第22話 神はドミノを倒さない
『キョージといっしょに戦う』という褐色の少女の言葉と同時に、医務室内の全員の視線が恭司に集中した。その居心地の悪さを払いのけるように、彼は口を開く。吐き出された声には、少なからずイヴに対しての……そして現状に対しての非難が込められていた。
「な……んで、俺なんだ!? 何で俺があんな化け物と戦わなきゃいけないッ!?」
「キョージはつよい人だから。それと、キョージはわたしの歌でもっとつよくなるから」
真っ直ぐに恭司を見つめ、躊躇うことなく答えを口にするイヴに、彼は気圧され、一歩後ずさった。
「歌……? そうだ、あの歌も何なんだ!? 何で君の歌を聴くと、自分が自分じゃないみたいになるッ!?」
「わたしとキョージが『いっしょ』だから」
「『いっしょ』……?」
イヴの学習能力と速度は目を見張るものがある。だが、その言葉は未だたどたどしい所が残る。それでも……今の『いっしょ』には、何か重大な違和感が感じられた。恭司がその違和感に首を傾げていると、2人の間にローザが割って入った。
「歌の力……シンドー三尉の報告にあった……。それは、他の人にも効果を及ぼせるものなの?」
イヴはフルフルと首を横に振る。その様子を見たローザは更に問う。
「それは……シンドー三尉みたいに『いっしょ』じゃないから?」
褐色の少女は首を縦に振る。ローザは何かを確信したように目を細め、そして恭司は堪らずに叫んだ。
「どういうことだよ! 『いっしょ』ってどういう事なんだ!?」
今度は、全員の視線がイヴに注がれる。しかし、言葉を発したのはローザだった。
「多分『これ』の事よ。見て欲しいデータがあるわ」
彼女はそう言うと、傍らに置いたショルダーバッグからノートPCを取り出し、中村医官の机の上で起動させる。『カタカタ』と慣れた手つきでノートPCを操作すると、何かのデータが画面に表示された。医務室内の全員(イヴも含め)がその表示を覗き込む。
それは単純な数字の羅列だった。最上段の左右に恭司とイヴの名前が並び、その下に何かの数字が縦にずらりと並んでいる。恭司とイヴの何らかの検査結果を対比させるように並べているらしいのだが、奇妙な事に左右の数字はその全てが同一か、非常に近しい値を示していた。
このデータが何を意味するのか分からず、恭司は更に首を傾げる。他の皆も同様だったが……一人だけ、中村医官は口元に手を当てて『信じられない』と呟いた。
「中村さん、これが何か分かるのか?」
津川艦長の問いに、中村医官は首肯する。
「はい……。これは、真道三尉とイヴちゃんの間で臓器移植をした際の、臓器の適合率です……。見ての通り、ほぼ同じ数字が並んでる。一卵性の双子並みの……いや、それ以上の適合率です……。こんなのあり得ない…………」
「そう、『あり得ない』のよ。これ程の適合率……同一性をもつ他人が自然に存在する確率は……天文学的なものよ。本来ならばあり得ない……けれど、イヴもA・Wも万能細胞でその身体を形作っているの。今のイヴの身体は……シンドー三尉、貴方の細胞や遺伝子を、この子がコピーしたもののはず。……何か思い当たる事は無い?」
ローザに水を向けられ、恭司は『ハッ』と思い出す。
「そういえば……。化け物クラゲと戦った時に、イヴが俺の血を舐めました……」
そう言いながら、恭司は額の傷口に手を当てる。既に傷口は殆ど塞がり、少しばかりのカサブタが残るだけだが……。あの時、イヴは確かに此処から流れ、頬を伝っていた彼の血を舐め採ったのだ。
恭司の答えを聞き、得心がいったと頷いたローザは、再びイヴに顔を向けた。
「ねえ、イヴ。もしも、戦って彼が怪我をしたら……あなたはどうする?」
まるで、イヴが何を答えるのか分かっているような、それを確認するような問いを、ローザは褐色の少女に投げかけた。そして――――
「キョージが血をながしたら、わたしの血をあげる。手をなくしたらわたしの手をあげる。足をなくしたらわたしの足をあげる。わたしが居れば、キョージは死なないよ」
――――可憐で無垢な少女から返ってきたのは、大人でさえも顔を顰めるような、生々しい答えだった。
「歌の効果も、これに付随するモノなんでしょうね。『アルゴー』に代わる戦士を選び、これ以上無い程の適合率で自らを『スペアパーツ』としてでも、A・Wは倒さねばならない……。ネーレイスという種族は、とんだパンドラの箱を遺してくれたものね」
ローザが吐き捨てるように呟く。恭司は頭を抱えて一歩、二歩と後ずさった。
「な、何で……そんな……。だから、何で俺なんだッ! こうして生きてるのもただの偶然だ、運が良かっただけだッ! あんな化け物と何度も戦えるわけ無いだろうッ!!」
頭を抱えながら恭司は叫ぶ。すると、彼の胸に衝撃が走った。驚いて目を開くと、恭司の鼻を金色の髪がくすぐった。鼻先数センチの位置に、ローザの顔がある。ローザは恭司の胸倉を掴み、乱暴に彼を引き寄せていた。
「悪いけど、その問いにはもう意味は無いの。『絶望』は……A・Wは彼女の言うことを聞かないらしいけど、それでも彼女の歌で動きを鈍らせることは出来る。縋るには頼りない糸だけれど、それでもこの先、イヴの力は不可欠なのよ。そして、イヴは貴方を選んだ……。是が非でも貴方には戦ってもらうわ。私達は今、滅ぶか否かの分岐点に立っているのだから」
そう言うとローザは恭司から手を放し、ノートPCを手早く操作する。画面には、何処かのニュースサイトが表示されている。英語がからっきしな恭司でも、理解できる単語を拾っていくだけでニュースの概要は理解できた。オーストラリア近くで船が沈没したというニュース速報だ。
「私がケロンを発つ直前に入って来たニュースよ。これのせいで遅れてしまったんだけれど……」
「1時間前、オーストラリア西部海域を航行中の穀物飼料を満載した1万トン級大型貨物船が沈没。乗組員40名は絶望的、か。まさか……ッ!?」
南二尉がニュースを読み上げる。その直後、何かに気付き眉を顰めた。
「そう、ケロン出発前に偶然マッケンジー補佐官と通話していてね、その際に聞いたわ……。この貨物船からの最後の通信内容が『巨大な魚に襲われている』だったそうよ。オーストラリア海軍が救助に向かっている最中で、まだ裏取りがされていない情報だから、公開はされていないけど……」
「巨大な魚? この前の巨大エイとは別の……?」
木崎副長が呟く。その声に頷いて肯定の意を示しながら、ローザは恭司を見た。
「先日の巨大エイとこの巨大魚を含め、解き放たれたA・Wは全部で5体。残りの3体も順調に育っているでしょうね……。そして、巨大になれば更なる餌を求めて貪欲に、活発に活動するようになる」
ローザの覚悟を秘めた、そして真摯な瞳に見据えられ、恭司は目を反らすことが出来ない。
「この世界はグローバリズムの名のもとに横の繋がりを強めてきた、それは情報通信や貿易といった分野で特に顕著に表れている。今や一国だけで自立自存できる国は無い。ただでさえ資源不足に起因する経済格差が深刻化している今、貿易の要である海上交通が寸断されれば、世界経済は何度目かの大恐慌に陥るでしょうね」
ローザの言葉に、津川艦長が『うむ』と頷いた。
「どこかの国が破綻すれば、その影響は瞬く間に広がる……。この世界はリング状に並べられたドミノのようなものよ、一つの駒が倒れれば全てが倒れてしまう……。もちろん、国力には差があるから駒の大きさは不揃い、もしかしたら何処かの駒が耐えてくれるかもしれないけれど、それは誰にも分らない……神様にもね。昔、アインシュタインは『神はサイコロを振り給わず』って言ったけど、サイコロを振らないならドミノ倒しだってしないでしょう……だから――――」
そこで、彼女は言葉を切り、恭司に一歩近づいた。恭司より背の低いローザだが、そんな彼女に恭司は気圧されてしまう。
「最善を尽くすしかないの。さっきも言ったけど、今、私達が居る今この場所が、人類が滅ぶか否かの分岐点なのよ。勿論、貴方とイヴだけに全て押し付けるようなマネはしないわ。私にも守りたいものがある、私も私に出来る事をする。その為にこの船に来たのよ」
『守りたいもの』その言葉に、恭司は目を見開く。彼にも守りたいものがある、恭司の脳裏に家族の姿が浮かんだ。家族のささやかな生活が脅かされるのであれば、その原因と戦う事に異存は無い。
――――しかし、今回の相手は文字通りの化け物だ。彼が握りしめた拳を震わせて躊躇っていると、南二尉が口を開いた。
「真道三尉、迷うのは分かる。だが、全力で行け、勿論私達も力を貸す」
「しゃーないっスねぇ。けど、ホントにやばくなったら撤退しましょうね、命あってのモノダネっスから」
続けて宗像三尉が軽口を叩く。そして津川艦長が皆の顔を見回しながら声をあげた。
「私とて、部下を死なせるつもりはない。真道三尉、我々は一蓮托生だ。共に戦うぞ」
そう言って老船乗りは口元に笑みを浮かべた。皆の視線が恭司に集まる。
「キョージ?」
イヴが小首を傾げながら恭司に声をかけた。恭司は大きく深呼吸すると、しっかりと頷いて応えた。
「なんぴとも一島嶼にてはあらず、なんぴとも自らにして全きはなし……ですか」
ほっとした空気が流れる医務室の中、木崎副長が何かの一説を諳んじる。それを聞いた津川艦長はその一節が何なのか少し考え、口を開いた。
「ヘミングウェイか?」
木崎副長は帽子を被り直しながら、その答えを否定する。
「いえ、ジョン・ダンです」
津川艦長は答えを間違えた気恥ずかしさからか、帽子を目深にかぶって皆の視線を遮った。




