第18話 動き始める者達
■ケロン直掩艦隊旗艦、空母エンタープライズ、戦闘群司令部指揮所
「不明生物、東南東へ転進! 作戦区域を離れますッ!」
「03DSCV小隊より、海底に残置したテロリストのDSMV収容要請!」
TFCC内にクルーの声が響く、それと同時に室内に張り詰めていた緊迫した空気が緩んだ。テロリストを制圧し、巨大エイが逃走した事で戦闘は終了した。
ウェルズ司令も安堵の息を吐きながら、近くのクルーに声をかけた。
「あの化け物の航行音は記録しているな? 可能な所までで構わん、無人機を出してヤツを追跡しろ! 01DSCV小隊を出してテロリストを引き揚げ、急げ!」
命じられたクルーは即座に格納庫、飛行甲板の各部署に01小隊及びUAV発艦の指令を伝える。程なくして、01小隊のハンマーヘッドが海中に投下され、対潜ソナーを搭載したUAVが轟音と共に飛び立った。
メインモニターに映る発艦の様子を見届けたウェルズ司令は、傍らに立つマッケンジー補佐官に顔を向けた。
「戦闘は終了です、本艦隊は引き続き周囲の警戒にあたります。補佐官はいかがされますか?」
マッケンジー補佐官はコクリと頷くと口を開いた。
「司令、艦長、そしてクルーの諸君、ご苦労だった。この艦隊の力量、確かに見せてもらった。私はこれよりワシントンに戻り、関係各所とあの化け物への対策を協議せねばならん。そして、これはまだ私個人の考えだが……あの化け物を『駆除』する任務を君達に任せたいと考えている」
補佐官の言葉に、TFCC内のクルー達が僅かにざわめく。しかし、ウェルズ司令とジョンソン艦長は『やはり』といった表情を浮かべた。
「どうやら想定していたようだな?」
マッケンジー補佐官が方眉を軽く吊り上げつつ2人に問う。ウェルズ司令は帽子を被り直しながら答える。
「甲板で『君達の力を見せてもらう』と言われた時に、こうなるのでは……と」
そう答えるウェルズ司令の隣で、ジョンソン艦長が渋い表情を浮かべた。
「確かに予想はしていましたし、我々は軍人です。命令とあれば従いますが……一つ問題があります」
「ニホン隊の事だな?」
マッケンジー補佐官は即座に言葉を返した。ジョンソン艦長は首肯しながら再度答える。
「ケロン直掩艦隊は我が国が主導する環太平洋条約機構軍に出向している扱いです。我々米海軍第11空母打撃群にとって作戦の転換は特に問題ありませんが、ニホン隊は……」
このケロン直掩艦隊は日米合同艦隊だ、そしてニホン隊は米第11空母打撃群の指揮下に入っている訳だが、これはあくまでケロン防衛任務に関しての措置であり、任務内容に変更があれば話は違って来る。
老紳士は首肯した。
「分かっている。まずは米政府内の意思統一、そして外交ルートでニホン政府に任務内容の変更を申し入れよう。容易ではないが、可及的速やかに実現するよう全力を尽くす」
補佐官はそこで一旦言葉を切り、軽く笑いながら言葉を続けた。
「慌ただしくてすまないが、私はDCに戻る。太平洋艦隊司令部になるべく大きくてくつろげる飛行機を用意するよう伝えてくれないか? せめて移動の間は休んでおきたいからな」
「了解しました! フライトデッキまでお送りします」
ウェルズ司令とジョンソン艦長、そしてTFCCのクルー達は一斉に、見事な敬礼で応えた。
■ケロン直掩艦隊、ヘリ空母駿河、戦闘指揮所
「第2戦闘艇小隊、並びにDSMVのコクピットの収容完了しました。搭乗していたテロリストは身柄を拘束し、現在保安隊の監視下にあります」
戦闘が終了し、木崎副長が現状を報告する。津川艦長は軽く頷きながらその報告を静かに聞いている。
「第2小隊は023が中破、左腕をパージしています。真道少尉と同乗していた民間人の少女に怪我はありませんが、両者共にひどく疲労しており、中村医官が治療に当たっています。我が方の被害は以上です……巨大エイの乱入という不測の事態があったものの、この程度の被害で済んだのは幸運でした」
副長が報告を終えると、津川艦長はおもむろに口を開く。
「確かに今回は軽微な被害で済んだ。しかし、あの化け物はDSMVを……人間を喰った。クマでもイノシシでも、一度人を喰った獣はその後繰り返し人を襲うようになる。早々に手をうたないと、甚大な被害が出るぞ」
艦長の言葉に、木崎副長は困惑の表情を浮かべながらも首を縦に振った。
「それは……確かにそうですが、我々の任務はケロンの防衛です。ここを離れるわけにはいきません」
「ああ、もちろんだ。私とて任務を放り出す気も、指揮系統を蔑ろにするつもりも無い。現実、早急に対策をとるよう意見具申する位だな……。情けない話ではあるが」
そう語る老船乗りに、木崎副長は『いえ、そんな事は……』と言葉をかけた。それと同時に、クルーの一人が声をあげた。
「エンタープライズよりマッケンジー補佐官を乗せたオスプレイが発艦しました。ダニエル・K・イノウエ国際空港に向かいます。それと……エンタープライズのウェルズ司令より電文です」
報告の後、艦長席のディスプレイにその電文が表示された。英文のメールだが、長く艦上生活を送り、海外派遣の経験も豊富な津川艦長は問題なくその文面を読み進める。そして、メールを読み終わった津川艦長は椅子に深く背を預け、『ふぅ』とひとつ息を吐いた。
「米軍さんには随分と気を遣わせてしまっているな」
「電文には何と?」
電文の内容を問う木崎副長。
「マッケンジー大統領補佐官は、我々ケロン直掩艦隊にあの化け物の追跡、駆除任務を任せる意向だそうだ。外交ルートを通して日本政府にその旨を申し入れると言っている。……やはり米軍さんは、いや、アメリカさんは初動が早いな」
そう言って、津川艦長は肩を竦めた。
■洋上移動拠点ケロン、スクリップス海洋研究所ケロン支部
薄暗い研究所の一室で研究員のローザ・アニングは一つの水槽と向き合っていた。
水槽に映り込む彼女の顔は酷い有様だ。テロリストの襲撃、そしてクラゲの化け物……A・Wの発見以降、今日まで碌に寝ていない。そのため、彼女の眼の下には濃いクマが出来上がっていた。肌も荒れ、金色のミディアムヘアもボサボサだ。
だが、この実験が成功すれば、その苦労も報われる。
ローザの正面に在るのは全高3メートル程の水槽。『A・W-1』……クラゲの化け物から採取した僅かな細胞片、そこから成長した歪なヒトガタが収められた水槽だ。
彼女は手元にあるパネルを操作する。すると、密閉された水槽の上部から一本のロボットアームが伸びてくる。そのアームには半透明のチューブが巻き付いており、アームの先端にある注射器に繋がっていた。
そのアームは流れるような動きでヒトガタに注射針を刺す。そしてチューブの中の『ある液体』がヒトガタの体内に注入されてゆく。
すると、今まで無反応だったヒトガタがビクビクと震え出す。更に頭部の巨大な眼球を真っ赤に充血させ、まるで悪魔にとり憑かれたかのように暴れ出した。
ローザの頬に一筋の汗が伝い落ちる。悪夢のような光景に目を背けたくなるが、研究者としての矜持が勝った。
睨むようなローザの視線を受けながら、ヒトガタは動きを止めた。全身の血管が破裂したのか、水槽内は赤黒く染まり始めている。
手元のパネルに表示された『サンプル死亡』の文字を確認し、ローザは頬を伝う汗を拭った。