第41話 ウォッチャー
万能細胞を殺す毒――――オムニトキシンを腹節に注入された巨大ヤドカリが咆哮し、暴れ始める。この化け物の腹の中では今、砂に水が沁み込むように猛毒が広がっている。
A・W細胞の驚異的な代謝速度を逆手に取り、急速にその体内を侵してゆく毒素は強力無比。しかし、およそ馬鹿げた巨体を誇るA・W-3が死に至るまでには、幾ばくかの間があった。『ズン、ズズンッ!』という轟音に合わせ、足元の肉塊が大きく揺れ振り払われそうになるが、八式は脚部スパイクをガッチリと肉塊に食い込ませ何とか耐える。
……だが、触手によって編まれた壁の向こうから、肉を引き裂く耳障りな音と、アルゴーの悲鳴が響いて来た。どうやら触手の繭に食らいつくアルゴーに、巨大ヤドカリがそのハサミを突き立てたようだ。
「アルゴーッ! 逃げてッ! Vi ja sya lu lu lu……」
イヴが叫び、その言葉の通り逃げるよう命じているのだろう……再度ネーレイスの言葉で歌う……しかし、アルゴーは悲鳴を上げながらも巨大ヤドカリに食らいついたまま離れようとしない。
「このッ!」
恭司は素早くコントロールパネルを叩く。八式右腕のインジェクション・パイル……その回転弾倉がガシャリと回転し、2本目のパイルをチャンバーに送り込んだ。
八式の足元は全て薄気味悪い肉塊だ、狙いをつける必要は無い。恭司が2射目のパイルを打ち込もうとした時、上方から一本の触手が襲いかかって来た。『チ!ッ』と舌打ちしつつ、恭司は八式の左腕を振り上げ、手甲のような扁平のパーツ……グラップル・プライヤーを盾替わりにその触手を防ぐ。
A・W-3の触手に打ち据えられ、大きな衝撃がコクピット内にまで伝わる。しかし、攻撃はそれだけでは終わらず、触手はそのまま八式の左腕に巻き付いた。
「ッ!?」
恭司は反射的に八式の左腕を切り離す。本来ならば機体を丸ごと引き剥がそうとしたのだろう触手は、切り離された左腕だけを攫って行った。恭司はその様子を見る事もせず、即座にパイルの2射目を撃つ。
「悪あがきしてんじゃねぇぞッ!!」
再度『ぞぶり』と肉を引き裂きながら特殊タングステン合金製のパイルが叩き込まれ、間髪入れずオムニトキシンが注入された。途端、足元の肉塊は不整脈を起こしたように出鱈目に脈動し、周囲の触手の壁もぐにゃりと歪み始める。明らかに異常な反応を見せるA・W-3、死に瀕しているのは間違いない。
だが……いや、『だからこそ』と言うべきか、巨大ヤドカリは最期の力を振り絞った。
恭司の耳に『ゴキンッ! ぶちゅり!』という不協和音とアルゴーの悲鳴が届く。巨大ヤドカリがアルゴーの骨ごと、肉や内臓を挟み潰したのだ。イヴと恭司を守ろうとしたのか、イヴの歌を無視し巨大ヤドカリにその牙を立て続けたアルゴーは、その巨体から力が抜け落ち『クォーン』と弱々しい鳴き声を上げた。
「あぁ……そんな……」
後部座席から聞こえるイヴの悲しげな声。その震える声を聞いた時、恭司の胸の中がざわついた。湧き上がって来る、どうしようもないその感情は『怒り』だ。もとより、救難信号を使って人間を釣っていた巨大ヤドカリに対し恭司は怒りを覚えていた。しかし、家族の生活を支え、守るために自衛官になった彼にとって『身内』の悲しみは、更なる怒りを滾らせるのに十分なきっかけだった。
「この……ッ! いい加減くたばりやがれえぇぇぇ――――――ッ!!」
炸薬の轟音と共に3本目のパイルが打ち込まれる。足元の肉塊と周囲を取り囲む触手の壁は、とうとうショックを起こしたように一際大きく脈打つと、それを最後に動きを止めた。
■A・W遊撃艦隊旗艦、空母エンタープライズ、戦闘群司令部指揮所
「A・W-3……沈黙。アルゴーも同様に……沈黙しました」
「…………」
クルーの一人が報告する。だが、その声に応える者はいなかった。……無理もない、常軌を逸した化け物同士の壮絶な戦闘を目にしたのだ。それまでの喧騒から一転、TFCC内を静けさが包み込んだ。
しかし、いつまでも呆けてはいられない。ウェルズ司令は『ゴホン』と一つ咳ばらいをすると、周囲のクルー達に次々と指示を飛ばし始めた。
「DSCV隊の状況を確認! まだ動ける機体はA・W-3が死亡しているか確認しろッ! アルゴーに対しても同様だ。それ以外の機体は急ぎ収容! インディアナ、及び水上の艦艇は周囲を索敵! 不審な反応があれば何であれ報告しろ!!」
その命を受け、クルー達は一斉に動き始める。ウェルズ司令は正面の大型モニターに映るA・W-3……その骸を見て『ふぅ』と大きく息を吐いた。『間違いなく死亡しているのか?』……その確認はこれからだが、とりあえずヤドカリの化け物は海底に横たわり、動きを止めている。
エクスプローラーⅡの事、A・W-3の事、そしてアルゴーの事……。考えねばならない事は山ほどあるが、戦闘が終わり流石に緊張の糸が緩んだその時、一人のクルーが口を開いた。
「南南西10海里のポイントに反応あり。20メートル級、遊泳音からクジラと思われます」
普段ならば『そうか』と軽く受け流してしまうような報告だが、アルゴーの乱入があったことで、皆意識が過敏になていた。それはウェルズ司令もジョンソン艦長も同様だ。
「メキシコ沖でもA・W-2との戦闘終了後に、クジラの反応が観測されていましたが……」
ジョンソン艦長がそう呟いた直後、駿河CICから通信が入った。相手はアニング博士だ。
『これだけ派手に戦闘を行った海域に近寄って来るなんて不自然です。DSCV隊で確認した方が良いかもしれません』
ウェルズ司令は自身の顎を一撫ですると軽く頷いた。
「……確かにな。艦長、武装の残っているDSCVを確認に向かわせてくれ」
「アイ・サー! DSCV隊は南南西の反応を確認せよ、臨時編成はガーフィッシュ1に任せる!」
ジョンソン艦長の命令が飛ぶ。
■同海域、深度250メートル
恭司は八式のウォータージェットを最大出力にし、力を失い潰れ始めた触手の繭の中から逃れる。外に出た恭司とイヴの視界に入ったのは、やはり力を失い海底に横たわる規格外に巨大なクジラ――――アルゴーの亡骸だった。
その腹は大きく裂け、無残な傷口を晒している。その傷から流れ出る赤い血が、海流に乗って長い長い帯を曳いていた。
後部座席から鼻を啜る音が聞こえた。だが、悲しみに暮れるイヴに、恭司はかける言葉が見つからなかった。そこへマディガン大尉の通信が入る。
『エンタープライズから南南西の反応を確認しろと言ってきた。俺、ガーフィッシュ2、それとニホン隊022を借りるぞ! 残りの指揮は011セト二尉に任せる!』
「ガーフィッシュ1! 自分も行きますッ!」
『……分かった、お前もついて来い。行くぞッ!』
イヴにアルゴーの亡骸を見せたくなかった恭司は、咄嗟にインカムに叫んだ。マディガン大尉は一瞬考えた後に、恭司の心中を汲んでくれたのか許可を出してくれた。
10海里……およそ19キロメートルの距離は、DSCVの速度ならすぐに移動できる。計4機の編成で南南西に向かうと、パッシブソナーがクジラの遊泳音をキャッチした。全長20メートル程――ナガスクジラだろうか、怪しいところは見受けられないが……確かに、アニング博士が語ったように、戦闘区域に『普通の野生動物』が近寄って来るのは妙に思われた。そして、真っ先に異常を察知したのはイヴだった。
「……キョージ。あれ、いきものじゃないよ」
か細い声でイヴが呟いた。アルゴーを失った悲しみと、『歌った』事の消耗が激しいのだろう
「なんだって!?」
『全機警戒!』
恭司はイヴの様子を気遣いながら、マディガン大尉の命令に従い他の機と連携しつつ『いきものじゃないクジラ』に接近する。
――――すると、事態は突然動いた。
信じられない事に、クジラは一瞬でその姿を変えた。球形の頭部に無数の足が付いたクラゲのような姿に『変身』したそれは、まるで捕食生物が獲物を捕らえるような機敏さで023に接敵すると、その足を八式に巻き付かせて取り付いた。
「なッ!? なんだコイツッ!!」
『おいッ! 023無事かッ!!?』
『恭司さんッ!?』
恭司が叫び、無線から皆の驚く声が一斉に響く。そこへ、謎の声が割って入った。
『どうやら感付かれてしまったようだな。君達はこちらの想定よりも優秀であるようだ』
「ッ!? マリーンVHF……一般回線ッ!?」
唐突に無線から流れてきた何者かの声。恭司は驚きながらも八式の拘束を解こうと操縦桿やフットペダルを動かすが、機体はビクともしない。完全に動きを封じられている。
『貴様、何モンだッ!?』
マディガン大尉の誰何が響く。その声は正体不明の相手を威嚇するように、いつもより低い。しかし、謎の声は小動もせず、鷹揚に答えた。
『名乗る義務はないが、礼を失するのは主義に反する。そうだな……『ウォッチャー』と名乗っておこうか』
そう名乗ると、謎の声は微かに笑った。




