魔獣
地より水は湧き出でて。
天に登りて雲となれば風を呼び。
風吹き荒れて火は炎として燃えさかり。
万物を焼き地に戻す。
之即ち、地、水、風、火の理である。
この世界で魔導を学ぶ者が、最初に覚える四大元素に関する文言を、分析官と呼ばれていた魔道士は諳んじた。
「ゆえに、大気、つまり風属性であったアレが属性変換を起こすとすれば、本来は火となるべきところ。しかし、アレは理に反したようじゃの。あるいは、『銀狐』が放った炎の魔弾を間近で見たのも影響したか」
ローセンダールの首都がある方角に向かっていく巨大な人型を見やりつつ、彼は嘆息した。
そして、目の前で朽ちている、同等の大きさの残骸を詳しく観察し始めた。
その魔道士は名前までは知らなかったが、それは、《飛翼脚》と呼称されたローセンダールの魔装機甲兵であった。
正確には、魔装機甲兵であったものと言うべきだろう。
何かに濡れた装甲は爛れ落ち、筐体はぐにゃりと曲がっている。
無論、中の搭乗者はとっくに事切れている。
老朽機ではあったが、五機もあればそれなりの戦力である。
だが、それらの機体は抵抗らしい抵抗もできず、護衛していた魔導車や魔道士ともども、一方的に蹂躙されたのであった。
「ふむ、邪水と見た。魔鋼で造られた筐体や装甲も、熱湯をかけた氷細工も同然とは。こりゃまた、極めて強力で厄介なシロモノじゃな。それに、元は《空魔》であったのを失念しておったわい。アレの魔導圏に囚われれば、何機あろうと案山子も同然か」
分析官は顎を掻きながら、ぼやくように言った。
その言いぐさは、せっかくの好勝負を期待していたのに、肩透かしをくったような、拳闘の観客のようでもある。
「じゃが、あの銀狐なれば、まともな勝負になろうかの。もっとも、今のアレには炎の魔弾も威力は半減するじゃろうから、どうなるやら。それに、魔導圏もだいぶ変質しておるから、あの銀狐とてまともに動けるものか」
ブツブツと独り言を喋りながら、分析官は、今度は魔導車の残骸を検分する。
彼が邪水と呼んだ、言わば毒液だか溶解液だか分からぬものを浴びた無残な人間のなれの果てが見えるが、全く気にもしない。
その溶けて歪んだ車体の魔結晶を埋め込んだ箇所は、今は空洞になっている。
「変質した魔導圏……いや、あれは邪気とか妖気とか呼ぶべきじゃな。魔結晶に干渉すると、ああいう事になるとは、これもまたなかなかに興味深い」
分析官は、そこで何かを思いついたように考え込む素振りを見せた。
「ふむ。兵器としても有効やもしれん。本国に戻ったら、具申してもよかろう。まずは、どれほどのものか、確認する必要があるか」
そう呟くと、分析官は身体を宙に浮かせ、あの巨大な人型と同じ方向へと飛び去っていった。
◇
この世界の理に従えば、風属性であったものが、属性変換を起こして再生するとすれば、それは火属性になる筈だ。
だが、《レバンゲル》の名で己を定義した魔法生物は、理に逆らい水属性である事を選択した。
なにゆえに、そのような選択が行われたのか、《レバンゲル》自身にもわからない。
分析官が見た通り、《ファーブネル》の放ったミサイルによる火球で、次々と墜ちていった同属性のシルフィードを見たせいか。
あるいは、空戦型BMRが生み出した衝撃波……同一属性の鉄槌に力負けした事で、狂ってしまったのかもしれない。
正しい理に反して行われた再生は、新しい誕生と言うより死者を無理矢理蘇らせた邪法に通じるものがあったようだ。
「セ、制圧せヨ、抵抗スる者ハ殺してモ……。ぐブ……。セイアツ、抵抗……コロシテも、構ワん」
目的とする「仕えるべき存在」が残した言葉を、歪に音声化して繰り返しながら、《レバンゲル》はゆらゆらと進む。
その筐体に纏わり付くのは、《空魔》であった時は光る紐とも言うべき形状であったものだろうが、今は何ともしれぬ毒々しい緑と紫の斑に濡れた触手と変じていた。
なまじ細身の人型をしているせいで、そのシルエットは髪を振り乱した巨大な幽鬼にも見える。
その《レバンゲル》の足下に数体の何かがある。
それは、分析官が言っていた、魔導車に埋め込まれた魔結晶が《レバンゲル》の歪んだ魔導圏の干渉を受けた結果だった。
馬の代わりに魔導によって動く車両に使われる魔結晶。
その目的のせいか、魔結晶を生成するに当たって、大半の術者は馬をイメージするのだろう。
それらの魔結晶から生じたモノは、形状も馬に近いシルエットである。
中には、南方で使われる走竜と呼ばれる巨大な蜥蜴をイメージした術者もいたのか、それと同様の形状をしたものもいる。
だが、それらは従順な馬や走竜の類いでは決して無かった。
そうした禍々しい異形異類の群れと共に進む《レバンゲル》が、不意に何かに気づいたような様子を見せた。
「グ……」
《空魔》であった時に比べて、その索敵範囲は縮小した身体に見合った規模となっている。
その圏内に、ようやく目的地であるローセンダールの首都を捉えたようであった。
主とも言うべき《レバンゲル》に反応したのか、その足下を徘徊していた異形の獣達も一斉に同じ方角を向いた。
そして、まさに獲物を見つけた肉食獣のように、首都に向かって疾走を始めたのだった。
◇
宮廷魔道士から発せられた、再び首都を襲う危機。
それと察したフランチェスカ王女は、すぐさま宰相以下に知らせるべく、控えの侍女の一人を差し向けた。
(でも、現在の首都は《空魔》の襲撃から完全に回復していない。守備隊は再編もされていない筈だし、ジャミル砦から増援された魔装機甲兵も壊滅したともなれば、迎え撃つにも充分な兵力は無い)
この少女は、年に似合わぬ緻密な思考で、首都の状況が無防備に近い事を把握していた。
(せめて、ヴァルマー将軍が負傷していなければ。ううん、『対価』を払う縁者が居ないんじゃ、これも直ぐにはどうしようも無い。この件が片付いたら、侍女の一人でもあてがうべきかしら)
可憐な外見に見合わず、中々にシビアな事を考える王女である。
しかし、そうなると、頼れるのは一人しかいない。
王女は躊躇う事無く、その人物に向き直り、頭を下げた。
「シンゴ様。重ねてで申し訳なく思いますが、何とぞお力をお貸し頂けませんでしょうか」
「うん、まぁ、そうしたいんだけどね」
即座に快諾する、と言うわけにもいかないシンゴだった。
現在、シンゴは《ガリア》を起動している状況である。
UA‐03G《ガリア》は、シンゴの手持ちの中では、最も戦闘に不向きな機体だ。
加えて、他からの補給が望めない現状では、グレート・ストレージと直結した《ガリア》システムは、失う訳にはいかない生命線ともいうべき重要な要素である。
一度、グレート・ストレージまで戻り、機体を乗り換える操作をしなければ、このままミッションに突入するのは難しい。
「チル、《ガリア・フット》でグレート・ストレージまで戻るのに、どれくらいかかる?」
『直線距離にして百キロ弱ですので、道路が整備されていれば一時間もかかりません。ですが、FV‐14Sが記録した周囲地形図によれば、途中に大きく迂回を必要とする場所があります』
グレート・ストレージが到着した地点と、首都の間には、当然のことながら整備された道路などは存在しないが、軍事車両《ガリア・フット》の性能は、多少の悪路どころか、道とも言えない山あいの斜面でも難なく走破してのけるであろう。
だが、途上にある差し渡し十キロ以上に及ぶ峡谷は迂回せざるを得ない。
『最低でも五時間は所要するものと推測します』
「駄目、それでは間に合わない」
宙を見つめながら、ソニアがうわごとのように呟く。
「アレの前を走って来るモノがいる。馬以上に早い。あと三時間でここを襲ってくるわ」
魔導による遠見の術で、その光景を見ているのだろう。
蒼白になった美貌に冷や汗のようなものが浮かんでいる。
「魔獣か妖獣と言うべき異類のモノよ。人間の敵う相手じゃない」
「魔獣? 神々のおわす、この地にそんなものが? 誰か神殿へ確認を」
それを聞いたヘレーネが命じ、更に一人の侍女が急いで部屋を出ようとした、その瞬間、今度は、フランチェスカ王女の様子がおかしくなった。
華奢な身体を大きく振るわせると、美しい瞳を大きく見開いた。
その瞳が突如として銀色に変じ、栗色の髪が瞬時にして白となる。
それは、輝くような神々しい白さだった。
「うわ!」
目の前で行われたフランチェスカ王女の突然の変身に、シンゴは驚いてひっくり返りそうになる。
「こ、これがローセンダールの『白薔薇姫』。神々に愛でられた巫女の王女か」
ザミーンの『氷姫』テレーゼも、初めて見るその光景に息を呑むようだった。
前触れもなく神をその身に降ろす巫女体質。
これが、王女フランチェスカが廃嫡された理由であり、『聖なる義務』を課せられた要因でもあった。
いち早く我に返ったのは、宮廷魔道士であるソニアだった。
それまで使っていた魔導が、フランチェスカ王女の放つ神気によって強制解除ともいうべき状態になったせいで、一種のトランス状態から覚めたのだろう。
そしてまた、そもそも、宮廷魔道士たる彼女が王女の側近となったのは、この巫女ともなる王女の力を制御する為であった。
ソニアは居ずまいを正すと、フランチェスカに降りた存在に向かって問いかけた。
「王女の身に降りられた神に申し上げます。御名を明かし、かの『生贄』に降りられました理由をお聞かせ下さい」
『我が名はフレア。告知者である』
王女の可憐な唇が動き、彼女の声とは決して異なる響きを放った。
『魔なる獣が現れたは、我らが盟約に背いたゆえでは無い事を告げる為、一時、この身を借り受けた』
「告知を司る偉大なる御身に申し上げます。それならば、なにゆえを持って、あのようなものが……」
『人々同士の争いに、直接に関与せぬ旨は、既に盟約として申し渡した通りである。あの獣たちが現れた由縁は、その争いに因を持つものである。お前が見た人型も同じ因に基づく存在である』
「な、なんと。人があのようなモノを作り出せましょうや」
『うぬらに授けた知恵が歪んで使われた結果でもある。それゆえ、あの獣や人型に我らは介入せぬ。いかなる『対価』も無効と知れ。我が告知するは以上である』
そこまで言うと、王女の髪の色は唐突に元に戻り、彼女は糸が切れた人形のようにくたりと倒れかかった。
この光景を何回か経験した控えの侍女が、穏やかにその身を受け止める。
だが、初めて見る者は全て呆然としていた。
むろん、シンゴも例外では無い。
「さすが、異世界。神様が現れやがった」
呆然とするベクトルが、少しずれているようではあったが。
「う……くぅ」
侍女に抱きかかえられたフランチェスカ王女が身じろぎする。
「大事ありませんか、姫様」
「平気です。幾度も経験しましたし、フレア様は穏やかなお方ですもの。このくらいは慣れました」
心配そうに話しかける侍女に、フランチェスカが平気だというふうにうなずいてみせる。
降りてくる神の中には気性の激しい存在もおり、そんな神を降ろした後は幾日も寝込む事もあるが、今回はそんなことはなかったようである。
そして、困ったように考え込んだ。
「神々も手を貸さないとなれば、もう、他に手段はありませんね」
フランチェスカ王女は、侍女の手からそっと離れると、改めてシンゴに向き直った。
「シンゴ様。改めてお願い申し上げます。何とぞ、お力をお貸し下さい」
「あたしからも頼む。この通りだ」
「私もお願い致します。なにとぞ、お聞き届け下さい」
王女だけではなく、ヘレーネやソニアにまでお願いされてしまって、それを平然と押し返せるシンゴでは無い。
「なぁ、チル。念の為に確認するけど、《ガリア》をこっちに呼び寄せるんだったら、どのくらいかかる?」
『重力制御での浮遊であれば、ほぼ直線距離での移動になります。三時間半で到着するものと推測します』
「それでも三〇分はオーバーするわけか」
「なんでそんなにかかるんだ? あの銀色のやつなら、ひとっ飛びだろ?」
『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』における制約を知らないヘレーネが尋ねる。
「ん? ああ、《ファーブネル》は今は呼べないんだ。だから、別のやつを……いや、しかしなぁ」
《ガリア》を投入する事に、慎重にならざるを得ないシンゴの返答は、今ひとつ要領を得ない。
だが、その返答に含まれる情報に眼を光らせたのは、ザミーンの『氷姫』だった。
(ほお、あの銀狐を呼ぶのに制約があるようだな。これは機会を見て質さねばなるまい。いや、まてよ。別のやつ、とか言ったか。どういうことだ?)
さすがに、一人で複数の機体を所有しているなどと言う事には思い至らない。
それも当然で、魔装機甲兵は製造はもちろんだが、運用するのも莫大な労力と費用を必要とする。
むしろ、比率としては運用の方がコストは大きい。
国家、及び、軍隊のような巨大な組織でなくては、まっとうな運用は不可能と言って良く、個人での所有など全く無意味だ。
グレート・ストレージを含む《ガリア》システムのような自動メンテナンス機構など想像の埒外にある、この世界の常識的軍人でもあるテレーゼ皇女にしてみれば、そう考えるのも無理もない話であった。
一方、シンゴの返答に含まれる感情に気がついたのはソニアである。
(少し傾いていますが、まだ迷っている。よくわからないけど、簡単に受けられない事情があるのですね。でも、この青年には悪いのですが、無理をしてでも、何とかこの局面を打開しなくては)
遠見の術で見たモノは、魔導圏を纏っていたせいか本体の様子がよくわからなかったが、進行速度はそれほどでもないようだ。
そうなると、まずは、先に到着する魔獣の群れを何とか出来れば良い。
この青年が呼ぼうとしている魔装機甲兵の類いは間に合わないようだが、この青年の途方も無い武と自分の魔導と力を合わせれば、到着までの時間は稼げるかもしれない。
魔装機甲兵が到着しさえすれば、あの魔獣相手ならばなんとでもなる。
事情はわからないが、一刻を争う今の状況では、到着まで時間のかかる機体よりも、より短い時間で呼べる機体があるのなら、そちらを選択する以外に無い。
後は、首を縦に振る方向に傾きむきかけたシンゴに、最後の一押しをどうするか、である。
ソニアは、ふと、思いつき、フランチェスカ王女に何事かを耳打ちした。
それを聞いた王女は、一瞬、顔を真っ赤にしたが、躊躇う時間は非常に短かった。
なおも思い悩むシンゴの腕に、いきなり抱きつき、頬をすりつけて甘えるように言ったのである。
「ねえ、お兄ちゃん。フランのお願い、聞いて」
チルがバイタルサインの異常を伝える暇も与えず、シンゴは裏返った声で叫んだ。
「UA‐03G本体の緊急召喚を発令。装備は参式。直ちに遂行ぉ!」
『発令受領。UA‐03G、参式装備にて緊急召喚します』
復唱するチルの声は相変わらず機械的であり、何となく、「知ーらね」と言いたげな響きが混じったようにも思えたのは、むろん錯覚であったかもしれない。




