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沈黙

 ゴールデン街。

 東京都新宿にある飲食店が軒を連ねる、その一角。

 初老のマスターが一人で切り盛りしている十人も入ればいっぱいと言う、その小さなバーのような拵えの店は、しかし、意外に豊富な酒類の品揃えと店主が中々に料理上手なこともあって、多くの常連客を抱えており、知る人ぞ知ると言う穴場でもあった。

 今も馴染みの客らしい男がドアを開け、カウンターまで満席なのを見て取ると、残念そうな苦笑いを浮かべ、済まなそうに頭を下げるマスターに手を振って大人しく去って行く。

 あまりタチの悪い輩が立ち寄らないのは、マスターの人柄、人徳のせいだろうか。


「いやいや。あのマスター、今でこそ人当たりの良いおじ様って感じだが、若い頃はヤバイ業界で名を知られた強者だったらしいぜ」


 などと、ひそひそと話始めたのは、奥まったテーブルに座っている、会社帰りらしい三人の男女の中で、もっとも年嵩……と、言っても三十になるかならないかと言う年齢の男だった。


「今でも、ここいらを仕切っている、その筋の大親分とも懇意らしいからなぁ。だから、その手の連中は近寄らないって話だ」

「ふ~ん」


 そんな話を聞いているのか聞いていないのか、もっとも年の若い、二十歳そこそこと見えるおとなしそうな青年が、アルコール成分抜きのウーロンハイ、つまりは、ただのウーロン茶の入ったグラスを舐めるように口に運んでいる。

 その一方で、グラスの中身を、まるで水か何かのように飲み干して「くわ~っ、きく~」などと言っているのは、二十代半ばと見える若い女だった。

 化粧っ気は皆無だが、小麦色の肌は健康美の塊と言って良く、顔立ちも美人の部類に入るだろう。

 彼女の前にある酒瓶は封を切ったばかりのようだが、既に半分以上が無くなっていた。

 ラベルには度数の強さで有名なラム酒の名前がある。

 その酒瓶を掴み、空になったグラスにドバドバとお代わりを継ぎ足しながら、女がご機嫌な様子で言った。


「ふふん、課長も渋いところを知っているわよねぇ。あのマスターも渋くて素敵だわ」

「ボク、いつものメイド喫茶が良かったな~」

「あのね、あたしは飲みに行こうって言ったのよ。飲みに行くって事は、普通、酒場って決まっているでしょ」


 まぁ、メイド(?)の居る酒場も無いでは無いが、若い女性が訪れる店としては妥当性を欠くかもしれない。


「ボク、お酒飲めないもん」

「その語尾は改めなさいって、何回言ったらわかるのよ!」


 顔色は変わらないが、それなりに酔いが回っているようで、女の言動が荒々しいものになる。


「まぁまぁ。薫ちゃんも落ち着いて。ここでは喧嘩は御法度なんだから」


 年嵩の男が女を宥めにかかる。


「薫ちゃん?」

「あー、金森チーフ。ここはひとつ落ち着いて……」


 女……金森薫かなもり・かおるの不機嫌そうな声に、年嵩の男が慌てたように言い直す。

 そして、ウーロン茶のグラスを抱え込むようにした青年の方に窘めるような表情を向ける。


「桐村君も誘いに応じたんだから、それなりに振る舞ったらどうかね」

「別に応じてないもん。金森さんに無理矢理に引っ張ってこられたんだもん」


 まったく空気を読まない、桐村と呼ばれた青年の応答に、薫の整った眉が吊り上がる。

 険悪になりかけた雰囲気を何とかしようと、上司である彼……九之池充くのいけ・みつるは自分のグラスを掲げて、二人をこのバーに誘った主旨を口にした。


「あー、ともかく、無事に納期に間に合った事に乾杯しよう。オンラインゲーム用の戦闘ロボットデザインとはいえ、カーソリスの発注条件は厳しいものがあったが、二人とも、よく、その基準をクリアしてくれた」


 その男の言葉に、先に反応したのは桐村の方だった。


「戦闘ロボットには違い無いけど、BMRって言った方がいいよ」


 薫と呼ばれた若い女も青年に乗っかるように充の言葉を一部訂正する。


「受注したのはデザインと各種データ、及び、謎解きの仕込み。言葉は正確にね」


 そして、それが引き金になったのか、桐村と薫は険悪になりかけた先ほどの一幕も忘れたように、その話で盛り上がっていった。


「BMRの仕様書、今までの五、六機分くらいのデータ量じゃなかった?」

「ん~、いつもだったら、デザインジェネレータ任せで済むけど、あそこまでくるとね~。さすがに自動生成じゃ無理だった」

「ありゃ~。あんたの造ったアレでも無理だったわけ? じゃ、あの機体デザイン、手造りなんだ。悪いことしちゃったかな」

「え?」


 きょとんとする青年に、薫がやや苦笑いにも似た表情を向ける。


「いや、謎解きの方、少し手を抜けばよかったかな~って。だって、ほんとに企画倒れもいいとこじゃない? そのままじゃ使えない実験用試作機って」

「ん~、特性を生かしてチューニングするにはポイントの桁がバカにならないからねぇ。たいていは、特性を押さえてバランスを取る方向に行くみたいかな。だけど、そこを補完するのが金森さんが仕込んだ隠しボーナスでしょ」

「そうなんだけど、過去九十九人のうち、当てたユーザは皆無。なんだかな~って感じ」

「こないだ、ログを見せてもらったけど、七人目と十三人目、それと九十六人目は何か気づいたみたいだよ。まぁ、たいていはさっさと運営に売却してポイントの足しにしてるみたいだね。どっちにしろ、クリアできなかったって言う結果は皆同じだけど」

「で、今度は大台のキリ番よね。ってことは……XA‐100だっけ?」

「型式番号はXA‐0100だよ。一応、四桁まで取ってあるけど、次回から方針を変えるって言ってた」

「ああ、それで、あのデータ量なんだ」

「うん、最後だからって、あれこれ詰め込んだみたい。どーせ、今までみたいに、日の目を見ないだろうって、半分やけになってたけどさ」

「ありゃー、かわいそうに」


 口ではそう言いながら、女はケラケラと笑い出した。

 相変わらずに顔色は朱が差す気配も無いが、あるいは、相当に酔っているのかもしれない。

 桐村と言う青年の方は、ここで首を少し傾げ、今度は逆に薫に尋ねてきた。


「そういえば、隠しボーナスってキャリーオーバーっていうか、今までの分が累積してるんだよね。ポイント数表示の桁、足り無いんじゃない? 拡張する話はなかったみたいだけど」

「内部データならともかく、表示データでしょ。拡張するなら画面設計も見直さなきゃいけないし、簡単な話じゃないわよ」

「そうすると、今度のユーザが当てたりしたら、桁溢れするんじゃない?」

「実現するかどうか微妙だから、画面変更には踏み切れなかったみたいね。今度の発注は、そこを何とかしろってのも含まれてたわ」

「で、どうしたの?」

「ポイント数相当の現物支給」

「うわ。そうすると前線基地レベルが二つかな」

「えーと、前線基地相当の工廠設備を持つ汎用空母ってところかしら。ゲームバランス的に微妙ってことでお蔵入りしてたのがあったんで、それを当てる事にしたわ」

「よくオーケーが出たね」

「多分、今度もクリアできるとは考えて無いみたいね」


 薫の口調にぼやくような響きが混じる。


「でも、あたしが言うのもなんだけど、実験用試作型関連のイベントって、ほんとに敷居が高すぎるのよ。そもそも、最初の名前当てって言う条件が……」

「か、薫ちゃん、いや、金森チーフ。桐村君もだ。その話題は、そこまでだ」


 二人の会話が弾み出したところだったが、充は無粋を承知で、自分から振ったその話題を中断させざるを得なかった。

 思ったよりも踏み込んだ内容になってしまった為、これ以上は守秘義務契約に引っかかる恐れがあるとの判断だった。

 もっとも、薫も桐村もそれに気づいたのか、不満そうではあったが大人しく口をつぐんだ。

 彼らの勤務するソフトハウスは国内では中堅どころだったが、カーソリスは桁違いのグローバル企業である。

 運良く直取引するチャンスに恵まれ、支払い単価も特上と言って良いお得意様だが、その分、守秘義務には厳しいところであり、下手を打てば莫大な違約金を課せられる。

 薫も桐村も白けたような表情で黙りこくってしまったのは興が削がれたからだろう。

 たった二人しかいない部下の慰労を兼ねて、行きつけの店に誘った充にしても、身の置き所が無い気分である。

 その時、香ばしい匂いと共に、彼らのテーブルに鶏の唐揚げを盛った皿が置かれた。

 驚いた充が顔を上げると、心得たような表情のマスターと視線が合った。


「これは、私からの奢りです。どうぞ」


 マスターは澄まして言うと、さっさとカウンターの奥に引っ込んだ。

 若い二人はその香りにたまりかねたように早速に手を出し、そして、目を見張って小さな歓声を上げた。


「美味しい!」

「何これ。ただの唐揚げじゃ無いよ。下ごしらえと香辛料が違う」


 旨いものを食べて不機嫌になる者は少数派であろう。

 二人とも嬉しそうにその唐揚げを口に運んで、そして、自然に熱心な食べ物談義を始めたようだった。

 静かにグラスを磨くマスターに、充は感謝の念を込めた視線を送った。

 このマスターの、一種の依怙贔屓に、他の客の中にはさすがに羨ましそうな表情を隠せない者もいたが、あからさまに不平を口にする者は居なかった。

 つまり、ここは、そう言う人々が集まるバーだった。


 充は、マスターの好意で、部下の慰労という目標に一定の成果を修めた事に安堵した。

 何しろ、二人とも扱いにくい人材ではあったが、彼らが居るからこそカーソリスも発注を回してくれる、実に得がたい逸材でもある。

 例えば、桐村と言う青年は、いくつかの大手から誘いが来たほどの優れたデザイナーであり、天才的なエンジニアでもある。

 ただ、いわゆる紙一重な性質と気まぐれな性格から、それらの誘いを全て断っているに過ぎない。

 ある意味、管理職泣かせの彼が、曲がりなりにも会社勤めを果たしているのは、金森薫と言う女性の存在によるところが大きい。

 優秀なプランナーでもある彼女が、言わば手綱を握っているおかげで、桐村と言う天才は成果を上げていると言っても良いだろう。

 事実、このコンビによって生み出されたグラフィック関連のいくつもの特許パテントが、会社の屋台骨を支えている。

 ただし、薫も「従順な」と表現できる範疇からは逸脱している女性であり、この二人専任の管理職を任されている充も胃の痛い日々が続いている。

 上司である部長からも、充の代わりはいるが、この二人の代わりは居ない旨を言い含められている。

 中間管理職の悲哀をかみしめつつ、充はカーソリスが発注した仕事に思いをはせた。


 そのオンラインゲームは、売り上げから言えば、カーソリスの事業として採算が取れているとは思えないものだった。

 聞いた話では、カーソリスの独立した一部門が試験的に行っている事業で、ゲーム中で使われている人工知能に関する実験的要素を含んでいるとも、プレイヤーが操縦時に使用するコクピットシミュレータのデータ収集が目的とも言われている。

 もっとも、人工知能もコクピットシミュレータも、桐村と言う青年の意見と実装が全面的に取り入れられており、実験だとすれば、当初の目的を果たしている事になるのかどうかは判断に迷うところである。

 ともあれ、そういう事情なら、カーソリスが表立って名前を出さないのもうなずける話だ。


(実験……か)


 キープしていたボトルから、最後の一杯分をグラスに注ぎながら、九之池充は心の中で呟いた。

 その『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』と言うゲームは、プレイヤーがBMRと呼ばれる巨大人型兵器を駆って、戦いを繰り広げていくと言うもので、ゲームデザインとしては、画期的に独創的と言うわけではない。

 惑星上、もしくは宇宙空間での各種ステージが用意され、ステージに特化した機体、もしくは、汎用的な機体を、ユーザ自身の判断で選択購入し、オプション装備などでカスタマイズして対戦すると言う、良い意味での陳腐さが、あるいは多くのユーザに支持されている理由かもしれない。

 学生時代にその手のゲームをプレイした世代である充から見ても、充分に面白いと思えるゲームである。

 ゲームの中で得られるポイントによっての、つまりは、ゲームを長く続けているユーザのアドバンテージはあるものの、時間が取れず、ポイントの取得できないユーザや新規のユーザへの配慮が有り、間口の広いゲームデザインだ。

 例えば、一定期間をおいて発表され、ポイントによって取得できる新型の機体も、既存の機体に比して強力ではあるが戦術や工夫によっては撃破可能な範囲に収まっている。

 少し割高ながらポイントを購入できる課金システムも、色々と議論はあるだろうが、そうした時間の取れないユーザへのハンディを無くす側面としては有効だろう。

 だが、その中にあって、特定のイベントによって取得する実験用試作型と呼ばれる機体は少し事情が異なる。

 確かに、デフォルトでは使いようが無い、機体バランスが無茶苦茶な未完成品――もっと言えば欠陥品と見えるスペックにしてあるのだが、実は、ある一定条件をクリアすれば封印されていたデータが解放されると言う設定になっている。

 そのデータは、機体性能を最適化する為の各種情報で、これに従って機体を改修すれば、その欠陥機が「化ける」。

 完全稼働状態にある実験用試作型の機体性能は、一種の予定調和が取れているこのゲーム世界を危うくするのではないか、とも思えるほどのものであった。

 ゲームの詳細を知らない人間が傍から見ても、そう思えるほどの各種数値設定である。


(何しろ、色々なパラメータの桁数が違うんだからなぁ。一目瞭然ってやつだ)


 こんなアンフェアな機体が特定のユーザに与えられるとすれば、怒り、もしくは失望して退会するユーザは少なくない筈だ。

 だが、一方で、この機体に挑む事に闘志を燃やすプレイヤーもいるかもしれない。

 いかな桁外れなスペックの機体であっても、不可侵と言うわけでも無く、物量で押せば撃破は可能だ。

 この機体相手に限っては、大戦イベントで配給されるいくつかの戦略級兵器の制限も解除される仕組みもある。

 ゲームに参加したプレイヤーが、ルール違反とも言える機体の登場に対し、嫌気をさしてゲームを止めるか、難度の高い獲物トロフィーとして意欲を持つか。

 まさに、あらゆる意味で実験的な機体と言えるだろう。

 もっとも、その実験が具現化する見通しは、現状皆無に近い。

 実験用試作型は型式番号のみで、その機体を取得したプレイヤーがネーミング設定する仕組みではあるが、実は、正しいネーミングは予め決められているのだ。

 そして、プレイヤーのネーミング設定が完全一致する事が、封印解除の最初のステップになっている。

 もし、この段階で間違った場合、どれだけポイントを注ぎ込んで改修しても、このゲーム世界に唯一存在する機体が、本来の性能を発揮する事はない。


(だがなぁ)


 最初にその仕様を見せられた時の呆れたような気分を思い出しながら、充は心の中で呟く。


(機体取得後の派生ミッションでヒントは得られるとは言うものの、そもそも、そういう主旨の情報を公開しなけりゃ、わかるわけが無い。難度が高いなんてもんじゃない。それ以前に課題が提示されている事に気づくなんてやつがいるもんか。それこそ、「神様」でもなけりゃ、わかりっこねえやな。カーソリス側も何を考えているんだか)


 酔いと、日頃の疲れと安堵のせいか、彼はその思惟を取り留めの無い方向に拡散させていった。


(ああ、そういえば、慎吾のやつも、あのゲームに嵌まったとか言ってたっけ。俺が関係者の一人だと知ったら驚くかもしれんなぁ。姉貴には小言をくらいそうだが……)


 いつしか、九之池充くのいけ・みつるはテーブルに突っ伏していた。

 そんな彼を放置して、唐揚げを完食した薄情な部下二人は、マスターに挨拶すると、さっさと家路についたようだ。

 その様子を見ていたマスターは、かすかにため息をついて軽く肩を竦め、別の客の注文に応じ始めた。


 充の甥である九之池慎吾くのいけ・しんごが、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』において、そのXA‐0100を得た直後に異世界ファーラへとトリップする、二週間前の出来事だった。



         ◇



 連結した荷台のうち、末尾の、一番大きな『それ』が連結を解除するや、自走して港の埠頭を飛び出した。

 海面に触れる寸前で車輪が格納され、巨大なサイズのわりにはほとんど水しぶきを立てる事無く、棺桶のような形状をした『それ』は静かに海の中に沈んでいった。

 濃い藍色の塗装のせいか、海の色に紛れてあっという間に視認できなくなる。

 巨大車両ガリア・キャリアーの第二コクピットの操縦席から、その様子を眺めている一人の青年がいた。

 その顔立ちはそこそこに整ってはいるが、どちらかと言えば凡庸と言える範疇にとどまるだろう。

 凡庸で無いのは、その出で立ちであって、この世界ファーラの人々の目には非情に奇異に映る。

 まぁ、BMR専用パイロットスーツのデザインが中世ヨーロッパと言った風情の文化にマッチする筈も無い。

 一ヶ月前に、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』のアバターが具現化する形で異世界ファーラにトリップした九之池慎吾くのいけ・しんごことシンゴは、それ以降に刈っていないせいでやや長めになっている前髪をいじりながら、なおも何かを待つ様子であった。

 やがて、人工知能のチルが状況を報告する。


強化外装パワードが自律航行を開始しました。周囲に敵性オブジェクト無しとの応答です』

「そうだな。海岸沿いにこちらを追尾するように指示。ただし、優先度は秘匿を上位に設定」

『了解。ユーザの指示を強化外装パワードに通達しました』


 その一部始終を傍らで見ていたヘレーネが首を傾げてもっともな疑問を呈した。


「あれって何だ? 海に捨てちまったのか?」

「捨てたわけじゃない。GOP――あ~、その、海戦型BMRを専用の強化外装パワードごと、海中に配置したってところかな。あいつは陸上じゃほとんど機動性が無い……ことも無いんだが、鈍重だからなぁ。この《ガリア》のように車両形態になるわけでも無いし。ともかく、これで、海辺とか外洋で呼び寄せる事は可能な状態になったわけだ。ま、今、起動しているのはBMRの方じゃなくて、強化外装パワードの方だから、召喚と言うわけには行かないんだが」

「ふ~ん」


 例のビキニ・アーマーの上にマントを羽織った格好の女戦士は、わかったようなわからないような表情で首を傾げたままだ。

 今度は座席後部にいるラルフ書記官が聞いてきた。


「その海戦用の機体と言うのは、どのようなものなのです?」

「ラルフさんが思っているようなもんじゃないですよ。確かに、アレの外見はそれなりにインパクトはあるんで、示威にはなるかもしれないけど、どっちかというと、逆効果でしょうね」


 シンゴの言いようも奥歯にモノが挟まったようで一向に要領を得ないが、若き書記官は自分が求めるモノとは、全くタイプの異なる機体だと言う事は理解したようだった。


「そうですか。それで、やはり、あの銀色の機体は呼ぶ事ができそうに無いですか」

「ええと……」


 シンゴは設定済みの目的地データ入力を確認すると、自動操縦で《ガリア・キャリアー》を発進させた。

 そして、操縦席後部……家財道具(?)が積み込まれ、アメニティが向上した第二コクピットの余剰スペースに置かれたソファの、ちょうど、テーブルを挟んでラルフの対面になる位置に腰を下ろす。

 そこには氷のような美貌のザミーン皇女、テレーゼが、シンゴから向かって右に座っており、その左右に控えるように、侍従クラウスと侍女エマが立っている。

 シンゴは町ケメルまでの道のりとほぼ同じ顔ぶれの人々に示すように、所持していたタブレット端末に装備されているプロジェクターを起動させた。

 壁の一面に、細身とも言える闇色の機体が映し出される。

 この手の魔導は、この世界ファーラにも存在したから、彼らは取り立てて驚く事はなかった。

 ただ、そこに映された機体の下にある「型式番号XA‐0100」と言う日本語表記が、彼らの知るいかなる文字とも異なる事に訝しむような視線を向けるに止まった。

 むろん、その表示が読めないのは、その場にいる黒髪の宮廷魔導士も同様だ。

 だが、魔導士として、神聖古代文字や魔導記号のような『読めない表記』も記憶する習慣のあるソニアは、見覚えのある羅列に心の中で首を傾げた。


(先日、見せて頂いた深紅の機体と同じ?)


 だが、その表記が何を示すのかを理解していない事もあって、彼女が示した反応もそれまでだった。


「これは?」


 半分、困惑した表情を浮かべて、ラルフ書記官が尋ねる。


「書記官の言う銀色の機体、つまり《ファーブネル》を呼べない原因さ。こいつが召喚コーリングに対してダンマリなんで、シーケンスがロックしている状態なんだ」

「しーけんす? ええと……」

召喚コーリングシーケンスを続行、もしくは、キャンセルのいずれかを選択する場合でも、リターンが無いと次のステップに進めません』


 シンゴの言葉に困惑するライル書記官へ、チルが補足のつもりかパイロットスーツの放電型スピーカーから言葉を付け加えたが、それはいっそうに、この青年書記官の困惑を深めただけのようだった。

 状況としては、パソコンのアプリで例えれば、完全にハングアップして、ダイアログボックスの表示もマウスカーソルの反応も無いと言う状態に近いだろうか。

 むろん、この世界ファーラの人間に、こうした比喩を用いたところで無意味であっただろう。

 ただ、魔導のいくつかは相互に排他的、つまり、同時に起動活性化ができないものがあり、ローセンダール文官を代表する若き俊英は、BMRの召喚コーリングもそうした類いのものだと結論づけたようだ。


「そうしますと、この黒い機体の召喚に失敗したので、あの銀色の機体も召喚できないと?」

「ん~、まぁ、そう思ってもらってもいいかな。ま、実験試作機なんて、元々が欠陥機みたいなもんだからな。だから、こいつがいるところまで戻って、リセットしないとどうしようもない」

「戻る?」

「えーと、《グランブール》の空戦装備は中距離用しか持ってこなかったから、ひとっ飛びってわけには行かないな。最低でも三日はかかる」

「それでは間に合いません」


 ライル書記官の声に苦悩の響きが加わった。

 文字通りに頭を抱え込んでしまった若き文官を見て、シンゴは後ろめたい思いにかられた。


『ネーミングを含む初期設定も未完了状態での召喚コーリングについては警告しました。それを強行したユーザの行為は、やはり、問題だったと判断します』

「わ、バカ……」


 そのチルの言葉に、シンゴは慌て、そして、頭を抱えた格好のラルフがピクリと反応した。

 ややあって、青年文官がゆっくりと顔を上げる。

 その端正な顔に穏やかで優しそうな微笑みを浮べて。

 むろん、その目が笑っていない事は一目瞭然だったし、ひどくどす黒いモノがヒシヒシと伝わってくる。


「えーと、そろそろ、操縦席に戻らないと……」


 そう言って、腰を浮かせかけたシンゴの右腕を抱えて、若干、顔を青ざめさせたソニアが腰を下ろした。


「あ、あらあら、伯爵様。もっとゆっくりなさっても良いじゃありませんか」

「そ、そうそう、自動操縦ってやつで、目的地まで放置していいんだろ、伯爵様」


 左隣に、もう片方の腕を抱えるようにして、ヘレーネも腰を下ろす。

 彼女の顔も心無しか引きつっている。

 そして、魅惑的な柔らかさと魅力的な弾力に挟まれたBMRのパイロットは、しかし、その感触を楽しむどころではなかった。

 アルプス山脈を舞台とした某作品の、峠関所代官の前に引き据えられた密行者の気分と言えば一番近いだろうか。


馬手めてにマルメロ、弓手ゆんでにバルボゼ、と言ったところでしょうか。羨ましい限りですね、ティアンスン伯爵」


 ラルフ書記官は穏やかな微笑みを崩さずに口にした言葉は、シンゴの世界で言えば「両手に花」に該当するだろうか。

 ただし、花の種類にいくつかのバリエーションがあり、使われる局面も様々なので、単純にイコールでは無い。

 マルメロもバルボゼも、この世界ファーラにおける薔薇の一種で、艶やかで美しい花ではあるのだが、鋭い棘を持つ事でも知られており、女性に対する比喩としては微妙なところである。

 だが、二人ともフランチェスカ王女の関係者として、シンゴに対する、言わば管理監督責任を負う立場にいると見なされているわけだから、これは文句を言えたものではない。

 ともあれ、ラルフ書記官は、毒舌と言う点ではローセンダール宰相には及ばぬものの、しかし、確かにその薫陶を受けている事実はこれで明らかになったわけだ。


「さて、ティアンスン伯爵におかれましては、今一度、我々の置かれた現状と、これからの方針を確認して頂きましょうか」


 ラルフは、にこやかでもの柔らかな態度を崩さずに続けた。


「現在、我々ローセンダールを含む東大陸各国は、西大陸の覇者ザミーン帝国と、不幸にも戦争状態にあります」


 その視線が、一瞬テレーゼ皇女に向けられたようだった。

 皇女は冷ややかな表情のままに口を開く。


「はっきりと言えばどうだ。わがザミーンが東大陸へ一方的に侵攻していると」

「たしかに我々の視点では、そのように見えますが、ザミーン側からすれば、別の事情があるのでしょう?」

「さてな。何度も言っているが、私は陛下より命を受けて行動しているに過ぎぬ。兄上達や姉上はその事情とやらを知っているやもしれんが、末の妹には何も聞かされてはおらぬよ」


 そこで、テレーゼは何かを思い出すふうに小首を傾げた。


「ふむ。いつぞや、お主らの軍の長たるサイラス殿にも聞かれたな。ヘルツェン攻略が成った後、どう動く予定だったか、と。だが、私が受けた命令はヘルツェン制圧までだ。任務完了を報告の後、次の命令を受領する段取りだった。予定外にして予想外の邪魔があって果たせ無かったわけだがな」


 ザミーン帝国の第三皇女は、これまでに幾度も繰り返した内容を淡々と語りながら、アイスブルーの瞳を、邪魔したその当人であるシンゴに向けた。

 生身で魔装機甲兵を退け、《空魔》を含む一個師団相当の軍勢を討ち払い、理に反した魔法生物たる《水妖》を斃したと言う、結果だけを見れば稀代の英雄……であるはずなのだが、一向にそんなふうに見えない。

 一軍の司令を務めていたテレーゼは、所謂、英雄の名に相応しい名の知られた軍人を幾人が知っているが、シンゴと言う青年はどれにも当てはまらない、ある意味型破りな存在だった。

 引き締まった体躯ではあるが、筋骨隆々とした豪傑でも無いし、驚嘆すべき身体能力を発揮するものの、技を極めた達人と言うのとも違うようだ。

 ヴァルマーなどはだらしないような印象があるが、テレーゼから見れば、あれは相手を油断させる為の一種の擬態であり、その本質は鞘に収まった鋭利な剣だと分かる。

 しかし、シンゴは、それとも異なるようだ。

 では、知略で勝利を得る軍師かと言えば、これもタイプとしてはほど遠いと言える。

 ヘルツェン攻防戦において、テレーゼの麾下にあったシルフィードの搭乗者達の命を奪った事実があるのだが、それでも、軍人、武人に求められる冷徹、非情と言う要素ファクタと、このシンゴと言う青年が、どうしてもテレーゼの中で結びつかない。

 宮廷魔導士と女戦士に挟まれ、穏やかな表情の中にどす黒い波動を滲ませている青年書記官の前でガクブルしている、情けないとも言うべき様子からは、とてつも無い武力を秘めていると言う事実は片鱗も感じられない。


(怯えているように見えるが、あれは気が弱いと言うより、己の非を認めた後ろめたさが要因か。わがザミーン宮廷に巣くう自画自賛、自己肯定の権化とも言うべき輩どもよりは、よほど好感が持てるかもしれんな)


 テレーゼはそんな事を考えながら、口では淡々と、これまで幾度も繰り返した話を、再び語っていた。


「どちらにせよ、私は与えられた任務に失敗し、陛下から預かった《空魔》以下の精鋭を尽く失うという大敗を喫した司令官だ。あるいは、本国に戻ったところで、責を問われて処刑される事もあり得る」

「姫様!」


 顔色を変えて、脇に控えていた侍女のエマが声を上げ、侍従にあたるクラウスがそれへ「控えよ」と小さな声で叱責する。

 それには一向に構わずに、テレーゼは言葉を続けた。


「わがザミーンとの停戦交渉と言う発想は興味深いものがあるが、私の身柄を盾に取っても無駄だぞ。どの道、処刑もあり得る司令官では、人質にもならぬ」

「断っておきますが、テレーゼ殿下を人質として扱うつもりは毛頭ありません。殿下はあくまでも、わがローセンダールが保護している客人です。殿下の身柄を無事に本国にお届けする為に、帝国軍に協力を請うと言うのが我々の方針です」

「ふむ」


 その大義名分ならば、ザミーン帝国としても何らかの譲歩を余儀なくされるだろう、と、彼女は考えた。

 何しろ、ローセンダールがテレーゼに対し、拷問や尋問はおろか、軍人の捕虜としての扱いを施した事など一度たりとも無いのは確かであったから、その主張に対しては、神具である《真実の鏡》も毛筋ほどの曇りも見せ無い筈だ。

 厳密には地下牢に放り込まれた事があったが、この時はテレーゼも魔導器で姿を偽っていたわけだから、その事実をもってして、《真実の鏡》が曇りを見せる事は無いだろう。

 《水妖》を斃した時に肌を晒された事実は、男性から行われたのであればともかく、これを行ったのが、露出過多の格好をした宮廷魔導士と女戦士の二人であり、微妙なところではあるが、その場に居た男子であるシンゴが露骨に凝視したり、触れたりしたわけでは無いし、魔獣や水妖の襲来という異常事態を鑑みると、これも対象外かもしれない。


「むろん、テレーゼ殿下が本国にお戻りになられるまで、ローセンダール宰相から全権を委ねられた、不肖、この筆頭書記官ラルフと、ここにいる宮廷魔導士ソニア、フランチェスカ王女の側役ヘレーネ、そして高名なティアンスン伯を始め、幾ばくかの軍勢が護衛の為に御身に同道致します」

「ティアンスン伯?」

「おお、これは申し遅れましたか。こちらのシンゴ殿はローセンダールの名門、ティアンスン伯爵に叙せられました事を、改めて報告申し上げます」


 それを聞いて、テレーゼは感嘆の念を禁じ得ず、内心で呻いた。


(してやられたか)

「まぁ、伯爵ってのは良しとても、ティアンスンてのは何だかなあ。せめて、ローエングラムとかモンテクリストとか。カリオストロ……は伯爵だとちょっとアレか。ええと、あとは、たしかブロッケン……あ、あれは、もっとまずい……な」


 などと、意味不明の事を呟いていたシンゴは、青年書記官が穏やかな笑みを向けると再び押し黙ってしまった。

 この異世界から来たと言う青年は、何だかよく分からない理由で若干の不満があるだけで、ティアンスンの名が持つ意味を知らないようだ、と、テレーゼは判断した。

 断絶して久しいティアンスン家だが、その系統に、この世界ファーラでは良く知られている人物を輩出している。

 俗にローセンダールなる国家を知らずと言えども、ティアンスンなる冒険者を知らざる者は居ない、とまで言われているほどの有名人だ。

 東大陸はもとより西大陸にまで足を伸ばしたとされる類い希な冒険家として伝えられる人物で、彼が記したとされる見聞録は、膨大な写本が有り、各国における歴史研究の貴重な資料ともなっている。

 そして、その見聞録には、当時、諸国の一つにしか過ぎなかったザミーンの記載も含まれている。

 もっとも、テレーゼが目にした、現存するザミーン側の記録によれば、偉大なる冒険家と言うよりも放浪癖のあるお調子者と言う印象が強い。

 とは言え、ティアンスンはザミーンとの縁もある名門と見なされており、この家門の復活が帝国との交渉に持つ意味は小さくない。


(それだけでは無いな)


 驚きを通り越して呆れるしか無い話だが、このシンゴと言う青年は、個人として魔装機甲兵を、それも複数所有しているようだ。

 しかも、テレーゼが知る限り、どれもがとんでも無い機体ばかりである。

 三十機はあったシルフィード級の大半を屠り、《空魔》を沈めた『銀狐』は言うまでも無い。

 今まさに搭乗している、この異常なまでに乗り心地の良い巨大な車両にしたところで、その実体は巨大なクレーターを穿ち、《空魔》が変成した水妖を封じるほどの存在である。

 先日の一騎打ちに使用した白い機体も、見た目こそ地味で凡庸な印象ながら、四本の腕を追加装備した姿は強烈な印象があった。

 あるいは、通常時における地味な外見は、多種多様に変化する為の『対価』では無いかと思わせる底知れ無さがある。


(先ほどの棺桶のようなモノもそうだ。海中に配置したとか言っていたから、水中戦、海戦用と言うところか。だが、私の知る範囲であんな形状の機体はあり得ないはずだ)


 水中で運用する魔装機甲兵や魔導兵器の、半人半魚、あるいは海獣とも言うべき姿を思う浮かべてテレーゼは心の中で低く唸った。

 魔法の産物であるそれらは、その特性を定義づける上でも、形状に一定の魔導的制約が課せられる。

 例えば、水を象徴する形状をしたモノが火の魔導を活性化する事は不可能であり、その逆もしかりだ。

 だが、シンゴと言う青年の所持する機体は、そうした魔導的制約とは無縁のように見受けられた。

 テレーゼは、シンゴの所持する機体が、別の制約に縛られている事に気づいてはいたが、魔法が存在する異世界ファーラの人間に取って、科学的な知識を前提とする各種の物理制約、そして『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』と言うパソコンゲームにおける制約など理解出来ようはずも無い。

 従って、彼の所有する武力については、理解の範疇を超え、驚愕するとか戦慄するとか言う次元すらも通り越して、諦めて放置するしか無いと言うのが正直な思いだった。


(しかも、先ほどの映像で見た機体がこれに加わるのか。全く冗談ではないぞ)


 つまり、少なくとも五機の魔装機甲兵相当の機体を個人で所持し、最低でも三機は破綻無く運用している事実を確認した事になる。

 魔導兵器は国家レベルで所持し運用すると言う、この世界ファーラでの通念に照らし合わせれば、これは充分に異常と言えるだろう。

 九之池慎吾の世界で言えば、今のシンゴは個人で核兵器を運用するに等しい状況である。

 そもそも魔装機甲兵を始めとする魔導兵器は、そのコストはさておくとしても、個人での所有を認めるには危険すぎる存在なのだ。

 仮に、ザミーン帝国との交渉がなされた場合、その事実は、ローセンダールにとっては不利に働いたかもしれない。

 だが、伯爵家以上の家門であれば、特例として魔導兵器を含む常備軍を私有する事が許されている。

 つまり、シンゴが個人で強力な兵器、つまりBMRを保有していると言う状況について、実体はどうであれ、この世界ファーラの慣習に照らしてもおかしくない形式が整ったわけだ。

 加えて、ティアンスンの名を得た事実はシンゴにとって戦術上の選択肢を広げる事をも意味する。

 例えば、前回にヘレーネが同乗していなければ看過されたであろう一騎打ちの宣言だが、今後は状況が異なる。

 高名なティアンスン伯に挑まれては、これを公然と無視するわけには行かなくなるだろう。

 シンゴに対して相応しい報償を、と言う意図があった事はむろん事実だろうが、ある意味これほどに相応しく、与える側にとっても有意義な報償も無かったであろう。

 何よりも、ヘルツェン攻防戦でその名を轟かせた『銀狐』と、その搭乗者であるシンゴと言う青年が、ローセンダール陣営の所属であると言う事を内外に知らしめる、これは明確なシグナルでもある。


(政治的、戦略的、戦術的にしてやられたか。この局面でこの切り札を切ってくるとは、さすがはローセンダールと言うべきか)


 テレーゼは、つい、皮肉な笑みを浮かべそうになった。

 超長距離の航続能力を持つ《クワポリガ》の完成と共に東大陸連合国への奇襲攻撃が発案されたわけだが、その攻略目標にはいくつか候補が挙がっていた。

 東大陸支配者の末裔を自称するシャブラ皇国のような手合いは論外として、連合国の要とされた国家が攻撃目標の対象として検討された。

 最終的にローセンダールが選ばれたのは、人間の版図においての最も東側に首都がある点と、最高に「手強い」相手であるとの認識があったからだが、その認識については誤りはなかったと言えるだろう。


「なるほど。そういう話なら、ザミーンがローセンダールとの交渉を持つ事は可能かもしれんな。だが……」

「仰る通り、ローセンダールがザミーン帝国と交渉する、それでは意味が無いのです」


 ローセンダールは東大陸における主要国の一つだが、その盟主と言うわけでは無い。

 東大陸にある十八の国家の中には、ローセンダールを凌ぐ大国が存在する。

 全ての国家相手とはいかないが、そうした大国を含めた東大陸主要各国との合意を取り付けるのが先決だ。

 現在、ザミーン帝国と交戦しているのは東大陸連合軍であって、ローセンダール一国だけが先んじて交渉すると言うわけにもいかない。

 そんな事をすれば、利敵行為と見なされて、最悪、ローセンダールが連合軍を構成する他の国々から宣戦布告を受ける大義名分が成立する事も覚悟しなければならない。


 ローセンダールの首都ヘルウェンは他の国や都市から離れた、言うなれば辺鄙な位置に築かれた都市であり、平時における、その立地は「不便」の一言で表現される。

 だが、それによって人の往来や情報の流出を一定の制御下に置く事が可能であり、それが過去に東大陸を覆った戦乱期において、ローセンダールの安寧に果たした役割は小さくない。

 九之池慎吾が属していた世界の観点では異論が出るところだろうが、この世界ファーラにおける一時代には、そうした事が必要だった事実には違い無い。

 もっとも、慎吾の世界とて、例えば、明確な治療法の有無にかかわらず、伝染病の流行によっては人々の行動を制約するもやむなしと言う局面があり、即ち、秩序の維持は個人の自由より優先されると言う事例が少なくない。

 それが公的権力によって強制されるか、自主的な規範によってなされるかの違いはあるだろうけれども。

 ともあれ、戦乱の時代に建国したローセンダールは、便宜よりも防御を優先し、自然の要害と生存に不向きな無人の荒野に囲まれた中に、魔導技術と神々の恩寵によって王国の首都たるに相応しい都市を建設したわけだが、さらなる魔導技術の発達が、そうした先人の狙いを台無しにしつつあると言うところだろうか。

 少なくとも、現在の魔導技術の前には先人の築いた天然の防壁は、それほど大きな障害にはならない。

 地続きである各国が一斉に攻め込んだら、数日と持たずに首都ヘルウェンは陥落するだろう。

 何よりも、都市国家であった昔ならいざ知らず、首都ヘルツェン以外の、無防備とも言えるローセンダールの各領土はひとたまりも無く各国の軍隊に蹂躙される事は明らかだった。

 現在、そんな事態が発生しないのは、長年の外交努力の末に結んだ東大陸国家間の盟約と、逆説的な話だが、ザミーン帝国と言う明確な外敵の存在によるところが大きい。

 その外敵であるザミーンと交渉すると言うのなら、まずは、ローセンダール軍が所属する連合国第二軍の作戦会議において、各国の軍事関係者にローセンダールの政略を訴え、これを説得しなければならない。

 そして、ローセンダール首脳の見るところ、長引く戦争で、今は充分な余力があるとは言うものの、ザミーン側の状況はいざ知らず、東大陸各国の国力は明らかに疲弊しており、あと数年、現状が続けば、東大陸の秩序は崩壊する恐れがあった。

 それは東大陸国家間で結ばれた盟約の崩壊でもあり、最も回避せねばならない事態である、と言うのがローセンダールの結論だ。


 そうした事情で、現在、《ガリア・キャリアー》は、ヴァルマー、バウフマンの二将軍が率いる軍勢と共に、港町ケメルから北上した位置にあるアナムルと言う小さな漁村を目指しているところだった。

 連合国第二軍の作戦会議が開催される場所としてこの地が選ばれたのは、ここが自由民自治領の、つまりは、全ての参加国の影響が及ばないと見なされたからだ。

 当初のもくろみとしては、第二軍を構成する各国の軍代表が揃ったところで、ザミーンの《空魔》を撃退した銀色の機体を披露し、ローセンダールの客人となったザミーン帝国第三皇女を紹介して会議の主導権を得る、と言う段取りだった。

 未だに諦めきれない感情を滲ませて、若き文官が言う。


「何しろ、あの機体がたった一機で帝国軍の《空魔》を破った事実は東大陸でも有名ですからね」


 人の噂は千里を走る、というのは慎吾の世界における昔からの言葉だが、ネットの普及によって瞬時にしてグローバルに展開する時代になり、比喩では無くなって久しい。

 そして、それは魔導による遠距離通話が可能なこの世界ファーラにおいても同様のようだ。

 『ヘルツェンの戦い』と呼ばれる事になった攻防戦は、ローセンダール政府の統制が及ぶ前に東大陸全土に知られる事となった。

 通常であれば、都市に設置された魔導機関の影響で、市民の所持するレベルの魔導通信には一定の統制がかけられるのだが、《空魔》の魔導圏に侵食されたそれが非活性化状態から回復するのに時間を要した事が理由としては大きい。

 かくして、銀色の機体の存在は秘匿する事もできず、東大陸に知れ渡る事となった。

 ローセンダール首脳はこれを奇禍として、今回の対ザミーン、及び、連合国作戦会議への対応に織り込んだのだ。

 復活した名門、ティアンスン伯と、その当主が所持する高名な機体。

 ザミーン皇女の身柄を保護している事実と共にこれを示す事で、作戦会議の主導権を握る段取りであり、懇意にしているいくつかの国家には、事前にその線で根回しを済ませていた。

 だが、その《ファーブネル》を呼ぶ事ができない。

 これはローセンダールにとっても手痛い計算違いであった。

 かと言って、シンゴの言うように一度戻ると言う選択肢はとれない。

 ローセンダールの都合で、各国の文官、武官が調整した作戦会議の日程を三日も延期するわけにも行かない。

 特に《ファーブネル》については、首都を出発する前に充分に説明し、礼節を尽くした上に懇願にも似た姿勢を示して了承をもらい、それを前提として、更に練りに練った戦略を、了承した当の本人、つまり、シンゴが台無しにしてくれたわけで、これはどんなに贔屓目に見てもシンゴの方が分が悪い。

 一刻も早く、手に入れたばかりの、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』の世界でも唯一と言える機体を、間近に見てこの手に触れたかったという彼の言い分はこの際関係無い。

 ラルフがドス黒いオーラを発散させ続けているのも無理からぬ事と言えた。


「え、ええと。ほら、《ファーブネル》はアレだけど、代わりに、この《ガリア》でどうかな。人型に変形するし、あの魔法生物だか何だかをやっつけた実績もあるし……」

「残念ですね。いえ、経緯は伺っておりますし、その御恩には幾重にも感謝して足りるものではありません。ですが、人目の無い荒野での話ですし、こう言っては失礼ですが、見た目がいささか、ずんぐりむっくりではねぇ」


 シンゴの示した代替案に対し、ラルフは柔やかに、しかし、素っ気なく応じた。


「……可愛いのに」


 とシンゴの右隣に密着するソニアが不満げに小さく呟いたが、聞こえたか聞こえなかったか、ラルフの態度は微塵も変わらない。


「じゃ、じゃあ、《グランブール》はどうだ? 空戦しか能の無い《ファーブネル》に比べて、空でも海でもどんと来いの、頼れる機体だぜ。俺の一番の愛機でもあるし……」

「あの一騎打ちは拝見しましたよ。素晴らしい機体だと思いますし、この《ガリア》と言う機体よりも格好は宜しいですね。ですが、何となくぱっとしませんし、あの一騎打ち以外に実績がありませんねぇ」


 一騎打ちの相手が数段上の機体性能を持つBMRだったと言う事実は、《空魔》と一個師団のシルフィードを撃墜した戦績に決して劣るものでも無いが、しかし、事情を知らない、もしくは理解できない、この世界ファーラの人々にとってのインパクトとしては遙かに弱いように見えるのも無理は無い話だった。

 それに、初期配備の機体である《グランブール》が地味な外見であるのも事実である。


「ええと、それじゃあ……」


 そこまで言って、シンゴは詰まってしまったようだ。

 主旨から言って、未だこの世界ファーラでの実戦で使用した事の無い海戦型BMRは語るに足りない。

 ケントと言うプレイヤーの残していった《ジョイン》は、シンゴの所持となるかどうかもあやふやなポジションの機体で、現状は起動すらできない。

 そもそもの発端となった、ここに存在しない実験用試作機は論外以前である。

 してみると、颯爽と空を舞い、瞬時に変形する《ファーブネル》は、シンゴの手持ちの中では最もデモンストレーションに向いた、見栄えのする機体と言えるだろうか。

 ともあれ、その重要な手札の一つを欠いた状態で、それでも作戦会議でローセンダールが主導権を握る事が課せられた任務であるとローセンダールの青年書記官は考えているようだった。

 その算段を緻密な頭脳の中で素早く巡らせながら、せめてもの意趣返しとして、シンゴと、そのお目付役と見なされている二人に向けて、柔やかにドス黒いものを発散させ続けている彼を大人げないと責めるのは、あるいは酷であったかも知れない。



         ◇



 巨大車両を含むローセンダール軍の一行が、小さな漁村アナムルに到着したのは、日が暮れた後の時刻だった。

 ローセンダールは、この地から最も距離があった為、もっとも到着が遅くなったようだ。

 既に他国の軍は到着しているらしく、盛大な篝火や、魔道具による照明が灯されており、昼間のような明るさである。

 その中を幾種類もの巨大な人型……各国の主力機らしい魔装機甲兵が動いている。

 この数刻の後、東大陸国家の連合軍、第二軍の作戦会議が始まろうとしていた。


 同時刻、西大陸南部のアムラ軍港から、一つの軍勢が出陣する。

 ザミーン帝国海軍に所属する《海魔(クラーケン》級、第五番艦を中核とする大艦隊であり、その先陣には、空戦用魔装機甲兵シルフィード級を搭載した十五隻の空母の姿がある。

 執務室から、サーチライトのような魔道具の照明の中、ぐんぐんと小さくなるその勇姿を見送りながら、第四皇子マクレガーは独白した。


「いやはや、合計三百のシルフィードを揃えたか。まぁ、数の少ない《空魔》までは無理だったとは言え、何とも大したものだ」


 その口調には揶揄するような成分が明らかに感じられた。

 彼の背後に控えて立っている副官のカミラが、小首を傾げて言った。


「こちらに送られたテレーゼ皇女と分析官の会話記録に、百機でも足りぬとの話がありました故かと。さすがに三百もあれば、いかな『銀狐』と言えども、単機では敵わぬと考えますが」

「狐狩りとなれば、そうなるかも知れん。だが、こちらの思い通りに狐が出てくるとは限るまい」


 マクレガーは逞しい肩を竦めると席に戻り、出発した艦隊の事は綺麗さっぱりと忘れたかのように、彼の決済を必要とする書類を手に取った。

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