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裁定

 ソニアの裸身を覆う魔紋が、ひときわ強い輝きを放った。

 すると、差し渡し十キロ以上に及ぶ峡谷に架けられた巨大な橋が跡形も無く消えた。

 いや、正確には見えなくなったと言うべきだろう。

 黒髪の宮廷魔導士による目眩ましの魔導である。


「相変わらず、たいしたもんだな」


 衣服を差し出しながら、ヘレーネが感嘆の声をあげた。

 九之池慎吾の世界で言えば、大きな建築物を消失させるイリュージョンを見たようなものだろうか。

 だが、これは奇術イリュージョンでは無く魔術マジックである。

 渡された衣服に袖を通しながら、ソニアが言う。


「さっき渡した護符を持っていない人間には、本当に無いも同じですからね。無くさないように」


 一種の結界も兼ねているので、護符無しでこの橋に近づく者は、橋の無い絶壁に誘導されてしまうらしい。

 そして、身なりを整えた宮廷魔導士が「よろしいですよ」と、声をかけると、紳士たる態度で自発的に後ろを見ていたシンゴが振り返る。


「をを!」


 《ガリア》を使った二日がかりの工事の成果が跡形もなく消え失せている事に、驚きの表情を隠せないようだ。

 しかし、不自然に反応が大げさで、しかも、微妙に前屈みになっている。


『ユーザの指示通り、先ほどの映像記録は、グレート・ストレージのデータセンターにバックアップされた事を確認しました』

「バ、バカ。黙ってろ」


 律儀に報告するチルに、シンゴは焦ったような声を出した。

 それを聞いたヘレーネが、半眼で見つめてくる。

 なにかしら胡散臭いものを感じているようだが、さすがに小型プローブの存在までは気がつかないようだ。

 この橋の存在を、例えばモルデ王子などに気づかれぬよう、この数日に散布してあったのだが、そのうちのいくつかを倫理的に良からぬ事に使用したシンゴは、思わず視線を明後日の方向に向けた。

 もっとも、ソニアのヌード映像を撮影した小型プローブは《ガリア・フット》付属のもので、隠密性を含む各種性能はパイロットスーツ装備のものより格段に上だ。

 気づかれる心配は無い筈だが、こうした局面では極めて小心者のシンゴだった。

 ところで、なにゆえ、《ガリア・フット》付属のプローブを使用したかと言うと、性能もそうだが、今のシンゴはパイロットスーツでは無く、近衛騎士の制服に身を包んでいるからだ。

 ヘレーネがしみじみと言った。


「やっぱり、似合わない」

「うるさいやい。好きで着ているわけじゃねぇや。制服だっていうんだからしょうがないだろ」


 結局、シンゴの身の振り方については、フランチェスカ王女付きの近衛騎士と言う事になった。

 これで、シンゴもこの異世界ファーラにおける生活の場を確保したと言える。

 橋の建設を含み、峡谷から先の道路を整備することで、ローセンダール首都からの時間的距離を極めて短いものとしたグレード・ストレージには未だに潤沢な物資があるが、実は生活用品の類いは布切れ一枚たりとも無い。

 確かに、その気になれば、パイロットスーツだけで過ごし、栄養剤の補給で命を繋ぐ事は可能だ。

 だが、それは生きていると言うだけで、生活しているとは言わない、と、シンゴは痛感した。

 やはり、人間、どこにいようと、うまいものを食ってこその人生であると。

 食事と言う行為には全く頓着しなかった、廃人プレイヤーだったシンゴは、この数日で考えを一変させていた。

 その原因となった人物が、幌を上げた《ガリア・フット》の後部座席から声をかけてきた。


「そろそろ、お昼にしませんか」


 ザミーン皇女の侍女でもあるエマと言う娘だった。

 軍人であったテレーゼ皇女やクラウスとは立場が異なる彼女は、ある程度の自由が許されており、現在、ミルヴァ宮殿から出られない『氷姫』達に代わって、シンゴ達についていくように皇女から依頼されているのだった。

 ある意味、露骨なスパイ活動とも言えたが、シンゴとしては大歓迎であり、彼の態度がそうである以上、誰も異論は差し挟めないし、スパイするだけ無駄と言う事が明らかになっているので、黙認されているとも言える。


 彼がローセンダール首脳からの要請に応じて提供したいくつかの機器は、魔導技術管理庁の魔導士が総出で調べても、理解はおろか、まともに起動する事すらできない状況だった。

 なにしろ、中の動作を見ようとして、ビームガンの銃口を覗き込んだまま引き金を操作しようとする魔導士相手では、提供した機器をほとんどロック状態にする必要があったから、それも当然である。

 全く魔力を感じない為か、シンゴから見ると、彼らはとにかくとんでも無い事をしでかすのだ。

 むろん、シンゴも求められるままに説明はしたのだが、前提となる概念が異なり過ぎて、先日のフランチェスカ王女と同様、まともなコミュニケーションにならない。

 九之池慎吾の世界で例えるならば、マウスのクリック操作も分からない老人に、コンピュータでよく使われるプロパティと言う用語を理解させるようなものだろうか。

 さすがに、愛機であるBMRや、重要な物資貯蔵庫であるグレート・ストレージを公開するまではしなかったが、ローセンダール首脳としては、それらをどうこうする意向は、既に諦めているようだ。

 なにしろ、小物の機器ですら、一流の技術者とも言える魔導士達が理解できずに四苦八苦しているのだ。

 魔装機甲兵並みに大きいものを提示されても、その大きさに比例して悩みが増え、結局は置き場所に困るだけである。

 もっとも、モルデ王子に代表されるように、そうした事を理解できない人々もいるので、締めるべきは締めなければならないのだが。


 そのような経緯で、この侍女が見聞したシンゴに関する情報がテレーゼ皇女に筒抜けになっても、皇女の頭痛の種が増えるだけと見なされており、放置されている状況である。

 もっとも、エマと言う侍女に、敵国の人間としては破格と言って良い自由な振る舞いが許されているのは、それだけの理由ではなかったが、ともかく、この侍女の呼びかけに、シンゴは小躍りして駆けだしていた。


「待ってました」


 その後ろ姿を見て、ヘレーネが呆れたように言う。


「あ~あ、すっかり餌付けされやがって」

「餌付けされたのは、彼だけでしょうか?」


 意味ありげにソニアが言うと、負けじとヘレーネも言い返した。


「確かにそうだな。どこかの宮廷魔導士殿も餌付けされたんだっけっかな」

「ええ、どこかの王女様と、その護衛を自負している側近もね」


 こうしたやり取りでは、茶髪の女戦士には到底勝ち目は無い。

 降参するように両手を挙げて、クスクス笑う宮廷魔導士と共に、軍事車両の方に向かうのだった。



         ◇



 本来、敵国の重要人物である『氷姫』ことテレーゼ皇女は、捕虜として、あるいは重要な情報源として、軍か防諜組織の預かるところとなるはずだった。

 だが、若干の自由こそ制限されているものの、その身柄はフランチェスカ王女の客人として扱われている。

 テレーゼ皇女はローセンダールと交戦中である敵国の上級軍人ではあるが、同時に一国の皇族でもあるから、あながち的外れな待遇とも言えないが、軍や防諜組織の思惑をはねのけて、その待遇を皇女に与えたのは、ひとえに、このエマと言う侍女に寄るところが大きい。

 そもそもは、魔獣襲来の騒動でテレーゼ皇女達が出て行った後、一人残されたエマにフランチェスカ王女が話しかけたのが発端になる。

 その会話の中で、制約が大きい食生活に関して、王女が愚痴まじりに話したのだ。

 動物性の食材が食べられないとなれば、乳製品も卵も駄目と言う事になり、栄養価はともかくとして、この年齢の少女としては、味覚の面で、かなり貧しい食生活にならざるを得ない。

 特に、巫女体質が顕現するまで味わっていた、クリームなどを使った菓子類に対する望郷の念にも似た思いは切実だった。

 それを聞いたエマが、キッチンを借りて、いわゆる豆乳などの代替品でいくつかの菓子を拵えた。

 九之池慎吾の世界における豆類とは異なり、この世界の大豆に該当する品種は、比較的短時間で豆乳が作れたようであるが、それだけでは無い。

 雰囲気が大人しそうで地味に見えるエマと言う娘は、しかし、料理の腕は超一流であったのだ。

 滂沱の涙を流しながら、それらを完食してしまったフランチェスカ王女が、まず、最初に陥落した。

 それだけでは無く、このザミーン皇女に仕える娘は、今まで王女の食事を担当していた侍女達の面目を潰すような事にならぬよう、彼女たちに惜しげも無く自身のレシピを公開し、事細かに指導まで行ったのである。

 この行為によって、王女付きの侍女達はエマの味方になった。

 エマの、人当たりの良い、優しい人柄も大いに影響したかもしれない。

 こうして、シンゴ達が首都に戻るまでの短い期間で、フランチェスカ王女の派閥は、エマを受け入れ、擁護する体制を整える事となったのである。

 それは、彼女が敵国ザミーンの人間だと知れた後でも変わらなかった。

 ひとつには、エマが軍人では無く侍女だった事、及び、彼女の身体的特徴、つまり、宮廷魔導士と同じ黒い髪が、純粋なザミーン人では無い事を示していたからでもある。

 フランチェスカ王女とその侍女達の支持を受けたとなれば、ミルヴァ宮殿におけるエマの立場は確保されたと言って良い。

 ミルヴァ宮殿では、侍女達の横の繋がりは大きく、そのネットワークは強固ですらある。

 何しろ、宮殿の運営に侍女達の働きは欠かせぬものであり、また、脇の甘い要人などは、公にできない事情や秘密すらを彼女たちに押さえられているのが実情だ。

 この侍女達のネットワークを敵に回す事は、さしもの宰相も回避したいところであっただろう。

 従って、ザミーン皇女の処遇に関しては、形としてはフランチェスカ王女の意向となる、エマの願いを汲んだ方向で考慮する事となった。

 折しも、戦線から届けられた連絡も、ボーデン侯爵にそうした対応を促した要因だ。

 ともかく、ザミーン帝国の第三皇女の身柄を押さえ、無事に保護しているという事実は、強力な外交カードとなる。

 この政治的な武器に比べれば、テレーゼ皇女自身が持つであろう軍事機密などは、優先度を下げざるを得ない。

 また、軍事的な話に限って言えば、シンゴと言う青年の存在も大きい。

 《空魔》や、それが変じたと言う魔法生物を撃退する彼の武力がローセンダールに味方するとなれば、無理をして軍事上のカードを上積みする必要は無いものと判断されたのである。

 こうして、ローセンダール首脳は、ザミーン帝国の第三皇女の処遇を、フランチェスカ王女の客人に準じて扱う事を決定した。

 即ち、その身柄は王女に一任すると言う形となり、監視はするものの、干渉はしない事としたのである。

 だが、ひとつだけ。

 全ての政略を練り直す事になろうとも、場合によっては、テレーゼ皇女自身に贖ってもらわなければならない件があった。



         ◇



 エマのお弁当による昼食を終え、ミルヴァ宮殿の軍事演習場に戻った一行を迎えたのは、ヴァルマー将軍だった。

 この数日で、すっかり傷も癒えている。


「へぇ、さすが、異世界。治癒魔法って凄いんだな」


 シンゴが感嘆の声を上げると、ソニアが訂正した。


「魔法ではありません。神々の恵みです」

「恵みって、ただじゃないんだろ?」


 この数日で、シンゴも、この異世界ファーラの事を色々と知った。

 例えば、『対価』による神々との取引である。

 神々と言う明確な意思が存在する、この東大陸では、神殿の巫女を通して神々の恩寵を得る事が可能である。

 その代わりに、支払うべき『対価』が人々には課せられる。

 願いに対し、どのような『対価』を課すかは、裁定を司るナズルと言う神格が告げるのだが、この『対価』は多種多様で、人間側から見るとどういう基準で設定しているのかがさっぱりわからない。

 金銭や品物を捧げると言うケースも無いではないが、奉仕活動や特定の行為、時として、本人か縁者の身体の一部……たいていは髪等の体毛と言ったものを供物として課せられるのだが、端から見ると全く一貫性や規則性が無い。

 例えば、シンゴの治癒として、ヘレーネが支払った『対価』は『隷属』『服従』『獣』をキーワードとする行為だった。

 だが、ヴァルマーの身体を癒やす『対価』は、縁者の髪の一房と言う神託だったので、同じ治癒と言う恩寵に、どうしてこれだけ差異があるのかは、文字通り神のみぞ知ると言う事になるだろうか。

 ただ、これらの神々の恩寵にもいくつか制約がある。

 まず、原則として『対価』は願いを持つ本人に課せられるが、例えば治癒等の、本人に直接的に恩寵が及ぶケースでは、本人以外の縁者が『対価』を支払わなくてはならない。

 また、縁者の意に沿わない『対価』は無効である。

 従って、怪我をした夫の治癒を願って、妻が自らの髪を捧げる場合などは問題無いが、彼女が拒んだ場合、その髪を無理矢理切り取ったところで『対価』としては認められない。

 また、縁者の定義もいくつかある。

 一般には、家族が該当するが、それ以外に主従関係もあるし、傷害の場合は加害者と被害者も縁者の関係として定義される。

 シンゴとヘレーネのケースはまさにこれである。

 従って、加害者が被害者に、文字通り、その身を以て贖うと言う事も可能なのだが、そういうことが成立するのは、事故などで加害者側に贖う意思がある場合に限られるので、ほとんど、稀少とも言える。

 ともあれ、治癒の祈願に支払う『対価』は、重篤か軽微かの差異も関係無く、最も法則性が無いので困惑するケースが少なくない。

 ただ、こうした恩寵にも例外がある。

 例えば、死者の蘇生を願っても、神々が応える事は無い。

 不老不死などの理に反した願いも同様である。

 また、人と人との争いには介入しない。

 ただ、争いの結果としての怪我を治癒する場合は、その限りではないが。


「つまり、教会に行っても、呪いは解いたり、HPは補充してくれるけど、復活はそもそもメニューに表示もされていないってことだよな」


 シンゴの解釈としては、小学生の頃にプレイした某竜探しRPGの教会と宿屋がごちゃまぜになったものと言うところだ。

 ただ、人々も無原則無節操に神々の恩寵を求める事はしない。

 極めて希だが、本人、もしくは、縁者の四肢や眼など、事によっては命すらを『対価』として課せられる事もあると言う。

 いうなれば、一種のロシアンルーレットのようなものだろうか。

 ただ、願いを取り下げる代わりに『対価』を免れる事は可能なので、神々との取引が元で、大きな悲劇が生まれるような話には発展しないとされている。

 我が子の重篤な病や傷を癒やす為に、親が犠牲を払うようなケースは別として、であるが。


「ともあれ、将軍閣下のお体が無事、回復された事をお喜び申し上げます」

「あたしは、師匠に縁者ができた事がめでたいと思うね」


 ソニアの祝辞ににこやかに応じていた若き将軍は、剣の弟子の言葉に顔を引きつらせた。

 幼い頃に両親を失い、独身を貫いていたヴァルマーに『対価』を支払うに値する縁者はいなかった。

 それゆえ、負傷の身を治癒院に通わせながら、己の職責を果たす日々であったのだ。

 そうした中、宰相の執務室で、一向に帰宅できない夫に着替えなどを届けに訪れた夫人と会う機会を得た。

 侯爵夫人は、この時、五歳にもならない末の娘を連れていたのだが、その末娘がどういうわけか、ヴァルマー将軍を一目見て気に入った様子だった。

 無邪気な様子で、「あたし、将軍閣下のお嫁さんになる」などと言って、夫人の笑いを誘っていた。

 ヴァルマー将軍も、その可愛らしさに「その申し出、ありがたく」などと承諾の返事をしてしまっていた。

 夫人はいっそうにコロコロと笑っていたが、その時の父親の視線はヴァルマーに冷や汗をかかせるには充分過ぎるものだった。

 話はそこで終わらず、その後、侯爵の末娘は、お供の侍女と首都にあるナズル神の分殿に赴き、ヴァルマー将軍の治癒を祈願して『対価』となる一房の髪を捧げたのだった。

 婚姻の約束をした場合、お互いが本気であれば、神はこれを縁者として見なすとされている。

 この末娘の『対価』を受け入れた以上、神は二人の縁を認めたわけで、つまりは、ヴァルマー将軍の承諾は本気だったと言う事になる。


「つまり、幼女の求婚に本気で応えてたってこと?」

「そうなるな」


 シンゴの問いに、ヘレーネがにやつきながら応じ、ソニアは複雑な表情をしていた。


(なんとでも言え。あの宰相閣下をお義父さんと呼ぶ事になる、こっちの身にもなってみろ)


 張本人であるヴァルマーは自暴自棄と諦念の混じった表情で目を閉じた。

 その手がいきなり掴まれ、驚いて眼を見開くと、シンゴと言う青年が、一歩踏み出し堅い握手をしていた。


「グッジョブです。尊敬します。先輩、いえ、先生と呼ばせて下さい」


 一瞬、からかっているのかと思ったが、その眼は真剣だった。


「お、おう。おれも、お前とは心の底から語り合えると思っていたぜ」


 この青年が、フランチェスカ王女に、自分を「お兄ちゃん」と呼ばせていた事を思い出し、ヴァルマーは熱くなった。

 世間の目など恐れもせぬ、二人の漢が熱い想いを交した瞬間、と言えなくもないが、賛同者はあまり得られそうもないようだ。


ローセンダール(うち)の英雄は、そろいもそろって犯罪者予備軍かよ」

「戦時の英雄は、平時ではそういうものなんでしょうね」


 ヘレーネは天を仰ぎ、ソニアは以前に読んだ古書の一節を思い出して、ほぼ同時にため息をついた。


「失礼な事をいうな。本当に手を出す輩といっしょにしないでくれ」

「そうとも。アニエスとは、当分白い婚姻だ。あの子が成人するまで、指一本触れるもんか」


 二人の漢が反論する。

 どうやら、アニエスと言うのが、宰相の末娘の名前らしい。


「ほう、すると、花嫁を育てる事になりますな。それって漢の夢ですよ。うん、若くして将軍になるだけの事はある」

「わかってくれるか。さすがは《空魔》を墜とし、魔獣を斃した勇者だな」

「指一本、と、おっしゃいましたが、しかし、これは言葉の綾とお見受けしましたが?」

「うむ、首から下はともかく、あの頬をつつくな撫でるなと言われても無理だ」

「わかります。幼女のほっぺの感触は、巨乳など眼じゃありません。実体験はありませんが」

「そうだな、巨乳は娼館へ行けば買えるが、幼女の頬は……」


 会話の内容がだんだん聞くに堪えない方向にいきつつある。

 ヘレーネが黙ったまま親指を下に突き出すと、ソニアの魔紋が呼応して輝きを放った。


「うがっ」

「ぐげ」


 懲罰レベルの雷撃が、二人の困った漢達を沈黙させた。

 この異世界ファーラには、サムズアップの習慣は無いようだが、その反対の仕草は、何故か九之池慎吾の世界と共通するところがあったようだ。

 ちなみに、九之池慎吾の世界でも、国によってはサムズアップが中指を立てるのと同等のゼスチャーになるらしいので、異なる世界で、同じ仕草が同じ意味を持つのは、あるいは奇跡的な偶然かも知れない。



         ◇



 ヴァルマー将軍がシンゴ達を案内したのは、彼の執務室だった。

 テレーゼ皇女の元へ戻るエマを除く、シンゴ、ヘレーネ、ソニアの三人がヴァルマー将軍と円形のテーブルを囲む形となった。

 全員が腰を下ろしたところで、ヘレーネが未だに冷たさの片鱗をとどめる声で言った。


「それで、師匠。ご多忙のところ、わざわざお出迎え頂いたのは? まさか、ノロケた話を聞かせる為じゃないでしょう」

「く、お前が振ってきたんじゃないか」


 髪のあちらこちらを縮れさせたヴァルマーが抗議するように言う。

 このマンガのような有り様は、懲罰魔法を受けた刻印の一種であり、半時間ほどは元に戻らない。

 ヴァルマーはひとつ咳払いすると、自分の髪の毛や諸々を意識の外に追いやり、そもそもの用件を話し始めた。


「バウフマンのやつが報告してきた件は聞いているな」

「ええ、西方の戦線が大変な事になったとか」

「うむ。北側の、つまり、カウスティネン王国、ウジュト公国、エルメネク王国の三国が構成する防衛戦がとうとう突破されたようだ。ローセンダール軍が展開している南側からだと三万ククトも距離があって、詳細はよくわからんらしいが」


 バウフマン将軍からの一報を受けたボーデン侯爵、及び、サイラス将軍は、現在もあらゆる外交チャンネルや情報網を駆使して状況把握に勤めている。

 しかし、拮抗していた筈の防衛戦が突破されたのは事実のようだが、どうしてそのような事態になったかは情報が錯綜していてよくわからない。

 カウスティネン王国の寝返りとも、例の魔装機甲兵転移技術が実用化されたとも、あるいは「とてつもない魔装機甲兵」が投入されたとも言われている。


「ザミーンの侵攻に関しては、当初、巫女姫たる王女殿下にフリュム神殿に赴いて頂く予定だったわけだが、お前らも良く知る事情で、ご破算になったわけだ」


 この世界ファーラの神々は、その盟約に、人同士の争いには介入しない旨を挙げている。

 しかし、それならば、争いそのものを止めさせると言うアプローチで何とか智慧を授けてもらえないか、と言う発案の元、巫女姫であるフランチェスカ王女が、調整を司るフリュム神の本殿まで赴く筈だった。

 その途上でザミーンの《サラマンダー》の襲撃があり、そして、シンゴとの出会いがあったのだ。


「王女一行の経路や日程があちらに漏れていた件については、未だに調査中だ。神殿関係者が買収されていた、あるいは、殿下の『聖なる義務』、つまり、正式な巫女への就任で力関係が変わる事をよしとしない連中の密告とも言われているが、あそこはガードが堅くてな。防諜の連中も手を焼いているようだ」


 この世界における神殿関係者とは聖職者を意味しないようだ。

 もっとも、九之池慎吾の世界でも、聖職者が乱行を働いた事例は数え切れないほどあるのだが。


「そんなわけで、ザミーン侵攻に関して神々の加護を求めるアプローチは凍結せざるを得なくなったわけだが」


 そこまで言って、ヴァルマーはシンゴの方へ視線を向けた。


「その代わり、とんでも無いやつが現れたわけだ」

「たしかに、とんでもないヘタレだな」

「とんでもないムッツリですね」


 ヴァルマー将軍の発言に乗るように、ヘレーネとソニアが口々に言う。


「な、なんだよ。ヘタレ……は、ともかく、ムッツリとはなんだ」


 シンゴは抗議の声を上げるが、身に覚えがあるので、今ひとつ勢いが無い。

 と、言うか、半分ヘタレを認めている時点で抗議にもなっていない。


「あら。私が魔導を使うところを、隠れた『眼』でご覧になっていたでしょう? 見たければ堂々と見ればよろしいのに」


 ソニアがそう言って意味ありげな笑みを浮かべる。

 まさに、妖艶な、と言う形容が相応しい美貌であった。

 隠蔽機能に優れたプローブも、この宮廷魔導士にはお見通しと言う事だろうか。


「な、何のことだか。おかしな事は言わないで欲しいなぁ」


 視線を泳がせ、声をうわずらせつつも、シンゴはプローブの性能を信じて、あくまでもシラを切る。


「あなたに言葉を転写した時、どうも繋がりができてしまったようですね。何となく伝わってくるのです」


 クスクスと笑いながらそう言うソニアを、傍らのヘレーネが、何故か面白くなさそうに見ている。

 一方のシンゴは満面の汗で「て、てれぱしぃだと? さすが異世界」などと意味不明の事を呟いている。


「あー、話を戻していいか?」


 白けた表情でヴァルマーが言うと、シンゴが熱心に食いついてきた。


「そうですよ。重大な話をしていたんですよね」

「うむ。確かに、そうなんだが……まぁ、いい。結論を先に言うと、だな。俺も戦線に行く事になった。お前にも一緒に来て欲しい」

 この一言を言うのに、どれだけ時間を浪費したかと思うと、軽い頭痛を覚えてくるヴァルマーだった。



         ◇



 各砦から招集された兵士、及び、新たに募集した新兵は、総勢一個師団の人数となり、ヴァルマー将軍の指揮下に編入された。

 そして、ヴァルマー将軍と共に、シンゴ、ヘレーネ、ソニアが戦線に行く事が明示された。

 これに対し、一部からは、首都ヘルツェンの防衛を危惧する声があがった。

 モルデ王子などは、再々のザミーンの奇襲を予想し、これらの兵力は全てそれに備えるべきと、宰相の執務室にまで詰めかけた。

 しかし、《クワポリガ》に匹敵する《空魔》は他に無い旨をテレーゼ皇女が明言し、確かに同等の機体をザミーンが所持していれば、既に投入されていただろうとの判断から、ボーデン侯爵はそうした懸念は不要と一蹴したのである。

 テレーゼ皇女、及び、他三名に関しては、当初、ローセンダールが保護している旨を伝える事を予定していた。

 その後、ザミーン帝国本国では皇女らが戦死したものと見なされているとの情報が入手された為、議論の末に、本人達を同道させる方向で予定が立てられた。

 だが、彼女たちに関しては、ひとつだけ、済ませておくべき事があった。


 首都ヘルツェン中央より北東に位置するナズル神の分殿。

 いつもは、少なからぬ人々が押し寄せるここは、今日に限って、近衛騎士団によって一般人の立ち入りを制限していた。

 その祭壇上に、フランチェスカ王女の姿があり、その前にテレーゼ皇女を始めとする四名のザミーン帝国人が座している。

 シンゴはヘレーネ、ソニアとともに、参列の席から黙ってその様子を見ていた。

 やがて、王女が何か、祝詞のようなものを唱えると、その栗色の髪が輝くような白となり、その瞳が銀色の輝きを放つ。

 神をその身に降ろした『白薔薇姫』は、その前にいる四名をしばらく見ていたが、ややあって、厳かに告げた。


「治癒の願いに対し、この者達を縁者とするには足らず。従ってこの者達に『対価』を求める事はできぬ。『対価』を支払うに値する者は既にこの世に存在せぬか、あるいは、この大陸にはおらぬ」


 参列席で、他のローセンダール首脳と共に、それを聞いたナハル治癒院の長である老婆は、肩の力が抜けたように、がくりとうなだれたのだった。

 そう、これは治癒院を襲った《シルフィード》、即ち、非戦闘員を虐殺した件に関して、テレーゼ皇女達の非を問う儀式であった。

 《クワポリガ》麾下の魔装機甲兵、及び、その搭乗者の編成は、帝国軍本部局長を兼任する第一皇子の指揮下で行われたものであるし、末端の兵士の行動まで、指揮官が制御できるものでもないから、ある側面では当然とも言えるのだが、犠牲者の遺族や、今なお負傷に苦しむ縁者のいない、もしくは縁者を失った人々にとっては、納得しがたい結果であっただろう。

 総指揮官が責任を問われないと言うのは、不条理でもある。

 だが、フランチェスカ王女自らが巫女を務めたナズル神の裁定は下されたのだ。

 あらかじめ事情を聞かされていたテレーゼ皇女は、何の表情も浮かべないまま、遺族や負傷者に向かって無言で一礼した。


 この時点をもって、この四名も戦線方面へ同道する事が確定したのであった。



         ◇



 ヴァルマー将軍率いる一個師団が、まず南回りルートで先発する事になった。

 シンゴ達は後から別ルートで進み、戦線のローセンダール軍駐屯地の手前で落ち合う事を確認する。

 別々に進路を取ったのは、一つには、《ガリア・キャリアー》のような、超巨大トレーラーが一緒では目立ってしょうが無い事と、ローセンダール軍が進軍途中で宿泊を予定しているいくつかの都市に、このようなものが近づいた日には、そこの住民が恐慌状態になるとの判断である。

 従って、《ガリア・キャリアー》のルートはやや中央寄りの山岳地帯、すなわち、ほぼ無人の領域を進む事になる。

 また、もう一つの理由として、テレーゼ皇女をローセンダールの一般兵から遠ざける必要があったと言う点がある。

 ナズル神の裁定が下されたとは言え、兵士の中には、それで簡単に納得できない者もいる。

 とくに、守備隊に知人がいた者や、治癒院に家族がいた者の暴発は、いかなヴァルマーと言えども、押さえきれるものでは無い。

 従って、テレーゼ皇女を始めとする四人のザミーン帝国人は、シンゴと一緒のルートとなった。

 ザミーン帝国人に魔導士がいる事から、ソニアもシンゴと共にある必要があった。

 そうなると、自然に、ヘレーネも一緒と言う事に……


「どうして、ヘレーネも?」


 女戦士がヴァルマーの弟子と聞いているシンゴは、ここで首を傾げた。


「あのな。それは、あたしが、おぶざーばってやつだからに決まっているだろ」


 いくつかの荷台を接続した《ガリア・キャリア》に乗り込む直前。

 パイロットスーツに着替え、タブレット端末を見ながら物資やルートの最終チェックをするシンゴに、ヘレーネが妙に不機嫌な様子で応えた。


『否定。雌犬のオブザーバ権限は、百九十二時間前に消失しています』

「雌犬って言うんじゃねぇ。どうしてあたしばっかり」


 すかさずチルが指摘し、ヘレーネが噛みついた。


『回答します。唯一、識別信号コールサインを設定した個体だからです。他に理由はありません』

「こいつが個体呼ばわりしないのは、おれとヘレーネだけさ。だからといって雌犬はどうかと思うがなぁ」

『以降の識別信号コールサイン設定はユーザに禁じられております』


 チルの回答に、シンゴが補足する。

 それを聞いたヘレーネは複雑な表情で黙り込んだ。

 《ガリア・キャリア》を目を輝かせて見つめていたソニアが、好奇心にかられて尋ねてくる。


「あら。そうすると、私にも、その「こーるさいん」ていうのを設定するつもりだったのでしょうか」

『肯定』

「聞かせてもらえる?」

「わっ、バカ、よせ……」


 シンゴは慌てて制止しようとしたが、手遅れだった。


『候補は以下の通りです。アバズレ、肉奴隷、肉便器……続けますか?』

「いいえ、そこまでで結構です」


 ソニアはにこやかに言い、チルは沈黙した。


「いや、それは、その……チルのやつが勝手に……」


 黒髪の宮廷魔導士は、あくまでも穏やかな笑顔を崩さなかったが、シンゴは彼女の額に浮かぶ青筋を見たような気がして(よせば良いのに)弁解を始めようとした。


「ふふん、アバズレ? 肉奴隷? 肉便器、ですか。まぁ、トロンヘイム派の魔導士として、肌を晒す事も多いですしねぇ」


 ヘレーネや、同乗するザミーン帝国の四人は巻き添えにならない距離まで避難済みである。

 それを絶望の表情で見たシンゴは、落ち着いた口調で話すソニアの背後で、ゴゴゴゴゴゴゴと何かが不気味に唸る音を、確かに聞いたような気がした。


(何となく伝わるんじゃなかったのかぁ!?)


 と言う疑問を、シンゴはついに口にする事が出来なかった。


 唯一の救いは、これらの会話がなされたのが《ガリア・キャリア》に乗り込む前であった事であろう。

 さもなければ、いかに大幅な安全係数をとって設計されたBMRコクピットでも、電装系が無事では済まなかったかもしれない。

 事実、過酷な環境におけるミッションも考慮されたパイロットスーツは、なんとか機能消失を免れたが、タブレット端末は過負荷の電流に耐えきれず、黒焦げになってしまった。

 そして、ヴァルマー率いる一団が出発した後、予定より三時間遅れて、シンゴ達が乗る超巨大トレーラーは、ふらふらと蛇行しながら発進した。

 目標地点は東大陸の西南に位置する港、ケメルである。

 ちなみに、シンゴの髪型から刻印が解けるまでには、更に数時間を要したのであった。


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