第53話 ショッピング・ウィズ・マーメイド
■日本国、東京都八王子市
「うあー……すごい人だねぇ」
駅の改札を抜け外に出ると、イヴは道を行き交う人の多さに感嘆し、それによって吐き出された白い息がふわりと空に昇っていく。ローザから借りた赤いコートを着たイヴはしきりに周囲をキョロキョロ見回し『お上りさん』オーラを全力で振り撒いている。
横須賀から電車に乗り、恭司の家に向かう途上、車窓から都市圏の人の多さは見ているはずなのだが、どうやらあの時は景色の方に目を奪われていたらしい。確かに、高速で流れる車窓では街の細かなディテールやそこを行き交う人の波は目で追い切れないだろう。恭司はイヴに『離れちゃダメだぞ』と注意すると、腕時計に視線を落とした。
時刻は16時少し前。既に日は傾き、ビルの間から茜色の西日が差し込んでいる。恭司とイヴは目の前を流れる人の波を眺めながら(時折、通りすがる人からイヴに視線を向けられながら)、他愛ない話をして過ごす。すると人ごみの中から『待ち人』が現れた。
「はーい! イヴさん、アニキ、待たせたな!」
姿を現したのは、学校指定の制服と通学用コートに身を包んだ希である。
真道家の『最寄り駅』である山梨県の西上野原駅は中央東線の駅であり、中央東線は神奈川県の県北を掠めるようにして中央線に連結している。そのため、山梨の中心部に向かうより東京に出る方が早いのだ。通学時間と、なにより首都東京という大都市圏であり『遊べる』スポットが多いため、彼女はこの近くの高校に通学していた(まあ、最大の理由はその高校に受かったからなのだが)。
そして、何故ここで希と待ち合わせをしていたのかと言うと――――。
「よーしッ! 思う存分イヴさんを着せ替え人形にして楽しむぞーッ!!」
「おいこら! 漏れてる、欲望がダダ漏れてるぞ!!」
――――イヴの服を買うためである。
■
3人は近くのデパートに入り、エスカレーターで女性服売り場へと足を踏み入れた。広くとられた通路に区切られ、様々なテナントがそれぞれのブランドの服や小物を売っている。『服などあり合わせで構わない』という恭司から見れば、それぞれのブランドの特徴や良し悪しなど皆目分からない。そのために希に付き合ってもらったのだ。
「悪いな、受験勉強で忙しい時期に」
恭司がそう声をかけると、前を歩く希は振り返りヒラヒラと手を振った。
「いーって事よ。私は普段からちゃんと勉強してますから? アニキみたいにヤマを当てて防大に入るようなミラクルは狙ってませんので~。それに、イヴさんを好きにコーディネート出来るなんて見逃せないでしょ!」
お願いして来てもらっている手前、言い返せない恭司が『うぐぐ』と歯噛みしていると、希が右の手の平を上にして差し出し手招きするように動かした。『軍資金を寄越せ』という合図だ。
恭司はポケットから財布を取り出すと、何枚かの紙幣を希に渡す。彼女は慣れた手つきで紙幣を扇状に広げ、ピンピンと弾くようにして枚数を数える。
「チッ、渋沢さんが5枚か……。シケてやがるぜ」
「お前そーいうのホント良くないよッ!!?」
思わず叫ぶ恭司、しかし希は『チッチッチ』と左手の人差し指を顔の前で振った。
「女のおしゃれにはお金がかかるのよ」
そう言うと、希は急に真面目な表情になり恭司を見上げた。
「っていうかさ、これアニキが個人的に貯めてたお金じゃない? イヴさんに服をプレゼントするなら、仕送り分に手を付けても父さんも母さんも何にも言わないと思うよ?」
「そんな訳にいかないだろう。良いんだよ、俺は船に乗ってる間はお金なんて使わないんだから」
恭司がそう答えると、希は恭司の肩に手を置いた。そして『ヤレヤレ』といった風に首を横に振る。
「アニキ……変な壺とか買わされないように気をつけてね。あたしゃ心配だよ」
「…………いや、なにモンだよお前は」
喉の奥から絞り出すように、心底嫌そうな声を吐き出す恭司。そんな兄妹の掛け合いを、イヴは不思議そうに見守っていた。
■
女性服売り場の隅で、恭司は壁に背を預け時間をつぶす。無論、イヴと希を視界にとどめ、周囲の確認を定期的に行っている。
もっと側で警護すればいいのだろうが、服をとっかえひっかえし、楽しそうにはしゃぐ女性陣(イヴと希に加え、女性店員さんも交じっているのだ)の間に入る度胸は無い。
恭司はフロア内に視線を走らせる。もう少しすれば、店内はクリスマスの飾り付けがされるだろう。クリスマスとそれに続く年末年始は所謂『書き入れ時』だ、このデパートも客で賑わうだろう。
しかし、父や母の話では、それでも昔に比べれば客足は減っているのだという。恭司の目の前を横切る広い通路も、『通路を広く取った』のではなく『品数が減った為、売り場を縮小した結果』なのだそうだ。
そんな事を考えていると、恭司の元にイヴと希が駆け寄って来る。イヴはパンパンになった大きなバッグを抱えている。お買い物用のマイバッグ(希の私物)だ。どうやら買い物は終わったらしい。
「もう終わったのか? もっと時間がかかると思ったけど」
恭司がそう言うと、希が大仰に肩を竦めて見せた。
「いやー。正直イヴさん何着ても似合うからさ、私も迷っちゃって……結局店員さんのお勧めで決めちゃいました」
「色んな服着るの楽しかった!」
ホクホク顔で大きなバッグを抱えるイヴ。『良ければ持つぞ?』と恭司が問いかけると、イヴは首を横に振った。
「ヤ! 自分で持って帰る!」
余程うれしいのか、イヴはバッグを『ぎゅう』と強く抱え込む。
「あんまり力を入れると服に皺が付くぞ。さて、それじゃあ帰りますか」
「おう! 帰ったらメシだーッ!」
恭司の傍らで、希が元気よくガッツポーズを決めた。わんぱくに逞しく成長する己の妹の将来に、恭司は少しばかり不安を抱くのだった。
■
デパート内を下りのエスカレーターで移動していると、恭司達の目の前にCDショップが現れる。店頭では大型ディスプレイを使ってあるアーティストのライブ映像が流されており、画面の端に手作りのPOP広告が貼られていた。
――――Akari、ニューシングル『あなたと、共に』セールス10万枚突破!
そんな文字が躍っている。流行り廃りに疎い恭司でも、このアーティストの事は知っていた。ここ数年、日本のミュージックシーンを牽引している『百年に一人の逸材』と称賛されるシンガーだ。
現在、音楽や映像ソフト、そして書籍と言ったコンテンツはダウンロード販売が主流になっている。しかし、CDや紙媒体の書籍が市場から消えることは無かった。市場規模が縮小し流通量が減った今では――だからこそと言うべきか――CDや紙の書籍そのものが『コアなファンが買い求めるコレクターズアイテム』として扱われるようになったのだ(マニアがレコードだのVHSやベータだのを買うのと一緒だな、とは父の弁)。
値段も高いためそうそう数が売れることは無いのだが(レコード会社や出版社からすれば、収益の柱はあくまでダウンロード販売だ)、そんなご時世でも目の前のPOP広告にある通り、10万枚のCDを売るAkariはまさに『現代の歌姫』だ。
閑話休題――――。そんな日本のトップアーティストの歌にイヴが興味を示さないはずは無く、大きなバッグを抱えた少女はエスカレーターを降り、トテトテとCDショップの店頭に歩いてゆく。
「ちょっと寄り道していくか」
その様子を見た恭司は、隣の希に声をかけた。




