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アビスウォーカーズ  作者: 大野 タカシ
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第33話 エスコート

■アメリカ合衆国カリフォルニア州、サンディエゴ海軍基地


 半舷休息が発令され非番となった恭司は、サンディエゴ海軍基地内を歩いていた。久方ぶりの陸の上……しっかりと大地を踏みしめて歩けるのはやはり安心する、と同時に多少の違和感があった。波に揺られる船上の生活に良くも悪くも慣れてしまったという事なのだろう。

 今彼が歩いているのは、サンディエゴ基地内の岸壁沿いの道路だ。街路樹が風に揺られ、道路を挟み海とは反対の内陸側には芝生の広場が続いている。アメリカ海軍太平洋艦隊の母港であるこの基地は広大な敷地面積を誇り、この海浜公園のような区画も整備されていた。夏も盛りを過ぎ、穏やかな日の光が降り注ぐその広場では、多くの人がシートを広げて寝転がったり、キャッチボールをしたりと、それぞれに余暇を楽しんでいる(基地の敷地内であるため、彼等は全員非番の軍人、又は軍関係者だ)。

 そんな人々を見ながら、恭司は歩を進める。特に目的地は無い。つまりは散歩をしている訳だが……恭司の場合、100パーセント休日を堪能できる状況では無かった。その理由は――――。


「おーッ! おぉ~~ッ!!」


 彼の傍らを歩く、ネーレイスの少女だ。


 先程から見るものすべてに『おーッ!』と感嘆の声をあげる褐色の少女は、ともすれば興味を惹かれたものに突撃を繰り返し、そのたびに恭司がそれを押さえるという……小さな子供にハラハラさせられっぱなしの保護者のような状態になっていた。


 何故こんな事になっているのかと言うと……理由自体は大したものではない。半舷休息が発令され上陸許可が下りた恭司に、イヴが付いて来たがったためだ。前回サンディエゴ基地に寄港した時には、物資の補給だけ済ませて再び海に出たため時間的な余裕はなかったが、桟橋に係留され窓越しに陸の光景をじっくりと眺めることが出来るとなれば、イヴが外に出たいと思うのは無理も無い。

 『アメちゃん買って来るから良い子で待っててくれ』と皆で(なだ)めるも、『ヤダヤダ一緒に行くーッ!』と駄々をコネまくるイヴに恭司や南二尉、宗像三尉は困り果ててしまった。


 イヴには現在の世界で自身の身分を証明するものが無い。どこの国の国籍も持たない放浪者(ノーマッド)であり、そのまま上陸すれば不法入国になってしまう。

 ちなみに、海上自衛隊の護衛艦である駿河の艦内は治外法権であり日本の法令が適用されるが、イヴは『戦地にて救助された難民』という扱いであった為、今まで乗艦出来ていた。しかしそれも一時的な、そして非常に『グレーな処置』であり、いつまでもこの状態でお茶を濁せるものではない。


 今更ながらに、イヴの今後の処遇に頭を痛める恭司達。しかし、唐突に現れた津川艦長が『問題ない』と軽い調子で言ってのけた。艦長の話によれば、イヴにはアメリカの市民権が発行されており、更に米海軍に民間人協力者……つまりは軍属として登録されているのだそうだ。

 本来、アメリカの市民権を得るには様々な条件をクリアする必要がある、艦長の話が真実ならば、それらを全てすっとばして市民権が発行された事になる。どういう事だと首を(ひね)る恭司に、津川艦長は『行けば分かる。しっかりとイヴ君をエスコートするように』と命じた。


 その言葉の意味はすぐに分かった。混乱しつつもイヴを連れて船を降りた恭司に、サンディエゴ基地の警備を引き連れたスーツ姿の男が近づいてきて声をかけた。


「イヴさんとシンドウ三尉ですね? お待ちしていました、私は国土安全保障省(DHS)の使いです。イヴさんにコレをお渡しするよう仰せつかっております」


 栗毛の、明かに白人であるスーツの男は流暢な日本語を話しながら、右手に提げた鞄から一通の封筒を取り出した。国土安全保障省は他国における内務省に該当する。内政全般に(たずさ)わる組織であり、入出国管理や移民政策業務、そして市民権の発行審査なども行っている。


「イヴさんの市民権に関する書類と、米海軍所属である事を示す身分証です。くれぐれも、無くさないで下さいね」


 イヴが明らかに状況を理解していない様子で、恭司とスーツの男の顔を交互に見るばかりだったので、イヴに代わり恭司が差し出された封筒を受け取る。その封筒には確かに、米国国土安全保障省の盾と鷲のシンボルマークが描かれていた。


「さて、最後に一つイヴさんにやっていただきたい事があります。略式ではありますが、市民権取得時の宣誓をこの場で行いますので、私の後に続けて復唱してください。それでは――――」


 そう言うと、男は朗々と宣誓の文言を(そら)んじる。イヴは混乱しながらもそれに続き『忠誠の誓い』の宣誓はつつがなく終わった。スーツの男は満足げに頷くと、恭司に話しかけた。


「とある事情により極めて簡略化した手続きでしたので驚かれたでしょうが、お渡しした書類を確認いただければ大まかな事情はご理解いただけると思います。それではイヴさん、合衆国(ステイツ)へようこそ! 我等と我が国は貴女を歓迎します、それでは」


 颯爽(さっそう)と去ってゆくスーツの男。残された恭司とイヴはポカンと口を開けて立ち尽くした(イヴは最初から口を開きっぱなしだったが)。

 狐につままれたような心境ではあったが、恭司はとりあえず渡された封筒の中身を確認する。中には確かにイヴに米国市民権を発行する旨の証書が入っていた。英語に疎い恭司でも、書類に記載された『Citizenship(市民権)』の文言くらいは分かる。しかし、イヴの氏名や性別といったパーソナルデータの欄を見て、恭司は素っ頓狂(すっとんきょう)な声をあげた。

 そこに記載されていたイヴの氏名――――。


「イヴ……マッケンジーッ!?」


 『マッケンジー』という名前自体はそう珍しいものではないだろう、しかし、恭司の脳裏にはすぐさまある人物の顔が浮かんだ。


「ええぇ……マッケンジーって、どう考えてもこの前視察に来た大統領補佐官だよなぁ…………マジかよ」


 先刻、スーツの男が言っていた『とある事情により~』という言葉の意味を恭司は理解する。宗像三尉ではないが『政治家って怖い』と肝が冷えた。だが、まあ……。


「キョージ、それなぁに?」


 恭司が手にする書類を指さし、無邪気に聞いてくるイヴ。


「あ、ああ。これは……イヴがこの国で暮らしていいですよっていう許可証……だな」


「んー? それってキョージと一緒に居てもいいって事?」


 無論、恭司は日本国籍であり、現在は任務でアメリカに滞在しているに過ぎない。『一緒に居ても良い』と答えるのは(はばか)れるが……イヴがこの時代で身分を得たのは、一歩前進したと言ってもいいだろう。


「そうだな……まだやる事はあるけど、一歩前進したってとこか」


「わぁい!」


 …………まあ『イヴをアメリカに囲い込んでおきたい』という、政治的な打算がありありと透けて見える事には目をつぶろう。

 無邪気にはしゃぐイヴを見て、恭司はそう思うのだった。


 ――――その後一旦駿河に戻り、受け取った書類を恭司の荷物に仕舞い込み、再びイヴと共にアメリカの土を踏む。イヴは軍属である事を示す登録証を忘れずに首から下げている。

 彼女は恭司と一緒に『お出かけ』出来るのが嬉しいらしく、満面の笑みを浮かべ恭司の先を歩く。そして気になるモノを見つけては走り寄り、『早く早く』と彼を()かすのだ。おかげで恭司はヘトヘトだ、現役の自衛官として体力には自信があったが、無駄にエネルギッシュな子供の相手は流石に疲れる。


「……いやいやいや、子供じゃないだろ。イヴの実年齢って5万プラスアルファだろ」


 そんなセルフツッコミを恭司がしていると、目の前を歩くイヴが急に立ち止まり、何かを指さしながら彼を呼んだ。


「キョージッ! あれ何ッ!?」


 イヴの指差す先を見やると、そこに居たのは一匹の白猫だった。首輪はしていない、何処かから基地内に入り込んだ野良猫だろう。


「あぁ、あれは猫って言うんだ」


 恭司がそう答えると、示し合わせたかのように白猫が『ニャァ』と鳴いた。その様子を見たイヴは何やら琴線を刺激されたらしく、両手を広げてネコに駆け寄った。


「ネコッ! ネコ――――ッ!!」


 ネーレイスにとってもネコはかわいらしい生き物であるらしい、彼女はイノシシの如く全力で駆け寄るが……当然、白猫は『ギニャァッ!!?』と驚いて逃げてしまう。


「おいイヴッ、戻って来い! ネコ追いかけちゃダメッ!! ネコと和解してッ!!」


 恭司もイヴを追って、本日何度目かの追いかけっこが始まる。『またかよ!』とゲンナリする恭司だったが、その追いかけっこは唐突に終わった。イヴがネコを追うのをやめ、明後日の方を向いて立ち止まった。


「ねえキョージ、アレは何?」


 先程とは打って変わって静かに尋ねてくる褐色の少女に追いつくと。恭司は再びイヴの指差す方を見る。その先では一人の男性が(やはり米軍人だろう、私服姿だが服の上からでも鍛えているのが分かる体格だ)アコースティックギターを演奏していた。風に乗って曲が流れてくる、タイトルは忘れたが、日本人でも……それこそ流行り(すた)りに疎い恭司でも知っている、世界的に有名な洋楽だ。


「あれはアコースティックギターっていう楽器だよ。趣味で演奏してるんじゃないかな」


 恭司の答えを聞くと、イヴはトコトコと音のもとに近寄ってゆく。恭司もその後に続き二人でギタリストの前に立つと、彼はギターを演奏しながらにこりと笑い、突然やってきた聴衆を歓迎した。

 演奏が続けられるギターの音色に、イヴは身動ぎひとつせずに聴き入っている。時折、強い海風が長い長い黒髪を乱すが、それでも身じろぎ一つしない。暫く演奏は続き、最後に『ジャラランッ!』と弦をかき鳴らすと、ギタリストはオーバーアクションで一礼した。

 恭司は拍手を送る、趣味の域を越えた見事な演奏だと思った。『もしかしたらこの人は、軍人になる前はミュージシャンを目指していたのかもしれないな……』と、そんな事を考えていると、傍らに立つイヴが、『すぅ』と大きく息を吸い、今しがた聴いたメロディを口ずさみ始めた。


 ――――その瞬間、場の空気がガラリと変わった。


 恭司も、先程まで同じ曲を演奏していたギタリストも目を丸くして驚く。晩夏の午後、何気ない日常の一コマだったものが、急に現実味を失う。

 恭司の身体には異変は起きていない。イヴはただ『歌っているだけ』だ。勿論、彼女はこの歌の歌詞を知らない。ただ聴いたメロディをなぞっているだけだが……それでも、イヴの歌声には聴く者を否応なく惹き込む力があった。

 ギタリストがギターを抱え直しイヴに合わせて再度演奏を始めると、その旋律はイヴの歌声と溶け合い、恭司の心を震わせた。


 そして再び曲が終わる。すると、周囲からどっと拍手が沸き起こった。いつの間にか数十人の聴衆が周りを囲んでおり、皆興奮した様子で惜しみない拍手を送っていたのだ。

 こうして、即興の青空コンサートは大盛況のうちに幕を下ろした。


 ――――日が傾きかけ、駿河への帰り道。イヴはやはりニコニコと笑いながら恭司の隣を歩く。『フンフンフン♪』と、先程聴いた曲を鼻歌で歌っている。


「凄かったな」


 恭司がそう言うと、イヴはにんまりと歯を見せて笑う。


「うん! みんな笑ってた、楽しかった!!」


 『笑っていれば絶望は逃げてゆく』……そう教えられたイヴにとって、『笑う』という事は特別な意味を持つモノなのだろう。


「私ね、もっと色んな曲を知りたい!」


「そうだな、駿河に帰ったら皆からCDとか借りて聴いてみよう」


 そう恭司が答えると、イヴは頭をブンブンと縦に振った。その様子を見て恭司が笑うと、彼の携帯が着信を告げる。ポケットから携帯を取り出し画面を見ると、相手は南二尉だった。


「はい、真道です!」


『真道三尉、至急駿河に戻れ! A・Wが発見されたらしい、出港準備にかかるぞ!!』


 南二尉の警告と同時に、サンディエゴ基地各所の屋外スピーカーから船の出港準備を知らせる警報が鳴り響く。


「イヴ! 『絶望』が見つかったみたいだ、急ぐぞッ!」


「うんッ!」


 二人は駿河に向かって走り出した。

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