夜空
《グランブール》に空戦用装備四式が装着された様子を見て、ローセンダールやザミーンの、つまりはこの世界の人々が受けた印象は、ほとんど同じだったかもしれない。
(これは……少し見た目が……)
まず、極めて大きなバックパックは、何となく甲羅を背負っているようでもある。
肩や胸、腹や腰回りにもゴテゴテとした装備があり、篝火の中に屹立するそのシルエットは、お世辞にもスマートとは言い難い。
シンゴの世界の感覚で言えば、パラシュートを始めとする各種装備を身につけた空挺部隊の降下兵を連想したであろう。
しかし、巨大な甲冑といった趣のある魔装機甲兵を見慣れた人々の感覚には、よほどそぐわないものがあったようだ。
シンゴが再び飛翔する機体に搭乗すると聞いた、ヘルツェンから来た兵士の中には、明らかに失望の表情を浮かべる者もいた。
スマートでシャープな印象のある《ファーブネル》に比べると、戦闘に不向きな、奇異かつ珍妙な格好に見えたようだ。
(あの銀色の機体の替わりにこの機体を、という提案を断って正解でした)
(う、ううむ……これは……)
青年書記官は、心の中で自身の判断が正しかった事を確認して安堵の息をついていたし、《ファーブネル》に散々煮え湯を飲まされた氷姫は、その冷ややかな美貌の下に、複雑な表情があけすけに見えたようでもあった。
「本当に、これで飛べるのか?」
ヴァルマーに至っては、あっさりと疑念を口にして首を傾げており、バウフマンも訝しげな表情を隠さない。
風の魔法で飛翔する飛行型魔装機甲兵は、機体の重量を軽減する為にスマートなフォルムの筐体が採用されるのが一般的だ。
それに比べると、今の《グランブール》は陸戦用の重装備に近いものがある。
ただ、四式と呼ばれるこの空戦装備が、もっとも機動性に劣るのは事実ではある。
《グランブール》の、壱式から参式までの、つまり、対空、対地、対艦用の各空戦装備は、パイロンやハードポイントが異なるだけの同一互換フレームであり、そちらはジェットパックを背負う形態の、おそらくはこの異世界の人々から見ても、飛行型に相応しいデザインだっただろう。
この四式だけが、フレームから何から、完全に異なる構造になっている。
「ゴテゴテしているのは、戦闘用以外の装備もあるからなんだけどなぁ」
ローセンダールの人々が向ける、失望と疑念の視線を感じたシンゴは、そうぼやきながら《グランブール》のスピーカーのスィッチを入れた。
「上昇する。吹き飛ばされたくなければ、下がっていろ」
外部スピーカから注意を促しつつ、プローブをいくつか放出する。
周囲の人々が安全圏に下がったと見て取ると、液晶ディスプレイに表示された、タッチパネルとなっている空戦四式装備のコンソールを操作し、メインローターの起動スイッチを入れた。
背中のバックパックが補助アームによって、《グランブール》の頭上までゆっくりと上がる。
そして、そこから4本の長大なブレードが展開し、次いで力強く回転を始めた。
その回転はすぐさま勢いを増して行き、瞬時にして膨大な大気を下方に向けて叩き付けた。
下がっていたおかげで、身体を吹き飛ばされた人々はいなかったが、強風下には不向きな服装をしていたザミーン帝国の女性陣は、残らず捲れ上がった姿をさらす事になった。
もっとも、夜間でもあり、ほとんどが強風に眼を覆っていた為、その光景をまともに目撃した人物は居ない筈だ。
例外は暗視モードのプローブ越しに、映像をモニタしていたシンゴだけである。
「まぁ、俺も見られたから、お互い様だな。……にしても、いくらこっちが暑いからって下着はちゃんとつけようよ」
左モニタに作成したウィンドウに映った、夜間補正済みの鮮明な動画ファイルがグレート・ストレージのサーバに転送されるのを確認しながら、シンゴはすました表情で言った。
時を置かずして、メインローターが発生する揚力が《グランブール》を緩やかに上昇させる。
高速ヘリ形態の《グランブール・フライヤー・タイプⅣ》が離陸した瞬間だった。
この頃になって、メインローターの轟音を聞き、上昇する機体を目撃したらしい他国陣地の人々がローセンダールの陣地に集まってきているのが眼下に見える。
こちらを指さし、ローセンダールの兵士達にしきりに何かを問いかけているようだ。
魔装機甲兵を始めとした、全ての魔導機器が動かない中にあって、まったく影響を受けていないBMRが驚愕と疑念の対象である事は想像に難くない。
ついには小競り合いになったところもあるようだが、ヴァルマーとバウフマンがそちらに向かっているのを確認すると、シンゴは艦隊を救援すべく《グランブール・フライヤー・タイプⅣ》を発進させた。
◇
僚艦が次々と沈んでいくのを見て、目の前の少年兵は腰を抜かしたようだ。
確かに、ここまで一方的にやられる状況は、歴戦の船乗りでもあるガルシアにとっても初めてである。
許されるものであれば、同様に腰を抜かして頭を抱え込みたい気分だった。
だが、内心の怯えをおくびにも出さずに、ガルシアは初陣であろう少年兵を怒鳴りつけた。
「ばかやろう。死にたくなけりゃ、しっかりしろ」
「で、でも……」
「いいか、爆発したのは警戒の為に魔装機器が活性化していた一隻だけだ。他は、ただ浸水してやられちまっている。つまり、敵は船底に穴を開ける以外に能がねぇって事だ。厄介な相手だが、恐れる必要はねぇ。船が沈み出したら、木ぎれににでも掴まって泳げば良いんだ。この辺りにゃ鮫の類いはいねぇ筈だ」
「は……はい」
艦内きっての強面で知られるガルシアへの畏怖が、見えない敵に対する恐怖を上回ったようで、少年兵はようやく立ち上がった。
ひとつには、いざとなったら泳いで逃げれば良いと言う選択肢が示された事で、余裕が出てきたのかもしれない。
そこまでを確認したガルシアは、甲板にいる他の水兵達を見回して釘を刺した。
「いいか、お前ら。だからと言って、沈んでもいねぇ、この船から逃げ出したら、この俺がただじゃおかないからな。今、俺たちがやるこたぁ、自分の目と耳で水の中を進んでくる敵を見つける事だ」
それを聞いた水兵の一人がおずおずと手を挙げた。
「ん? 何だ? 言って見ろ」
「そ、その……敵を見つけたら、どうすれば……」
「どうするって? まぁ、魔導兵器の類いは封印されたままだから使えねぇわな」
「そ、それじゃあ……」
「お前、魔導兵器が無きゃ喧嘩もできねぇのか? 自分の目と耳で見つけたら、次は自分の腕でやってやるのさ」
「その……自分の腕?」
「別に直接ぶん殴れとは言わねぇよ。やりたきゃ止めるつもりもねぇけどな。いいか、水の中にいる敵は、言ってみりゃ、それこそ大きな鮫と同じようなもんさ。だったら、銛を打ち込んでやれ」
《ケト》を直接目撃したわけでも無いガルシアにとって、自分の比喩が正鵠を射たものであった事までは、この時点で知る由も無い。
だが、それを聞いて、男達は呆気に取られたようだった。
「へ? 銛……ですか」
「相手に通るかどうかはわからねぇ。だが、俺たちは軍人だ。兵器が使えなくても、無抵抗のままでいる必要はねえ。そうだろう?」
ガルシアの鼓舞が効いたか、あるいは、やけになったのかもしれないが、クレベナ王国所属の中型艦であるミルカ号の乗員達は、各々銛を手にして、ある者は海面に眼をこらし、ある者は耳に手を当てて何かを探るふうであった。
だが、折悪しく、二つの月が雲に隠れてしまった為に、夜の海ではほとんど見通しがきかず、耳をすましても聞こえるのは、波の音と、遙か彼方で沈む僚艦に乗っていたと思しき人々のきれぎれの悲鳴や助けを求める声だけである。
救助に行きたくても、動力そのものが封印されたままである為、碇を上げる事すらできない。
呆れたことに、固定された救命艇を解除する機構すら封印の対象となっている。
ぜいぜい、ありったけの浮きを投げ入れる事しかできないが、この闇の中では、波間を漂う人々には見つける事も難しい筈だ。
全ての操作が魔道具で作成されたと言う最新鋭の艦だったが、クレベナ王国は、今後、艦艇の設計方針を見直す必要に迫られる事になるだろう。
ともあれ、艦長を始めとする上級船員は、封印を解除すべく必死で努力している。
敵の襲撃があったら、真っ先にやられる、炉が設置された船底でだ。
ならば、甲板にいる一般の水兵はできる事をやるまでだった。
ガルシアも、その両腕に、一本ずつの銛を握り、海面を睨みつけた。
ふと、視界の隅に何かを感じて顔を上げた。
そして、夜目の利くガルシアは、一番近くの僚艦であるティニア号の手前で、巨大な何かが跳ねるのを見てしまった。
そいつは、跳ね上がった勢いでティニア号の甲板に上がり、その巨体をのたうたせて、頭部にある巨大な角を振り回した。
ミルカ号と同じく、甲板に上がっていたティニア号の乗員達が次々にやられていく。
夜の中では、彼らが黒い塊と化していくようにしか見えなかったが、昼間であったら、凄まじく陰惨な光景となったであろう。
それと同時に、ティニア号の周囲が大きく泡だった。
おそらく、別のやつに船底を破られたに違い無い。
沈み始めたティニア号の甲板から、大きく身をくねらせて飛び出したそいつは、今度はガルシアの乗るミルカ号へと向かって来たようだった。
「野郎ども、こっちから来るぞ!」
絶望的な状況だったが、恐怖より怒りが勝っていた。
ティニア号にはガルシアの友人が水兵として乗船していた筈なのだ。
片方の銛を放り投げ、残る一本を抱えるように構える。
そして、ティニア号の乗組員を蹂躙したそいつが水面に現れたら、この身体ごと渾身の力を込めて突き立ててやると海面を睨みつけた。
他の乗組員の男達も銛を構えて、ガルシアの横に並ぶ。
(ここか!)
タイミングを測っていたガルシアは、突撃に備えて全身に力を込める。
だが、その予測を裏切り、目の前の海面は静かなままであった。
不意に何かを感じ、振り向いたガルシアの眼に映ったものは、反対側から跳ね上がる、魚竜のような敵の姿だった。
その真正面には、さきほどの少年兵が立ちすくんでいた。
「しまった!」
歯がみして、ガルシアが身体の向きを変えた、その瞬間。
背後の上空から、とてつもない速度で何かが飛来し、甲板に触れる寸前だったそいつの頭部を砕きながら海面に叩き落とした。
いったい何事が生じたのかわからず、呆然となったガルシアの耳に、聞いた事も無い轟音が響いてきた。
慌てて振り向くと、夜空の向こうから、その轟音とともに浮遊するものが近づいてくる。
どうやら、「それ」が先ほどの魚竜らしき敵を粉砕したのだろう。
だとすれば、味方の筈だが、第二軍を構成する国家に飛行型の魔道兵器は無い筈だ。
「いったい、何が来たんです?」
傍らの乗組員の男がガルシアに尋ねるが、それはガルシアの方が訊きたい話である。
不意に、「それ」が何かを上方に放ったかと思われた。
次の瞬間、周囲が真昼のように明るくなる。
どうやら、照明弾か何かを打ち上げたようだ。
しかし、これほどまでに眩い照明弾は初めてである。
ガルシアは、強烈な輝きに目を覆いながらも好奇心には勝てず、指の隙間から眼を細めて「それ」を見上げた。
「何だ? ありゃあ」
人型をしているから魔装機甲兵であろうか。
だが「それ」は、ガルシアの知る、どの魔装機甲兵とも異なる意匠だった。
回転翼ユニットに吊り下げられた、巨大な降下兵と言った趣の《グランブール・フライヤー・タイプⅣ》は、クレベナの人々の注視を浴びながら、明るくなった海面上をホバリングしていた。
そのコクピットで、シンゴは思わず眉をひそめた。
明るくなった眼下の光景は、クレベナ艦隊の被った惨状を露わにもしていたのだった。
「だいぶ被害を受けているな」
この海域に停泊していたクレベナ所属の艦艇は、およそ半分がやられているようだ。
海中を漂流する人々も少なくない。
発進シークエンスへの影響が皆無の、余計な「お宝」動画データ収集作業についてはともかく、その前段階での装備換装に手間取った点については悔やむところはある。
だが、今回のミッションには、この空戦四式がベストとの判断に迷いは無い。
気持ちを切り替えて、シンゴは《グランブール》の腰周りに設置した救助用パックから、海上に落ちた衝撃で自動的に膨らむ救命ゴムボートを広範囲に投下する。
この救助用パックは、空戦四式で無くては装備できないものの一つだ。
そして、同様に四式固有の装備である、探照灯ユニットをもう一基射出した。
ジャイロで浮遊する探照灯ユニットの放つ、広範囲照射に設定され、魔道具の放つ灯りなど比較にならないほどの輝きが、この海域の闇を完全に払拭した。
『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』における夜戦ステージで使用されるこのアイテムは、スターライトスコープを装備した機体への目潰しを兼ねているのだが、そもそも「夜戦」の意味が無くなるほどの輝度は、さすがにやり過ぎではないかと不評である。
だが、この局面では非常にありがたい性能だった。
明るく照らされた海を漂う人々は、シンゴが投下した救命ゴムボートを始め、近くの浮遊物を見つける事ができたらしく、ようやく手近なそれに辿り着いて一息ついているようだ。
無事な艦艇にいる乗員も我に返った様子で、命綱を身体に巻いた人員が次々に海に飛び込み、それらの人々を救助に当たっている。
艦艇の損害はともかく、人的被害は最小限に抑えられたのかもしれない。
シンゴは安堵の念と共に、先ほど《ケト》に襲われそうだった艦艇に眼をやった。
咄嗟に左肩装備の八ミリ旋回機銃を単射モードに切り替えて狙撃したのだが、これは、本来は対BMR戦における近接戦闘での牽制用の装備だ。
無論、こんなものを何発撃っても、BMRの装甲は貫くことはできず、精々メインカメラを潰す程度の成果しか上げられないが、あの鮫とも魚竜ともつかぬ機体には有効だったようだ。
連射により弾丸をばらまく事を前提とした機銃で、艦艇や乗員に被害を与える事無く一発で撃破したのは、狙撃スキルのパラメータをカンストさせたシンゴならではの妙技だっただろう。
ともあれ、シンゴが危機一髪で救ったその艦艇、及び、乗員は無事だったようだ。
先ほどまで、その甲板上の乗組員達は、こちらを指さして何かを叫んでいたり惚けていたりしたようだが、一人の人物に一喝されたと見るや、慌てたように他の艦船同様に、命綱を結わえて、次々に海に飛び込んでいった。
(うわ、おっかなそうな姐さんだな)
彼らを怒鳴りつけたと見えた人物は、まだ若いと言って良い長身の女性だった。
その女性らしい豊かな曲線は、しかし、逞しいと言う印象の方が強い。
燃えるような赤い長髪を無造作に後ろに束ね、ホットパンツのようなボトムスに、袖無しのシャツをその豊かな胸元で縛る格好で身につけている。
おかげで、見事に割れている腹筋や、鍛え抜かれた二の腕や太腿が一目瞭然である。
グラシアナと言う本名よりも、女だてらにクレベナ海軍の名物甲板長ガルシアとして知られる彼女であるが、無論、シンゴがそれと知るはずも無い。
ただ、彼女が放つ、遠目からでもわかる男顔負けの迫力に、シンゴは強い印象を覚えたのである。
(よく見れば美人じゃん。ん~、ヘレーネがもう少し年長になって、もう少し筋肉質になったら、あんな感じになるかな?)
荒っぽい言動のようでいながら、時折の振る舞いに、近衛騎士団長の娘らしい育ちの良さを感じさせる茶髪の女戦士を連想し、シンゴは思わず苦笑した。
その時、その女性の向こうに見える海面下を、何か巨大なものが蠢いているのに気がつき、シンゴは表情を引き締めた。
(あれが、《ケト》ってやつか)
でかい鮫みたいだな、と言う感想を覚えつつ、シンゴは慎重に狙いを定め、連射に切り替えた八ミリ機銃のトリガーを絞った。
無論、被害が及ばない射線を取ったのだが、いきなりの発砲に、先ほどの女性は慌てて身を伏せていた。
『全弾命中を確認。ですが、水中では威力が減衰しますので、敵性オブジェクトに致命的な打撃を与えられません』
「別に機銃で仕留めるつもりはないさ。これ以上、艦船や漂流している人々にちょっかいをかけられない深さまで引っ込んでくれればいい」
チルの報告に対し、シンゴはあっさりと応えると、再びコンソールを操作した。
《グランブール・フライヤー・タイプⅣ》が一〇数メートルまで高度を下げ、ホバリングする。
そして、これも空戦四式に固有の装備であるMAD(磁気探知機)が吊下された。
一方、《ケト》の母艦たる 《ザハーグ》では一機が撃破されたのに続いて、もう一機が小破したとの報告に、指揮官が不機嫌な表情を隠せなかった。
「いったい、何をやっていやがる。六号を撃破したのがどの船か、まだわからんのか」
操っていた《ケト》を撃破された六号の操者は、言わば魔力の逆流を受けたせいか、気を失っていた。
無用な殺傷をした操者の処罰は後回しとして、まずは攻撃を仕掛けて来た相手を探らねばならない。
魔導兵器に対抗できるのは、やはり魔導兵器だけだ。
十三号が相撃ちの形で撃破した艦船以外に、魔導兵器を活性化させている船がいる筈だった。
だが、部下達からの回答は、はかばかしいものではなかった。
「魔導機関の反応がありやせん」
「こっちも探知できねぇです」
「ちくしょう、どこから攻撃してきやがった」
水中での高速機動に特化し、衝角のみを武装とする《ケト》と言う無人機に期待されているものは、じつのところ体当たりで敵艦船を撃破する事では無く、偵察と言う役割の比重が大きい。
従って、極めて優秀な各種情報の収集能力を与えられた機体であり、操者はそれら情報を解析する訓練を受けている筈だった。
だが、彼ら全機の「感覚」をもってして、攻撃を加えてくる敵の所在が掴めないとは、想定外の事態である。
いや、所在が掴めない事実こそが、逆に敵の所在を明らかにしているのではないだろうか。
指揮官の脳裏に一つの疑念が浮かぶ。
「まさか……敵は水に触れていないんじゃねぇか」
水の魔法の権化とも言うべき水中用魔導兵器、それも偵察用の機体が探知し得ぬ場所となれば、陸上か空中しかあり得ない。
そして、海原のただなかと言う状況を鑑みれば、結論は明らかである。
被害を受けた機体の記録を水晶板に表示させ、六号が海面に出た瞬間に撃破された事と、小破した機体が比較的浅い深度に居たと言う事実を確認した指揮官は低く唸った。
「くそったれめ。敵は飛行型の魔導兵器だ。第二軍のやつら、いつのまにそんなものを配備しやがった」
《ウンディーネ》であれば話は別だが、《ケト》は、攻撃は元より探知能力も水中専用である。
水に触れてさえいれば、例えば船の甲板上までなら知覚できるが、空に浮いているとなれば完全に《ケト》の圏外だ。
「全機、深度を取れ。矢弾か何かを携えた飛行型がいやがるぞ」
先ほど確認した状況から、そう結論づけた指揮官は、部下の操者達に回避を命じた。
「一〇ククトも潜ればどんな矢弾でも届かねぇ筈だ」
「ですが、その深度ですと、こっちも船に手出しができませんぜ」
部下の一人がそう問うと、指揮官はにやりと笑った。
「東大陸の飛行型がアホ面さげてクレベナ艦隊に張り付いている間に、クルクハン艦隊をやってやれ。飛行型が何機いるかは知らねぇが、海の中なら主導権はこちらにある」
そして、指揮官は座席に設置された水晶球に両手を当てた。
「飛行型の方は、この《ザハーグ》で片付けてやる」
特殊艦《ザハーグ》には遠距離からの攻撃能力が与えられている。
先行する《ケト》が敵艦の位置座標を探知し、そこに向けての、言わばアウトレンジから攻撃する戦術の検証も、実験部隊である第三潜水中隊に与えられた任務のひとつだ。
指揮官の魔力に応えて《ザハーグ》の魔導機関が唸り、その機体が全速で前進を開始した。
二〇機の《ケト》に曳航されたおかげで、後方にいる艦隊よりも先んじる事ができたわけだが、《ザハーグ》自身も優秀な高速艦としての性能を持っている。
同時に指揮官の指示に従い、深度をとった《ケト》の一群がクルクハン艦隊へと矛先を換える。
その《ケト》の操者である部下の数人が、不意に首を傾げたようだった。
それに気づいた様子の指揮官が声をかける。
「どうした?」
「前方で何かが海に入ったようです。しかし、なんだこりゃ? 銛のようだが、それにしてはでかいな」
時間は少し遡る。
《グランブール》のコクピットで、シンゴはディスプレイを眺めていた。
地磁気の乱れを解析したMAD(磁気探知機)が、そのデータに基づき、敵水中機の位置をディスプレイに表示させていた。
空戦四式の対潜戦哨戒能力は、それらが一斉に移動を開始するところも、ほぼリアルタイムで把握する事が可能だった。
『速度二百ノットに移行。スーパーキャビテーション並みの、極めて高速な機体です』
「ふうん。《グランブール》の水中装備よりも速いな。海戦型のあいつで、やっと同程度か。ただ、小回りがきくようだから、集団でかかられると不利だったかもな」
シンゴはチルの報告を聞きながら、自分の兵装選択が正しかった事を確信した。
いかに水中を高速で移動しようとも、三百ノット――時速にして五百キロを越える事のできる、高速ヘリ形態の《グランブール・フライヤー・タイプⅣ》には比類すべくも無い。
そもそも、抵抗の大きい水中にあっては、水の魔法の権化と言えども、空中を飛翔するスピードを凌駕するのは不可能である。
対潜用である空戦四式を装備した《グランブール》は、クレベナ艦隊からクルクハン艦隊へと殺到する《ケト》の群れをあっさりと追い抜き、その前方に回り込むと、両手で保持していたグレネードランチャーのような銃砲から、対潜魚雷《サイレンⅢ》を射出した。
《ケト》の操者達が察知したのが、この《サイレンⅢ》である。
空戦装備に搭載可能な小型軽量の魚雷だが、八ミリ機銃弾でも撃破可能な《ケト》ならば、充分過ぎるくらいの打撃力であろう。
MADから解析されたデータ諸元を入力された《サイレンⅢ》が、鮫に食らいつく鯱のように、群れの先頭を進む一機の《ケト》に真っ向からぶち当たった。
水中で炸裂した《サイレンⅢ》は、その一機を粉砕するに留まらず、発生させたバブルパルスによる衝撃波で、周囲にあった数機の《ケト》を撃破した。
「うがっ」
「ぐえぇ」
その凄まじい威力は、《ケト》の操者達にもフィードバックされたようだ。
《ザハーグ》の指揮管制室で、数人の部下が悶絶する様子を見て、指揮官が顔色を変えた。
「何だっ!? 何が起こった?」
「わかりま……うぎぃっ」
指揮官に報告しようとした操者の《ケト》も、《サイレンⅢ》の犠牲者に加わったようだった。
第三潜水中隊の指揮官は、わけも分からずに、目の前で部下達が次々と斃れて行くのを見ているしかなかった。
あまりの状況の変化に、彼の思考は一時的に停止したようだったが、不意にひとつの事実に気づいて愕然とした。
そう言えば、正体の分からぬ飛行型と思しき何かの出現が、そもそもの発端ではなかったか。
(まさか……これが、テレーゼ皇女麾下の《空魔》を撃破したと言う『銀狐』なのか?)
正体不明にして戦況を一変させた飛行型と言えば、ザミーン軍人にはそれ以外に思い浮かばない。
彼は逡巡する事無く、通信の魔導器でもって、後方にいる本隊へと緊急信号を送信した。
「我『銀狐』出現と認む。速やかに対処されたし」
◇
西大陸のアムラ軍港を発した《リヴァイアサン》の艦橋で、その連絡を受領した魔導士が司令官に報告する。
「閣下。第三潜水中隊よりの緊急連絡です。かの『銀狐』が出現したと」
その呼称を耳にした艦橋にいるザミーン軍人達が一斉に息を呑んだ。
ついに、猛将テレーゼ皇女率いる空軍第七降下部隊と、そして《空魔》までも壊滅させた相手が現れたと言うのだ。
さすがに怯える者は居なかったが、緊張の面持ちとなるのは当然であっただろう。
唯一の例外が、司令官席にいる人物だった。
椅子に座らず、行儀悪くデスクの上に腰掛けているのは、その地位にあるのが何かの間違いではないかと思える、少年とも言って良い若者だった。
「ふふん、『銀狐』か。確か、FV‐14S《ファーブネル》だったな。俺の《ジェルダ》なら、ここらからでも一発で撃墜できるところなんだが……」
ザミーン艦隊の提督服をだらしなく着崩した若者は、そこで嘆くような声を出した。
「ちくしょう。俺の愛機が、オーバーホールの真っ最中でなけりゃあな」
『訂正を求めます。ユーザのFK‐22は、数時間前から出撃可能状態となっています』
若者の言を即座に否定したのは、彼の右腕にある、見慣れぬ形状の機器から聞こえる感情の無い女性の声だった。
「黙ってろ、マリア。そう言うシチュエーションなんだ」
『理解不能。ユーザの兵装選択は不合理です』
「人工知能にゃ、自己縛りの醍醐味がわからないかなぁ。第一、あっさり撃破したら、つまらないだろ。対BMR戦で、この世界の兵器でどこまでやれるかってのが、今回のミッションなんだ」
『BMRを使用しないミッションとの主旨は理解しました。ですが、当該形態のミッションは登録されていません』
「ん~、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』は基本が対戦ゲームだからなぁ。戦略シミュレーション的なものを求めるのが無理か」
ぼやくように言う若者に、今度は参謀の肩章をつけた、これはいかにもな雰囲気の軍人が進言する。
「閣下。この緊急連絡にはどう対処しましょう」
「あー。《シルフィード》だっけ。そっちの準備はどうなっている」
「三百機全機が準備を整えております。ご命令があり次第、直ちに出撃可能です」
「ふ~ん。それで、転送させた《ダークノーム》の方は?」
「我らが仕掛けた闇魔法が、現在も活性化している事を確認しております。直ちに、シルフィード級で総攻撃をかければ、ろくな抵抗もできますまい。あ、いや、『銀狐』に関しては閣下のお力をもって……」
「つまらん」
「は?」
その参謀は、司令官席のデスクに座り込んでいる若者の言ったことが理解できかねた様子であった。
「多少は抵抗してくれないと、面白く無い。あー、間諜の報告ではローセンダールの白薔薇姫が現地に向かっているんだったな」
「は……あ、ええ、その通りです。かのフランチェスカ巫女姫ならば、あるいは、闇魔法に対抗できる手段をもたらすやもしれません。ですから、その前に……」
「よし。せっかく、お姫様が頑張ろうと言うんだ。そのフランチェスカちゃんが何かの結果を出すまで、待ってあげよう」
「か……閣下!?」
「なんだ? 文句でもあるのか」
不意に。
それまで無邪気とも言える様子だった若者の顔に、凶暴な何かが宿ったようだった。
参謀を始めとして、艦橋にいる人々の顔面が蒼白になる。
かの『銀狐』出現の報にも怯む事の無かった武人達が、一様に恐れの表情を隠せ無いでいた。
「い、いえ、滅相も無い。閣下の仰せの通りに……」
『戦略シミュレーションについては理解していますが、ユーザの指示は戦略の定義に矛盾しているものと判断します』
その場を救ったのは、唐突に放たれた感情の無い女性の声だった。
「ん~。有利な状況をつくるのが戦略だっけ。言われて見れば、その通りだな。こりゃ一本とられたか」
凶暴な雰囲気をあっさりと消散させて、若者は額を叩いて見せた。
「だけど、ゲームは楽しまなくちゃなぁ」
《海魔》を始め、大小合わせて五十隻以上で編成された大艦隊。
膨大な人員を含めたそれらの艦船や魔導兵器も、統率する筈の若者にとっては、単なる遊び道具以外の何ものでも無いと言うのが明白であった。




