遂に口にした。
「なあ丞相、それの何がいけねえんだ?」
これを口にすれば、肉体を失ってもなお、この世に留まった二人の想いを踏みにじってしまう。
それは分かっていたが…。
「え?」
諸葛亮の表情が明らかに曇った。
だが、これを聞かないわけにはいかない。
「俺たちだって過去の歴史を”物語”として楽しんでいる。春秋、陳勝・呉広の乱、楚漢戦争、数え上げたらキリがねえ。そんな俺たちと奴らにどの程度の違いがある?」
馬岱の言葉に、皆、黙ってしまった。
「無論、俺たちには好きなように歴史を作り変えるなんて力はないさ。だが歴史を見世物扱いしちまってるって点では本質的に奴らと何も違わん。そう思うのは俺だけか?」
「…。」
「悪いが少し考えさせてくれ。せっかくのお誘いだが。」
今夜はよく風が吹く。
まるで五丈原のあの時のように。
過ぎ去る風音が場の沈黙を余計に際立てた。
「そう…ですか。確かに馬岱将軍の言葉に対する答えを私は持ち合わせておりません。ですが、これだけは忘れないでください。あなたという存在もまた、私たちの”生きた証”であり”願い”でもあるのです。今夜のところはこれで失礼いたします。」
「ふむ。儂も失礼するとしよう。貴様の言いたい事も分からんではないが、奴らに狙われておる以上、生き残るためには抗う以外に道は無い。貴様の利己的な思いで構わん。それが結果として儂らの言った”願い”や”生きた証”もひっくるめて多くの魂を救う。それは忘れんでくれ。」
そう言って二人の姿はゆっくりと消えていった。
二人の言う事も分からないではない。
だが、たとえ奴らの見世物にされているのだとしても、人もまた同じように人を見世物にしている以上、それに対して何かを言えた義理ではないのではないか。
苦さと共に取り残された馬岱に向かって張翼が沈黙を破った。
「もう一度聞きたい。大陸一の刺客ってなんだよ。」
「なんだお前?まだ、そんな与太話に引っ掛かってんのか?ありゃ爺さんの冗談だ。俺は乗っかっただけだぜ。」
「いや、まずその時点で嘘だ。」
「…。」
「具体的にあんたが何をしてきたかまでは知らんが、あんたでなければ出来ない事を任されてきた。それも大っぴらには出来んようなことを。丞相や都督にあそこまで言わせるんだ。そうした任務にあんたが就いていたとしても何ら不思議じゃない。違うか?」
この男は妙な時に鋭くなる。
「今の話だって、あんたでなければ聞かせてないはずだ。それだけ信頼されてたってことじゃないのか?」
そして確証を持つと一気にまくし立てる。
「なあ馬岱殿。俺だって何年もあんたと付き合ってきてるんだ。正直、あの二人の話は規模が大き過ぎて俺には分からんよ。でも、これだけは分かる。あんただからこそ、あの二人に選ばれた。それだけは間違ってない。誰がなんと言おうとな。」
言いながら激してきている。
完全に火が付いた張翼が、どれほど面倒になるか…馬岱は良く知っていた。
言葉は更に続く。
「信頼されてるんだよ!期待されてるんだよ!答えろよ、男なら!応えて見せろよ、あの二人に!あんたの言った”運命”ってのは抗うためにあるんだ!今のまま!失意のまま!下らん政争の犠牲になりたいのか!?」
聞きながら馬岱は思った。
思えば丞相が逝っちまって以来、こいつとはこんな風にやり取りをする事もなくなってたな…。
「俺があんたなら、むしろそっちの方が納得が行かん!絶対神!?この世の創造主!?上等じゃねえか!難しく考えるな!ぶちかましてやれよ!”願い”ってやつを!”生きた証”ってやつを!」
無言のままの自分に更に言葉を浴びせてくる張翼に懐かしさを覚えながら馬岱は大きく息をついた。
なおも言葉が続くのには、正直、辟易していたが…。
「都督が言ってた”別の場所”ってのは、それはそれは最高の戦場なんだろうよ!武人の誉れじゃないか!これを聞いてどうして奮い立たん!?」
馬岱は、ただ黙って聞いていた。
こいつは本当に良い事を言う。
たまに…ではあるが。
「確かに俺たちだって、歴史を”物語”として笑ってきたさ!だが、それでも奴らとは全く違うと俺は思う!俺たちは“見て終わり”じゃない!命を賭けて、笑って、悔やんで、そうして死んでいく!見てるだけの奴らとは、そこが違う!」
確かにその通りだ。
只の人間に過去を変える力は無いし未来の事は分からない。
当事者として今一瞬を生きていくしかない。
そうやって歴史は作られてきた。
「俺のご先祖様は言わずと知れた張良だ!陳勝・呉広の乱から楚漢戦争に至るその真っただ中を生きたお人だ!籌を帷幄に運らし、勝ちを千里の外に決す!籌を帷幄に運らすのが丞相なら、千里の外にいるのがあんただろう!勝てよ!行って勝ちを決めて来いよ!」
「分かったよ。もういい。」
さすがに叫び疲れて肩で大きく息をする張翼に馬岱は、やっと言葉を返した。
「とにかく今は考えさせてくれ。簡単に決めていいことじゃない。」
言って馬岱は陣屋の方へ歩きだした。
張翼も、もう何も言ってこない。
時折、強く吹く風の中、二人とも、ただ歩いた…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
陳倉に到着したのは出発から3日経ってのことだった。
陳倉の県城自体は元々は規模が小さかった。
ただ周辺には広大な平地が広がっており、また過去に郝昭が築いた複数の下城の存在もあって本城に収まりきらない部隊の野営にも問題がない。
郝昭という将軍は既に故人だが、あの諸葛亮が手を焼いただけの事はあり、いつ見ても彼の築き上げた防備体制には感心させられる。
長らく荊州の曹仁の下で呉軍の侵攻を防いできた牛金にとっては、その防備の堅さが良く分かる。
県城という括りの中では最強の堅城ではないだろうか。
そんな陳倉で、これから、この南征軍の都督である司馬懿の下へ出頭して散関での戦闘について報告を上げるわけだが…。
官服に着替えようかとも思ったが、ここ二日ほど、夢に出てきた諸葛亮の話が思い出されて仕方がなかった。
一度は一笑に付したあの話が、陳倉が近づくにつれて牛金の中で急に現実味を帯びてきた。
司馬懿が自分の命を狙っている。
警戒するに越したことはない。
どうせ出頭先は軍営なのだから具足姿でも問題はないだろう。
本城近くで野営中の部隊に鎧櫃と白嵐を預かってもらおうと思い、それぞれの部隊の馬の世話の仕方を見ていた。
納得のいく世話をしている部隊がいたのでそこの兵士に声をかけて預かってもらい、城門の守備隊のところで登城手続きを済ませ、牛金は城内へ入った。
夢の中での話ではあったが報告だけではなく、けじめをつけに来た。
牛金は辞職の決意を固めていた。
司馬懿には、はっきりと辞めると言う。
そして、辞めた後はどこにも仕官せず平民として生きるつもりでいた。
宮仕えなど、もうこりごりだというのが本音だった。
無論、司馬懿が認めず自分の暗殺を強行する可能性もあるし、暗殺自体が考え過ぎの可能性もある。
だから懐には護身用の短剣を忍ばせていた。
入室の際には衛兵に剣を預けなければならないのだから、これは絶対に必要だった。
執務室の衛兵に面会の取り次ぎを申し出ると、ここではなく宴会場へ案内された。
その時点で既に怪しい、と牛金は感じた。
わざわざ広い部屋に呼び出しておいて自分一人という事はあるまい。
わざと衆人監視の中で毒を盛り、自分を見せしめとして、そこに居る全員に恐怖と威圧を与える。
取り敢えず病死と発表して、後々暗殺だった事が漏れた際に、漏らした人間も排除の対象にする。
そのようにして人をふるいにかけていく。
ありそうな事だった。
腰に佩いていた剣を衛兵に渡し、室内へ進んだ。
同時に上座に座する司馬懿の様子を観察した。
相変わらず氷のように冷たい表情を崩さない。
牛金は自分に用意されていたと思われる空席の前まで案内された。
その左隣には郭淮が着座している。
右隣には普段、同僚に対して好き嫌いの感情を抱かない牛金が初めてはっきりと嫌いだと認識した者…鄧颺が着座している。
元々は曹爽の取り巻きのこの男が何故この南征軍に参加したのかは不明だが、誰も快く思っていない事は確かだった。
「お待たせ致して誠に申し訳ござらん。後将軍の牛金にござる。本日は司馬都督の召集に応じて、散関での戦勝報告と…」
ここで意を決して、語気を強めて続きを言った。
「お暇乞いに参上致しました。」
周囲が騒然となる。
場内には上座の司馬懿を始めとして息子の司馬師、司馬昭、それに郭淮などの部将や校尉など、合わせると十数名が居並んで着座していた。
牛金の最も近くに居た郭淮が立ち上がって口を開いた。
「待たれよ牛金殿!いきなり何を言い出すのだ!?」
「聞いた通りにござる。某は官を捨て今後は平民として生きていく。」
口を開け呆けたようにして牛金に視線を向けている将士たち。
その中でただ一人、無表情を貫いている司馬懿が重々しく口を開いた。
「理由を聞こう。」
「某は口下手ゆえ率直に申し上げる。都督はとある易学者より司馬家の次に実権を手にするのは牛家の者だ、と占の結果を伝えられたと聞き及んでおります。無論、某は一介の将に過ぎず二心を抱く者ではござらん。ござらんがしかし、都督はその結果を以って某の排除を決意された、とも聞き及びました。ゆえに某もお望みの通り軍を去る事を決意した次第にござる。」
それまで無表情を崩さずにいた司馬懿の笑い声が響き渡った。
破顔一笑。
まさに言葉通りの様子だった。
「馬鹿なことを申されるな牛金将軍。たかが占の結果で、そのようなことをするわけがなかろう。まずは座って食事をなされてはいかがか?」
牛金は何も言わず皿の上の料理を掴んで右隣の鄧颺の口に押し込んだ。
そのまま飲み込むまで口を押さえていると苦しみだしたので手を離した。
鄧颺は苦しそうに屈んだが次の瞬間、激しく嘔吐して、喉を掻きむしりながらのたうちまわり、やがて事切れた。
やはり…か。
血と吐瀉物の海の中に横たわる鄧颺に対しては特に罪悪感も何も感じない。
ただでさえ評判が悪い上に讒言で他者を排除しようとするような男だ。
医師を呼べなどと騒ぎ立てる周囲の喧騒の中、無言を貫く司馬懿の表情に微かな狼狽の色を見た。
「これが都督の某に対する答えか!」
牛金の一喝に場が静まり返る。
おろおろとした表情の将たちの視線が司馬懿と牛金の間を行き来する。
苦虫を噛み潰したような表情のまま司馬懿は命じた。
「斬れ。後将軍牛金、謀反。斬り捨てよ。」
すかさず立ったままの郭淮を左腕で拘束し、懐の短剣を抜いた。
首に突き立てられた短剣の切っ先は正確に頸脈の位置を指していた。
「騒ぐな!おかしな真似をすれば郭淮の命はない。」
居並ぶ将士たちは剣を抜けずに、ただただおろおろとしている。
「ば、馬鹿な真似はよせ牛金殿!都督も何か言ってくだされ!これは何かの間違いでございましょう!?牛金殿も、これは蜀の間者の仕業とは思わんか!?」
「黙れ。本当に刺すぞ。」
短剣を突き立てたまま郭淮を引きずるようにして後退る。
「おい貴様。俺の剣を返せ。」
さすがに衛兵は剣を抜いていたが、それでも、この状況をどうすることもできず、黙って牛金に長剣を返した。
郭淮の身体を拘束している左腕の手先で、それを受け取ると、そのまま更に後退りを続ける。
業を煮やした司馬懿の怒号が響く。
「ええいっ!!斬れ!!郭淮ごと斬り捨てよ!!」
愕然とする郭淮を盾に更に後退る。
諸葛亮の言っていた通りだった。
あの小屋での出来事が現実か夢かは未だ分からずにいるものの、ここは現実だったと信じてみようと思った。
「聞いたか、郭淮殿。」
郭淮は何も答えない。
「あれが司馬懿の本性だ。」
しかし郭淮も将だ。
腹を括ったのか抵抗する力が弱まった。
牛金も司馬懿の事を既に呼び捨てにしている。
「このまま逃げるぞ。」
賽は投げられた。
もう後戻りできない…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
4日目の朝。
今後の事を話し合いたい。
馬岱は短くそう言って、王平、張翼、費禕の三人を呼び出した。
「呼び出して悪かったな。話したいのは俺の配下達の事だ。」
今回も予備審問の時と同じ場所に集まって人払いをした状態で話をしている。
「俺の希望としては、二人に配下を預けて、それについての承認と事務処理を文偉に頼みたい。」
「それは構いませんが私一人の承認では通らないかも知れませんよ。」
「上手くいかなくても恨まんが、そのあたりの根回しも頼む。北伐再開を声高に叫んでいる伯約が俺の軍の兵を持っていっても使い潰されて終わりだ。それよりは、できれば太守として常駐している子均に全員預けたいが、それが駄目でも伯恭なら安心できる。」
三人は少し考え込むような表情を見せた。
「今なら自信を持って言える。あいつらは大陸一の軽騎兵だ。集団馬術や騎馬戦術の教官になれる奴らばかりだ。」
なおも三人は考え込んでいる。
「子均。籠城だけじゃなく遊撃部隊を城外に置いて攻城側を攪乱する事も考えるなら最適な連中だぞ。」
「ええ。それはもちろん分かっているのですが成都がそれを許すかどうかが気がかりです。」
一緒になって黙り込んでいた張翼がここで口を開いた。
「やるしかないんだよ、子均。このままじゃ馬岱殿が鍛え上げた西涼騎馬隊の魂が滅びる。」
「叔父の頃からの生き残りは楊安殿だけになっちまった。この人を除けば厳亮、趙融、宗淋の三人がうちで最も古株だ。ガキの頃の俺の兄貴分みたいな連中だ。四人とも多少、性格にクセはあるが、お前らなら充分に使いこなせる。」
ここで言葉を切り馬岱は盃の残りを一気に飲み干した。
静まり返った場の中で、普通に置いただけのはずの盃がやけに大きな音を立てた。
何故か、その音が心地良く感じられた。
「今のお前たちなら亡くなった陳到将軍にも匹敵する。任せられるのはお前たちしかいない。」
言いながら自分の中で何か重い呪縛から解き放たれたような気分になった。
「陳到将軍とは、さすがに買い被り過ぎだ。それを言うなら張嶷殿だろう?」
困ったような顔で張翼が言った。
「ああ。お前の名前そっくりさんか。あまり面識はないが、確かに彼も良いな。」
今度は王平が口を挟んできた。
「馬忠殿はどうです?」
「なんだ、やけに伯恭絡みの名前が出てくるな。妾腹殿も確かに優秀だが、連中の任地は南方だぞ。さすがに遠過ぎだ。」
「妾腹って、ひでえな。」
笑い上戸な張翼が吹き出した。
もっとも馬忠とは遠い親戚同士で、そんなやり取りでじゃれ合うような仲である事は、この連中も知っているので問題はない。
「悪いのは全部、伏波将軍だ。あちこちに出向いては女作ってガキも作って、その子孫がお前の後任まで果たしちまってるんだからな。」
「ああ、まったくだ。俺が兵糧を溜め込みまくったおかげで彼もさぞかし仕事が楽だったろうよ。」
「ま、それに関してはお前さんの手柄だな。もっとも更迭されてりゃ世話はねえが。」
「それを言うなよ。」
張翼が言うと全員が爆笑した。
費禕が笑いながら言った。
「ほらほら、皆さん。話がすっかり逸れてますよ。今後、馬岱殿の軍は王平殿と張翼殿のお二方の下へ振り分けるという事でよろしいですね?」
「ああ、それで構わん。」
「では、成都での根回しは。お任せください。…と言っても上手くいくかは保証できませんが。」
「その時はしょうがない。ま、他にも元倹とか句扶殿とか、受け入れてくれそうなアテはあるだろう。とにかく伯約だけは避けてくれ。」
「うーん。前から聞こうと思っていたのですが、馬岱殿はどうしてそんなに姜維殿を毛嫌いするのですか?」
「別に嫌いってほどでもねえがな…。ただ、あいつは従兄と同じ類いの人間だ。戦に…血に酔う。それもほろ酔いどころの騒ぎじゃねえ。泥酔して、結果、取り返しのつかない事をやらかしちまう。」
費禕が意外だという表情でこちらを見つめてきた。
「子均なら分かると思うが馬謖にも似たようなところがあった。結果は…言わなくても分かるよな。」
「そう言われてしまうと私としても何も言いようがないのですが。」
「伯約は馬謖みてえな突拍子もねえ負け方はせんだろうが、兵の消耗や疲弊が激しいという意味では変わらん。元々やる気がない、とか、危ない橋を渡りたがらない、とか言われてた俺でも、このザマだ。あいつには下手にやる気がある分、余計に危ねえ。元倹にしても張嶷殿にしても苛烈な攻めを信条とする猛将だが、それでもドジを踏まねえように押さえるところはしっかり押さえてる。あいつには、それが足りん。」
「そう言われてみるとそうなのかとも思えてきますが。」
「馬岱殿が言いたいのは戦の要諦ってやつだよな。確かに頷ける部分が無くもない。」
張翼も馬岱に同調した。
「それにしても、たった一夜明けただけでどうしたよ?腹は決まった、と思っていいのか?」
「いや、はっきりと決めたわけじゃない。その前に一仕事片付ける。決めるのはその後だ。」
張翼とのやり取りが何の事か分からない王平と費禕が顔を見合わせる。
「後で教えてやる。」
二人にそう声をかけて会談は終わった。
取り敢えずその一仕事というやつを片付けなければならない。
深夜…というほどでもないが、すっかり夜になった。
馬岱は例の木の前に立ち呉懿と諸葛亮の霊を呼び出した。
「昨日は済まなかった。」
「いえ。突然あのような話をされれば誰しも困惑するでしょう。こちらこそ申し訳ございませんでした。」
「いや、俺の方こそ。二人ともどんな思いでこの世に留まっていたか。そこに配慮が足りなかったのは素直に認める。」
見かねたのか、互いに謝ってばかりの自分と諸葛亮を呉懿が遮った。
「まあ良いではないか。今日は追けられておらんようだな。それで、どうするのだ?」
「一つ片付けておきたい仕事がある。俺を連れて行くとか言っていたが、それはどこにでも行けるのか?」
「うむ。行けんところもあるが、一体どこに行きたいのだ?」
「可能なら、楊儀のやさに連れて行ってくれ。場所は俺の配下が割り出してある。爺さんの言ってた”別の場所”は、その後で考える。」
「ふむ。」
呉懿も諸葛亮もなぜか機嫌が良さそうだ。
「どうした?二人ともニヤニヤしやがって。幽霊が笑顔だと余計に気味悪いぞ。」
「いえ。良いお返事を頂けそうだと思いましてね。」
「今の貴様は実に良い顔をしておる。まるで憑き物が落ちたかのように。」
「人の太刀の憑き物が何を言う。勘違いするなよ。俺はまだ決めたわけじゃねえ。」
「はいはい。分かっていますよ。」
「それでは、その場所とやらを詳しく教えてもらおうか。」
「漢嘉郡厳道県の南の外れの方だ。そこまで連れて行ってくれれば後は自分で歩く。行けるか?」
「可能だ。何なら一旦近くまで転移してしまえば、楊儀の気配を追って更に近づく事もできる。歩かんでも済むぞ。」
転移…というのが良く分からなかったが、とにかく凄いのは分かった。
幽霊が枕元に立っていた…などというのは、こういう力を有しているからなのか。
「それよりも、そこには楊儀一人だけなのか?家人は?」
「俺の配下とは別に成都が付けた監視役の密偵が一人、近所に住んでいるくらいだ。妻子とは別居中との事だ。従者も護衛も付いていない。」
「ならば好都合だな。」
「俺はまだ楊儀をどうするとも言ってないが。」
「言わなくても分かりますよ。」
諸葛亮は言ってため息をついた。
「確かに彼は私の下で良く働いてくれましたが対人関係の構築という点では不適格でした。私は魏延将軍をどうしろとは一言も言っていませんが彼は独断で魏延将軍を排除し、それがさも私の遺命であったかのように状況を整えました。」
「あれに関しては俺もしてやられた。疑ってはいたが、完璧なウラが取れたのは事後だった。もっともそれより前に魏延の居場所は既にない状態にされていたからな。」
「それで、あなたは魏延将軍の討伐を引き受けたのですか。」
「他人の手にかかるよりはマシだろうと思ってな。」
少しの沈黙の後、馬岱は続けた。
「楊儀には答えをもらっていない質問が残っている。そいつを答えさせた後、けじめを付けてもらう。丞相、あんたには見せたくない物を見せる事になりそうだが。」
「ご心配なく。彼は失脚後も色々とおかしな様子を見せていますし今のうちに止めておいた方が良さそうです。」
馬岱は大きく頷いた。
「どれ。それでは行くとするかの。」
呉懿が言い、諸葛亮が足元に向けて羽扇で何かを描くように翳すと方陣のような物が光を放ちながら出現した。
「これは転移門です。この中にお入り下さい。」
諸葛亮に促されるままに足を踏み入れた。
「強い光が発生しますので目を閉じていて下さい。」
言われた通り目を閉じていると、まぶたの外からでも強烈な光が放たれているのが分かった。
やがて、その光が弱まっていき完全に収まると目を開けるように促された。
開いたまぶたの外に広がる光景は、ここ数日の内に見慣れた陣中の景色とは全く違っていた。
「漢嘉郡厳道県の南の外れ。貴様の注文通りの場所だ。」
「お…おう。」
馬岱は驚愕を隠せなかった。
どういう原理なのか全く分からないが今居る場所は確かに違う場所だ。
「楊儀の居場所を探して参りますので、ここでお待ちください。」
そう言い残して2人は姿を消した。
―――お前、俺に何をさせようとしているのか分かってて言ってんだよな?―――
答えを貰っていなかった問い…あの時の会話が馬岱の脳裏に蘇る。
丞相の枕元から離れなかった楊儀が勝手に陣代を名乗って撤退の指揮を執った。
そこまではいい。
魏延が撤退に従わず軍令に背いた。
これが問題だった。
そう騒ぎ立てたのは楊儀が最初だった。
事態が事態だけに、もっと慎重に魏延の真意を確認すべきだと、最初はほぼ全員が主張していた。
しかし軍事における諸葛亮の後継者と目されていた姜維が若さ故か簡単に信じ込んで、あっさりと楊儀に同調してしまい魏延の謀反が事実だと、なし崩し的に認定されてしまった。
しかし実際には謀反どころか撤退命令そのものが、前線で敵勢と対峙中の魏延の元には届いていなかった。
いや、楊儀はわざと伝えていなかった。
これについて、もっと早く証拠を掴んでいれば…。
敵中に取り残されて激怒した魏延は、あろう事か撤退中の本隊の進路を塞ぐという形で怒りを表明した。
この時点でもはや魏延を擁護する事は不可能になった。
結局、双方が相手の謀反であると主張し、数的に劣る魏延側が敗走…馬岱がとどめを刺して事態は終息した。
性格に癖があり過ぎて反りが合わないところはあったが、これでも長年に渡って戦陣を共にした仲だ。
結局、自分がした事は、佞臣が私怨を晴らす片棒を担いで無実の将を処断した…ただ、それだけだった。
この件で楊儀の発言に最初に同調した姜維に罪はない。
悪気もなく楊儀から聞いたままを受け止めただけだ。
それは分かっているが、この一件以来、馬岱の姜維に対する評価は厳しい物になった。
楊儀の煽るような発言に簡単に乗せられるのも、結局は従兄馬超のように戦に酔う性質があるからだ。
そして、常に敵がいないと却って心身が安定しないようなところも馬超に良く似ていた。
漢王朝の再興を誰よりも願っていた諸葛亮の遺志をもっとも色濃く受け継いだ者…姜維。
彼こそが実は蜀漢を滅ぼす元凶となるのではないのか。
だとすれば、この上ない皮肉だ。
だが諸葛亮はそれさえも超越したところで歴史の書き換えを許さないと言っているのだろう。
この世に対する”未練”も”遺恨”も”後悔”も”皮肉な結末”でさえも全て受け入れた上で、手を触れるなと言っているのだろう。
相当な覚悟を持って、この世に留まり、そして奴らと戦うという決断をしたのだ。
「見つけましたよ。参りましょう。」
声をかけられて馬岱は我に返った。
見上げた馬岱の前に二人の霊が戻ってきていた。
諸葛亮が再び地面に光の方陣を描き、その中に足を踏み入れて目を閉じる。
再び目を開けた時には小さな家屋の前に居た。
これが楊儀の住まいなのだろう。
他の人家はまばらだ。
二人は太刀の中に戻ったらしい。
家屋の周囲を見て回る。
想像よりもはるかに貧しい暮らしぶりのようだ。
…などと思いながら背後の気配に対処した。
黒装束の男が一人、回し蹴りの餌食になって地面に転がっていた。
その近くには、この男の得物であろう短刀か何かが転がって月明りを反射していた。
こいつが成都が付けた監視役か…。
まともに顎に入ったのか完全に気絶している。
今度は二人…。
その方向へ向き直ると、二つの気配は跪いていた。
「まさか、自らお見えになるとは…。」
馬岱の方で楊儀に付けた監視役の密偵だった。
「あー悪い。事前に知らせてやれなくてな。」
怪しまれないよう、夫婦を装って男女一名づつの組にしてある。
「いえ。とんでもございません。それよりも御自ら…ということは、そういう事だと解してよろしいでしょうか?」
「ああ。長い間ご苦労だったな。外の見張りだけ頼む。あとはひと月ほど楽にしてくれて構わんから二人とも休暇を申請してくれ。」
失脚した文官の監視役など退屈な任務だったろうから、せいぜい毎晩お楽しみだったことだろう、などと下世話な想像をしながら二人を労った。
しかし退屈な任務に就けたとはいえ、この二人が使えないというわけではない。
実際に、この二人は楊儀に関して重大な情報を上げてきている。
「ありがたき幸せ。して、その者はいかがいたしますか?」
「ああ…。」
気絶している監視役を見やる。
「俺のせいで職を失うってのも寝覚めが悪い。匿ってやってくれ。気配の消し方はまあまあ上手かったから使えるかも知れん。」
「承知致しました。」
二人が器用に監視役を運んで行く。
その様子を目の端に捉えながら馬岱は引き戸を開けた。
老朽化のせいか、それとも元から建付けが悪かったのか、不快な音を立てながら引き戸は来客を出迎えた。
明かりは点いているが、引き戸を開けた先に人の姿は無い。
これだけの音が発生しながら中に居る楊儀が気づかないはずはない。
必死に気配を殺そうとしている息遣いが感じられる。
誰何もせずに最初から身を潜めようとしていることからも普段から襲撃に怯えていたことが分かる。
ならば大人しくしていれば良いものを、この男は自らの復権のために方々に働きかけているという報告が先ほどの二人の密偵から上がっている。
それも、只の復職願いの提出ではなく、かなり過激な調子で現体制を批判しているという。
特に陳祗という者に頻繁に書状を送っているようだ。
陳祗の方からは特に返事があるわけでもなく楊儀が一方的に働きかけている状態のようだ。
「邪魔するぜ。」
馬岱は、ずかずかと奥まで入っていった。
そして、わざと無防備に晒した背後からの気配に振り向きざまに太刀を一閃した。
ごとり…と音を立てて落ちたのは剣を握ったままの誰かの右手だった。
「ひゃあぁぁあ〜あああ〜!」
驚愕から発せられた悲鳴が途中から絶望の色を帯びながら消えいり、遅れて痛みに襲われ始めたのか、そのまま呻きへと変わった。
「おいおい、ご挨拶だな。わざわざ来てやったのに白刃でお出迎えか?」
「ひ、ひぃっ!」
気配の主…楊儀は苦悶、怒り、恐怖、絶望など様々な物が綯い交ぜになったような表情を浮かべながら、こちらを睨みつけている。
手首を押さえながら踞っているその髪を掴んで馬岱は言った。
「てめえには答えをもらっていない質問が残っていたが、その答えをもらいに来た。」
「な、何だ!?丞相に次ぐ地位にあったこの私に、たかが一将でしかない貴様が質問などと身の程を弁えよ!!」
楊儀が皆まで言い終わらない内に掴んでいた髪を勢い良く引っ張って、その顔面を床に叩きつけた。
「ぷぎゃあぁぁぁっ!!」
「官位の話なら、てめえもたかが一将でしかなかったよな。それも剥奪されて今は平民。身の程を弁えなきゃならんのはどっちだ?」
情けない声と鼻血と涙を漏らしながら楊儀が横目でこちらを見る。
「な、何を聞きたい?」
「なあに。もう済んじまった事だが、聞きたいのは魏延討伐の時の事だ。」
楊儀は怯えた表情のまま、こちらを見ている。
「あの時、聞いたよな?俺に何をさせようとしてるのか分かってて命じてるのかってな。」
「そ、それは…。謀反人の討伐だ!当たり前の事ではないか!」
もう一度、顔面を床に叩き付けた。
嫌な音がして更に床の血溜まりが拡がった。
鼻が完全にひしゃげていた。
「違うだろ?そもそも、あの時てめえは丞相の死と撤退命令を魏延に伝えていない。軍令違反も何も、その軍令そのものを知らん将が謀反もクソもないが、それでも謀反と言うのなら、あいつにそうさせたのはてめえ自身だ。その上であいつと付き合いの長い俺に討伐を命じる事がどういう意味を持つか、てめえは分かってたのかと聞いてるんだ。」
「そ、それは…。」
「答えられんか?なら代わりに答えてやる。」
必死に目を逸らそうとする楊儀の顔をこちらに向けながら馬岱は続けた。
「てめえは俺を自分のケツ拭き布にしたって事だ。」
様々な物を含ませていた楊儀の表情には既に恐怖しか残っていない。
それを振り払おうと髪を掴んでいる手に逆らって必死に首を振っていたが無駄な行為だった。
「てめえは魏延に、そして俺にも…てめえ自身の罪を背負わせたんだ。俺らだけじゃねえな。丞相にも…だ。」
「ちっ、違う!私はその丞相の遺命に従って…。」
この男はまだこんな事を言うのか?
そう思いながら馬岱は条件反射のように、また楊儀の顔面を床に打ち付けた。
今度は歯が数本、血溜まりの中に転がった。
「なら本人に聞いてみようか?」
そう言う馬岱のそばに人影が浮かび上がる。
浮かび上がった人影…諸葛亮は、どことなく悲しげな面持ちだった。
「丞…相…。」
口の減らない事で有名な楊儀も、さすがに驚愕したのか、それ以上は言葉が続かなかった。
がたがたと震える振動が自分の右手に伝わってくる。
「楊儀…。もはや言わなくても分かりますね?あなたはこれからけじめをつけなければなりません。」
諸葛亮の言葉に呼応して馬岱は掴んでいた髪から手を離し懐から小さな包みを取り出した。
「こいつは俺の軍の薬事方が作った自害用の毒だ。全身を麻痺させる効果があって苦しまずに逝ける。こいつを服用するか俺の太刀で斬り刻まれるか、好きな方を選べ。」
そう言って馬岱は包みを楊儀の目の前に置いた。
「いっ、嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だーっ!!」
形として見せられた確実な”死”を拒み、叫び声を上げながら楊儀が後退る。
そうしたところで逃れられるものでもなく血と失禁の跡を引きずりながら楊儀は無駄な後退りを続けた。
「まあ好きにしろ。答が出るまで待ってやる。」
馬岱は立ち上がって背を向けた。
声が届く距離には監視役以外の人家は無いので上げ続けている悲鳴の方も無意味だった。
やがて叫び声の調子が変わり楊儀が立ち上がる気配を背後に感じた。
踏み込む足音…。
振り下ろされる斬撃…。
馬岱は振り向きもせずに右腕だけを後ろに回して太刀でそれを受けた。
鍔に引っ掛けるようにしてそのまま右へ強く弾く。
右手を失い、左手だけで剣を握っていた楊儀が大きく体制を崩し倒れ込む。
その体が床に付かないうちに太刀を数閃した。
楊儀の肉体が四散しながら音を立てて床に転がった。
血刀の滴を払い鞘に納めながら馬岱は溜息とも呻きともつかない何かを口から漏らした。
終わった…。
だからといって自分の中で何かが変わるわけでもない。
これが魏延への贖罪になるわけでもなく、ただ人の命を奪い、その行為自体を”けじめ”という耳触りの良い言葉にすり替えただけなのかも知れない。
「これは…後始末が大変そうであるな。」
いつの間にか姿を現していた呉懿が目を丸くして、そう言った。
「まあ、このままで良いだろ。後は成都から派遣されるであろう誰かが勝手にやっておいてくれるさ。」
「…そうですね。長居は無用です。帰りましょうか。」
そう言って諸葛亮が方陣をその場に描く。
鬱陶しく煩わしい男ではあったが、それでも諸葛亮にとっては常に一番近くで補佐してくれていた部下でもあったのだ。
黙して語らないその横顔に去来するものが何なのかは正確には分からない。
分かるはずもないがやはり見せるべきではなかったと馬岱は思った。
方陣の輝きに吞まれるようにして一行は楊儀宅を後にした…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
変事の伝達よりも自分たちの行動が早かったようで城外に出るまではすんなりと進めた。
城門は閉じていたが、どんな城にも少人数用の通用口があり、そこの衛士に声をかければ簡単に出れた。
実際に衛士に声をかけるときは、さすがに緊張したが、まだ何も伝わっていないと踏んで堂々とした態度を崩さないようにして通った。
変事を告げる狼煙が上がったのは城内を脱した直後だったが詳細が届くにはもう少し時間がかかりそうだった。
元々、司馬懿に対しては蜀軍の北伐の頃から思うところはあったが態度には表さないように郭淮は気を付けて接していた。
…にも関わらず、このザマだ。
いきなり自分を巻き込み、こんな事をしでかした牛金に対しても、もちろん言いたい事はあるが、司馬懿に対する怒りや失望の方が、それよりも遥かに勝っていた。
―――まさか俺ごと斬れ…とは―――
曹真が都督だった頃は良かった。
長年、戦陣に身を置いていたので将兵の気持ちを良く理解している。
太祖武帝曹操の一族でありながら、甘やかされて育ってきたような感じもなく、郭淮にとっては優しさも厳しさも程よく兼ね備えた理想の上司だった。
今でも惜しまれる。
あの時、病に倒れさえしなければ…。
牛金が自分の馬とは別に、もう一頭の馬も連れてきた。
馬を預かってくれていた部隊に用意してもらったそうだ。
「たまたま襄陽方面で一緒に戦った連中が居てな。話は早かったよ。」
一緒に来ている兵達がそうなのだろう。
「あの時、将軍と共に戦えた事が我らの誇りです。何でも言ってください。」
「嬉しい事を言ってくれる。だが貴官らは国家の所属であって某の私兵ではない。それなのに某は貴官らまで巻き込んでしまった。本当に済まぬ。」
正直な牛金らしく、こちらの事情は既に伝えたようだ。
「良いのです。それよりも他に何か手伝える事はありませんか?無論、ついて来いと仰られるのなら、我ら三百名はどこまでもお供致しますぞ。」
「忝ない。だが、その言葉だけで充分だ。さすがにこれ以上巻き込む事はできん。それに今の貴官らの上司にも迷惑を掛けることになる。馬の件については事態が伝わる前だったことにしておけば貴官らが重く罰せられることは無いと思う。」
牛金と兵達のやり取りを聞きながら、俺に掛けた迷惑は?と謝罪が無い事に不満を感じていると不意に城門の鉄扉が、その巨大な姿に似つかわしい騒音を立てながら開き始めた。
「将軍!行ってください!」
「分かった!何から何まで済まぬ!」
言って馬の背に飛び乗る牛金に倣って、もう一頭の栗鹿毛に自分も飛び乗ると兵に止められた。
「郭淮将軍!得物は?」
そういえば丸腰だった。
「これをお使いください!」
そう言って兵は自身の槍の柄を剣で半分ぐらいの長さに切断して手渡してきた。
歩兵用の長さのままだと馬上での取り回しが悪いが、これなら問題ない。
即席の馬上槍だ。
一度、頭上で旋回させ、その手触りを確かめながら郭淮は兵達に言った。
「感謝する!」
「行こう郭淮殿!」
急かしながら牛金は兵達にも声をかけた。
「良いか周芳!無茶はするな!最後までシラを切り通せ!全員、無事でいる事!これは命令だ!」
―――名は周芳というのか…―――
駆け去りつつ声をかける牛金の後に続きながら、恐らく彼らは命令に従わないだろうと思った。
背後で喚声が上がった。
それに干戈を交える音も聞こえてきた。
―――追撃部隊か!―――
周芳らは、やはり牛金の命令を聞かず、食い止めようとしたようだ。
冷や汗が流れるのを感じると同時に先行していた牛金が馬首を返した。
そのまま来た道を猛然と引き返して行く。
「牛金殿、待て!!」
郭淮も馬首を返した。
「行かせてくれ!彼らを見捨てて行く事はできん!」
「その彼らの気持ちを考えろ!どんな思いで我らを行かせたと思う!?」
「しかしっ!!」
押し問答をする二人の耳に喧騒の先から喚声を押しのけて”行ってください!!”と何度も狂ったように大声が響いた。
「くっ…。」
苦悶の表情を浮かべ、なおも決めかねている牛金の手に力が籠ったように見えた。
「周芳!!済まぬ!!」
意を決したのか牛金が再び馬首を返す。
その後に続き郭淮も馬を疾駆させた。
自分も将の端くれだ。
だから牛金の辛さは良く分かる。
それでも時には非情な決断も必要になる。
それが戦場という物だ。
「それで、どこに向かっているんだ?」
牛金の横に付けて並走しながら尋ねた。
「略陽の南にある集落だ。そこまでいけばアテはある。」
「…分かった。貴殿を信じる。休息は最小限に留めて急いで向かおう。」
急げば翌日の昼には到達できる道のりだ。
馬を走らせている間、城外に駐屯している部隊に追われたり矢を射かけられたりもしたが全て突破した。
牛金の武勇はそばで見ていても圧倒的だ。
自分の方は…大した腕ではない。
ただ、周芳がくれた槍には随分と助けられた。
どれほどの数の部隊に攻められたのかは分からないが恐らく彼らは生きてはいないだろう。
そう考えると、この何の変哲もない数打ちの槍が、なおの事、特別な物に思えてくる。
その後、何もない道を進みながら数度の休息を挟み、略陽県の常設検問に到達した時は”司馬都督より漢中侵攻の命が下ったので急ぎ部隊を編成しに散関に戻る途中だ”と言って通った。
後を追うようにして手配書が届くだろうが知ったことではない。
陳倉の本隊の動きは全て後手に回っている。
たった二人であの司馬懿を翻弄しているのだと思うと郭淮は痛快な気分だった。
巻き込まれたという鬱憤など都督付参謀という自らの地位と共に道中のどこかに置き忘れていた。
自分たちが無事に逃げおおせれば周芳らの仇を取ったも同然なのだ。
彼に手渡された即席の馬上槍を見ながら、なおも馬を走らせる。
県城には入らずに進んでいると、段々と陽が落ちてきた。
それから二刻…。
暗い中を並足で進み続けた後、人目を避けて野宿する事にした。
適当な木に駒を繋いで食事を摂る。
煮炊きをすれば発見される恐れがあるので携行食の干し肉を硬いまま噛った。
「郭淮殿。」
干し肉を食べ終えた牛金が呟くように言った。
「巻き込んで済まなかった。」
周芳らのことも引きずっているのか本当に申し訳なさそうな顔で俯いているのが暗い中でも良く分かった。
「今さら何を言う。こっちは人を人とも思わんクソ都督の下から逃げられて清々していたところだ。」
「なんだ、嫌いだったのか?」
「当たり前だ。理由を上げればキリがないが、とにかく気が合わん。」
暗いとはいえ月明りぐらいはある。
目が慣れてきたのか牛金の意外そうな表情がはっきりと見えた。
「曹真将軍が亡くなられてから、ずっとだろう?某はてっきり関係は良好なのだろうと思っていたが。」
「それは当然、態度には出さんよ。ただ、埃と砂に塗れながら兵達と寝食を共にしたことがなかった人だからな。机上でしか戦を語れない悲しい人だと思ってるよ。」
郭淮も残った最後の一切れに噛り付いた。
噛みしめながら様々なことを思い出した。
司馬懿の事を決定的に嫌うようになったのは名将張郃の戦死がきっかけだった。
張郃は蜀軍の漢中侵攻の際に戦死した夏侯淵の後を引き受けて都督の業務を代行し混乱の極みにあった魏軍の将兵の多くを救った。
郭淮にとっては正に英雄と言える存在だった。
大先輩であり雲の上の存在でもあるが、同時にあの地獄を共に生き延びた戦友でもあったのだ。
―――まさか、あの時震えていた若造が儂に指示を出す立場になろうとはな―――
―――とはいえ付き合いの長い某でなければ将軍のお力を存分に発揮させられんでしょう?―――
そんな生意気な軽口を叩いても許されるほど親しくなれた。
あの時、祁山から軍を還す諸葛亮を無理に追撃しなければ…。
張郃や自分を含めた諸将の反対を押し切ってまで、その追撃を命じたのは他ならぬ司馬懿だった。
そして、その時に張郃の部隊が駐屯していたのが、この略陽だった。
今回の南征にあたって司馬懿が、この略陽ではなく一つ手前の陳倉に本営を定めたのは、あまりに南に突出した状態になると姜族や氐族に背後を脅かされる危険があるというのも理由の一つだったが、要は後ろめたさから、この地に入りたがらないだけなのではないかとも郭淮は思っている。
夏侯淵の戦死の時は混乱が酷く泣いている場合ではなかった。
曹真の病死の時は人気のない所で涙した。
そして張郃の時は人目も憚らず男泣きに泣いた。
身代りになるようにして追撃部隊の先鋒を引き受けた彼の死に対して司馬懿は一言も述べない。
正直なところ殺意すら覚えたが、拳を強く握りしめ、何とか踏みとどまったのを今でも覚えている。
そんな過去に浸っていると牛金が、また繰り言を言い始めた。
「奥方や御子らにも申し訳のない事をしてしまった。」
郭淮も勿論、気にしていた。
ただ自分には立派に成長した息子が五人もいる。
いざとなれば妻を守るのに充分過ぎるくらいだ。
だから…。
「気にしても仕方がない.それに家族の心配は牛金殿も同じことだろう。今の我らにできるのは無事を祈ることだけだ。」
牛金が、ふっ…と表情を緩めた。
「どうした?何かおかしな事を言ったか?」
「いや。強いな、と思ってな。」
「そんなこと誰からも言われたことが無いぞ。」
「いいや。郭淮殿は強い。心が強靭だ。」
そう言って牛金は少し意地の悪い笑みを浮かべて余計な一言を付け加えてきた。
「腕の方はさっぱりだがな。」
口数が少ない印象の牛金が、まさか冗談を言うとは思わなかったので一瞬だけ面食らったが、先ほどまでしょんぼりとしていたやつが何を言うか、と言い返してやった。
そして二人とも訳もなく笑った。
「とにかく、もう寝るぞ。」
「ならば某は起きて周囲を見張ろう。起こすから後で交代してくれ。」
「承知した。」
そう言って郭淮は目を閉じた。
色々な事が起き過ぎて疲れていたので、あっという間に眠りに落ちた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
辺りはまだ暗い。
牛金に起こされ、一刻ほどしたら起こしてくれと言われたので郭淮は立ち上がった。
座っていたら、また眠ってしまいそうだった。
野犬なのか狼なのか、どこからか獣の遠吠えが聞こえてきた。
群れの仲間への合図というより、孤独感を紛らわすような寂しげな響きを感じた。
自分たちの行動も負け犬の遠吠えのような物…。
司馬懿は、きっとそう言うだろう。
しかし、肝心なことを司馬懿は見落としている。
狼にも犬にも等しく牙は備わっているのだ。
巻き込まれたとはいえ、自分はこれに賭けた。
もちろん魏という国家には恩義を感じている。
だが司馬懿のような人物の下で働くのは、もう御免だ。
張郃の事がなかったとしても、いずれ関係が壊れることになるのは間違いないと郭淮は常々思っていた。
この逃避行の先に何が待ち受けているのかは分からない。
だが、今よりは遥かにマシなはずだ。
結果がそうならなかったとしても後悔も文句も言わない。
全て受け入れる。
普段の自分のやり方と違い、考えるよりも先に行動する事が実はこんなにも楽しかったというのは郭淮の人生の中でも新たな発見だった。
そろそろ一刻か…。
郭淮は牛金を起こした。
「よし、行こう。」
牛金が短く言い、二人はそれぞれの馬に乗った。
辺りはまだ暗く並足で進む。
県城からはかなり離れていたので追撃は受けずに済みそうだ。
空が明るくなっていくにつれて速度も徐々に上がっていった。
背後は気にせず、ひたすら先へと進んだ。
「ここだ。」
そう言って牛金が馬を止めた。
陽が中天に差し掛かり辺りは明るくのどかだが、馬を降りた目の前にある奇妙な祠と石碑の付近だけは異様な雰囲気に包まれている…ような気がする。
石碑には大きく”光烈祠”と刻まれている。
当たり前のように馬を降りて祠の前に立つ牛金を不思議に思いながら郭淮は聞いた。
「ここが貴殿の言う”アテ”…なのか?」
「ああ。ここである人を待つ。」
「ある人…?」
「かつては魏の最大の敵だった人だ。今は死んだ身なので国家のしがらみは関係ない…とのことだったが。」
「ちょ、ちょっと待て!死んだ身!?何を言っている!?誰だか知らんが、その”最大の敵”とやらの幽霊を待つってことか!?」
「そうだ。某が見たものが夢だったのか現実だったのか、それを確かめたい。」
「待て待て待て!貴殿は言葉が少ないから良く分からんが、要するに夢枕に立った幽霊が、その”アテ”だと言うのか!?」
「そうだが?」
「そんな不確かなものを”アテ”とは言わんだろう!」
まくし立てながら郭淮の心の中で”後悔しない”という誓いが崩れそうになった。
だが牛金は、そんな郭淮の心中を知ってか知らずか涼しい顔のままこう言った。
「心配するな。夢だった場合の事も考えているさ。」
本当だろうか…。
郭淮は少し落ち着きを取り戻しながらも不安を拭い切れぬまま聞いた。
「どうするのだ?」
「ここから西へ進んで氐族の世話になるか蜀に降る…この二択だ。」
確かに、どう考えてもそれ以外の選択肢がない。
―――なんだ。それなりにではあるが、しっかりと考えているではないか。―――
そう思いながら郭淮は牛金の案に意見を付け加えた。
「なら氐族はやめた方がいい。」
「なぜ?」
「強端を始めとする有力な族長達が再び魏に帰順する旨を申し出てきた。下手をすれば我らの身柄を手土産にされかねん。」
「…ならば蜀一択だな。祁山を越えたら南下しよう。それより前に蜀の検問があるかもな。その方が話が早くて良い。」
郭淮も同意した。
「ただ、平民として生きる…というのは難しいと思うぞ。お互いにそれは覚悟しよう。」
「ああ。それは分かっている。とにかく貴殿がアテにならんと言った方をしばらく待ってみよう。」
「いやいや、幽霊を待つなどと正気か?」
郭淮の中で消えかけたはずの不安が再び復活する気配を見せた。
「なんだ?面白そうではないか。」
「面白そう…って。大体にして最大の敵だった人物とは誰の事だ?」
「会えば分かるさ。むしろ貴殿の方が某より良く知っているだろう。」
「さっぱり分からん。」
最大の敵と言えば諸葛亮しか居ないのだが、そもそも幽霊などというものを信じていない郭淮にとって最大の敵の正体よりも、当然のようにそんな話をする牛金の事がさっぱり分からなかった。
「まあ、なるようになるさ。」
「呑気なことを。追捕使に追いつかれたらどうする?」
「その時はその時で、なるようになるさ。」
いささか呆れながらも、この場を動こうとしない牛金に付き合って郭淮も道端に腰を下ろした。
「随分と気に入ったようだな。」
「ああ、槍の事か。周芳の形見だからな。大事に使わせてもらおうと思ってるよ。」
「そうか。彼も喜ぶと思う。」
それから、とりとめのない雑談をしながら一刻ほどを過ごした。
そして…。
「やはり夢だったようだな…。どれ、行くとするか。」
少し残念そうに言って牛金が立ち上がろうとするのを見た…その時だった。
―――お待たせ致しました―――
耳から…ではなく頭の中に直接響くその声に驚く間もなく目の前にぼんやりとした雲のような影が現れた。
その影が色彩を帯びながら人の立ち姿に変じた時、郭淮の驚愕は最高潮に達した。
実際に会ったことは無い。
しかし蜀軍と交戦していた当時の密偵の報告とも出で立ちが一致している。
「ま、まさか…。本当に諸葛亮の幽霊だと!?これは現実か!?」
立ち上がろうとしたが、できない。
完全に腰が抜けている。
辛うじて手にしていた槍を杖に、よろめくようにして立ち上がることができたが今度は槍から手が離せない。
今にもへたり込んでしまいそうだった。
「やはり夢ではなかったのですな。お待ちしておりました。」
対照的に牛金は、まるで旧知のように親しげに話しかけている。
「遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。して、そちらの方は?」
「某の同僚の郭淮です。仰られていた通り司馬懿はやはり某の命を狙っており、逃走の際に彼を巻き込んでしまいました。」
「そうでしたか。あなたが郭淮将軍なのですね。こうして間近でお会いするのは初めてでしたね。お初にお目にかかります。」
「う…あ…あの。」
あまりの事態に言葉が続かない。
相手が敵だったとか味方だったとか、郭淮にとって、それはこの際どうでも良い事だった。
幽霊が現実に目の前に姿を現して生者と言葉を交わしている。
これが重大な事だった。
郭淮の中で自身の理で世界を捉えてきた知の根幹が音を立てて崩れ去った。
「そんなに緊張なさらないでください。今の私はこの大陸の歴史とは無縁な世界で共に戦って下さる仲間を探している所なのです。」
そう言われただけで楽になれるのならば誰も苦労はしない。
それに仲間とは何だ。
死者が寂しいからと生者を死に引き込む…などという妄言を聞かされることがあるが、それが現実に起きようとしているのか。
「私の北伐を阻止した郭淮将軍のお力は非常に頼りになります。共に来て頂けるのであれば、これほど心強いことはない。ただ…非常に大きな問題が…。」
「…と、申しますと?」
驚愕に全身を支配されたままの自分をよそに牛金と諸葛亮の間で勝手に進んでいく話を聞きながら郭淮は何とか詳細を理解しようと全力で頭脳を回転させていた。
「実は郭淮将軍は、この後もずっと魏の将として蜀漢の北伐を阻止し続けるのです。この歴史的事実が変わってしまう。」
それが史実だというのならば、この時点で自分を何処かに連れて行けば確かに歴史が変わるだろう。
郭淮の思考は諸葛亮の言葉のある一点に集中していた。
この大陸の歴史とは無縁な世界…。
一体それは何処なのか。
そんなものが本当にあるのか。
蜀にとって邪魔ならば諸葛亮は、むしろ、その無縁な世界とやらに自分を連れ去りたいはずだ。
しかし諸葛亮は躊躇っている。
蜀の国益よりも史実の方を心配している。
これは一体どういうことなのか。
「諸葛公、お言葉ですが、それならば既に光烈ことメルケオンの方が先に我々の知る歴史を壊し始めているのでしょう?でしたら、お気にやまれることは無いと某は考えます。現に4年後に起きるはずの某の毒殺が昨日に起き、しかも某は生き残り、今まさに諸葛公のお導きに従って他の世界へ旅立たんとしています。この時点で既に歴史は変わっています。」
「ちょっと待て!」
郭淮は、やっとの思いで声を出した。
驚愕という束縛から更なる驚愕によって解放された反動で、その声は必要以上に大きなものになった。
「光烈ことメルケオン!?4年後に毒殺!?一体、何の話だ!?」
諸葛亮がこちらを向いて問いかけてきた。
「少しばかり長い話になるのですがよろしいでしょうか?」
これまで存在を否定し続けてきた幽霊と言葉を交わすことになろうとは思いもしなかったが、実際には生きている人間との会話と、そう変わらないようだ。
そう思うと少し落ち着いた。
「…多分、大丈夫だとは思うが一応は追われている身だ。可能な限り手短かに頼む。」
「承知致しました。」
微笑を絶やさない諸葛亮の表情が、やや癇に障ったが、郭淮は一先ず聞く姿勢を取った。
「実は数日前に牛金将軍と、お話をする機会があり、暗殺の可能性について指摘させて頂きました。本来は2年後に亡くなるはずの呉懿殿が亡くなったばかりであり、その死因について、明らかに人ならざる者が介在した痕跡があったので身一つで呼び出された牛金将軍の身も危険なのではないかと考えたからです。事実、失敗したとはいえ暗殺は実行に移されました。」
「それは司馬懿の仕業であって呉懿殿の死と関係があるとは思えんが?」
「メルケオンが直接に手を下したわけではないので、そう思えるかも知れません。しかし相手は人ならざる…いえ、人を遥かに超越した存在。呉懿殿の時は持病を…その病巣の成長を促進させ、健康な牛金将軍に対しては司馬懿の精神を操ることによって殺害を実行に移しました。司馬懿は元から牛金将軍を危険視していたようなので操るのは容易かったと思います。」
牛金も会話に加わってきた。
「正直、某も驚いたよ。どう考えても某を排除する事に意味がない。陳倉に着くまでは諸葛公のお話は夢の中の出来事だったとさえ思っていたからな。しかし実際にそれは起きた。某の死が4年早かろうが遅かろうが悠久の歴史にさしたる影響は無いのかも知れん。しかし奴らにはそうした狂いが生じてもなお、それを実行しなければならん事情があったようだ。」
なるほど。幽霊でなければ知り得ない事があるということか。
崩壊した自分が知る世の理を再構築するために郭淮は可能な限り会話を重ねるつもりになっていた。
「つまり先ほどの話は本来ならもっと先になるはずのそれらの出来事が、メルケオンとやらの介入によって、ここ数日の間に起きてしまったので歴史が既に変わっている…という認識で合っているか?」
「その通りです。メルケオンは”魔法”と呼ばれる秘術を用いて、それらの行為を可能にしている存在なのです。」
「いわゆる方術の類であろうか?まさか、そんなことが現実に…。」
「現実なのです。」
諸葛亮の返答に郭淮は思わず唸った。
自分の中で生じた疑念に諸葛亮は必ず断言で返してくる。
つまり実際に体験している。
その重みが言葉にも質量を与え自分の思考を直撃している。
「そもそも、そのメルケオンなる者は何故そちらの呉懿殿や牛金殿を殺害しようとしたのだ?メルケオンとは一体どのような存在なのだ?」
「我らが知るこの天地、そして我々人類を創造した”絶対神”という存在があり、これを皇帝とすると、それに仕える大将軍に位置づけられる存在と言えば分かりやすいでしょうか。彼は絶対神の命を受け我々の歴史上に現れた特異点の消去の実行担当者として動いています。」
「呉懿殿や牛金殿がその特異点だと言うのか?」
「いえ。特異点は別人です。ですが、狙われたお二方がその特異点たる人物と関わりがあった事は間違いありません。」
「しかし、おかしな話だ。それならば、その特異点を直接消去すれば良いのではないか?」
「仰る通りです。メルケオンも最初はそのように動いていたのです。しかし特異点は何をどうしても必ず生き残りました。メルケオンは直接的な方法を諦め、その両親を狙って特異点の誕生を阻止しようとしました。ですが今度は両親はおろか、その先祖代々に至る全ての人物にも指一本触れることができなくなっていました。それで今度は血縁者以外で関わりのあった人物に標的を変え、それらの人物の死が特異点にどのような影響を与えるのかを観察しているようです。」
特異点。
それが何なのかは分からない。
しかし聞く限りメルケオンなる者は、それに対して異常な執着を見せている。
人の命を奪うという行為の重大さすら意に介していないようだ。
と、言うより人を創造した側の者だから人そのものなど端から虫けら程度にしか思っていないと言える。
その傲慢と理不尽の権化のような在り様に司馬懿の姿が重なり郭淮も段々と腸が煮えくり返ってきた。
「なるほど…そういう事か。その特異点を消せないと奴らにどんな不都合があるのだ?」
「部分的に歴史を書き換える事ができなくなります。我々が歴史と呼ぶ時の積み重ねは、彼らにとっては只の見世物に過ぎないようです。そのために人類を創り出したと言っても過言ではないでしょう。敢えて筋書きを与えずに人類を放置して為すがままに行動させ、その様を物語として書物や劇を観賞するかのように楽しむ。その結果が気に入らなければ好きなように書き換える。しかし、その特異点の影響下にある範囲の事柄には一切の干渉ができないのです。」
「見世物…か。」
つまり当の人間という血と糞の詰まった肉袋が自らの意志で切り拓いてきたつもりでいる時代というやつも、全ては奴らの掌の上で踊らされた結果でしかないということか。
「諸葛亮殿。我らにはあまり時間がない。取り敢えず今はこれにだけ答えて欲しい。」
「何でしょう?」
「戦うつもりなのか?それらの存在と。そして我らにも、それを手伝えと?」
「その通りです。」
「何故…そこまでする?」
「亡き先帝陛下の…そして私の”願い”でもあった漢王朝再興は史実では遂に成し遂げられることはありませんでした。しかし結果がどうあれ、それは多くの血が流れた末に歴史に刻まれた我々の”生きた証”です。そこに敵も味方もない。彼らにとってはちっぽけと呼ぶことさえ憚られるほどに微かなそれが、私には何を措いても守られるべき大切なものだからです。」
そうか…。
志半ばで逝ってしまった夏侯淵も、曹真も、張郃も…自分らを逃がすために散っていった周芳ら三百名の兵達も…そして、この戦乱の時代に失われた全ての命達も…等しく歴史に刻まれた"生きた証"なのだ。
静かに…しかし熱く覚悟を滲ませる諸葛亮の言葉に嘘は感じられない。
「手伝って頂けますか?」
その身は滅びても魂は滅びていない。
諸葛亮の眼を見れば、それは明らかだった。
それで充分だった。
郭淮は遂に決断した。
「相分かった。某もこのままでは面白くない。連れて行ってくれ。」
「承知いたしました。引き受けてくださりありがとうございます。もっと話が拗れるのではないかと危惧しておりましたが、どうやら杞憂に過ぎなかったようです。」
「何故そのように思われるのだ?」
「私は張郃将軍を殺した身です。郭淮将軍が如何に張郃将軍を尊敬しておられたかも存じております。ですので…。」
「おっと!皆まで申されるな。あれは全部、無理な追撃を命じた司馬懿が悪い。それで良いのではないか?」
「…ありがとうございます。そう言って頂けて幾らか気が楽になりました。」
明確な構想と意志を持って一つの国を動かしていたこの人物が敵将一人の死に、ここまで負い目を感じていたのが郭淮にとっては意外だった。
理想を実現するというのは綺麗事だけでは済まない。
特に乱世では手段など選んでいられない。
だから人の死に対してはもっと割り切った考えを持っているのだろうと勝手に想像していた。
しかも諸葛亮自身も既に死んだ身なのだ。
尚の事、人の死に心を傷める姿が意外な物に見えた。
しかし、そうした姿を見ることができて良かったと郭淮は思う。
司馬懿と似たような立場に居ながら両者は全く違う。
「貴殿のような人物が魏に居てくれたら…。」
思わず口に出してしまった。
牛金がふっと笑みを漏らした。
「どうした?某は何かおかしな事を言ったか?」
そういえば昨夜も同じことを言った。
「いや、某も同じように思っていたのでな。」
郭淮もニヤリと笑みを返した。
「つくづく貴殿とは不思議な縁だな。さすがに巻き込まれたときは腹が立ったが何故か最初から嫌いになれん。」
「なんだ、貴殿は嫌いになる前提で人づきあいを始めるのか?」
「ああ、その通り。参謀というのは人から嫌われてなんぼの商売だからな。」
そう返すと牛金が声を上げて笑い、それにつられて諸葛亮も笑い出した。
自分も笑っていた。
”この先”に何が待ち受けていようと全て笑い飛ばせる。
そんな気分になった。
「それにしても不思議です。お二人とも特異点が誰であるかは聞いてこない。私も敢えて明かさないようにしていましたが何故なのか気になりました。」
「それは話の流れからいずれ会う事になるかも知れんと思ったからな。楽しみに取っておくさ。」
自分がそう答えると牛金は”何となくではありますが正体に察しはついています”と答え諸葛亮はまた笑った。
「それでは参りましょうか。」
いよいよ”この先”の領域に踏み出す時が来た。
眼を閉じ呪文のようなものを唱えながら石碑に羽扇を翳す諸葛亮の後ろに自身の愛馬を引きながら牛金が立ち不思議そうにその様子を見ている。
郭淮は、栗鹿毛とともにその横に立ち詠唱を終えた諸葛亮に聞いた。
「これは一体?」
「この祠はメルケオンがこちらの世界に来るための門になっています。これを利用して我々も移動します。」
「なるほど。別の世界と繋がっているのか。」
見ると石碑を覆い隠すように黒い闇が渦を描きながら現れている。
その渦が増大し続け、やがて空も地面も目にするもの全てを覆い隠し三人もその中に呑まれた。
虚無の闇の中で諸葛亮と騎乗した牛金の姿だけは、はっきりと見えている。
自分も栗鹿毛に跨った。
そのとき、強大な圧が前方から迫ってくるのを感じた。
「しまった!」
何事にも動じなさそうな諸葛亮の表情に驚愕の色が貼り付いている。
「如何なされた!?」
牛金も異変を感じ取っていた。
「メルケオンが来ます!私のそばから離れないでください!」
そう叫ぶ諸葛亮の声も間に合わず三人は圧に弾き飛ばされた。
「郭淮殿!!」
圧に逆らい右手に牛金の馬の轡を掴んだ諸葛亮が左腕を伸ばしてくる。
しかし届かず自分は遠ざかる諸葛亮の姿を伸ばした右腕の先に見ているしかなかった。
「槍を!!その槍を離さないでください!!その槍に宿る兵達の霊魂があなたを導いてくれます!!」
遠ざかっていく諸葛亮の声が郭淮の内の絶望感の芽を摘み取る。
―――周芳らがこの中に居るというのか!?―――
摘み取られた絶望と入れ替わりに芽生えた希望が大きく育ち始める。
左手の槍をより一層強く握りしめ郭淮は浮遊感に身を任せた…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おうおう、ガン首揃えてどうした?」
帰陣すると陣中に人影は無く張翼の伝令と名乗る兵に陣柵の外へ案内された。
もう真夜中なのに、そこには軍装を整えた全将兵が整列している。
いつもなら許可もなく勝手に宴会を始めている連中が…だ。
整然と立ち並ぶ王平、張翼、そして馬岱の各軍団の姿は、まばらな篝火の灯りだけの中で見ても圧巻の一言に尽きる。
「悪い。全部話したよ。」
人馬の群れから一歩進み出た張翼が悪びれもせずにそう言う。
「あのなあ、そういうのは普通、本人が言うまで待つもんだろ。」
そう言って馬岱は深く溜息をついた。
「だから悪いって言ってるだろ?」
そう言う張翼は、にやけ顔のままで、謝罪の意思のかけらもない。
「分かった分かった。遅いんだし全員解散してもう寝たら?明朝集合でいいだろ。」
面倒なので、そう言うと張翼も食い下がってくる。
「そしたら寝てる間にあんた逃げちまうだろ?させませんよ。」
―――まったくコイツはどこまで俺の性格を熟知してるんだ?―――
「こんな夜遅くに前線でやる事じゃねえだろ。閲兵式じゃねえんだからさあ。」
「閲兵式だよ。」
「なに?」
「だから全部話したって言ったろ?あんたが中々帰ってこないから子均と費禕殿に詰め寄られて大変だったんだぞ?で、正直に話したら全将兵の前で話すことになって、そしたら全員でお別れの挨拶をしようって事になって今に至る訳だ。」
「はあ…。」
馬岱の口から更に大きな溜息が漏れた。
「各隊の隊長は下馬して全員集合。」
やる気がなさそうに言ったつもりだが張翼は少しはしゃいでいるようだった。
そしてこう付け加えるのを忘れなかった。
「丞相と都督もそのままでお願いしますよ。コイツを連れ去ろうとしてる張本人なんですから。」
姿を消す機会を封じられて呉懿と諸葛亮の幽霊二人も困惑している。
各隊長と呼んでいないのに費禕と王平まで集まってきた。
そして開口一番に二人が口を揃えてこう言った。
「うわあ。本物の幽霊初めて見た~。」
「いやいや、お前ら久しぶりに会うんだからもう少しなんかねえか?」
さすがの馬岱もツッコまずにはいられなかった。
「だから私は嫌だったのです。この二人は絶対にこのような反応を見せると思っていましたから。」
諸葛亮は、やや落ち込み気味だ。
呉懿は満更でもなさそうだ。
「いやいや爺さん、なんで誇らしげなんだよ。丞相、あんたは少し元気出せ。」
「忙しそうだな。」
張翼は相変わらずにやけ顔で言う。
「元はと言えばお前がそのままって言ったからこうなってんだろが。」
「はいはい。それでは長年に渡り涼州騎馬隊の屋台骨を支えてきた各隊長諸君に馬岱将軍から労いのお言葉を賜りましょう。」
「聞いてねえし。」
「それではお願い致します。」
「ええ?本当にやんの?」
「当たり前だろ。」
張翼が食い気味に言うまでもなく全員の視線が集まっていたので不可避の事態である事は良く分かった。
馬岱も意を決して軽く咳払いをした。
「…では、まず第二隊楊安殿。貴殿とは長い付き合いにござる。某が馬家の一将に過ぎぬ頃から今日に至るまで随分と世話になり申した。今は主従という関係になり申したが、これまでの貴殿の働きには感謝の言葉もござらん。今後とも若い連中の事を宜しくお頼み申し上げる。」
深々と頭を下げる馬岱と”勿体なきお言葉”と返す楊安に全員から惜しみない拍手が贈られた。
「ええ、ただ~。」
拍手を遮って馬岱はいつもの調子で不要な言葉も贈ってしまった。
「もうジジイなんですから酒と無茶は控えてくださいね。」
「何を言うか若造め!儂はまだまだ負けとりゃせん!」
顔を真っ赤にして怒る楊安に場が爆笑の渦に包まれた。
「次、第三隊厳亮殿。楊安殿が親父ならお前は兄貴だ。お前はガキの頃の俺の兄貴分として、そして今は全員の兄貴分として良く纏めてくれている。本当に感謝する。今後も親父の補佐と弟達の纏めを頼む。」
「承知!過分なお褒めを頂きありがたき幸せ!」
「ええ、ただ~。」
またしても拍手を遮った自分に厳亮が不安げな表情を見せた。
この時点で調子に乗っているという自覚はあったが馬岱は、もう止まらない。
「お前は顔が怖い。気をつけろ。」
「そんな!生まれついての物をどうしろと!」
またしても場が爆笑の渦に包まれる。
この流れは完全に定着した。
「第四隊趙融殿。お前も兄貴分として軍を良く纏めてくれている。良く兵達の相談に乗ってやってる事も知っている。細やかな気遣いは軍の崩壊を未然に防ぐ。これからも相談に乗ってやってくれ。宜しく頼む。」
「承知いたしました。」
「ええ、ただ~。」
それを合図のように拍手が止む。
「お前は細か過ぎる。時々面倒がられてるから気をつけろ。」
「ほら、やっぱりだよ。」
趙融のボヤキが全員の爆笑を搔っ攫う。
「第五隊宋淋殿。お前も兄貴分だな。特に戦場での働きが目覚ましい。脅威度の高い敵を優先的に引き受けてくれるのも良い。全員が助かっている。感謝している者も多いだろう。今後も助けてやってくれ。宜しく頼む。」
「そりゃ、ありがたいお言葉で。」
投げやりに返す宋淋の様子に既に笑いが起きているが場の空気を読んで全員拍手は忘れない。
「ええ、ただ~。」
そして示し合わせたように拍手が止む。
「お前は口が悪過ぎる。俺に面と向かって馬鹿殿って言えるのお前だけだぞ。」
「うっせーな馬鹿殿!」
指摘通りの口の悪さに場の盛り上がりは最高潮に達した。
「第六隊鄧聞殿。お前は呉蘭の戦死後に受け入れた外部の者だが良く務め上げた。いきなり上官が戦死して苦労も多かっただろうが恨みも捨て軍務に関しても色々と拘りぬいて今や立派な若手筆頭格だ。今後も盛り立てていってくれ。宜しく頼む。」
「感謝申し上げます。今後も精進致します。」
「ええ、ただ~。」
割れんばかりの拍手が嘘のように止む。
「お前は頑固過ぎる。みんな扱い辛そうにしてる時あるから気をつけなさい。」
「決してそのような事はありませんぞ!」
「ほら、そういうとこ。」
「う…。」
「どうした鄧聞?それで終わりか?」
「うっ、うっせーな馬鹿殿!」
まさか宋淋に被せてくるとは。
これまでで最大の爆笑を生み出した。
「第七、八隊李秀明、秀徳兄弟。兄秀明は弟を引き離さんと、そして弟秀徳は兄を追い越さんとして、互いに競い合う姿が軍全体の良い発奮材料になっている。これからも互いを高め合う事で我が軍の質も高めていってくれ。宜しく頼む。」
「はっ!」
二人同時に頭を下げ拍手の嵐が後を追う。
「ええ、ただ~。」
ぴたりと止む拍手の嵐。
「お前ら兄弟仲最悪。兵達が困るから仲良くしなさい。」
「将軍には言われたくないですよ!!」
まさか従兄との関係で反撃してくるとは。
しかも二人同時に。
見事な返り討ちに場は更に沸いた。
「第九隊丁勝殿。お前は戦の流れを読むのが早い。そして味方への支援が完璧だ。その頭のキレで戦線の崩壊を幾度も防いできた。正に将来の守護神だ。これからも宜しく頼む。」
「身に余るお言葉!光栄に存じます!」
たが拍手の後に落とされる流れは読めているのだろうか。
「ええ、ただ~。」
必ずここで止む拍手に丁勝は、まさか、という顔をしている。
自分に限ってという慢心が目を曇らせたのか、やはり読めてはいなかったようだ。
「お前は好き嫌いが多い。お肉だけでなくお野菜も残さず食べなさい。」
「え!?お母さんですか!?」
絶妙な返しで読み違いを立て直し場に爆笑を取り戻した丁勝の手腕に馬岱は完敗を認めざるを得なかった。
「第十隊関騰殿。お前はどれほどの劣勢に於いても決して諦めずに戦い抜く不屈の精神力が素晴らしい。是非その精神を若い兵達にも教えてやってくれ。これからも宜しく頼む。」
「はっ!お任せください!」
対照的に関騰は流れを理解している。
巻き起こった拍手の中でその後の展開を期待さえしているような表情が癪に障った。
「ええ、ただ~。」
拍手が止んでも関騰は一切動じていない。
良かろう、勝負だ。
「お前も好き嫌いが多い。お肉だけでなくお魚も残さず食べなさい。」
「え!?お母さんですか!?」
またしても完敗だ。
自分もネタを被せたとはいえ寸分の迷いもなく丁勝の返しをそっくりそのままパクるとは。
その厚かましさに馬岱は舌を巻いた。
しかし、これでなんとか隊長全員への挨拶は終わった。
「お疲れ。良くできました。」
張翼に褒められたが少しも嬉しくない。
「正直もうネタ切れだったんだぞ。誰がこんな流れを作ったんだよ?」
そうぼやくと全員が口を揃えてツッコんできた。
「あんただよ!」
これにはぐうの音も出なかった。
「で?俺たちには?」
「これだけ付き合いが長かったんだから一言ぐらい欲しいもんです。」
「水臭いですよ。」
今度は張翼、王平、費禕の順に挨拶を要求された。
「勘弁してくれ。もうネタ切れだって。」
いい加減、眠気を覚えてきた馬岱を三人は容赦なく引き留める。
「いや、それでは済まされんだろ。」
「伯恭の言う通りですよ。」
「何も無理に笑いにしなくて良いんですから。」
相変わらず面倒くさい奴らだと思ったが馬岱は眠気で冴えない頭脳を目まぐるしく回転させながら何とか言葉を捻り出した。
「じゃあ、まず伯恭は融通が利かなさ過ぎ。子均は静か過ぎ。文偉は喋り過ぎ。三人とも気をつけなさい。」
沈黙が辺りを支配した。
風が音を立てて吹き抜け、拍子抜けという名の虚無感が三人の表情にありありと現れた。
「いや、もっと何か無いのかよ。」
「ねえよ。」
口を尖らせる張翼を馬岱はぴしゃりと封じた。
「…それじゃ、まとめてでも良いから丞相、都督、馬岱殿の順で全兵士にも一言お願い致します。」
「え?私達もですか?」
「聞いておらんぞ。」
幽霊二人の不満を張翼が圧の籠った言葉で封じる。
「お願い致します。」
「よろしいのですかねぇ?私達は亡霊ですよ?」
「どうなっても知らんぞ?」
「良いからお願い致します。」
張翼が有無を言わせず進行させる。
「では、丞相からどうぞ。」
「…ええ、臣亮言す。…」
「いや、それ出師の表ですよね?そういうのいいですから。」
張翼の言い様には、さすがの馬岱も唖然とした。
「お前、そんな言い方ねえだろ。」
「どうせ私は…。」
「いやいや丞相、申し訳ございません。少し調子に乗ってしまいました。」
慌てて謝罪する張翼に諸葛亮は口を利こうともしない。
「…ほら見ろ。丞相、すっかりヘソ曲げちまったじゃねえか。」
「そんな事を言わんで助けてくれよ~。」
「やだよ!」
「では儂が。」
呉懿は全員を見据えて言った。
「悪いが馬岱は借りていく。貴官ら、特に涼州出の者らは色々と不安もあるだろうが、このままでは、馬岱は死罪だ。こちらに置いたまま、此奴の腕前が失われるのは勿体ない。それを理解した上で連れて行く事を容赦して欲しい。よろしく頼む。」
兵士達全員が一斉に敬礼を返す。
「えっ?案外、普通。」
「なんだ伯恭よ。何か問題があるか?」
「い、いえ。何も問題ございません。」
取り繕う張翼に呉懿がフンと鼻を鳴らす。
「じゃあ、俺の番か…。」
馬岱は一歩進み出て全員を見渡す。
そして満足げに頷きながら言った。
「さすがに壮観だな。お前ら、真っ黒でカッコいいぞ!やっぱ軍装は黒に限るな!」
兵士全員が笑いながらある者は拍手を、ある者は敬礼を返した。
「今までこんな俺に良く付き合ってくれた。本当に感謝しかない。この国もこの先、どうなるか分からんが、どうか達者でな。」
再度、敬礼を返してくる兵達の姿に、馬岱は別れの時の到来をひしひしと感じた。
俺も歳だな…。
熱くなる目頭を押さえながら涙腺の弱くなった自身の衰えを感じていた。
その時だった。
注進と連呼しながら早馬が駆け込んできた。
「何事だ!?」
張翼が下馬する兵士に聞き返す。
「南西より接近する部隊有り!歩騎半々の混成!総数約二万!」
場がやや騒然となる。
しかし、どの軍も隊列は乱さない。
「追捕使か…。」
王平の呟きに全軍に緊張が走る。
しかし馬岱は至って冷静だった。
「慌てるな!隊形を維持!旗印は?」
「”廖”と”句”です!」
「ご苦労。」
再び騎乗して駆け去る斥侯部隊の伝令兵の姿を目の端に捉えながら馬岱は言った。
「元倹と句扶殿か。随分と厄介な連中が出張ってきたな。」
「さあて、どうするね主師殿?」
張翼が不敵な笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「まあ、なるようになるさ。総員騎乗!」
馬岱の号令と共に騎兵が一斉に乗馬した。
馬岱自身も引かれてきた愛馬烏に跨る。
幾多の戦場を共に駆けてきた最も信頼の置ける相棒だ。
誰にも懐かず皆が手を焼いていたのを引き取ったが不思議と自分にだけは心を開いた。
半刻もすると近づく馬蹄の音が鮮明に聞こえてきた。
近づく人馬の群れも暗い中ではあったが判別できる。
諸葛亮と呉懿は太刀の中に戻ったのか、いつの間にか姿を消していた。
やがて、その人馬の群影が少し手前で止まり長柄を携えた男が二人、下馬して歩いて近づいてくる。
呼応するように馬岱も馬を降りた。
自隊の指揮に戻っていた王平と張翼もそれぞれ単騎で近くまで来て下馬した上に何を思ったのか費禕までやってきた。
「おお、ちょうど良かった。それじゃこっちの件から片付けましょうか。」
歩み寄ってきた人影の内の一人…廖化が顔を合わせるなり、そう言った。
「尚書令殿。帰還命令が出ています。その旨の使者も同道しておりますので一緒にお帰り下さい。董允殿が目茶苦茶怒ってますよ。」
「ええ~?やだな~。廖化殿、何とかなだめてくれませんかね~?そしたら安心して帰れるんだけどな~。」
相手を煽るのではなく本気で憂鬱そうに費禕が返した。
「ちょっと待て文偉。お前、こっち来てから一回も報告入れてねえのか?」
やり取りに引っ掛かって馬岱は、つい口を出してしまった。
「だって、暇だからって毎日酒盛りしてたなんて報告できないじゃないですか。」
「わー馬鹿馬鹿!余計な事言うなよ!」
言い終わる前に馬岱は大声で遮ったが手遅れだった。
そして費禕が慌てて口を手で押えるのも当然ながら無駄な行為だった。
王平と張翼は、ばつが悪そうに視線を明後日の方角へ向けている。
廖化と、もう一人の男…句扶は完全に呆れ切っていた。
「ほほう?そうか~。君たち随分楽しんでたんだね~。まったく、人の想いも知らないで。」
廖化が、にやにやとした表情を崩さずに咎めてきた。
馬岱は反論…というより論点をずらしにかかった。
「しかし速すぎねえか?まだ四日だぞ?成都から、よくそんな日数で…。」
「あのなあ、こっちは元から魏の南下に備えて漢中に向かって進軍してたんだよ。漢中入り直前になってお前が戦をおっ始めたって報告が入ったから、こっちに来てみたんだよ。」
「え?」
「何?まだ後ろ暗いとこがあんのか?」
「いや。ひょっとして追捕使…ではない?」
「違えよ!普通に移動したら二十日は掛かるんだぞ。たかだか四、五日前の出来事をどうやって成都が知るんだよ?都督が亡くなったのだって、まだ知らねえだろ。」
「なんだ?じゃあ俺が死罪になるかも知れんってのも…?」
「あ、それは本当。ただし今回の件とは別の理由でな。お前が北進を何度も上奏したのが癇に障ったらしい。」
「それだけでか?酷え話だな。じゃあ文偉が勅使だってのは?」
「それも本当。費禕殿への使者が俺たちに追いついてきて水欲しがったから、くれてやるついでに話をしたら費禕殿が身一つですっ飛んで行って董允殿が怒ってるって言ってたんだよ。だから行くついでに連れ戻すのを引き受けた。」
「はあ。」
肩から一気に力が抜けた。
「誰だよ。最初に追捕使だって言ったのは。」
「あ、それは俺ですね。違ってて良かったです。」
王平が笑顔で返答したので、馬岱も、さすがに呆れ果てた。
「元はと言えば文偉が…。」
「いや、私は何も間違ったこと言ってないでしょう?成都で、そういう話が出てたのは事実ですし、勅使とはいえ本来、前線に釘を刺すだけの役目だったのに着いてみたら馬岱殿が散関に向けて進発した後だったから、こっちは焦りましたよ。」
「あ、そうだっけ?なんか悪かったね。」
馬岱も王平を真似て笑って誤魔化した。
すると費禕が何かに思い至ったように、こう言い出した。
「そうだ!そんなに日数掛かるんだったら私が成都にちゃんと報告しようとしまいと、まだ届いてないでしょ!」
「いや、そういう問題じゃないでしょ!」
全員に一斉にツッコまれて費禕も王平を真似たのか笑って誤魔化した。
「それで馬岱殿。これは一体、何の集まりですか?まさか再び散関を攻めるおつもりですか?」
それまで無言で廖化とのやり取りを見守っていた句扶が口を開いた。
「いや句扶殿。そうではない。そうではないのだが…。」
馬岱が返答に窮していると、これまた無言だった張翼が口を挟んできた。
「句扶殿。それは某から説明させて頂きたい。」
「伺いましょう。」
「全てを話せば長くなるので割愛致すが要約すると馬岱殿は、このままでは死罪になるやも知れぬ。そうではなくとも官爵の剥奪は免れられぬ故、出奔を決意された。その送別で全員を集めて整列させていたところにござる。」
「出奔っていうよりは逐電逃亡だけどな。」
「ちゃんと断って出ていくんだから出奔で良いんだよ。」
「閲兵式とか言ってお前が無理矢理、俺を引きずり出しただけじゃねえか。」
張翼と熱い訂正合戦を繰り広げながら馬岱は、さすがに直球過ぎはしないかと案じたが句扶の反応は意外にも好意的だった。
「某も良いと思う。馬岱殿が、この国での居場所を失ったのであれば、しがみついてむざむざと命を落とすよりも別の場所にて再起される方が遥かに良い。馬岱殿とは、あまり親しくなれなかったので、これからゆっくりと親交を深めていきたいと思っておりました。なので残念ではありますが少なくとも生きておられれば、また機会もあるでしょう。」
「句扶殿。忝い。」
廖化も会話に入ってきた。
「それについては俺も同意だな。一体誰が何のために体を張ってきて今があるのか、成都の連中は、まるで分かっちゃいねえ。それを分からせるためにも、今、お前に死なれたら、みんな困るんだよ。お前が死ねば、この国の軍人は全員、そういう扱いを受けても良い存在なんだって前例を作ることになる。そんな事は絶対に許されん。だからお前は何としても生き延びろ。」
「そりゃまた重大な責任を背負わされたもんだな。ま、可能な限り善処させてもらうぜ。」
「可能な限りじゃなくて絶対に、だ。」
「分かったよ。相変わらず細かいな。」
「我らが到着した時点で馬岱殿は既に居なかったことにしておけば問題はないでしょう。何か置き手紙のような文面で一筆頂ければ我々としても証言がしやすく助かります。」
「承知した。某の軍の祐筆に偽書の達人がおる故一筆認めさせよう。」
「句扶よ、そりゃないぜ。俺が言おうと思ってたのに。」
「こういうのは早いもの勝ちですよ。」
「まあいいや。子均も伯恭もそれでいいな?」
「無論。」
「愚問。」
「愚問ってなんだよ。」
廖化のツッコミに場が笑いに包まれる。
―――まあ、なんにせよ良かったのではないか?―――
突然、脳内に声が響く。
同時に人影が二つ、ぼんやりと現れた。
言うまでもなく呉懿と諸葛亮の出現の兆しだった。
煙のように微かな影が明確な人の姿へと変わりゆく一連の様子を目の当たりにして、剛胆で鳴らした、あの句扶が目を剥き、そして、固まってしまった。
既に見飽きていたその光景に馬岱は呆れるほかなかった。
「二人とも何でそんなに出たがりなんだよ。ややこしくなるから引っ込んでてくれねえか?」
「まあ、良いではないか。儂らもまだまだ話し足りぬわ。のう孔明殿?」
「ええ、呉懿将軍。まさしくその通りです。先程は皆さんの、特に張翼将軍の有難いご配慮により消化不良気味でしたが、お二方が来てくださったおかげで悪い空気が一変しました。」
幽霊二人…特に諸葛亮は何故かご満悦の様子だった。
だが…。
「おお、これはこれは丞相閣下!ご機嫌麗しゅう!」
何故か、この怪奇現象にも全く動じない廖化が、皮肉たっぷりに諸葛亮に声をかけた。
「え?お前、正真正銘の幽霊だぞ?怖くねえの?」
それには答えず廖化は諸葛亮に絡み始めた。
「その節は大変お世話になりまして。お陰様でウチの兵も当時は意気軒昂…とは行かず少々大人しくなってしまいましたが今ではすっかり調子を取り戻しておりまして。これも一重に丞相よりお言葉を頂いたが故にござります。」
これを聞いた馬岱は思わず吹き出しそうになった。
「お前、まだ根に持ってんの?」
諸葛亮も負けてはいない。
「いや、これはこれは、その節は大変申し訳ございませんでした。兵を大事にされる廖化将軍が、その士気と誇りを守るために、あのような振る舞いをなされたとは思い至らず…。しかし司馬懿ほどの智者ならば反対の道を進むとはお考えにならなかったのですか?」
諸葛亮のきれいな返しが舌戦を制した…かに見えた。
しかし廖化も執拗に食い下がる。
「何を仰られる。司馬懿ほどの智者ならば、なおの事、右と見せかけて左…と見せかけてやっぱり右…と、それぐらいの事はするでしょう?」
諸葛亮も数々の論戦を勝ち抜いてきた意地を見せる。
「いえいえ、それを仰られるのならば、右と見せかけて左…と見せかけてやっぱり右…と思ったら結局は左…と、司馬懿ならば、当然このぐらいの事は…。」
この世で最も不毛な戦いが幕を開けた。
やれ右だ左だと言葉を互いに被せ合う、そのくだらなさに回数を数える者まで現れる始末だった。
「終わんねえだろ!!」
馬岱の一喝に争いが止み、束の間の平穏が訪れた。
が…本当に束の間だった。
争い合っていた諸葛亮と廖化が、あろうことかがっちりと手を組んで、今度はこちらに矛先を向けてきた。
「馬岱よ、お前いつからそんなに気の短いヤツになったんだ?牛乳飲んだ方がいいぞ、牛乳。」
「私も彼から良くこんな風に怒られたものです。いやあ、本当に怖い。」
「待て待て!何で俺が悪者になってんだよ!?」
「お前は普段が悪者なんだから気にしなくて良いんだよ。」
「気にするわ!」
「自身に対する評価、これを真摯に受け止めることは時として何よりも残酷な事になる場合もあります。しかしこの時代を生きた者として、そうした評価を真正面からしっかりと受け止める事こそが、後世に対しての責任なのだと私は思います。」
「いや、なに良い話みたいにまとめてんだよ!騙されかけたわ!」
そう言ったが自分以外の全員が納得したように無言でいる。
「じゃ、いいよ悪者で!」
そう吐き捨てたところで、やっと全員が示し合わせたかのように爆笑した。
「さて、名残惜しいのですが、そろそろ…。」
「なんか嫌な終わり方だな。」
「そう言うでないわ。参るぞ。」
呉懿の言葉に馬岱は改めて全員を見渡した。
「わかったよ。全員達者でな。じゃあな。」
そう言って馬岱は烏の手綱を廖化に差し出した。
「おいおい。何のつもりだよ?連れて行かねえのか?」
「元倹、お前にやるよ。中々面白かったんでな。俺がこれから行く所は、どうやら、とんでもねえ所らしい。危なくて連れて行けん。」
馬岱はそう言って烏の首を抱き、別れを告げた。
烏も理解したようだ。
大人しくしたまま、じっと馬岱を見つめている。
諸葛亮が地面に方陣を描こうとしたその時、背後の廖化から声がかかった。
「あのー馬岱さん。これ何とかしてくれませんかねえ?」
見ると烏が早速、新しい主である廖化の籠手に噛み付いている。
周囲がどっと沸いた。
「まったく世話が焼けるぜ。」
苦虫を噛み潰しながら馬岱が烏を宥めるとようやく籠手から口を離した。
ぶち壊しになった雰囲気を元に戻せる自信は無かったが再度、別れの挨拶を述べる。
「じゃあ、改めて。今度こそ本当にお別れだな。繰り返しになるが、全員くれぐれも達者でな。」
諸葛亮が出現させた光の方陣に足を踏み入れ全員を見渡し敬礼した。
敬礼を返す全員の姿が光に遮られて見えなくなるまで馬岱は敬礼を続けた。
その光が止むと小さな祠と”光烈祠”の三文字が刻まれた巨大な石碑の前に居た。
「ここは一体どこだ?」
「略陽県内の、とある集落です。そしてこの祠が絶対神の配下筆頭である大天使メルケオンが天界や他の世界への往来に使う転移門になっています。」
そう説明しながら諸葛亮が石碑に白羽扇を翳すと渦状の闇が現れた。
「ここから先はあなたにとって未知の領域になります。私どもも同道致しますが、ゆめ油断無きように。」
闇が渦を巻きながら増大を続ける。
馬岱の内なる闘志も闇に呼応して増大していった…。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「…結局、取り逃したのだな。」
「面目次第もございません。」
「それらの者どもは全て私の領域に転移して参りました。全ては計画通りに進んでおります。」
「他の世界からの転移者は?」
「ございません。かの者らが”地球”と呼ぶ世界から私にお任せくださった世界に来るのみです。」
「それで良い…その他の世界はまだまだ不安定であり不完全だ。代わりの器をそれらに求めるのは無理というもの。メルケオンよ、聞いたな?エルフェリアの世界に転移した者どもの中に特異点が紛れ込んでいる。それのみを排除し汝に任せた世界、地球にはしばらく手を加えるな。」
「はっ。」
「もはや失敗は許されぬ。良いなメルケオン?」
「かの者は、あくまでメルケオン殿の世界に於ける特異点。その特異性までは、さすがに置き去りになった事でしょう。よもや失敗などという結果にはなりますまい。」
「この一命に代えましても、必ずや仕留めてご覧に入れます。」
「…期待はせぬが待っておる…。」
3 配信の傍観者
アキヤマ「はい、どーもぉ!アキヤマでっす!」
カンネイ「カンネイです!」
ヘイゲン「ヘイゲンです!」
アキヤマ「さ、というわけで今回も無事始まりました〜…ということでね、早速コメント欄がお二方に質問てことでスゴイことになってますよ〜!今からお答え頂きますんでね〜、楽しみにしててください!」
カンネイ「ええー?」
ヘイゲン「聞いてないよ〜!」
アキヤマ「ええ、ということで読み上げていきますんで…」
二人「あ、スルーした。」
アキヤマ「お二人ともよろしいですか?」
二人「は~い!」
アキヤマ「いやいや、さっきまでの反対のトーンは何だったんすか?」
カンネイ「何を言うんだアキヤマくん。大切な視聴者の皆様から頂いた貴重なお便りを無下にできるわけないじゃないか。」
ヘイゲン「皆様が視聴してくださるからこそ僕たちは存在できるんだ。明日をも知れぬこの異世界。今日を生き抜く事に必死な皆様に、ほんの少しでも喜びと楽しみを提供できたなら!」
アキヤマ「ハイ!安定の白々しさですね~wwさすがです!もう気は済みましたか~?」
カンネイ「ひどいな〜ww」
ヘイゲン「これでも真面目に語ってるんだよww」
アキヤマ「ちょっと言葉が過ぎましたね〜wwすみませんwwそれでは一つ目、山モートンさんから『お二人に質問です。お二人はパラレルワールドの三国時代から来たそうですが具体的にはどうやって、パラレルワールドを操っていたのですか?』との事ですがww」
カンネイ「あ、これは簡単。あちこちに偽造文書…命令書とか報告書を送って色々動かしてた。」
ヘイゲン「そうそう。ちゃんと辻褄が合うように計算して作ってたんだからね。スゴイでしょ?」
カンネイ「破綻しないように蜀が有利になるようにするの大変だったんだから…って、まあその辺はAI頼みだったんだけどねww」
アキヤマ「そこなんですよ。AIっていう単語とか現代人じゃないと知らない言葉がお二人の口からポンポン出てくるから偽物とかヤラセとか疑ってる人もかなり居て実のところ炎上してもいるんですよ。」
ヘイゲン「そうなると、これを見せないわけにはいかないね。じゃーん。」
アキヤマ「え?水晶球?インチキ占い師ですか?ww」
ヘイゲン「いやいやwwそう馬鹿にしたもんじゃないよ。この宝珠は単体でカメラでありドローンであり無線LANでありモニターでありプリンターでありスキャナーでありPCそのものでもあるわけ。」
カンネイ「あとスピーカー内臓でWi-Fi内臓でAI内蔵で音声入力で文字打ちも操作もできるけどBluetoothキーボードでも操作できるし無線で液晶モニターに画面を出す事も、プロジェクターとしても使用できるよ。」
アキヤマ「え?そんなにスゴイの?万能じゃないすか!」
カンネイ「そうそう。だから偽文書用のソフトを宝珠自身に作ってもらって内臓プログラム化して後は押印とか書面とかはスキャナー機能で取り込んじゃって、そのデータを人毎に分けたフォルダーに仕舞ってそれがある程度の人数分溜まったら、これ一個で偽文書なんか簡単に作れるのよ。文面なんか口頭で入力できるんだから。」
アキヤマ「そんな!まさかの水晶が得体の知れないOSで動いてたなんてww」
ヘイゲン「だから動画作るのもそう。前回のハルコちゃんネルは主が神に近いなんて言い方したけど要はこういう物を主が持ってるんだよきっと。だから古代の戦をあんなにリアルに撮れたのよ。タイムトラベルできるのまでは知らなかったけど、できそうだもん。」
アキヤマ「いや、もうなんか凄過ぎてドン引きなんですけどww」
カンネイ「僕らが現代の言葉や知識に理解があるのは前回名前だけ出したフランクくんの存在が大きいのよ。彼の話を分かるように解説してくれたのもこの宝珠だから。おかげで色んなことを学べた。何でこんなものを僕らが手にできたかまでは僕ら自身も分かんないけど。」
ヘイゲン「おかげで僕らも今や立派なネット民!」
アキヤマ「いや、マジトーンで語られると説得力スゴイな~。で、前回の続きでもあるんですけど、この世界でも、それらを駆使して操ってみようということですね?」
カンネイ「そう…なんだけど、まずはこっちの世界情勢を知らないと、だね。」
ヘイゲン「だから宝珠にはドローンとしてしばらくあちこち偵察してもらって内臓のAIで偵察結果を分析してもらって、報告してもらおうと。だからすぐには企画を実行できないから、しばらくは前回みたいに他チャンネルの動画の感想とかフリートークとかをメインにした方がいいかな?と思ってるんだけど、どう?」
アキヤマ「それは賛成っすね。あと他チャンネルの主とかゲストで呼べたらな~。それこそハルコちゃんネルさんとか。」
カンネイ「どうだろうね?同じ世界に居れば良いんだけど。居なかったらリモートで繋ぐとか。」
ヘイゲン「いやあ同じ世界に居ないとリモートも厳しいっしょ?」
アキヤマ「あ、でもそれなら、そもそも動画自体が同じところにうpできないから、やっぱり同じ世界には居るって事になりません?」
二人「あ、そうか。」
アキヤマ「というわけで当チャンネルではゲスト出演してくださるチャンネル主様を募集しています!興味のある方、出演OKという方はコメント欄に、その旨ご投稿くださいっと!続いて次の質問!」
二人「え〜?まだあんの?」
アキヤマ「そりゃありますよ〜ww」
カンネイ「ええ〜マジかんべん。」
ヘイゲン「俺らのこととかどうでもよくない?」
アキヤマ「いやいや、そうはいきませんよww漉し餡さんからです。『おい!カンネイにヘイゲン!』いきなり喧嘩腰ですね〜ww『おい!カンネイにヘイゲン!お前ら本当は誰だか知らねえけど、いい歳してコスプレ配信とか恥ずかしくねえのか!?』との事です。」
カンネイ「との事です…って、こんなの一々答える必要ないでしょ。」
ヘイゲン「そうそう。無視無視。」
アキヤマ「ええ〜?お二人が何て返すか期待してたんだけどな〜。」
カンネイ「コスプレじゃなくて自分らの時代の普通の服装だとか答えたら、設定守んのに必死だなwwとか返してくるんだから。相手にすることないよ。はい次!」
アキヤマ「じや、どれにしようかな?ええと、じゃ、manbouさんからのご質問です!『みんなわ〜カノジョとかいんの〜?』との事です。」
カンネイ「いや、居るわけないでしょ。こっち来てまだ2週間くらいよ?」
ヘイゲン「同じく。」
アキヤマ「元の世界には居なかったんですか?」
カンネイ「嫁さんなら逃げられたよ!」
ヘイゲン「同じく!」
アキヤマ「僕は彼女いない暦=年齢ですからね〜。逃げる相手すら居ませんww」
カンネイ「今、幾つなの?」
アキヤマ「27です。」
カンネイ「じゃ、これからだね。頑張んないと。」
アキヤマ「そうですね〜。いやあ、それにしてもお二人が、一時的にとはいえリア充だったとは驚きですwwそれでは続いての…」
カンネイ「いや、次良くない?今回はもう充分でしょ。どうせロクな質問来ないんだから。」
ヘイゲン「前回だってトークが長すぎて本題に行くまで遅いってコメント結構来たんでしょ?今回はもうこれで上出来じゃない?」
アキヤマ「ええ〜?じゃあ締めます?今回もご視聴ありがとうございました!以上、アキヤマと!」
カンネイ「カンネイと!」
ヘイゲン「ヘイゲンでした!」
三人「バイバイ!」




