第19話 疑念
陽光がわずかに差し込む海、漂う八式のコクピットの中で、恭司は馬鹿げた大きさのエイと対峙する。エイの眼球がギョロリと動き、八式を……恭司を見た。その感情の読めない目に見据えられた瞬間、彼の胸中にかつてない恐怖が湧き上がった。手が震え、歯が噛み合わずガチガチと音を立てた。
――――当然だ。人は本能的に、巨大なものに恐怖を覚える。
恭司もその例に漏れない。いくら八式を駆るアビスウォーカーであろうと、こんな巨大な化け物に敵う道理などあるはずがない。身体の芯から湧き上がる恐怖は、人として当然の反応だ。
恭司は震えながら自問する、『何故、自分はこんな化け物と戦えると思ったのか?』、『何故、自分はこんな怪獣に挑もうと思ったのか?』――――。
何か大切なものがスッポリと抜け落ちているような気がするが、八式のコクピットには彼一人だけ……その疑問に答えてくれるものは居ない。危機的状況とは裏腹に静まり返ったコクピットの中、恭司は違和感を覚えた。
今まで聞こえていたBGMがふと途切れてしまった時のような、そんな違和感。
子守歌が聞こえず、真夜中に目を覚ました子供が感じるような、そんな不安感。
恭司が不安と違和感の正体に気を取られている間に、巨大エイは大口を開け、ゾロリと生え揃った歯を誇示するようにして迫り…………。
そして、恭司の八式は巨大エイに飲み込まれた。
■ケロン直掩艦隊、ヘリ空母駿河、医務室
「ぁぁぁぁああああああ――――――ッ!!?」
自らの叫び声と共に恭司は跳ね起きた。荒い息に肩を上下させながら周囲を見回すと、カーテンで仕切られた狭い空間で、ベッドに寝かされていたらしいことが分かった。悪夢の所為か、寝間着替わりのTシャツが汗でべったりと身体に張り付き、その感触が酷く不快だ。
『はぁはぁ』と息を整えていると、誰かの足音が近づいて来る。そして、周囲を囲むカーテンの一画が開かれ、白衣姿の中村医官が顔を見せた。見慣れた顔の登場で、恭司は自分のいる場所が駿河の医務室である事を理解する。中村医官は驚きに目を見開いていた。
「いきなり叫ぶからびっくりしたわよ。夢でも見た?」
そう言いながら中村医官はベッドの傍らに立ち、恭司の顔を覗き込んだ。
「大分汗をかいてるわね、水でも飲む?」
水差しを取りに行こうと背を向ける医官に、恭司は声をかける。
「あ、あの! 俺……いや、自分は何で医務室に……?」
駿河に収容された後、気絶したイヴを抱えて何とか八式から這い出したところまでは覚えていたが、そこで恭司の記憶は途切れている。
中村医官は足を止め、恭司を振り返った。
「君は八式から降りた後、倒れるようにして寝ちゃったのよ。酷く疲れているようだったから、ここに運んで栄養剤を点滴したの。ちなみに今は現地時間夜10時、イヴちゃんは隣のベッドで寝てるわ。水を持ってくるから大人しくしてなさい」
そう言い残すと、中村医官は今度こそカーテンの向こうに姿を消した。
恭司は中村医官が消えた方と反対のカーテンを見る。その向こうからは微かに人の気配が感じられた。恐らくイヴの寝息だろう、少なくとも恭司のように悪夢にうなされる事なく、穏やかに眠っているようだ。
そこまで考えを巡らせ、恭司は頭を抱えた。
イヴが恭司を水深400メートルまで泳いで追って来たなどと、どうやって説明すればいいのか?
素潜りの世界記録は水深120メートル程だ、イヴはその3倍以上の記録を叩き出したことになる。そもそも、生身で400メートルも潜れば、内臓器官がダメージを負って死に至るだろう。
――――いや、そんな事は些細な問題に過ぎない。
イヴは人間ではない。八式のコクピットの中で恭司の腕に納まっていた彼女にはヒレが生え、水かきが出来、まるで半魚人や人魚といった様相だった。その後、巨大エイが逃げるとともにイヴは意識を失い、『異形の部分』は風化するように崩れ落ち、イヴは人間の姿に戻った。
それこそどうやって説明すれば良いのだろうか? ありのまま報告すれば、戦闘による極度の精神的疲労で心的外傷後ストレス障害……PTSDを発症したと思われるのがオチだ。
『それに――』と、恭司はカーテンに……イヴが寝ている方に視線を向ける。
ついさっき見た悪夢、その中で自身に問いかけた疑問を思い出す。『何故、自分はこんな怪獣に挑もうと思ったのか?』……。
今思い出しても手が震える、あの巨大エイは人間が挑んで良い相手ではない。ヤツがテロリストのDSMVを喰った時点で、恥も外聞も投げ出して逃げ出すべきだったのだ。
それなのに、自分は巨大エイと戦う事を選んだ。
恭司はごくごく普通の人間だ。映画に出てくるヒーローでも、お伽話の騎士でもない。ただの海上自衛官……国家公務員だ。任務の為、危地に赴く覚悟はあれど、常軌を逸した化け物と戦うような度胸は持ち合わせていない。
そもそも恭司が自衛官の道を選んだのは、家計を支える為だ。
世界的に資源不足が深刻化する昨今、どこもかしこも不景気な話題には事欠かない。恭司の実家は地方の農家だ、資源不足のあおりを受け食料価格も上昇傾向だが、電気ガス水道、その他農業に必要な諸々の道具も軒並み値上がりしている状態で、生活は厳しい。
そんな折、防衛大学校の奨学金と、卒業後の自衛官としての給料(特に海上自衛官として海外派遣任務に従事した際の手当てを含んだ給金)は魅力的だった。
その為、彼はガラでもない試験勉強を必死でこなし、何とかギリギリで防大に合格したのだ。
恭司には『家族』という死ねない理由がある。いや、それは誰しも同じだ。言い方を変えれば、彼は『死にたがり』ではない。
それなのに、恭司は勝ち目のない戦いに挑んだ。巨大エイに立ち向かった。
イヴの歌を聴いたからだ――――――。
そう、恭司は思う。化け物クラゲの時も巨大エイの時も、イヴが歌うと彼の身体に、そして化け物共に変化が起きた。
化け物共は動きが緩慢になり、恭司の感覚は研ぎ澄まされ、恐怖や不安が払拭された。そして、化け物と戦う勇気と闘争心が湧き上がったのだ。
……まるで、向精神薬を服用したか、洗脳でもされたかのような極端なメンタルの変化。
そして、異形の姿を晒し『化け物と戦え』と語る褐色の少女。
恭司の心中に、イヴに対する疑念が頭をもたげる。
彼女はいったい何者なのか? あの化け物共との関係は? 人間ではない彼女は、恭司の……人間の味方なのか? 或いは敵なのか?
いくつもの疑問がグルグルと彼の頭の中をめぐり始め……その思考はカーテンが開く音で中断された。
「はい、水を持って来たわよ」
そう言いながら再び姿を現した中村医官は、右手に持っていたコップを恭司に差し出し、彼がそれを受け取ると、左手に持った水差しから水を注いだ。
恭司は軽く頭を下げ、コップの水を一気にあおった。自覚は無かったが相当に喉が渇いていたのだろう、喉を通った水が文字通り、五臓六腑に染み渡るように感じた。
「艦長が海中であった出来事を詳しく聞きたいと言っているけれど……まだ疲れてるようね。今はゆっくり休みなさい。私はすぐそこにいるから、何かあればすぐ呼びなさい」
中村医官は、まるで我が子に語り掛けるようにそう言うと、恭司の手から空のコップを受け取ると、再びカーテンの向こうに姿を消した。
中村医官の言う通り、まだ身体が休息を欲しているのか……再び恭司の瞼は重くなり、程なく彼の意識は眠りの中に落ちていった。




