狩猟
BMRパイロットの着用するスーツは、多重層アブソーバによる耐衝撃性に優れているが、これは一定の閾値を超えた衝撃を分散吸収するもので、逆に言えば閾値以下であれば感触をそのまま伝えてくる。
むろん、部位によって異なるが、腕から先は操縦時のレバーの具合や、潜入ミッション時のトラップ等をチェックする為に、ある程度感覚が先鋭化する仕組みにもなっている。
九之池慎吾のいた世界でも、指先でミクロン単位の差異を検知するとてつもない職人がいたわけであるが、シンゴもそれに匹敵する感覚の持ち主であった。
その腕を美少女に抱え込まれ、頬をすりつけられている状況は、シンゴにとって、言うなれば甘美な地獄であったかもしれない。
(死ぬ、このままでは、本当に萌え死んでしまう。い、いや、萌えだけじゃない。こ、こ、この、小さくはあるが、しかし、柔らかい二つの膨らみわぁっ!?)
シンゴのバイタルサインは異常値を示している筈だが、人工知能のチルは沈黙したままである。
刻々と異常値の新記録を叩きだしている状況に処理が追いつかないのかもしれず、あるいは、こんな非常識なバイタルサインを示して、未だに生きているシンゴと言う青年の不合理さに混乱しているのかもしれない。
しかし、これは誰にも分からないことである。
(え? いや、まてよ。そういう感触があるって事は、こっちだけの問題じゃない……げ! こ、この御姫様って、ぶ、ブラつけてなひ?)
愕然とするシンゴだった。
一方、さすがに羞恥を覚えたのか、目的を達したフランチェスカは身体を離そうとした。
だが、先ほどの神降ろしで体力を消耗していたらしく、よろけそうになった。
「あ、危ない」
慌ててシンゴが手を差し出し、抱きかかえるような体勢になった。
わざとではないが、その時にシンゴの手は、王女の腰から下の部分を掴むような形になる。
「をりょぶっ」
シンゴの口から意味不明の言葉が飛び出した。
(い、今の感触。まさか、やんごとなきお方が……は、穿いてないだと?)
萌えとエロの狭間で、混乱する一方のシンゴだった。
彼には知る由も無いが、巫女体質のフラチェスカ王女には、色々と制約があり、動物性の食材は食べられないし、同じくそうした素材を身につける事も出来ない。
この世界にはゴムに該当するものが無いので、下着は伸縮性のある絹の一種で造られるわけだが、これも動物性の範疇に入る為、身に着けられないと言う次第である。
彼の表情から何かを感じ取ったのか、側近の一人であるヘレーネが奪い返すように、王女の身体をシンゴの手から、自分の方へと抱き寄せる。
そして、半眼になって、罪も無い青年を冷ややかに見つめて言った。
「報酬は前払いで、きっちり受け取ったようだな、え? 受け取った分の働きはしてもらうぞ」
シンゴは(お人好しにも)反論できなかった。
だが、今の一幕を見ていた別の人物は、異なる見解を持ったようだった。
(ほう。さすがは音に聞こえた『白薔薇姫』だ。自分の身体を張ってまで、こやつを取り込もうと言う訳か。幼いが侮れぬやつだ。これはこちらも相当な覚悟で臨む必要があるな)
ザミーンの『氷姫』が、侍女と侍従にも(色々と)言い含める算段を始めた、その時。
「獣どもが脚を早めました。もはや、一刻の猶予もなりません」
再び、遠見の術で状況を確認した宮廷魔道士が、切羽詰まった声で叫んだ。
言っては何だが、シンゴにとって、うやむやにするには丁度良いタイミングである。
「チル、《ガリア・フット》の現在所在地は?」
遠隔操作で、ここまで呼び寄せる事も可能だが、さすがに王女のプライベート空間をぶち壊すわけにもいかない。
『軍の演習場、と呼称される広い敷地があります。そこをランデブーポイントとするのが最適かと判断します』
「よし、行くぞ。すまないが、また、オブザーバが必要だ。ついてきてくれ、ヘレーネ」
そう言って、シンゴは後をも見ずに部屋を飛び出した。
むろん、シンゴが宮廷内の構造を知るわけもないが、小型プローブで情報収集したチルの的確な指示で、迷うこと無く《ガリア・フット》とのランデブーポイントへと向かう。
◇
軍事車両《ガリア・フット》は、未だにシンゴが地下牢に入れられた、南側第三通用門近くの詰め所に置かれてあった。
シンゴが投獄される時、幌のようなものが自動的に座席を覆い、ドアやタイヤもロックされた状態となった為、誰一人として内部に触れられず、かなりの重量がある事もあって、衛士達も扱いかねて放置されているのである。
そこに人目を憚るように近づいて行ったのは、モルデ王子から言い含められ、礼金を弾まれた子飼いのゴロツキ達だ。
見張りの衛士を殴って気絶させた彼らの手には、ハンマーやバールの類いがある。
王子からの命令は、この車両をバラして、あの銀色の機体が隠してる場所の情報を得る事だった。
この貴重な魔導車は、シンゴと言う青年の財産なのだが、彼らにはそうした倫理観が欠如していた。
だから、突如としてこの車両が独りでに動き出し、彼らを跳ね飛ばしたのも、ある意味、自業自得であったのかもしれない。
気の毒(?)な彼らを例外として、《ガリア・フット》は警笛を鳴らし、逃げ惑う首都の市民を器用に避けながら、ミルヴァ宮殿へと向かって行った。
シンゴが軍の演習場に辿り着くと同時に、《ガリア・フット》は彼の前に停車し、自動的に幌を収納した。
その運転席に、軽い身のこなしで飛び乗り、ハーネスを締めると、次々に運転席に設置されたケーブル類を、パイロットスーツに接続する。
そして、簡易パワードスーツモードによって失われたエネルギーを充填する一方で、偵察用プローブを放出した。
その充填が終わった頃、息を切らしたヘレーネが追いついてきた。
「お、お前、何だって宮殿の極秘経路に詳しいんだよ。あたしも知らない隠し扉に飛び込みやがって」
ぜえぜえと喘ぎながら、ヘレーネが文句混じりに言う。
女戦士として鍛えている筈だが、持久走となるとシンゴには敵わないようだ。
「あー、いや、急いでいたし、あんまり人と出会わない方が良いと思って」
頭を掻きながら、シンゴは応えた。
どうやら、本来は通ってはいけない場所ばかりを走ってきてしまったらしい。
まぁ、それはともかく、シンゴの方も尋ねる事があった。
「ところで、ヘレーネはともかく、他の二人はどうしてここへ?」
そう言われてヘレーネが振り向くと、おなじように息を切らした二人の姿がある。
「ど、どうして、と、い、言われても。わ、私を名指しして、ついてこいと言ったのは、お前ではないか」
あの地下牢でやりあった美女が、激しい呼吸の合間に、それでも憮然とした口調で言った。
シンゴは、思わずきょとんとした。
「へ? 名指し?」
「う、うむ。ついてきてくれ、テレーゼ、と」
ヘレーネとテレーゼ。
言われてみれば、韻とか響きが同じでひどく紛らわしい。
シンゴは顔を押さえて唸った。
「お前の名前なんざ、今、初めて知ったよ。んで、そっちは」
「わ、私はひめさ……い、いや、テレーゼ様の護衛でもある。テレーゼ様が行くとなれば、ついていくのは当然だ」
シンゴと仕合った短髪の娘が、こちらは、比較的早く息を整えて、仏頂面で応える。
テレーゼと言う娘はともかく、この短髪の娘の方は得がたい戦力であるには違い無い。
「ん~、まぁ、いいか。何があるかわからないからな。えーと、名前は?」
「……クラウス」
男のような名前だ、と、シンゴは思ったが、この世界の名前の付け方がわからない事もあって、そこはスルーした。
「わかった。三人とも乗ってくれ」
ヘレーネが当然のように助手席に乗り、他の二人が後部座席に乗るのを確認すると、シンゴは《ガリア・フット》を発進させようとした。
そこへ、上の方から声がかけられた。
「お待ち下さい」
ぎょっとして、上を見たシンゴは、目を見開き、愕然となった。
中空に、黒髪の宮廷魔導士が浮いていた。
本物の「魔法使い」らしく、自分の魔力で制御を行っているのだろう。
だが、魔導の事情に詳しく無いシンゴが目を剥いたのは、別の事情からだった。
いつの間に着替えたのか、宮廷魔導士はトロンヘイム派固有の戦闘服、つまり、丈が長い癖に妙に露出の多い衣装に身を包んでいたのである。
しかも、シンゴの位置からは(中身が)丸見えである。
「ヘレーネ、あなたの装備と武器よ」
ソニアは知ってか知らずか、平然として、持っていた包みを投げて落とした。
「ありがてえ。こいつを取りに行く暇がなかったから、どうしようと思っていたんだ」
ヘレーネが嬉しそうに言い、早速、包みを紐解き始めた。
「私は先行して、あの魔獣どもを食い止めてみます」
ソニアはそう言うと、全身の魔紋をきらめかせ、凄まじい速度で飛んでいった。
「さすが、ローセンダール歴代でも最強の呼び声高い宮廷魔導士」
「ええ。あの膨大な魔力を緻密なまでに制御する能力と技術はさすがです。私の遠当てなど、児戯にも等しいかと」
後部座席の二人が感嘆するのを聞きながら、シンゴは少し前屈みになって《ガリア・フット》を発進させた。
(あの王女と言い、宮廷魔導士と言い、この世界の女性は下着をつける文化が無いのかな? いや、後ろのクラウスって娘は下着のようなものを着ていたし)
そんなことを考えていると、助手席のヘレーネが、もっととんでも無い行動に出た。
着ている服をせっせと脱ぎ始めたのである。
「お、お前? な、何やってんだ!?」
「あ? こいつを装備するに決まってんだろ」
ヘレーネが掲げて見せたのは、あのビキニアーマーだった。
そのきわどい装備を身につける、と言う事は……
シンゴは慌てて、幌を上げて座席の上部を覆うと同時に、全方位の防護壁をせり上げて車窓を覆った。
防護壁の裏側は《ガリア・フット》が装備するセンサーからの画像情報を表示する映像パネルとなっているので、これで、こちらからの視界は変わらないが、外部から車内への視線は全て遮断された格好になる。
助手席でストリップをやっている娘を乗せたまま、オープンカーの状態で街中を走る度胸と趣味は、シンゴにはなかった。
(この世界の女性の羞恥心の基準がわからん。さすが、異世界)
次から次へとインパクトがあり過ぎて、眼の保養どころでは無い。
むろん、平常時におけるヘレーネ達の羞恥心は、九之池慎吾の世界の女性とさして変わるものではない。
ただ、臨戦態勢に入った時は、優先度が切り替わるだけの話である。
次元は異なるが、九之池慎吾の世界でも、ファッションショーの控え室などでは、男性スタッフが混じっていても、モデル達はいちいち恥ずかしがったりせずに下着から何から着替えてしまうそうだが、あるいは、それに近い心情なのかもしれない。
◇
首都の城壁を越え、北に広がる無人の草原の上を、かなりの高速で飛行するソニアの眼下に、疾走してくる魔獣の群れが見えてきた。
ソニアが先頭の一頭に向けて、火球を放とうとした、その寸前。
黒髪の宮廷魔導士の前に氷の槍が迫ってきた。
すかさず、ソニアは回避するが、氷の槍は、次々と放たれてくる。
いちいち回避するもの面倒になって、ソニアは魔獣に放つつもりだった火球で、それらを全て溶かしてしまった。
「何者!?」
「ほほっ、さすがはローセンダールの宮廷魔導士殿。噂に違わぬ凄腕じゃな」
ソニアの目の前に、ふわりと浮かび上がったのは、分析官と呼ばれたザミーンの魔導士だった。
「じゃが、せっかくの実験。邪魔はお控え願いたい」
「実験? あの魔獣はあなたの仕業ですか」
「いやいや、やつがれのごとき弱輩には、あのようなモノをどうこうする技量などありゃしませぬ。ただ、せっかくの機会。あのモノ達がどこまでやれるか、見届けねばなりませぬ」
その魔導士から見て取れるのは、嗜虐心でも狂気でもなかった。
単純な知的好奇心である。
「戯れもほどほどにされるが良い。あんなモノが首都を襲ったら……」
「魔導士は、ただ、森羅万象の観察者たれ。初歩で習いませなんだか?」
「確かに。だが、あなたは、既にして、一人前以上の魔導士でしょう」
「おお、こりゃ、一本取られましたかな」
年齢不詳の魔導士は、ぴしゃりと自分の額を叩いて見せた。
「まぁ、それはそれとして。邪魔はさせませんぞ」
「邪魔をしているのは、そちらのほうでしょう」
眼下を過ぎていく魔獣の群れを見やりながら、焦りを隠せずソニアは叫んだ。
目の前の魔導士が、簡単にあしらえる相手で無い事はわかった。
それどころか、これほどの使い手に会ったのは初めてである。
今のところ、自分を足止めするだけに徹しているようだが、まともにやりあったら、勝てるかどうかも怪しい。
焦りと怒りと悔しさで歯ぎしりするソニアの耳元で、不意に、シンゴの声が聞こえた。
「悪い、ソニア。そこから、ちょっとどいてくれ」
「は?」
シンゴが放った偵察用プローブからの声に、ソニアは一瞬、呆気にとられたが、背筋を走った悪寒に従い、慌てて急上昇した。
相手の魔導士も焦ったように上昇する。
そして、二人の魔導士が十分な高度を取った時、その下を走る魔獣の群れの中に、レールキャノンが放った砲弾が炸裂した。
『目標、十三体の消滅を確認。残り五体です』
「ん~、ちょこっと照準がずれたかなぁ」
『現在、《ガリア》は重力制御による浮遊移動中です。狙撃パラメータをコンプリートしたユーザでも、BMRの制御下に無い砲塔を遠隔操作で撃つとなれば、瑕疵の発生は避けられないものと考察します』
「どっちにしても、予備コンデンサは空で、これ以上は撃てないし、ルールすれすれだけど、見逃してもらえるよな」
『現在、運営とも、他プレイヤーとも連絡が取れませんので、逆に言えば、通報される事は無いものと判断します。また、該当するケースにおける規定はありませんので、ルール違反か否かは、現時点では判断不可能と回答します』
陸戦型BMR《ガリア》は、現在、重力制御をフルに動かして、機体を浮遊させて移動中である。
通常であれば、戦闘行為は元より、いかなる操作も核融合エンジンの供給能力を超えている為、受け付けない状態だ。
シンゴは予備の外付けコンデンサを、《ガリア》の固有武装である二門のレールキャノンの一つに直結して、先に放った偵察用プローブの測定に基づき、《ガリア・フット》からの遠隔操作で狙撃を試みたのである。
《ガリア》を召喚する予定は無かったが、それでも、このような用意は怠らないのが、廃人プレイヤーたる所以である。
そして、かなりイレギュラーな方法であったが、目標の大半を消失せしめたのは事実のようだ。
もっとも、こんな事を『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』でやろうものなら、「ズルだ」「インチキだ」「ルール違反だ」「通報してやる」と言う非難の合唱を聴く羽目になっただろう。
助手席や後部座席にいる娘達には、シンゴが何をやったのか、むろん、理解できなかった。
だが、遙か前方に、何かがとてつもない速度で飛来し、地形を変えるほどの衝撃を与えたのは察したようだ。
「な、何だよ、今の。雲一つ無いってのに、カミナリが落ちたようだったけど」
ビキニアーマー、いや、『回避の魔装』を着けたヘレーネが声を震わせて言った。
ちなみに、彼女が苦手なものの一つがカミナリである。
「レールキャノンの……。まぁ、説明は後な。見えてきたぞ」
疾走する軍事車両の前方に、《ガリア》の主砲によって生じた大きな窪地と、その直撃と衝撃波を免れた大型の五体の魔獣が、ようやく立ち上がるのが見えてきた。
「まぁ、とりあえず、もう少し数を減らしとくか」
シンゴはそう言って、運転席の横にあるレバーを操作した。
軍事車両のボンネットが割れて、中から重機関砲がせり出して来る。
「それ、ポチッとな」
親指でレバーの先端にある覆いを跳ね上げ、そのまま、中のトリガーボタンを押し込んだ。
二〇ミリ口径、発射速度毎分六千発と言う、軍事車両に搭載するには非常識なスペックの無反動ガトリング砲が、凄まじい轟音と共に火を噴いた。
本来は戦闘機に搭載するようなレベルの銃撃である。
こんなものをまともにくらっては、魔獣と言えどもたまったものでは無い。
四匹の大型魔獣が、瞬時にして挽肉となった。
もっとも、《ガリア・フット》の搭載できる二〇ミリ徹甲弾は、一万二千発なので、二分で弾切れになった。
対して、残りは巨大な蜥蜴のような魔獣が一匹である。
「さて、《ガリア・フット》の武器も品切れだし、後は人手でやるしかないぞ」
シンゴはお気楽な調子で言うと、スーツに繋げたケーブルやハーネスを外し始めた。
「あ、ああ。そうか」
ヘレーネは毒気を抜かれた表情で、シンゴに倣ってハーネスを外す。
後部座席の二人も同様だったのか、のろのろとした動作でハーネスを外し始めた。
「あ、座席の後ろ。銃があるから、良かったら使うといい。ロックは外してある」
そう言われたテレーゼとクラウスが、座席の後ろにあるカバーを開けると、数丁の小銃がある。
二人には銃と言う事しかわからなかったが、それらは携帯用のビームライフルだった。
「お前はいらんのか?」
テレーゼが尋ねると、シンゴは首を横に振った。
「いや、俺はいらない。ちょうど、うってつけのがある」
そして、《ガリア・フット》から出ると、仲間をやられたせいか、慎重にこちらを伺っている蜥蜴のような魔獣に対峙した。
腰に下げたバトンを外して構えると、バトンから放たれたビームが収束し、光の刃を形成する。
「やっぱり、モンスターを狩るには、こういうのじゃなくっちゃね」
『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』でも、出会う確率は稀少とされるハンティングミッションに、シンゴの心は躍っていた。




