第77話 死者との向き合い方
白い封筒を手にしたまま、恭司の身体は金縛りに遭ったように微動だにしない。この封筒の中身は間違いなく南二尉の……いや、南三佐の遺書であり、『自分が読んでも良いのだろうか?』という迷いが生じたのだ。
そんな恭司の横顔を見やり、津川艦長が口を開く。
「それは法的拘束力を持つ遺言書ではない、残す者に宛てた手紙だ。その封筒の口も封はされていなかったものだ。ここに来る途中、宗像三尉には先に目を通してもらっている……君も読むべきだ」
そう言うと、老船乗りは大きく頷いて見せる。恭司は意を決して、白い封筒から同じく白い便箋を抜き出し、几帳面に折りたたまれたそれを開いた。中村医官とローザもそれを覗き込む。
『最初に、この遺書はA・W討伐の任を仰せつかった後に書き直したものである事を付記しておく。併せて、A・Wという危険極まる相手と戦わねばならない今になってすら、私は自分の死をリアルとして感じることが出来ていない。そんな状態で書き残すこの文章が、どこかチグハグなものになってしまうだろう事をご容赦願いたい』
――――そんな書き出しで始まる文章は文字の一つ一つが丁寧に書き付けられ、その内容が南二尉の嘘偽らざる本心なのだと理解できた。
『まず、A・W討伐という重要任務の途上、力及ばず脱落してしまう事をお詫びする。常に最善の行動を心掛けていたつもりではあるが、自衛官の任務とは常に死と隣り合わせでもある。せめて、犠牲はこの身一つで済んで欲しいと思う。皆が無事に任務を果たし、それぞれの家族の元へ帰れる事を願う』
南二尉の思いに胸を打たれ、身体の芯が引き締められるような感じがする。
『津川一佐、木崎二佐、艦の乗組員全員をよく目にかけて頂き、誠にありがとうございます。感謝するとともに、国民の負託に応えることが出来ないこの身の不甲斐なさを恥じ入るばかりです。今後とも、皆の、特に真道三尉と宗像三尉の事をよろしくお願いします』
南二尉の字で書かれた自分の名前……それを見て、恭司の胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
『真道三尉、宗像三尉、すまないが私は先に逝く。だが、悲観することは無い。艦長や副長、第一小隊の瀬戸二尉、ガーフィッシュ隊のマディガン大尉、中村医官やアニング博士、そしてイヴ君が力を貸してくれる。私が鍛えたお前たちなら、皆の助力を得て、自身の力量を存分に発揮すれば、A・Wも打ち破れるはずだ。心配はいらない、全力で行け!』
視界が歪む。涙が溢れ出し、恭司は左手で乱暴に目頭を拭った。
『最後に、私の最愛の二人へ。真奈美、家の事を任せきりにしてすまない。その上、まだ小さい歩美を残して先立つ私を許してほしい。何かあれば弘前の叔父さん叔母さんを頼りなさい。私に万が一があった場合の事、話は通してある。――――いつも、私は良き夫、良き父であったかと、そんな事ばかり考える。いや、答えはもう出ている……一番大事な時に家族に寄り添えない私は良き夫、良き父失格だ。しかし、そんな私の身勝手な、最後の願いを聞いてくれ。この厳しい時代、母娘力を合わせて、強く生きて欲しい。私はお前たちの幸せを誰よりも願っている。今までありがとう、そして、さようなら』
恭司は感極まり、両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いた。そんな彼の様子を心配し、立ち上がったイヴが恭司の肩を抱く。
中村医官もローザも場の雰囲気に呑まれ押し黙る中、津川艦長が口を開いた。
「真道三尉、気付いたか? この手紙には、私や木崎副長、中村さん、アニング博士、瀬戸二尉、マディガン大尉……皆の名前がある。皆が助けてくれると。つまり、南三佐はどうしようもなくなった時に、真っ先に命を懸ける覚悟をしていたんだ」
老船乗りは、その場に居る皆の顔を順に見て言葉を続ける。
「彼は納得尽くで戦い、戦死した。だから、皆が南三佐の死に対して負い目を……罪悪感を感じる必要は――――」
「俺がッ!! ――――ッ! いや、自分が、納得できないんですよッ!!」
津川艦長の言葉を遮り、恭司が叫ぶ。艦長相手に乱暴な物言いに成りかけ、辛うじて言葉遣いを取り繕っているのが分かった。感情が高ぶってコントロールができなくなっているのだ。
「先に行く、後に残るも同じこと、連れて行けぬを別れぞと思う」
津川艦長はそれを咎めることをせず、自身の髭を撫でつけると、何かの一節を諳んじる。意味は良く分からなかったが、誰か歴史上の人物の辞世の句だろうかと恭司は思った。
「別れの形は様々あるが、死別というのは特別なものだ。なにせ、死者とは二度と言葉を交わせないのだからな」
老船乗りは深く息を吐き出し、穏やかに、しっかりとした口調で言葉を続ける。
「だから、残された者には『死者とどう向き合うべきか』という問いが投げかけられる。先立った者の死に際が尊厳に満ちたものであれ、目を背けたくなる凄惨なものであれ、強く心に残るものであったなら、尚更にな」
老船乗りは恭司に目を向ける。
「貴官は今『自分が納得できない』と言った。まさにそれだ。死者とどう向き合うか……それは、残った者の心の問題。死者に対するケジメの付け方だ。南三佐は納得して命を懸け、皆を救ってくれた。その思いにどう応えるか……。答えは人によって様々だ、自分で見出すしかないモノだ」
恭司も顔を上げ、津川艦長を見る。二人の視線がぶつかり合った。
「しかし、取り急ぎ、我々にはやるべき事がある。真道三尉、南三佐は最後に何と言っていた?」
津川艦長は、第二小隊の戦闘データを確認した際に、通信ログも聞いていた。南二尉が最後に残した言葉は承知していたが、恭司にそれを再確認させるためにあえて質問した。
「――――後は頼む……と」
消え入りそうな声で答える恭司。津川艦長は重々しく頷く。
「そうだな……。ならば『後の事』を、どうにかせにゃあならんなぁ」
そして、津川艦長は再度皆の顔を見回し『コホン』と一つ咳払いをする。
「死者とどう向き合うか……この問いには回答期限は無い。むしろ、時間をかけて考えて欲しい。そして、その時間を得るためにも、我々は戦い、勝たねばならない。明日、A・W-4用の特殊装備が届く。今は身体を休めてくれ……皆、頼りにしているぞ」
ローザ、中村医官、そして恭司とイヴ……その場の全員が、それぞれの思いを込めて頷いた。




